第9話 中華ものならではの人称の話

 中華ものならではの一人称についての話です。ちょっと特殊な単語を拙作中でも幾つか使用したので(ご存知の方にとっては当然のことでしょうが)、軽く解説してみます。雰囲気作りの一環として、意識して使うと色々有用だと思います。


朕:ちん/zhen4

 玉音放送でもお馴染み、皇帝だけが使える一人称。

 なお、拙作中の皇帝は臣下に対する時は「朕」、皇太后に対する時はへりくだって「私」を使っています。また、寵姫に対して完全なオフ状態であるという演出として「俺」と自称させています。皇帝は私的な時間空間でも「朕」を使うものなのか、そうではないのかは浅学にして分からないのですが、言葉遣いによってオンオフや寛ぎ度が分かると良いよね……という考えで使い分けさせています。皇帝の心理状態について、分かる人は分かってね、な演出になっていると良いです。


奴才:どさい/nu2cai

 宦官が貴人に対してへりくだる自称。皇帝に対して~と説明しているのを見ることもありますが、清末の宦官の証言を読んでいると西太后(はまあ特例としても)や、ほかの太妃に対しても「奴才」を使っていたので皇帝に限らず貴人・皇族に対しては使っていたのではないかと思います。拙作中でも、宦官のキャラクターが主に皇帝に対して使っています。一方で、後宮では新参者のヒロイン等に対しては単に「私」と自称しないのは、大仰さを感じさせない気遣いだったりするのかもしれません。と、これも立場や関係性による言葉遣いの演出のつもりです。


哀家:あいか/ai1ja1

 夫を亡くした皇太后や皇子妃だけが使う一人称、とのことですが、用例はもっぱら戯曲等に現れるとのことなので、実際宮廷で使われていた訳ではないのかもしれません。未亡人の本来の意味は「(夫に殉死することもなく)未だ亡くならない人」であるように、一人称まで使って一々悲しみを露にしなければいけない昔の偉い女性は大変です。拙作中で使う立場の人は皇太后だけなので、差別化というかキャラ付けとして、ちょっと珍しい人称を使わせてみました。また、皇帝が地位を脅かされる展開に際し、寵姫に「陛下に万が一のことがあれば私も哀家と称します(=敵に屈したりはしません)」という台詞を言わせたりもしています。世界観を活かした言葉遣いをさせられると描写に厚みが増すのでは……増していると良いな、と思います。


 日本語の一人称の表現の豊かさはよく言われるのですが、こう見ると中国語も、少なくとも古代においては多彩で面白いですよね。ほかにももっと色々あるのですが、あんまり多用しても分かりづらくなるので&私のニュアンスを把握しきれていないので作中で使ったのはこれくらいで。それでも、上述したようにキャラ付けや関係性の描写についての良いフレーバーになるのではないかと思います。一人称に限らず、中華ものに限らず、二人称でも三人称でもあだ名でも、他者への言及のし方は──たとえ読者には百パーセント伝わらずとも──作者の側では意識して描写したほうが良いのではないかな、と。


 なお、中華ものの人称回りについては華流ドラマを観ると勉強になりそうだな、と思うだけは思っています(なかなか時間が……)。あ、でも清朝舞台のドラマの場合は満洲語由来の称号も多いので、単純に中華風世界に流用して良いのかは一考が必要かもしれません。


 ちなみに二人称にも言及すると、古代中国において恋人や夫婦間などの親しい間柄で使う二人称に「歓」があったそうです。呼びかけること、それ自体に喜びが滲むようで艶めかしく美しい表現だと思いました。

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