第43話 怒濤


「えっ?」

 思わず間抜けな声を漏らしてしまう。目の前に迫り来る人影に反応する間もない。

 腹を打つ衝撃に目を剥き、身体が九の字に折れる。腹筋など容易くかち割り、胃液を吐きそうになった。

 開幕ゴングと同時にタックルを仕掛けてきたのだ。完全に虚を突かれた。見事なまでの奇襲である。

 襲い来る激しい熱が痛みとなって駆け巡る。小型自動車が突っ込んできたような圧力だ。コーナーポストに寄り掛かり、膝をつくのを何とか堪えた。

 だが、それは幸運などではなかった。

 再びの衝撃に体が振動する。ほぼ密着した状態でダンがタックルを放った。踏み込むスペースなど片足分しかないが、しっかりと腰が入っている。


『いきなりの猛攻! まだまだ止まらない!』


 背中にポストを背負ってしまう。逃げようにも、ダメージが大きくて足が反応しない。絶え間なく続くタックルは、巨大な金槌で叩かれている気分だった。ドワーフのパワーなら絶大な威力を生む。

 キックでは対処できない。そんなものでは止まらない。咄嗟に手を組み、無防備な背中に拳を打ち下ろす。

 手から伝わる感触に総身が震える。筋肉の分厚さが嫌というほど伝わってきたからだ。確かに背中は硬い部位だが、これほどとは思わなかった。岩盤を叩いたような錯覚を起こす。一回りも二回りもビルドアップしているかもしれない。

(しかもこれは)

 見せかけの筋肉ではない。全てが人を打ち倒すものだ。

 肉体が耐えきれなくなり、その場に膝をついた。呆然としている暇はない。自らの急所を晒しているのだ。素早く覚悟を決める。

 攻撃を凌げるだけの覚悟を――。



 脳裏に過ったのは、トマトが潰れる絵だった。

 目の前が真っ白に染まり、音が途絶える。痛みとダメージ、身体に起きている異変。情報の整理に脳が追いつかず、膝だけががくがくと笑っている。

(眼球は無事か。鼓膜はわからん。手足は)

 未だに思考が定まらないなか、肉体が浮遊感に包まれる。ダンの五指が顔面に食い込み、肉体を持ち上げていた。

 アイアンクローという技である。こめかみを潰されるような痛みを受け、抵抗できないまま引きずられていく。


『~~~~~~~~! ~~~~~~~!』

 実況が何か叫んでいるが、まだまだ聞こえない。


 連れて行かれたのはリングの中央。

 ダンの左手が股間に入り、完全に持ち上げられた。くるりと肉体が回転し、背中から叩きつけられる。綺麗なボディスラムである。

 そのままフォールに入ると、レフェリーがカウントを打つ。

 反射的に肩を上げる。ダンの肉体が離れると同時にリングを転がり、外にエスケープした。



 会場は大歓声に包まれ、場外に出た自分にブーイングが浴びせられる。ここにきてようやく聴力が回復してきた。

(危ねぇ。マジで終わるとこだった)

 天井を見つめながら回復に努める。別に油断していた訳じゃない。こうなるかもとシミュレーションはしていたが、想定を上回っていた。

 プロレスの性質上、瞬殺は基本的に許されない。ショーマッチだからこそ、お互いに最低限の見せ場を作るものだ。

 悪役は全ての事を起こさなくてはいけない。散々に相手を痛めつけるからこそ、逆転劇に盛り上がる。仮に善玉が敗北しても、そこから再起する姿に胸を熱くするのだ。いくら善玉を応援していても、初めから一方的すぎては首を傾げるものだろう。

(普通の試合なら・・・・・・そうなんだけどね)

 だが『それ』が受けいれられるアングルを組むなら話は別だ。どれだけ忌避されるような展開でも、観客を納得させる強い説得力を持てばいい。

(お客様満足度はカンストしてるかな。星いくつだろ)

 これまでゲドキングは酷い悪事を繰り返していた。いわばどんな惨めな負け方をしても、受け入れられる空気が出来上がっている。むしろ瞬殺が喜ばれるかもしれない。

 顧客とはわがままなものである。欲望に際限はなく、常に飢えている。ただ勝てばいいというものではない。勝つなら勝つの、負けるなら負けるなりの理由や展開を求めたがる。どんな競技よりも内容が重要視されてくる。

 だからこそプロレスは奥深いのだ。


『流石のゲドキングもリングへ戻ってこられません。ダンの猛攻にゲドキングが速くも追い詰められています』

『正直驚きました。あそこまで積極的なダン選手は初めて見ましたよ。実に気合いが入っていますね』


 場外からリングで佇むダンを見つめる。これまでとは風格が違う。一皮剥けたなんて話ではない。本当に別人みたいだ。

(ありがとな、ダンちゃん)

 胸の中で感謝を口にする。そこには安心も含まれていた。本心がどうであれ、ダンは試合という形は守ってくれているからだ。

 下手をすれば、もっと殺伐としたものになる恐れがあった。守るべき形も型もない。ショーマッチを超える戦い。いわゆる街の喧嘩に近いものである。現代にいた頃はそういう試合も何度か観戦したが、この空気でやったら本当に止められなくなる。

 プロレスはやろうと思えば、いくらでもえげつなくできる。選手生命など簡単に奪えてしまうのだ。

 呼吸を整え、思考を整理する。

 プロレスで求められるのは打たれ強さだけではない。どれだけダメージを受けても、そこから立ち直る回復力が重要となってくるのだ。



 レフェリーのカウントに合わせ、ゆっくりとリングへと戻った。たかだか十秒程度だが充分リカバリーできた。

 それでも不利なことに変わりはない。相手の思考がまるで読めないのだ。良い試合を観せるという前提など持っていないかもしれない。野獣を相手にするようなものだ。上手にコントロールする自信などない。

 一応今は試合の形を守ってはくれるが、感情が乗ってくればどうなるか。答えは誰にもわからない。

 だからこそ起こる展開に頭を動かし、肉体で反応するしかない。何があってもこの試合を見世物として成立させる。

 それを成し得るのはこの世界で己だけなのだ。

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