第8話 理想と興行

 

 アルコたちに案内されたのはトレーニングジムだった。中央にリングが設置されており、ダンベルやサンドバックといった器具が置かれていた。手入れもしっかり行き届いている。どこから発想を得たのかは知らないが、少なくても格闘技関連の設備は非常に整っている。


「アドバイスって言ったな。何かするつもりなのか?」

「これから新しい格闘技団体を旗揚げするつもりなの。ここはその新しい稽古場」

「クラフトアーツに参加するだけじゃ駄目なのか」

「それじゃ変わらない。私たちの立場は何も変わらないの」

 表情が強張り、血が出そうなほど拳を強く握る。暗い感情が溢れ出ていた。


「ここではね人間最強主義がまかり通っているの。そのせいで私たちは常に下の存在として見られている」

 アルコの様子を窺いながら、マリアが遠慮がちに口を開く。

「勇者は人間しかパーティーに入れませんでした。だから勇者を語る逸話に出てくるのは人間だけ。いつしか他の種族は魔王と戦うこともできなかった弱い存在である、と認識されてしまったんです」

「そんな風には見えなかったがな」

 まだほんの数時間しかこの町にいないが、人間しか入れない建物や座ってはいけないベンチ、あるいは他種族に物を売らないなどわかりやすい差別や暴力は行われていなかった。

 ビルタニアスの店でも普通に同じテーブルで食事をしていた。あらゆる種族が日常の中で自然に溶けこんでいる。


「普段の生活では問題ないわ。だけどこと格闘技に関しては違う。クラフトアーツこそが元凶なのよ」

「お前たちが勝てないようなハンデでもあるのか」

「そんなことないですよ。試合は公正に行われています」

 マリアが即座に否定する。スタッフなのでよく知っているはずだ。


「ただ勝率は圧倒的に人間側の方が高いです。先程の大会でもアルコさん以外は勝てませんでしたから」

 クラフトアーツは階級制とランキング方式を取っている。階級ごとに王者がおり、決められた試合に勝利すればランクがあがる。階級を守っていれば人間以外の種族も自由に出場することができるのだ。この辺りも現代のシステムによく似ている。

 更に驚きなのは打撃禁止や投げ禁止など、細かなルールを設定した部門もあるらしい。もちろんそれぞれにランクと階級が存在する。小次郎が参戦したのはアマチュアのオープン大会だったらしいが、男女混合マッチも試合によっては認められている。


(マジかよ。やってることが本当に現代と変わらないじゃないか)

 知れば知るほど驚きで総身が震える。ルールや仕組みもほとんど同じ。言ってしまえば総合格闘技だけではなく、ボクシングやレスリングもやっているようなものだ。格闘技という点は恐ろしく発展している。

 クラフトアーツは勇者のパーティーにいた者が、勇者からアドバイスを受けて生み出したのが始まりである。だがいくら勇者とはいえ、何もないところからここまでの仕組みを作り出すことができるだろうか。

 格闘技は長い歴史を重ねながら現代の形になった。技術やノウハウだけではなく、ルールや器具も時間をかけて発展してきたのだ。常識的に考えて、これだけのものを何のヒントもなく、一人で作り上げるのは不可能に近い。


(もしできるならそいつは異次元の怪物だよ)

 この世界にやってきた勇者は、小次郎と近い時代を生きていた人間なのかもしれない。そうだとすれば非常に納得がいく。

「人間以外のチャンピオンはいるのか?」

 無言のままでいるアルコに代わって、マリアが小さく首を振る。その目にはどこか悲しみが含まれていた。

「なるほど。勝つ方が珍しいってことか」

 先程の試合で勝利した後に送られた拍手はどこか生暖かいものだった。他種族に負けて悔しいとか、つまらないとかいう感情ではない。馬鹿にしている訳でもないのだ。むしろそちらの方が遥かに良かっただろう。

 まるで授業参観で子供を見守る親のような反応だった。あの空気は真剣に戦う者には耐えられない。同じくリングに立つ者として気持ちは痛いほどわかる。


「あんたたちも参加したのか?」

 ビルタニアスたちに目を向ける。とても気になったのだ。

「一勝もできなかったがな。尤もあれで区切りはついたよ」

 現役か、引退かの瀬戸際に立つ選手の悲哀。多くを言わずとも伝わる。戦士の誇りと家族の幸福。格闘技と家族を天秤に賭け、彼はリングで戦ったのだ。


「僕もです。ほとんど何もできなかった」

 ビルタニアスはともかく、ダンがリングに上がったのは意外だった。あまり戦いをする性格に見えない。

「大人しい自分を変えてみたかったんです。少しは度胸がつくと思ったんですけど」

 自信なさげに笑みを浮かべる。ドワーフにも周囲の目というものがあるのだ。豪快な一族と気質の違う自分。家族や周囲を納得させるために強さを示そうとした。

 二人がリングの上で戦う姿を想像したが酷く違和感がある。単純な強さやレベルの差ではなく、上手く戦う姿が思い浮かばないのだ。

「出る訳ないっしょ。ああいう空気は合わないんだよね」

 ドリトスには聞かなくてもわかる。興味を示すようには見えない。


「別に人間が憎い訳じゃない。でもこのまま下に見られ続けるのは嫌なの」

 低評価を覆すため。現状を変えるために。彼女たちは立ち上がった。

「だから人間以外の種族で新しい団体を作る。私たちにもできるってことを証明するために」

 腹の底から湧き上がる声で堂々と宣言する。瞳が燃えており、熱い気持ちが伝わってくる。さっきとは打って変わって希望に満ちていた。

「どんな試合をするつもりなんだ?」

 正直興味が湧いた。クラフトアーツによってほとんど市場を取られていると言っても過言ではない。目新しい格闘技団体を生み出すのはかなり難しいと思う。

 だがここにはこれだけ恵まれたキャラクターがいる。天然自然の素晴らしい肉体パーツ。人間がどんなに鍛えても手に入れられないものを持っている。彼らが織り成す戦いはどんな風になるのか。どんなアイデアで試合をするつもりなのか。


「何でもありの試合よ。武器使用以外の反則は一切ないわ」

 得意げに口端を上げ、自信満々に言い放つ。己の信じたものをとことん信じている。小次郎の眉がピクリと動いたがあえて何も言わない。

「もちろん判定なしの完全決着制。これなら文句はないでしょ」

「確かにな。期間は一年に一回か。半年に一回でもいいかもしれないが」

「週一回に決まっているでしょう。飽きさせる訳にはいかないもん」

 この世界でも暦の数え方は同じである。七日で一週間、三十日で一か月。元からなのか、勇者が定めたせいなのかは後で聞き出せばいい。重要なのはそこじゃない。


「・・・・・・所属してる選手はどれくらいだ」

 身体が小刻みに震え、声が上擦っているのがわかる。言いたいことは沢山あるがぐっと我慢して、質問を続ける。

「十人くらいかな。選手は随時募集しているわ。飛び入りの参加も認めるし」

「ああ、そうか。さっき魔法はあるとか言ったな。一瞬で傷を治すとか凄い回復魔法があるんだろ」

「そんな便利なものはないですよ。薬草や傷薬はありますけど、すぐに治るような即効性はありません」

 震えが尚も止まらない。地震が起きたのかと思うぐらい派手に震えている。頭の中が赤く染まり、視界がぼやける。抑えきれない感情が零れようとしている。


「毎週刺激的な戦いを提供してれば、最強を証明でき、」

「ふざけてんのか!」

 厚い岩盤を砕き、火山がついに爆発する。練習場を壊すかの如く怒号は圧倒的な力となって叩きつけられた。


「な、何よ。いきなり。何か問題があるの」

 耳を押さえて抗議する。ここにいる全員が同じようにしていた。

「問題だらけだ。興行を勉強し直してこい。馬鹿野郎が!」

 期待が大きかっただけに裏切られた怒りが大きい。感情を抑えることができない。

「そんなもんやったらすぐに選手が使い物にならなくなるわ。興行として成立しねぇよ!」

 種族が違うから一概には言えないが、いくら頑丈でも限度はある。ダメージは確実に蓄積する。

 所属する選手が百人近くいるなり、外部からの当てが常にあるなら回すことはできるが、数十人で回すなど狂気の沙汰だ。全員が潰れておじゃんになる未来しかない。

 期間限定ならばまだ成立するが、毎週のようにやるのは無理がある。いくら格闘技が好きでも自分が壊れること前提の大会など参加したくないだろう。


「そもそもレフェリーがいないというのが間違いだ。誰が試合を裁くんだよ」

「でもまだやれるのにすぐ止められちゃうのよ。こんなの納得できないじゃない」

「当たり前だ。公正に裁くのはもちろん選手の安全を守るのが審判の役目だ。下手をすれば生命の危険や障害が残るかもしれない。それを未然に防ぐためにいるんだよ」

 審判の基準が緩い時代にいくつもの悲劇が起こった。観客からは平気そうに見えても、危険と判断したら試合を止めなければいけない。第三者として選手を見極める冷静な目を持つからこそ審判なのだ。選手は覚悟の上というかもしれないが、アクシデントを起こさせる訳にはいかない。

 審判がいなければ意識が飛んだ状態で殴られ続けることもあるのだ。選手に判断を任せるのは危険すぎる。

「買収されてると思うなよ。そもそも他の種族は簡単に倒せると思っているんだから、そんなことする必要もない」

 先程の試合もレフェリーの腕には感心した。わざとダメージがくらっているように振る舞ったが、危険と判断してしっかりと試合を止めた。単純なダメージの有り無しではなく、戦意がないことを見抜いたのだ。


 

「新しいことをやりたい気持ちはわかる。でも競技である以上はちゃんとルールを作れ」

 格闘技の楽しさはルールを守る楽しさでもある。他人を倒すという行為は変わらないのに、ルールを一つ追加するだけで動きは一変する。

 投げやタックルが禁止なら打撃メイン。打撃禁止なら投げ技や締め技メイン。ルールを追加していけば、どんどん細分化されていく。

 ルールがあるから窮屈でつまらないのか。答えは否である。

 確かに競技が増えれば、何が最強であるかはわかり辛くなる。だがそれぞれの格闘技ごとの楽しさがなくなることはない。レスリングならレスリング、ボクシングならボクシングと楽しみ方は違うのだ。


「ルールなしの真剣勝負がしたいなら、どっかで野試合でも挑めばいいだろ。それか道場破りでもしてくるんだな」

 何でもありを否定する訳じゃない。最強を示したいなら一番わかりやすい方法だ。格闘技の行きつくところは、いかに効率よく相手を壊すかということにあるのだから。

 だからこそ興行という面で見ると受け入れ難いものがある。凄惨なものを喜んでみたがる観客は限られている。

「最強を証明したいっていう、お前の意思を馬鹿にするつもりはない。でもそれを興行でやるのはかなり難しいぞ」

 あらゆる格闘技の選手を集めて、完全決着制の試合をさせる。小次郎も似たようなことを考えたことがある。だがその方法はかなり無理があるということを師匠に教わったのだ。


 アルコは俯いたまま黙りこむ。夢と希望に溢れた願いが打ち崩されたのだから当然だ。涙は流していないが、静かに泣いているのがわかる。気持ちが痛いほどわかる。小次郎もまたこの世界に来て、夢と希望を打ち砕かれたのだから。

 他の者もどうすればいいかわからないでいた。かけるべき言葉もないままに練習場を沈黙が支配する。

「じゃあ、じゃあどうすればいいの」

 ようやく絞り出された言葉。本当は悔しくて仕方ない。誰かに縋るなどプライドが許さないはずだ。それでも聞かずにはいられない。


 小次郎は無言のままリングに上がり、ロープに寄り掛かる。固い感触を確かめながら、稽古場を見渡した。皆の意識が集中するのをじっくりと待つ。

「俺は聖人君子じゃないし、救世主でもない。ましてや勇者なんて柄でもない。種族の誇りだとか、栄光とかもてんでわからない。もっと言えば、この世界がどうなろうが知ったことでもないからな」

 軽く口角を吊り上げた。並んだ顔にはたくさんの色が浮かんでいる。戸惑いや警戒、気味の悪さ、気が触れたのかという思いもあるかもしれない。リングの上でこういう反応を作り出すのはたまらなく楽しい。どんなものにも勝る瞬間だ。


「だけどおまえたちを誰よりも魅力的にしてやれる。最高の舞台へ連れてってやるよ」

 全てを奪われたのは小次郎も同じ。だが理不尽に打ち砕かれた夢を叶えるチャンスがいきなり訪れたのだ。眩い輝きを放つ宝石が目の前にずらりと並んでいる。使わないという選択などする訳がない。


「俺はやりたいことのためにお前たちを利用する。だからお前らも俺をとことん利用しろ。目的を叶えるためにな」

「あんたは・・・・・・何をするつもりなのよ」

 アルコは未だに小次郎の言う事を理解できないでいる。そんな反応を楽しんだ上でゆっくりと告げる。


「プロレスだよ。この世界でプロレスをやるんだ」

 今ここに世界初のプロレス団体が産声を上げた。新たな旋風を巻き起こしていくために。

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