第4話 奪われた世界
「これからどうするかな」
階段に腰掛けながら重いため息をつく。試合が終わると同時に逃げ出したのはいいが、行く当てなどなかった。
かといってあそこに留まるわけにもいかない。面倒なことになるのは目に見えている。下手すれば警察に突き出される恐れもあった。何とか服は回収できたが一銭も持っていない。
「ほんとに何処なんだよ、ここは」
日本でないことははっきりわかる。高層マンションや巨大デパートなどはないし、コンビニも見当たらない。電柱の類など一切見えなかった。
木造の建物や石造りの建物、レンガ造りの建物はテレビで観た外国の風景に酷似しており、修学旅行で行ったテーマパークを思い出した。
それだけならまだいいのだが問題はすれ違う人間たちだ。試合で戦った相手と同じように耳や尻尾を生やしている。もちろん普通の人間もいるのだが気にも留めていない。先程の試合会場と同じように、そこにいるのが当然という風に振る舞っている。仮装大会という線は完全に消えた。
穏やかな午後の昼下がり。賑やかな広場はのどかな空気が満ちている。いくつもの露店が出ており、大道芸を披露する者もいる。ただどれだけ多くの人間がいても、スマホなどの電化製品を持っている者は一人もいなかった。
ここまでくると自分に何が起きたのかほぼ結論は出ている。信じがたいことだが、別の世界にきてしまったのだ。普段なら馬鹿馬鹿しいと笑うだろうが、現実にこうして不思議な体験をしている。目が覚めたら何もかもが元通りとはいかない。
これなら誘拐されて外国に捨てられたという方が何倍もましである。まだ人力で何とかできるからだ。ところが今の状態では何一つできはしない。そもそも原因がわからないのだから。
「頼む・・・・・・夢だと言ってくれ。誰でもいいから帰してくれよ」
悲しみに濡れた声を漏らす。人前じゃなければ泣いていたかもしれない。
瀬田小次郎にとってプロレスラーになることは子供の頃からの夢だった。始まりは地元にできた小さな団体。そこで行われた試合を観たことで彼の心はいっぺんに掴まれた。
試合が終わると同時に控室へ駆け込み、団体を作り上げた男にすぐ入団を申し込んだ。常識で考えれば不可能だが、熱い気持ちを抑えることはできなかった。
何度も稽古場を訊ねるうちにようやく男の弟子になることができた。トレーニングはきついものばかりで、逃げ出したくなったことは一度や二度じゃない。それでもプロレスのノウハウを一から叩きこまれていくうちにますます惹かれていった。
成長するに連れて試合には何度か出してもらえるようになったが、学生のうちはあくまでも仮入団という形だった。これは師匠との約束でもある。
場所や団体など問題ない。とにかくプロレスをできることが嬉しかった。子供の頃からずっと憧れ、大好きだったことをとことんやれる。未来は希望に溢れていた。
だが現実はこれである。視界は真っ暗に染まり、絶頂からどん底へ叩き落とされた。莫大な借金を背負わされる人間の気持ちがわかる気がした。
苦々しいものを吐き出し、顔を上げると広場の中央に聳える立派な銅像が目に入った。よっぽど有名な英雄なのか、どこにいても見えるほどの大きさだ。自分と違って栄光を掴んだ男の姿がひどく鼻につく。反射的に石をぶつけたくなったが、虚しくなるので止めておいた。
「い、いた! や、やっと見つけました!」
突然背後から大声をぶつけられる。気持ちをぱっと切り替え、表情を作って振り返る。
「あれ? あんたは?」
受付をしていたマリアという少女だ。必死に捜していたのか、額に大粒の汗を浮かべ、肩で息をしていた。
「もしかして連れ戻しにきたのか。だったらお暇するぞ」
すぐに動けるように腰を浮かす。小次郎からすれば説教も罰金も遠慮したかった。あるかはわからないが、警察に連行されたら厄介なことになる。
「ち、違います。だから行かないでください。というか私もこっぴどく怒られたんですよ。何とかクビは免れましたけどね」
どんよりとした影を背負い、今にも泣きそうな目をしている。かなりこっぴどくやられたみたいだ。
「気の毒だとは思うが自業自得だな。いくら急いでいてもちゃんと確認しないと駄目だろ」
「いや、それならあの場で言ってくれればよかったじゃないですか。嘘をつく必要がどこにあるんです」
「こっちも勘違いしてたんだよ。文句を言いたいのはわかるが、お互い様と思ってくれ」
至極真っ当な意見だがこう返すしかなかった。テレビやドッキリだと言ってもきっと通じない。マリアは渋い表情を浮かべている。小次郎の思考と行動がまるで理解できないからだ。そもそも名前を偽ってまで試合に出る意味がわからないのだ。
「あんまり難しく考えるなよ。色んな人間がいると思えばいいさ。というか用件はなんだ。そんなことを言うために俺を捜していた訳じゃないんだろ」
「アルコ選手に頼まれたんですよ。今ここに連れてきま」
話している途中で背後から出てきたのは先程の対戦相手だった。
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