第3話 ファイト
リング中央で相手と対峙する。左手を前に出した基本的なボクサースタイル。多少のぎこちなさは見てとれたが、身構える姿は様になっている。
尤も他人のことを言えるほど、小次郎も優れてはいない。慣れないボクサースタイルはたいしたことがないという印象を与えるはずだ。
まずは向こうの出方を窺うことにする。とにかく情報がほとんどないのだ。何が許されているかもわからない。
消極的な様子を見て、早速相手から攻めてきた。頭を小刻みに振りながら繰り出される左ジャブ。実にオーソドックスな攻撃だ。
(鋭いな。しっかりと腰も入っている)
パンチは重くないが速い。身体の芯に響くというよりは、意識を刈り取るようなもの。重い鈍器ではなく鋭利な刃物を連想する。
何発かジャブを打つと今度は右が飛んでくる。これもお手本のようなワン・ツーだ。型はしっかりしている。
ある程度の見切りをつけ、小次郎も応戦する。お世辞にも綺麗とは言えないジャブだが、パワーと体重差もあるので充分効果的なはずだ。
こちらも右を打とうとしたとき、痺れるような痛みが這い上がってくる。ローキックを打たれたのだ。打たれた箇所が火傷したようにヒリヒリする。
(やっぱりキックもありだよな)
待っていましたとばかりに打たれた。意識が上に集中していたが、それを考慮しても早い蹴りである。
反応できないと見たのか、相手の攻め方が変わった。ジャブを放ちながら、キックを織り交ぜてくる。ガードを下げようものなら、右が飛んでくるだろう。ぱんぱんと小気味よい音が響く。気持ちよく打てているのだろう。完全にリズムに乗せてしまった。スピードとコンビネーションは相手に分がある。
このままだと何も変わらない。クリーンヒットをもらう覚悟で右腕を振りかぶる。体格差を活かして、強引に流れを変える。ガードの上からでも叩きつければ、体勢を崩すことができるからだ。
その一撃は虚しく空を切る。目の前から消えたのだ。瞬きしている暇はない。身体の下にある柔らかい感触が伝わってきたからだ。
(タックルもありかよ。本当に総合じゃないか)
完全に潜り込まれ、マットに倒されてしまう。相手は止まることなく、ポジションを変えようとする。装備から見るにアマチュア修斗が一番近い。それならマウントポジションは禁止されているはずだ。
腕を取ろうとする動きを読み、素早く肉体を動かす。出会って間もないが肌を重ねれば、大体は理解できる。身体は柔らかいが寝技はそこまで上手くない。
(悪いがやらせねぇよ。打撃はともかくグラウンドで負ける訳にはいかないからな)
寝技の練習は特に叩き込まれている。トレーニングのたびに煮え湯を飲まされてきたのだ。師匠に比べれば、動きが直線的で若い。焦っているのが伝わる。
重なり合う肌と肌。リングの上で絡み合い、互いの汗が混じっていく。扇情的な気持ちや嫌らしさなど一切ない。相手を倒すことにどこまでも真剣だからだ。
相手の体温を通じて、息遣いを感じる。細かな動作や仕草から相手の思考や行動を読み取みとろうとする。
上かと思えば下に。右かと思えば左に。罠か本命か。虚か実か。
極まらない技も次なる布石となり、目まぐるしく展開は変わっていく。勝負は刹那の瞬間につく。グラウンドの攻防は肉体を使った高度な頭脳戦。お互いの積み重ねを見せ合い、一瞬の閃きを交錯させる。
やがてペースを握れないことに苛立ち、少女は小次郎から離れた。レフェリーから立ち上がるように指示される。
次の展開に備えようとしたとき、会場に罵声が轟いた。声のした方を見ると慌ただしくスタッフが動いており、しきりに指を差している。その中の一人であるマリアは青い顔を浮かべていた。
尋常じゃない様子にこの試合がテレビやイベントの企画などではなく、ガチだということを確信する。だがそれだけではあんな反応はしないはずだ。
(まさか・・・・・・登録すらされてなかったのか! 本当に間違えてリングの上に)
マリアは急遽呼ばれたスタッフだと言っていた。選手の確認が済んでいなかった可能性がある。あの時間に控室にいれば、勘違いするのも不思議ではない。
(だいたい一分を過ぎたところか。気づかれるには充分だな)
このままいけば試合は中断されるだろうが、それでは面白くない。何より観客に申し訳がない。ここまでの反応を見る限り、盛り上がっているようには見えなかった。このままろくな決着もつけないで無効試合になったら、確実に白けさせてしまう。
(うし。じゃあ終わらせるとしますか)
思い描かれる一つのプラン。決着をつけるため素早く実行に移す。
ガードを捨てた突撃は猛牛の如き圧力。軽快なフットワークを使わせることなく、ロープ際に追い込む。顔面に何発もくらうが構いはしない。ダメージなど覚悟の上だ。打たれ強さには自信がある。
勢いよく振り上げた右腕。狙いはただ一つだ。
(もらった!)
掴んだのは相手の尻尾だ。思いきり力をこめて握り締める。ところが尻尾が取れる気配はなかった。飾り物ではないとはっきり主張するように。
相手の反応も薄い。動きが止まることもなければ、痛がる素振りも見せない。まるで効いていなかった。
次にやってくるのは強烈な一撃。相手の右足が目に映ると無防備のまま顔を出した。
風船を割ったような破裂音が耳を打つ。惚れ惚れするようなハイキックが直撃した。焼けるような痛みが頬を走り、その場に倒れこむ。カウントを数える声が遠くに聞こえる。
身体を起こして何とか立ち上がろうとするが、手足が小刻みに震えている。虚ろな瞳が散漫に揺れるが、レフェリーの反応だけは見逃さない。
これ以上は危険と判断して試合が止まった。鮮やかな決着に相手は喜びの声を上げる。選手の健闘を称え、観客席からも拍手が木霊するが、どこか生暖かいものが混じっていた。
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