ボディ・リサイクル

柏沢蒼海

ぼくのはじめて

 窓の外、流れていく様々な建物。ぼくはそれを目で追ってしまう。

 

 地元ではよく乗用車で移動していた。買い物、登校、遊びに行くのでさえ車が必要だった。

 だけど、本当の都市部というのは自分達で運転する必要が無かった。


 まだ引っ越してから2週間くらいしか経ってないが、とても車で走れるとは思えない。

 入り組んだ道路、細い裏路地、多すぎる複数車線、何重もの交差点。

 もはや、それを見るだけで腰が引けそうだ。



 しかし、運転席に座っている先輩は悠々と目的地まで車を走らせている。

 ナビ―ゲーションも無しに……凄い人だ。



「――そんなにトーキョーが珍しいか、新人?」


「あっ、すみません」

「オメーんとこの田舎にだって、ビルくらいあるだろう。何が珍しいんだか」


 ぼくは地方から上京。今、波に乗っている業界に就職。

 田舎者は上京するか、地元で萎びるか、選択肢はどちらかしかない。

 結局、余所に行ってもぼくらは田舎から来たということに負い目を感じ続けることになる――と、親戚のおじさんが言っていた。


 まだ、ぼくにはその実感が無い。




「まぁ、いいけどよ。新人」


「あの、ぼくは――」

「――わりィ、オレは色んなことを頭に突っ込んでるから。記憶容量ストレージ足りてないんだわ、キミがオレの上司にでもならん限りはずっとシンジンって呼ばせてもらうよ」


「……わかりました」


 先輩は制服の帽子を反対に被り、規則では着用してはいけないサングラスを掛けていた。

 おまけに、車内で音楽を流している――これも規則違反だ。


 でも、東京の人達というのは規則というものに従わないらしい。



「そんでさ、初出勤なんだっけ?」

「そうです。よろしくお願いします」


 思わず、頭を下げてしまう。

 すると、先輩はそれを鼻で笑った。



「社長から、常識をあまり知らないらしいから気を付けてくれって言われてたけど、やっぱりキミは古い価値観で生きてるっぽいね?」


「……そうらしいです」


 ふと、窓の外に視線を向ける。

 今はもう慣れてきた……と思いたいが、東京初日は驚きの連続だった。


 街中で銃弾が飛び交い、人目を気にせず裸で抱き合ったり、人間の死体をゴミ袋に入れる……これが当たり前だとは、とても思えなかった。



「いくら田舎でも、〈RLC〉システムは適用されてんでしょ?」


「ええ、そうですけど。リバイブセンターが大きな都市しかなくて……県の方から、なるべくするようなことは避けろってことになってます」



「それじゃ、何にも楽しみないんじゃねェのか?」


「同級生とかは、その公共アーカイブの映像とかの話ばかりしてました」

 誰でも利用できるオンラインの保存領域、そこには見ず知らずの人々が見たものの記録が集められている。

 暴力、殺人、性行為、犯罪――今はそう言っちゃいけないらしい。みたいなヤツだ。


「キミは?」


「半世紀前の娯楽小説ライトノベルを少々」


「まさか、今の時代に本で?」

「はい」


 先輩が大袈裟に笑う。 

 ズレたサングラスを掛け直しながら、横目でぼくを見た。


「いやぁ、筋金入りだねェ。キミ」


「すみません」

「謝るなって。でもさ、トーキョー出てきて良かったじゃん。ここでは不自由なことが最大の罪だぜ。せいぜい、楽しめよ」


 何事もなく、車は走り続ける。

 歩道や店、様々な場所で多種多様な行為が行われている。

 そこに、意識をせずとも視線が引き寄せられていた。



「そうだ、ピストルの扱いは大丈夫だろうな?」


「入社後の研修で一応」


 すると、先輩はダッシュボードから何かを取り出す。

 それは研修で見たのと同じ自動拳銃オート・ピストルだった。


 拳銃を受け取り、弾倉を確認。

 スライドを引いて、装弾されているかを目視――初弾は入っていない。


 弾倉マガジン薬室チャンバーも空だ。


「ちゃんと出来てるじゃねぇか」


「ありがとうございます」


 今度は実弾の入った弾倉を手渡される。

 それを装備している防具のポーチに差し込み、残った1本を拳銃に装填。

 ホルスターに戻そうとすると、先輩が首を横に振ったのが見えた。


「初弾を装填しておけ」


「どうしてですか? 特殊清掃業ボディ・クリーナーなのに発砲することなんて……」

「その考えが既に甘いんだよ」


 先輩がハンドルを切る。大きく揺れる車内で拳銃のスライドを引いた。

 重々しい動作音、内部のメカが駆動した音が手の平に伝わってくる。


「死体っつうのはな、価値があるんだよ。色んな価値がな」


 先輩は自分の腰にあるホルスターから拳銃を抜く。

 片手でスライドを引いてから、またホルスターに戻した。


「よからぬことを考えるヤツは、なんだって盗みやがる。オレ達の仕事はそういうバカの邪魔がたまーに入るんだ」


「そういうもんですか……」



 

 全世界で導入されている『Re:Use Life Circulation』というシステムは、脳内に入れた端末と公営設備とがリンクしており、常時接続されている連携が途絶える――つまり、個人がなんらかの理由で死亡した場合、生き返ることができるというものだ。


 記憶は定期的にセンターのサーバーにアップロードされ、死んだ際にその記憶が複製身体スペアボディに転送される。

 そして、覚醒措置が行われて、リバイブセンターで目を覚ます……という手順らしい。


 実際、ぼくは死んだことがない。

 これは覚えがないということではなく、本当に死を経験したことが無いのだ。

 ちゃんと公式の記録でも、センターでの利用回数はカウントされていない。



 先輩がああだこうだと話している間に、車は目的地に着いた。

 車から降り、仕事道具の入った鞄を肩に掛ける。


 着いた場所はファッションホテル、性行為の場所を貸し出す施設。

 ぼくらは受付で部屋の番号を確認、そのまま目的の部屋に向かった。 


 どうやら、このホテルは会社と密接な関係にあるらしい。

 施設や企業は特定の特殊清掃会社を選んで利用するようだ。

 だから、このホテルは我々のお得意様ということになる。


 

 受付の担当者が先輩の顔見知りのようにやりとりしていたのが気になったが、ここに何度も来ているからなのだろう。

 つまり、ここでは何度も人が死んでいるということになるわけだ。




 部屋のドアを開けると、そこには脱ぎ散らかされた衣類と下着が散乱。

 ベッドの上に全裸で横たわっている女の子がいた。

 露わになった胸や股間に、自然と視線が誘われる。



「またか、コイツ」

 先輩が溜息をついた。


 そう言いながらも、先輩は仕事の段取りを始めた。

 それを見ながら、ぼくも死体を搬出する準備を開始。鞄の中から必要なものを取り出し、床に並べていく。




「最近流行ってんだよな、援交自殺」


「そうなんですか?」

 鞄からタブレット端末を取り出し、死体の頭にかざす。


 目を見開き、放心したように口が開いたままの表情を画面越しに眺める。

 綺麗な顔立ち。死後の表情だとわかっていても見惚れてしまいそうだ

 それに――とても、色っぽかった。



「若さを売りにするなら、処女の方がウケが良いんだよ。それっぽいだろ?」


「それと自殺がどう関係あるんでしょうか?」

「あのな、死ねば身体を替えられるだろ。そうすりゃ、また処女に戻れる」


 先輩が言うのは〈RLC〉によるのことだった。

 持病や不治の病を持つ人は、その苦しみから逃れるために安楽死処置による自殺を選択することがある。

 〈RLC〉によって用意された新しい身体は病気だけでなく、怪我や生活習慣病にもなっていない。


 いくら不摂生な生活をしていても、身体を替えればすぐにでも健康体になれるのだ。





 タブレット端末の画面に個人情報が表示された。

 氏名、住所、連絡先、個人識別ID、保険契約情報……研修で習ったことを思い出しながら、手続きを進める。



「コイツは身体資産化保険は掛けてないから、照会はいらねーぞ」


「はぁ、わかりました」


 先輩の指示に従い、工程の1つを飛ばす。

 死体の状態を確認――しようとしたが、それは先輩が進めていた。



「前にも増して、良い自殺の仕方できてるなー。やっぱり最新の自殺薬スーサイダーは違うね」

 口を開けたり、股をまさぐったり、研修で何度かやったことだが慣れる気がしない。


「まだ死後硬直が解けないとはいえ、事前に準備したようだな。いくら良い自殺薬を使っても糞尿は漏らしちまう。前回より綺麗な自殺になってるぜ」



 自殺薬のことは知っている。自分の同級生がよく使って自殺していた。も

 もちろん、その後にこっぴどく担任教師や役場職員から叱られていたが。


 苦痛や時間を要せず、死に至る薬剤。

 当然のように市販されている。〈RLC〉の恩恵を受けている者にとって、死によって身体を替えることは医療行為とほぼ同格と見なされている。

 だから、自殺によって健康な肉体と精神に替えることも、死という体験をすることも、県によっては推奨しているところさえある。

 



 折り畳まれた死体袋を広げ、手順通りに死体の横に伸ばす。

 先輩の横に移動して、死体の背中に手を回した。




「……新人ちゃん、ボッキしてんの?」


 指摘されて、恥ずかしかった。

 端末越しに彼女の顔を見た時から、ぼくはすっかりだった。


 仕事中に興奮するなんて、不真面目な態度に思われてしまうだろうか。

 だが、先輩は小さく笑いながら作業を進める。



「いいじゃん、可愛いコだし。そういう経験無いならしょうがないよね」


 死体袋に詰め、密封する。

 鞄から収納された棒を取り出し、伸ばしながら死体袋の端を通していく。

 これで搬出の準備は完了だ。

 


「新人君はさ、そういうコトに興味あるわけ?」


「そういうこと、とは?」


 ぼくは作業を進めながら、端末で作業工程を確認する。

 他人に恥ずかしい所を見られて、冷静を保てそうにない。

 真面目に仕事をしているフリができなければ、今すぐにでも逃げ出したかった。



「そりゃあ、出したり入れたりするコトだよ」






「……人並みには」



 ぼくははっきりとは言えない。

 

 これでも健全に18年間を生きてきた。

 同級生達があちこちでに興じていたのを見なかったわけではない。ただ、それを堂々と見せるのはことだと教わったからだ。




「よーし、新人君。手を止めて」


 先輩からの指示、それを無視することもできる。

 だが、ぼくは馬鹿正直に従ってしまった。


 正座して、先輩の方を向く。

 もちろん、ぼくの固くなったアレはズボン越しに丸見えだ。




「この可愛い女子高生の死体って、どうなるかわかる?」


 先輩の問いに、研修で習ったワードが脳裏に呼び起こされる。

 それに死体の再利用方法はわざわざ勉強するほどでもない。



「……再利用されます」


「そうそう、粉砕して肥料とかね。他には石鹸とか化粧品、あるいは美術品として――」


 さすがに人間の肉を食用にはできない。

 「プリオン」とかいうモノが有害で、他にも保存や加工に適さないといった様々な問題がある。

 さすがに、食べたいとは思わないが。




「あとはね、人形さん」


「人形?」


 ぼくが聞き返すと、先輩はサングラスを外す。

 そこには皮肉っぽい笑みがあった。



「オレはさ。良さそうな死体を見つけて、にするって裏仕事やってんのよ。それにその筋ではけっこう有名な技師でねェ」


 それは初耳だった。

 ショーケース用のマネキンとかはプラスチックやシリコンで作られていることくらいは聞いたことがある。

 だが、そこに死体が流用されているとはとても信じられなかった。



「――あっ、勘違いしてもらっちゃ困るけど。一般流通はしてないからね」

「どうしてですか?」


「そりゃあ、性的に使うものだからだよ」


 先輩の言葉に、勝手に想像力が掻き立てられる。

 身動きしない女体に腰を打ち付けている自分を、容易に想像出来てしまった。




「RLC世代は『体験主義』って言うだろ? 人殺しも、自殺も、セックスも、生で本物で、実体験じゃないとダメだってんだからさ。それでもいきなり生の人間をやるのって、日頃から慣れてないと抵抗感があるわけで。そういう層に需要があるってこと」


 しかし、他人の身体に興奮したからって、勝手にに使ってもいいものだろうか?

 それはそれで、本人に申し訳ないような気がしないでもない。



「なんか難しく考えてない? ニンゲンってのはね、死んだら生ゴミなんよ。それをバラして再利用してるだけ。オレのは形状を保ったまま、美しく加工してやるのさ。それに死んだ本人は自分の死体がどう扱われるかなんて微塵も気にはしないもんよ」


 ぼくはまだ、システムの恩恵というものを感じたことがない。

 だから、そういう風に考えてしまうのだろうか。



「それに、死体を丁寧に扱いたいってんなら保険掛けるでしょ」


  

 身体資産化保険、死後に死体となった身体を資産として登録するためのものだ。

 昔ながらの葬儀、特定の美術品化……そうしたものである。

 特に富裕層とかは、なるべくで身体を替えたくないという考えや計画的な殺人行為を防ぐために契約することが多い。と研修で学んだ。



「たしかに、そうですね」


「それにこの子、けっこう人気でさ。作る度にすぐ売れるんだ」


 脳裏に、彼女の顔や身体が思い浮かぶ。

 整っていて、体型も痩せすぎていない。昔、好きだった同級生に似ている気もする。



「でも、そういうのは……」





「新人君って真面目だよね。仕事もちゃんと手順通りにやるし、無駄口は少ないしさ」


 先輩が死体袋に手を掛け、ゆっくりと開封する。

 露わになった女性の顔、その頬を撫でる。



「初仕事のお祝いに、作ってあげようか? この子で」


 先輩の言葉に、ぼくの鼓動は高鳴る。

 ぼくの理性は断りたがっている。それを上回るほどの期待が、思考を上塗りした。

 

 気付けば、ぼくは小さく頷いている。

 先輩はまた、ニヤリと微笑んでいた。


「わかった。けど、作るのに1ヶ月くらい必要だから、それだけは勘弁してちょうだいね」


 その後、ぼくは一言も発することができなかった。

 手順通りに作業を進め、車まで死体袋を運び、そのままホテルを去る。



 途中で先輩の作業場に寄った以外、何も問題は無かった。

 話を聞くと、先輩の裏仕事というのは社長を含めた男性社員数名だけに周知され、きちんと認められているとのことだった。








 その後も、先輩とは何度か出動した。

 他の女性社員の先輩とも仕事して、同じように恥ずかしい所を見られてしまったが、気にしないように努力している。



 そして、1ヶ月。

 初給料が振り込まれた翌日、大荷物が届く。


 先輩が直々に、ぼくの部屋まで運んでくれた。

 大きなダンボールに大量の梱包材、そこに入っていたのはちょうど1ヶ月前に自分の手で死体袋に入れた……女子高生の身体があった。




 説明書にはいくつか注意書きがある。瞼は開きっぱなし、口は開けられない、背中と首は曲げられない、定期的に洗浄する、3ヶ月が経過したら燃えるゴミとして廃棄する……といった感じだ。


 先輩が去ってから、まだ家具が揃っていない部屋にを座らせる。

 ベッドに腰掛けさせ、その隣に自分も座ってみた。


 シリコンと保水ゲルのおかげで、関節が曲がるし、保持する。

 まるで介護でもしているような気分になったが、すぐ横から彼女の身体を眺めていると気にならなくなった。



 キレイで、美しくて、ずっと見ていられる。

 でも、触れたいという欲求の方がずっと上だった。


 彼女をベッドの上に倒し、その肌に触れる。

 保水ゲルに含まれている成分のおかげでほんのり温かいし、肌もまるで生きているかのように弾力とハリ、心地よさがあった。


 身動き1つしない身体に指や舌を這わせ、存分に堪能する。

 その行為に興じる度、頭の奥底でブレーキを掛けようとする自分がいるのを感じた。



 これは、いけないことだ。



 頭ではわかっている。

 でも、身体は――もう止められない。




 気付けば、ぼくは服を脱ぎ捨てていた。

 興奮した自分に身を任せ、を奥底から隅までと味わい尽くす。


 それは日常的に、自分で処理するのとはわけが違う。

 そこには物理的な温もりと安心感、圧倒的な快感があった。



 何時間過ぎただろう、先輩が届けてくれたのは昼前だったのは覚えている。

 部屋はすっかり真っ暗で、時刻を確認しようにも時計すら見えなかった。


 すぐ目の前にある、自分の体液に塗れたがとても愛おしい。

 まだ興奮が収まらないぼくの身体、再び快楽へと溺れたいという欲求が沸き立つ。


 しかし、体力的な限界か、日が落ちて真っ暗な部屋がそうさせるのか、強い眠気には勝てそうになかった。

 本来なら不快になるはずの自分の体液の匂い。それに気にも留めず、彼女を抱きしめたまま眠った。





 それから、ぼくとの生活が始まった。

 

 彼女のための下着と衣類を揃え、一緒に風呂に入り、毎晩のように使った。 

 もう、彼女無しではいられない。


 ぼくにとって、人形のはモノではなくなった。

 さすがに話し掛けたり、名前をつけたりはしていないが、もう異性の相手を求めるようなことは考えられない。



 仕事も順調、先輩方から指示されなくても手順を進められるようになったし。

 異性の死体を見ても、何も起こらなくなった。


 何もかも順調で、楽しく思えてきた。

 先輩から次の人形を勧められるが、とても別のと一緒に生活できる気がしない。


 しかし、説明書に記載されていた耐用期日はとっくに過ぎている。

 先輩曰く、1年以上になるとボロボロになって見る影もなくなるそうだ。


 それでもいい、ぼくはを愛してしまった。

 その最後をきっちり見届けてから、葬ってやりたい――そう思っている。

 



 

 

 ぼくはいつも通りに起床し、彼女と共にシャワーを浴びる。

 隅から隅までぼくの手で洗い、バスタオルで水気を拭き取ってあげた。


 身体の中や皮膚に充填されている保水ゲルに水分を吸収させるのと同時に、汚れを落とす。そうしなければ、あっという間に彼女の肌はボロボロになってしまうのだという。

 それに、汚れたままにしてしまうのは彼女に申し訳ない。



 その後は部屋着を着用させて、リビングの椅子に座らせる。

 ぼくはその対面に座って、いつものように朝食を取る。


 彼女が来るまでは床に座って、簡単に済ませていた。

 こうしてテーブルと椅子を用意すると、自然と皿数を増やしたくなってしまう。


 気が付けば、料理に凝っていた。

 栄養バランス、彩り、品数、自分で用意すると考えるのではなく。

 ぼくが彼女に振る舞うとしたら……と考えて、いつも作っている。



 部屋に干している洗濯物を整理し、彼女が座っている椅子ごと玄関まで運ぶ。

 そして、椅子に座ったままの彼女に声を掛け、ぼくは部屋を出た。


 帰宅すれば、真っ先に彼女が出迎えてくれる。

 別に反応してくれなくたっていい。帰ってきたら、そこにいる。

 それだけで、ぼくは嬉しかった。






 いつもよりちょっと早めの出勤。

 特に何かあるわけでもない。


 制服を着て、ぼくは会社へと向かう。

 最寄り駅に行き、電車に乗って会社に近い駅で降りる。


 普段と変わらない光景。

 しかし、たった10分早いだけで見慣れないものが視界に入ってきた。


 それは、会社近くの高等学校の制服。

 ブレザーを採用し、男女問わずネクタイ着用の制服だと聞いている。

 事実、何度か見たことはあった。



 ぼくが気になったのはそこではない。


 横断歩道、何人もの通行人が青信号を待っている。

 そこにぼくはいた。


 そして、ぼくのすぐ横――すぐ隣にがいた。

 黒い髪、大きすぎもしない瞳、一重の瞼、多少痩せてはいるが実りのある身体。

 


 まるで、ぼくの部屋から抜け出してきたかのようだ。

 人形の彼女が歩き出し、学校の制服を身に付けて来た――としか言いようがない。



 それはありえない。


 あれは、死体。

 ただのモノでしかない。




 ならば、目の前にいるのは……本人ということだ。


 まばたきすらしなかった彼女が、息をして、歩いて、鼻を掻いている。

 その動作ひとつひとつに、ぼくは感動していた。


 

 生きたの姿、それはモノにはできない。

 毎晩のように愛し、抱きしめながら眠り、身体を洗ってあげた。それで満足していたと思っていた。

 だが、そうではなかったらしい。


 

 ぼくは今、理性的な思考を失いつつある。それを頭で理解している。

 きっと、これまでのように止めることはできないだろう。


 



 ぼくは、を愛している。

 いや、愛してしまったとでも言うべきか。


 自分より年下の身体を思い通りに扱い、自分の理想の相手を演じさせてきた。

 でも、それはモノ――ヒトじゃない。




 ぼくは――を受け止めてくれた相手の手を掴む。

 それはちょうど、歩行者信号が青になったのと重なった。


 周囲の人々が歩き出すのに、ぼくと彼女は立ち止まったままだ。



 振り返る彼女、その表情は……驚愕に染まっている。

 ぼくの知らない、はじめての彼女。それがなんだか、嬉しかった。

 

 やっと、彼女の新しい一面が見られた。

 ぼくはずっと、知りたかった。余す所なく知り尽したかった。

 それは物理の身体だけじゃない、彼女のあらゆる全て。

























 ぼくはずっと、が欲しかった。

 














 だから、ぼくは告げる。


 新しいに告げる。

 

 ぼくと、新しい彼女のに告げる。






















「はじめまして」  


 

 

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