後編


「カイリくん、今日はうちらの部活見にきてよー。この前別の部活のとこ見に行ってきたんでしょ?」

「え? 何で知ってるの」

「他のクラスの子が見たって言ってたよ」

「あはは、そうだったんだね」

「なら──」


 カイリは相変わらず人気者だった。無口で無愛想なミズキとは違って、誰にでも分け隔てなく接する。そんな彼の傍には、必ず誰かの姿があった。


 自分はあの輪の中には入っていけない。今更、と白い目で見られるのは目に見えている。だからミズキはこうして、外を眺めるフリをしながら目の端でカイリを盗み見る事しかできない。


 自分の写真を好きだと言って笑ったカイリ。その時の顔を思い出しながら、ミズキは耐えていた。


 他の生徒達の姿に混じって、ミズキの写真には必ずカイリの姿が映る。時々、そのカイリの目が、ファインダー越しのミズキを見つめて微笑みかけるた。

 レンズを通してだとはいえ、その目に見詰められると途端にミズキは苦しくなる。伝えられない想いが、どんどん大きくなっていくのを自覚した。


 カイリが時々こっそり部室にやって来ると、ミズキは飛び上がるほど嬉しかった。クラスで話しかけられないのがもどかしい。女子生徒に触れられながら笑う彼を見ると辛かった。いつか彼にもすぐ、彼女ができるのだと思うと悔しくもあった。


 なんで自分ばかり、と思うとどうしようもなく情けない気分になる。そうしてしばらく経つと、カイリと共に過ごす時間すらミズキはどうしてだか辛くなってしまった。

 いつかは飽きて来なくなる。そんな日を想像して、ミズキは怯えていた。


「なぁ、ミズキ」

「ん?」

「最近、俺のこと撮るの辞めたの? あんまカメラ向けて来ないよな」


 ある時部室で、カイリにそう問われてミズキはドキリとした。

 カイリの言うように、ミズキはカイリを写す事を避けるようになった。ファインダー越しとはいえ、あれ以上彼に見詰められてはミズキの気持ちは大きくなるばかり。

 だから少し、自分の心の負担を軽くするように、ミズキはカイリにカメラを向けないでいたのだ。まさかそれに気付かれていたとは。


 ミズキはドキドキとしながらも、カイリの問いに適当な理由をつけて誤魔化した。その目を見返す事はできなかった。


「あーいや、前に言ってたじゃん、カイリばっかり撮ってるって。それも悪いなぁって。少し、他のも撮ろうとかと思ってさ」

「……ふぅん?」


 その時のカイリの視線はまるで、ミズキの嘘を見透かそうとしているかのように思えた。

 自分を撮らない事に拗ねているようにさえ見える。そうでないとは分かっていても、ミズキは少しだけ期待してしまう。

 もしやこれは、自分が彼を撮らない事を不満に思っての質問なのではないか。ミズキのそんな馬鹿な妄想は、たちまちカイリへの恋心に上乗せされた。


 期待なんてしたくないのに、ミズキは何故だかドキドキとした。


「コンテスト、頑張って」


 そう、カイリはいつものように笑みを浮かべると、その日はとっとと部室を後にしてしまった。

 もし、自分が心の内を打ち明けてしまったら。カイリはもう、ここへは訪れてくれないのではないか。そう思うと、ミズキは苦しくてたまらなくなった。


 いつものようにファインダーを覗き、シャッターを切る。けれどもカイリを知ってしまった今、ミズキの写真はどれも味気ないもののように思えた。つまらない。そんな事を思うのは初めての事だった。


 それからしばらく、ミズキはシャッターを切るのを辞めた。心動かされるまで、その瞬間はとっておこうと思ったのだ。

 カメラを構えず、持ち歩きながらぼんやりと校庭を歩く日々が続いた。


「何ウジウジしてんだよ。そこで攻めてかねぇとだめじゃん」

「分かってるって。……でも俺、リキみたいに何でもうまくできる訳じゃねぇし」


 その日ミズキは、友人の家で遊ぶ約束をしていた。いつものように部屋に招かれ、早々にミズキの想い人の話になった。


「できねぇって言いながらここに来て何回その話聞いたと思ってんだよ。自分から行かないと意味ないじゃん」


 ピシャリとそう言い放った彼に、ミズキは黙り込んだ。ぐうの音も出ない。

 親友である原科はらしなリキは、ミズキの周囲の中で唯一、その性質を知っている人間だ。出会いはそれこそ最悪なものだったけれども、今ではこうやって何でも話す事のできる唯一の友人だ。

 リキもまたミズキと同じ、同性を好きになってしまうゲイだった。だからこそこうやって、ミズキはリキにだけは全てを打ち明ける事ができる。

 恨めしそうに見上げれば、彼は少しだけ気怠そうに言葉を続けた。


「俺だってさ、自分がそっちだってわかって最初から上手くやれた訳じゃないんだぜ」

「……」

「それが今できないってんならノンケなんてやめとけ。こうやってここで愚痴るだけのミズキには無理だろ。俺が今度そういうとこ連れてってやるから、キッパリ諦めとけよ」


 その言葉はグサリとミズキの心に刺さった。けれどそれが、ミズキの事を思っての事だというのは、当人にも理解出来た。

 いくら『好きになるのに性別など関係ない』、『LGBT』だと世間的に叫ばれてはいても、それはやはり少数派だ。


 まるで認めているかのように振る舞うけれども、それは自分には関係のない所での理解に過ぎない。理解はできても、『好きになってくれる』というのはまた別の話なのだ。

 だからこそ皆、口を揃えてそう言うのである。ノーマルに恋はするなと。


 ミズキは口を引き結び、ムッとした表情のまま黙り込んだ。そんな事は言われなくても分かっている。けれども、どうしたって心の整理がつかなかった。


 初めて言われたのだ。ミズキの写真が好きだと。

 そう易々と諦められるような想いではなかった。

 ならば、先に進むためにどうしたら良いか。本当は自分だって分かっている。怖くとも一歩踏み出さないとならない。そうしないと何も始まらないのだ。


 そう分かってはいるのに。決心がつかない。嫌われたくない。引かれたくない。今の関係を壊したくない。だからこれ程までにミズキは悩んでいるのだった。


 ミズキがそんな事を延々と繰り返しながら考えていた時の事だった。ふとリキが、彼の様子を窺いながら言った。


「ミズキ? おい、お前怒った?」

「別に怒ってねぇし」

「怒ってんだろそれ……はぁ。じゃあもう一つ。異性愛者ノーマル同士だって、告白したからといって上手くいくかは分かんないんだぜ? あんまり考え込みすぎんなよ。フラれてボロボロになったら、俺が本当にやるよ。気楽にいけ」


 そんなリキの言葉にミズキは目を丸くした。思わず、リキの方を振り返りながら彼を凝視する。

 そこには、少し拗ねたようないつものリキがいた。まるで冗談のようにそう言ったけれども、今のミズキにはそれが、どこか本気で言っているように感じられた。


 彼はこうやって時折、ミズキに向かって『貰ってやる』と言う。リキもリキで、男女共にモテるタイプの人間だ。そんな彼が、冗談を言うような口調でそう言うものだから。ミズキはてっきり、リキがからかってそう言っているのかと思っていた。


 けれどももし、リキのそれが冗談ではなかったのだとしたら?


 ミズキはこの時初めて、その可能性に思い至った。そして同時に気付くのだ。

 もし万が一、本当にそうであったとしたら。自分がどれ程考え無しで残酷であったか。一番近くに居るのに伝わらないだなんて。

 もちろん、様々な浮名を流してきたリキ自身の自業自得、という部分はあるだろうけれども。


 ミズキはとうとうその可能性に気付いてしまった。リキは頬を微かに染め、そっぽを向いてしまったけれども。そんな彼が、堪らなく可愛らしく見える。

 ミズキはそんなリキをしばらくの間見つめたのだった。


「リキ」

「……ん?」

「ありがとう。俺、リキの言ってる事ちゃんと分かった。今度、言ってみる」

「……おう」

「フラれたらリキ、慰めてくれんだろ?」

「おう。しっかり言って、玉砕してこい」

「玉砕すんの前提かよ」

「あっちは絶対ノンケだぜ? 俺はそっちにわ」

「言うなお前。……ちくしょう、見てろよ」


 いつものように笑って言葉を交わしながら、ミズキはリキと二人で夜まで遊んだ。普段と何ら変わりないはずなのに、ミズキの心は随分と軽くなった気がした。


 その翌日の事だった。ミズキの居る写真部の部室に、ミズキはカイリを呼び出した。


「俺、カイリに言いたい事があって――」


 制服の胸元をぎゅうと握りしめながら、ミズキはきょとんとするカイリに向かって口を開いたのだった。



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