第2話 聖女って恐ろしいよ


 白銀の髪に金と銀の瞳、神の寵愛の印とも言える聖痕を持つ正真正銘の聖女、ミレイア。深い知識を備え、迷える信徒を適切に導く姿から『神託の聖女』の異名を持つ彼女は先週フィレリス神聖国家からエルメ国王のアルドに嫁いだばかりだった。

 アルドはそんな彼女の一挙手一投足に注視していた。だから、彼女の口元がゆっくりと動いたことに気づく。


「お話を纏めると、アルド陛下は間もなくエルメで行われる収穫祭で余興を行う予定だけれど内容が決まっていない、という訳ですね」

「ああ、そうだ」


 リーマ大陸の南端に位置するエルメは豊かな海とゆるやかな山に囲まれた自然溢れる国だ。昔から漁業・農耕が盛んであり、食料に限って言えば自国の生産だけで自給できるほどには豊かである。

 それゆえ、魚が肥え、沢山の作物が実るこの時期には来年も豊作となるよう盛大に祭りを行うのが常であった。

 

「余興というと、寸劇であったり大道芸を見せるものだとは伺っていますが、これまでの収穫祭ではどのような内容をされていたのでしょうか」

「したことはない。今まで一度も」

「えっと……」


 アルドのハッキリとした物言いに、ミレイアは口を閉じてしまう。

 そんなミレイアの態度をみてアルドは気づいた。フーリが言葉による道理を説くのを止めた瞬間に似ていると。きっとミレイアの中には呆れがあるのだろう。

 しかし、余興を行うなどこれまでの慣習の中にはなかった。これは事実なのでアルドはそれ以外に適切な言葉が思いつかなかった。


「では、どうして今回は余興を行おうと」

「フーリに言われたんだ。やらなければならないとな」

「なるほど」

 

 少しだけ、ミレイアの雰囲気が変わったような気がした。何か納得したように一人で頷いた。


「少し質問をさせていただいてもよろしいでしょうか。いくつかある案を絞りますので」

「もちろんだ。むしろ、感謝してもしきれない」


 アルドの言葉にミレイアは優しく微笑み、言葉を続けた。


「今年から余興を行おうと前々からフーリさんに提案されていたというわけではなく、最近になって言われたということでいいでしょうか」

「ああ、先ほど。唐突に言われたんだ」

「急に執り行うということになったさいフーリさんから目的の説明などはなされなかったのでしょうか」

「あー……いや、別に」

 

 思わず、ミレイアから視線を逸らした。

 あまりに無理のある誤魔化しだとアルドも理解している。しかし、フーリから伝えられたこと——余興を通して三人の妻と仲良くなること——を本人に直接言うのは違うだろう、という思いがアルドの発言につながったのだ。

 少ししてミレイアの方に視線を戻すと、彼女は変わらずに優しく微笑んでいた。


「ありがとうございます。大体の意図は把握いたしましたので、一つ提案させて頂きますね」

「いや、意図なんてないが? フーリから余興をしろと言われただけで、他には全く何もないが???」

「ああ、私では力不足だったようですね。申し訳ありません、陛下の機嫌を損ねないうちに退室を」

「意地を張ってすいませんでした! どうか知恵を貸していただきたいのですが!!!」

 

 アルドはエルメのためなら何でもする覚悟があった。それなのにくだらない意地をはった自分を恥じた。

 執務室の机に頭を擦りつけながら謝罪をする。全てはエルメのためであった。

 くつくつと喉を鳴らす音が聞こえた。アルドがゆっくりと頭を上げると、口元を覆い堪えているミレイアの姿があった。

 アルドは不興を買っていない様子に安堵した。


「す、すいません。あまりにも必死な陛下がおも、こっけ、おもちゃみたいでイジメたくなってしまったので」

「俺の非礼は許してもらえるのだろうか?」

「ええ、もちろんです。では、お話させていただきますね」

「ああ、よろしく頼む!」

 

 アルドは昔からおもちゃとして見ていて飽きない、とフーリから言われることがあった。真意はよく分からなかったが、好印象だというのは伝わってきた。だからミレイアも同じように良い印象を持たれていることが分かり、距離を縮めることが出来たと内心喜んだ。

 


 アルドは神をあまり信じてはいなかった。民草の心の支えになっていることは知っているが、自分の支えにしようとは思わなかった。


「主神たるフィレリスは争いと欺瞞に満ちた人々を見かねて、自らで練り上げたリーマ大陸を一度消してしまおうと考えました。しかし、狩りと戦を司る女神は獣の供物を捧げ、主が御創りになった土地にすむ生き物の素晴らしさを説きました」


「金融と園芸を司る女神は色鮮やかな花を捧げ、主が御創りになったリーマ大陸の豊かさと主の寛大さを説きました。また愛の女神は人を愛し自然を慈しむもの達を募り主へと聖歌を捧げ、主が御創りになった人の善性を説いたのです」


「三人の女神の供物に大層感銘を受けた主は、大陸を消すことを止め、これからもより繫栄するよう、豊穣の祈りをリーマの大地に捧げたのでした」


 ミレイアの語りが終わると、アルドは自然と賞賛の拍手を送っていた。ミレイアが語る内容は惹きつけられるものがあった。神話にはあまり興味のないアルドだったが神にも神の営みがあるのだと、彼女を通して知ったような気がした。

 ニコリと微笑む彼女の表情に少しだけ、心を揺れるようなものを感じる。

 なんとなく落ち着かなくて視線を逸らした。


「素晴らしい語りだった……しかし、これが余興とどのような関係があるんだろうか」


 意識しすぎるあまり、素っ気なくミレイアに尋ねるアルドだったが、彼女は微笑みを浮かべながら答えた。


「ですので、陛下には三女神の供物になぞらえたものを用意していただき、主神フィレリスへの誓いをした後にそれを国民に振舞う、というのはいかがでしょうか」

「なるほど」

「更に、供物に関しても私を含めた陛下の妻の三人が当日に奉納を行うこととしましょう」

「どうして?」

「嫁いで間もない私たちが主体となって国事に関わることで、三ヵ国との結びつきの強さを他国に伝えることができるのではないでしょうか」

「!?」


 アルドは驚愕した。雷に打たれたような衝撃とはこのようなことを言うのかと思った。

 

「なんということだ。フィレリス教はこんなにも有用なものだったなんて」


 他の二人にも収穫祭に出てもらうようにお願いをすれば、それをきっかけに仲良くなれるかもしれない。そうすればフーリの言う通りにことが進む。

 アルドは暗雲に光が差し込んだような心中だった。目下の問題が解決できそうで非常にやる気に満ちていた。


「もう一つ陛下に伺いたいことがあるのですが」

「いいぞ。今ならなんでも応えられるからな……!」

「聖歌は私の方で都合をつける予定があります。しかし、獣と花を用意する心あたりはあるのでしょうか」


 ミレイアは今までとはうって変わって伺うように尋ねてきた。

 その疑問にアルドは揚々と答えた。


「問題ない。活きのいい獣と色彩豊かな花など、エルメであればすぐにでも用意できる算段はあるからな……!」


 エルメは自然豊かな国である。それはもう、度が過ぎるほどに。

 深い緑に囲まれた森には普通の倍を越える獣が多く生息している。小高い山の頂きの近くには結晶のように輝く花がある。それは、恐らくエルメにしかないものだろう。

 アルドがそんなことを考えている中、ミレイアは目の前で胸をなで下ろしていた。


「よかった」

「なにか、懸念事項があったのだろうか」

「いえ、ないなら考え直す必要があったので」

「そうか、それならよかった」


 アルドは違和感を持った。今、彼女はなんと言ったのだろうか。


「今、なんと」

「ですので、先ほどの三女神の話は私が先ほど思いついただけのものなので」

「え?」

「違う話を考える必要が無くなってほっとしました」


 まばゆいほどの美しい笑顔だった。

 しかし、それが意味するところは


「……では、フィレリス教にはそのような神話は残っていないと」

「はい」

「それなら、俺はありもしないものの余興をさせられ恥をかかされるところだったと?」


 アルドは自分でも驚くほど低い声が出ていた。妙案だと感心したからこそひどく裏切られたような心地だった。

 しかし、ミレイアは一つも顔色を変えない。


「いえ、そんなことはありませんよ」

「何を根拠をそんなことが言える!」

「これから今語った話が神話になるのですから、ウソでも偽りでもありません」

「は?」


 率直に言えば、おかしくなったのかとアルドはもはや心配になった。

 しかし、彼女の金と銀の瞳に狂気は見えない。


「お恥ずかしいことを聞くのですが、陛下は私がなんと呼ばれているかご存知でしょうか」

「『神託の聖女』」


 ただそれだけを答えると、彼女は満足そうに笑みを浮かべた。


「はい。ですので私はつい今しがた神託として陛下にお話したものを幻視したのです。それをフィレリス神聖国家に書簡として送れば最低でも外伝としてフィレリス教の神話の一つになるでしょう」

「そんな物が認められるわけ」

「認められるのです。聖痕を受けた聖女ならその行いも全て」


 アルドは思った。やっぱり宗教は怖いと。

 話が噓だったことが許せないのではない。嘘だとばれた後のリスクが怖かったのだ。そしてそのリスクを無視してまで提案してくるミレイアもそれはそれで恐ろしいと思った。


「だが、偽りだと気づかれた時」

「でも陛下はそんなことを口にはしないでしょう」

「それはそうだが」

「では、陛下に質問しますが、私の提案を受けて残りの日数を進めるか、特に何も決まらないまま当日まで行くか、どちらがよろしいでしょうか」

「うぅぅぅ」

「やることが決まっていれば、陛下の本来の目的も達成しやすいというものではないでしょうか」

「あー」


 聖女どころではない。まさに悪魔のささやきのようだった。

 アルドは難しいことは分からない。正直ミレイアの提案を蹴った後の展望は一切見えない。腕を組んで、わずかに思案する。

 

「分かった、それでいこう」

「ええ、素晴らしい判断だと思います」


 今までのやり取りがなければ聖母のような笑みだと思ったのだろう。しかし、今は底知れない恐ろしさがあった。


「では、お話は済んだので私は今からフィレリス神聖国家の方に書簡を送る用意をしてきますね」

「ああ」

 

 彼女は、一礼をして扉に向かって歩きはじめる。


「ミレイア」


 気づけばアルドは声をかけていた。白銀の髪をたなびかせながら、ミレイアは振り返る。


「まあ、その、なんだ」


 義理だけは通さなければいけない。


「本当にありがとう。君のおかげでなんとかなりそうだ。正直、助かっている」


 顔を背けたせいで、面と向かって伝えることは出来なかった。だから、彼女の表情は分からない。

 扉が開く音は聞こえない。かと言って彼女は何も言わない。

 時が止まったようだった。

 もう長い間、時間が経っているような気がした。


「いいえ、構いませんよ」


 永遠のようにも感じる沈黙のせいか、彼女の声は妙にハッキリと聞こえた。


「それに成り行きとは言え私を頼りにしてくれたことはとても嬉しかったですよ。だから、お役に立ててなによりです」

「それは今考えた言葉だろうか」

「さあ、どうでしょう。それでは」


 扉が閉まる音がした。

 しかし、アルドはしばらく動くことは出来なかった。

 目の奥に焼き付くのは扉を開ける瞬間の彼女の表情。飾り気のない、いたずらっ子のような笑みを浮かべていた。

 痛いほど、鼓動が高まる。


「全く」


 やっと、口だけは動かすことができた。


「恐ろしい、悪魔みたいな女性だ」


 こんなに心を揺さぶられたのはアルドにとってはじめてのことだった。

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