スパイ、撃沈す。

杉野みくや

スパイ、撃沈す。

「22時だ。準備はいいか?」

「ああ。いつでも良いぜ」

「よし、そしたら行くぞ」

 

 天パの男の合図で2人はトイレのドアを開け、廊下へと躍り出た。もうひとりの長身の男が先陣を切って階段へと向かい、天パの男も後に続く。電気はもちろん付いてないが、暗いトイレに長時間いたおかげで割と目が慣れていた。広がった瞳孔が窓から入ってくる僅かな月明かりを捉え、最低限の視界を確保してくれた。


 2人は階段を慎重に、かつなるべく早く降りて行き、目的の場所を目指した。警備員がいないことは事前に確認済みだ。他に人はいないはずだが、この建物の向かいにはアパートがあるため、一応息を押し殺して無駄な動きをしないように心がけた。


 1階にたどり着き、ふたりは目的の部屋へと向かった。部屋に近づくにつれ、心臓の鼓動が早く、大きくなっていく。相方に聞こえてしまうのではないかと2人揃って思い始めた時、ターゲットの眠る古びた引き戸の前にたどりついた。


 天パの男は予め入手しておいた部屋のスペアキーをポケットから取りだし、鍵穴に挿した。静まりかえった廊下にがりがりっという無機質な音が響き渡る。予想以上に音が反響し、2人は一瞬固まってしまった。そしてお互いの目を見合い、大丈夫だと小さく頷き合う。鍵を挿している右手に意識を集中させ、なるべく音が出ないよう慎重に鍵を回した。カチャリ、と軽い音が耳に入る。無事、鍵が開いたようだ。再び慎重に鍵を戻し、鍵穴からゆっくり引っこ抜いた。


 2人はひとまず安堵の表情を浮かべると共に、高鳴る気持ちを落ち着かせようとした。にじみ出る手汗をズボンで拭い、互いにアイコンタクトを取る。それを合図に長身の男がスライド式の扉にそっと手をかけ、音があまり出ないようゆっくりと動かした。


 中に入ると2人はすぐに打ち合わせ通り、最短経路でターゲットの机へと向かう。

「この机だな」

 天パの男がスマホを取り出し、ライトを付ける。書類の束に手を伸ばし、スマホのカメラを構えている長身の男の方に急いで1枚1枚回した。


「ザルすぎだろ、これ」

 書類の写真をパシャパシャ撮りながら長身の男が呟く。変な汗が背中を伝い、ぐっしょり濡れていた。

「まあ、田舎だしな」

 天パの男がぼそっと呟き返す。と同時に、最後の書類を無事に写真に収め終わった。ひとまず、ミッションはおおかたクリアだ。まだバクバクする心臓の鼓動を感じながら、2人はその部屋から足早に退出した。


 ドアの鍵はどこも鍵がかかっているため、予定通り窓から外に出ることにした。天パの男が錆びた鍵の取っ手を回し、立て付けの悪い窓を横にゆっくり動かす。どうしてもガタガタと音が鳴ってしまい、2人は内心気が気ではなかった。人ひとり通れるぐらいまで開けたところで2人は窓からの脱出を試みることにした。


 まずは天パの男が窓枠に手をかけ、そのすき間を軽々と乗り越えていく。長身の男もそれに続こうとしたが、窓枠にかけた足がずるっと滑り、頭から一気に落ちそうになった。


「「!?」」


 2人は思わず声にならない声を出す。長身の男はすんでのところでもう片方の足を窓枠に引っ掛け、何とか堪えることができた。そのまま2人はまたも一瞬固まった。今度は2人の間に流れる時が止まったかのようにさえ感じた。


「(あっ、ぶねぇ)」


 長身の男ははにかみながら呟き、何とか脱出を果たした。天パの男も胸をなでおろし、危なっかしい相棒の肩を軽く小突いた。

「ミッション達成、だな。とっとと帰ろうぜ」

 満月が雲ひとつない夜空を照らす中、2人は颯爽とその場を後にした。

 



——翌日。

 とある高校の教室に彼らの姿があった。2人とも思いっきり天を仰いでおり、どこか放心状態である。


「やっちまった……。今回のテスト、終わった……」

「せっかく撮ってきたのが、違う学年の答えだったなんてな……」


 そう、2人の男が入手しようとしていたのは『定期テストの模範解答』。今回のテストで赤点を取れば、留年がほぼ確定してしまうのである。真面目に勉強しても無理だと悟った2人はテスト前日の職員室に忍び込み、模範解答を盗撮するという大胆な手にたどり着いたのである。


「これからどうすればいいんだろう?」

 為す術もなくなった2人は天井をただ見つめることしかできなかった。後日、2人は仲良く赤点を取ったが、先生が用意した『救済措置』という名の怒涛の補講と課題に追われるようになるのは、もう少し先のお話……。

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スパイ、撃沈す。 杉野みくや @yakumi_maru

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