第56話 北の魔境
道場剣術と実戦剣術は違う。
トリエラとしても、はっきりと自覚していることである。
またチンピラ相手の喧嘩と武器を持った殺し合いは違う。
そしてさらに殺し合いでも、一対一と戦争では違う。
相手が魔物であると、まず殺されないことが第一になる。
そういった基準で選ばれたのは、貴族や騎士の少年が三人と、平民の少年が五人。
そしてレイニーであった。
これだけの人数を確実に守るには、戦士たちも多く必要となる。
そのため数人ずつにさらに分けて、大人の戦士たちに守られ、魔境に入る。
せっかくだから女の子は一緒がいいだろう、とレイニーと一緒の班に分けられたトリエラである。
いや、レイニーがトリエラに付けられたと言うべきか。
バロは自身が共に行くことはなく、ザクセンの若者たちをトリエラにつけた。
ザクセンの戦士階級は、ミルディアの騎士階級ほどではないが、かなり英雄視されている。
ただ騎士のように事務も出来る文官を兼任していたりはしない。
ミルディアの騎士は、誰でも最低限の事務は出来るように教育されている。
ザクセンにおけるそういった仕事は、主に女衆や長老の仕事なのだ。
戦士階級は基本的に、命知らずであることが多い。
そしてどんどんと死んでいくので、未亡人なども多い。
中には男に混じって戦う女も、ザクセンでは普通にいる。
その中でもランなどは、斥候としての能力が高いので、それなりにレベルも上がっていたのだ。
ザクセンにおいては、戦えない男の価値が、やや低く見られている。
一応は貨幣が通用するが、物々交換もかなり多い。
そして土地柄、金属や木材の加工品は、輸入していることが多い。
行商人は多いが商人は少なく、職人などは親方以外は身分が低いようだ。
妻を複数持つのは戦士階級だけの特権であり、そして未亡人はどんどんと次の夫に嫁いでいく。
なので家系図を見れば、母系がつながっていくことが多いのだ。
こんなのでいいのか、とトリエラは思っていたが、どうやら異母兄妹同士の結婚などは、そこそこあるらしい。
古代の日本でもこれぐらいの近親相姦はあったが、ザクセンでの嫁入りは、遊牧の他の部族との結婚が主流であるらしい。
ミルディアも日本と比べれば、常識などは違う国であった。
しかしザクセンもまた違い、ミルディアから来た貴族階級の子弟などは、眉をしかめることが多い。
トリエラとしては、どちらも蛮族としか思えない。
ただどちらも、貴族や戦士といった階級はあっても、身分差はそれほど感じない。
トリエラの知る限りでは、ミルディアでも王が、庶民と話すことなどは普通にあったらしい。
今回の魔境入りは、三日から一週間を予定している。
ザクセンもミルディアと同じく、基本的に魔境の中には、道を通しているようだ。
そしてその魔境への入り口には駐留基地を作り、馬などはそこに預ける。
荷物を魔法で収納できる『荷役』のクラスに就いている戦士が、各集団には一人ずつはいる。
ただそれとは別に、個人でもある程度の荷物は持っていく。
もしも荷役がやられてしまったら、大変になるからだ。
ザクセンの魔境もまた、森であることが多い。
生命力にあふれているところが、やはり魔物を発生させるのだろうか。
さほどの間もなく、トリエラは敵を感知した。
ほぼ同時に集団の斥候も、その気配に気づいている。
魔物というのは野生の獣より、狩りやすいものだ。
もちろん危険度は高いが、あちらからこちらをエサとして認識しているからだ。
かなりの傷を負っても、逃げることなく向かってくる。
今回の敵は、魔境の巨木を、上からやってきた。
巨大な猿に似た魔物。
猩鬼と呼ばれるものである。
全体的にゴリラに似ているが、腕が四本もある。
確か討伐推奨のレベルは30前後であったか。
だがこのレベルというのは、かなり個人差があるものなのだ。
怪力と敏捷性、さらにある程度の頑健さまである。
ただトリエラからすると、さほど難しい敵ではないな、と思える。
槍を持ったレイニーが、緊張している姿を視界に収めている。
他の戦士たちは得物を手に、怯えたところなどは見せていない。
「レイニーまず一発いれなさい」
この中で間違いなく、一番レベルの低いのがレイニーである。
だから出来るだけ彼女が討伐に貢献すれば、それだけ経験値も多くなるはずなのだ。
トリエラとしてもおそらく、ある程度の経験値は入ってくる。
そしてこのグループの戦士階級は、おそらく一対一ならば、斥候と荷役以外は、簡単に猩鬼ぐらいは倒してしまえるだろう。
緊張しながらも、レイニーは一歩前に出る。
樹上の枝の上から、見下ろしてくる魔物。
こちらは七人もいるのに、それでも向かってくるのだ。
迎え撃てばそれで、簡単に倒すことが出来る。
トリエラは剣を抜いたが、それと同時に魔法の発動準備に入る。
巨体が降ってきて、やはりレイニーを目指して突撃する。
そこにトリエラの火矢が直撃。
単純なダメージを与えるのではなく、視界を奪うのと呼吸を乱すのが目的。
機先を制して戦闘は開始した。
ラスボス兼任悪役令嬢 草野猫彦 @ringniring
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