明日生きるかそれとも死ぬか
@shou_asu
第1話
美しい季節はいつだって雨が連れてくる。きっと雨がすべてを流して無に帰してくれるからだ。僕は梅雨の終わりにそんなことを考えていた。
かつては屋上遊園地が日本中にあふれていたらしい。令和の世にはほとんど生き延びているものはいない。ここもその生き延びるものになれたであろうが、デパートの業績が悪化してあえなく営業は終わってしまった。ただ、当時の遊具は今も残されている。ぼろぼろの屋根の下にはコイン1枚でできるコインゲーム機がずらっと並ぶ。どれも錆びついて画面は真っ黒。アニメキャラの乗り物や小さく一周する機関車は雨ざらしにされてどれもペンキが剥げている。どれも平成から令和どころか昭和から平成の時代をまたぐのを忘れてしまった遺物である。
僕は何も考えたくないときにここにやってくる。時が止まったような場所なら思考停止が許されると感じるのだ。
しとしと雨が降る廃墟の遊園地は退廃的で、でもどこか懐かしくてゆっくりと包み込んでくれる。お気に入りのベンチから見渡すとこの世界には僕しか存在しないとさえ錯覚する。そう思い見渡すと、フェンスの向こう側に誰かがいた。それも傘も持たずに。
誰かがいること自体ほとんどあり得ないことだが、フェンスの向こう側というのはおかしい。少しでも足を外してしまったら簡単に命を落としてしまう。それに目の前で死なれてしまうもの気分が悪い。なんとかして止めに行こう。
近づいていくと女性であることが分かった。真っ白なワンピース、真っ白な靴、長い黒髪、凛とした空気が彼女の周りには流れていた。僕の目には今から死ぬような人と映らなかった。ただ、美しいと感じた。呆然と彼女を眺めていると、こちらを振り向いてきた。
「何か用があるのかい?」
ここにいることが当然であるかのように彼女は話しかけてきた。ここみたいな俗世には相応しくない顔であった。透明感というありきたりな言葉では表しきれない。
「そんなとこにいたら危ないですよ。はやくこっち側に来ないと」
「そっち側には特に何もなさそうだけど」
全く考えていない返事だった。素直に自殺を止めることは無いだろうと思っていたが、こんなに穏やかに返されると僕も何を言っていいか分からない。
「あなたには悪いけど、そろそろ私は行かなければいけないんだ」
「ちょっと待ってください。目の前で死なれるのは困ります」
「どうして?」
「どうしてって言われても……。なんとなく嫌なんです」
彼女は困り顔で立ち尽くしていた。立場がどうにも逆転している。死んだら困るのは彼女の方ではないのか。それとも僕が一番困ってしまうのだろうか。うじうじ悩んでいると彼女は諦めたように話しかけてきた。
「気分じゃなくなったから今日はやめるよ。ただし」
「ただし?」
「私のおしゃべりに付き合ってほしい」
「そんなことならお安い御用ですよ」
会話だけで、もやもやして過ごす日々を無しにできるのなら喜んで引き受けよう。結局、彼女は誰にも相談できずにこうなってしまったのだろう。そう結論付けた。
どこからかフェンスをすり抜け彼女はやってきた。雨はすでに止み雲の隙間からは太陽が見えている。ボロボロの屋根の下は幸い濡れていなかったのでそこで話すことにした。
「なんで君はあんな場所にいたの?」
「何でも何も私は未来から死にに来たのよ」
「へぇ、未来から死にに……」
あれ?死にに来たというのは理解できないわけではない。ここら辺の田舎では一番高い場所と言われたらこのビルを想像するから納得できる。しかし未来というのは訳が分からない。タイムマシンなんてものは物語の中のものである。とりあえず、色々聞いてみて嘘であることを確かめよう。
「名前はなんて言うの?」
何気ない質問から口を切った。気分が変わらないようになるべく親しげに会話を始めた。
「なな。あなたの名前は?」
あたりを見渡して即興で作った名前であることは明白だったが流すことにした。
「僕は、はち」
そう言うと彼女はくすりと笑った。少しあからさますぎだっただろうか。
「ところでななはいつの時代から来たの?100年後、それよりもっと後?」
「西暦2400年よ。今から300年ほど後になるのかしら」
「そんなに遠い時代からはおそらくタイムマシンを使ってきたんだと思うけど、どこにあるの?」
「隠してきたわ。形が今の時代の発電所と同化するから、もう使われていない発電所に置いてきてあるの。例え見つかっても発電所の一部としか思わないでしょ?」
よどみなく喋る彼女を見て一筋縄ではいかないと感じた。ただ一つ矛盾点に気が付いた。
「うーん、一つおかしいと思うんだけど、タイムマシンを発電所の一部に見せるために置いてきた。つまり隠しておきたいんだよね?」
「ああ、そうなるね」
「それだと僕に未来から来たって言うのは隠していることにならないんじゃない?」
彼女はやれやれとこう言った。「君は街中で自分は未来から来たと言っている人がいたらどう思う。ただのおかしい奴だと思うだろう。正直者が自分のことを正直者だと言わないことと一緒だよ」
妙に納得してしまった。それでも聞きたいことがありすぎて、大量の疑問が頭の中をぐるぐるする。
「はちが質問ばかりするから、今度は私の番だ。いいかい?」
「もちろん」
彼女から見たら僕は普通に話しているように見えるかもしれないが、僕の心は動いてやまない。先ほどまで自殺を試みていた人間が明朗に話しかけてくることも大きな理由となっているが、彼女の美しさが僕の心を捉えてやまなかった。そのせいで未来から来たとかいう突拍子もない話も受け入れる気持ちになってしまう。
「はちは何でこんな廃墟にわざわざ来たんだい?私の時代からあまりにも遡っているとはいえここしか遊ぶ場所がないことはあり得ないだろう」
「僕にもよく分からない。でもここには何もないんだ」
「何もない?」
「そう、目の前に遊具やゲーム機はあるけど、どれも壊れている。中身がないとでもいえばいいのかな。とにかくここには僕みたいに空っぽなものばかりなんだ」
僕は初対面の人間に何を言っているのだろう。今まで話すどころか言語化しようとしたこともなかったのに。
「その気持ち分かるかもしれない。だから私もここを死に場所に選んだのかも」
先ほどまで直面していた「死」を再び出されて少したじろいでしまった。僕の動揺が伝わってしまったのか、彼女の質問はやんでしまった。僕はどうにか沈黙を破ろうとした。
「話を最初に戻すけど、わざわざ過去に戻って来たのはどうして?」
「その質問に答えるのは少し難しいね。それに話も長くなりそうだし……。そうだ、また明日ここに来てくれないかな。そしたら答えを出せるかもしれない」
「うん、わかった。また明日同じ時間にここにいるよ」
僕がそう言うと、彼女は足早に去ってしまった。今日は不思議な体験をしたものだ。彼女には明日も来てほしいけど、重い問題を一緒に背負うことはできないかもしれない。僕みたいな空虚な人間には誰かの相談役は重荷過ぎる。期待と後悔を半分ずつ心に抱えて僕は自宅へ帰った。
僕はあの後情報を整理してみたが、何の見当もつかなかった。一体未来から来たとはどういうことなのか、階段を上りながらずっと考えていた。誰かに話を聞いてもらうための嘘かもしれない。それにしては矛盾なく話が展開されている。悶々とした気持ちは彼女と話せば解消するのだろうか。
開けた世界のベンチにななは座っていた。フェンス越しで初めて会った時とは安心感が違う気がした。
「やあ、来るとは思わなかったよ」
「あんな風に言われたら嘘でも気になってしまうじゃないか」
「嘘ねえ……」
彼女は含みのある笑みを浮かべた。
「それで昨日はどこまで話したんだっけ?」
「わざわざ過去に戻ってきた理由を聞こうとして終わっちゃったんだよ」
「そうだったね。私が話すのは面倒だからこのパンフレットを見てよ」
ななは空中に画面を映した。
「こ、これは」
「過去の人に見せるつもりは無かったんだけどね。一人くらい見せても変わりないと思ったから好きにどうぞ」
僕は見方がよく分からなかったが、紙のパンフレットを見るときと感覚は変わらないようだ。ただ、明確な物質としてはここには存在していない。
株式会社リベルモルタム。この度は弊社をご利用いただき誠にありがとうございます。さて、地球上の人口の増加とそれに伴う労働人口の増加により人間の自分を殺したくなる要因が増えていることは皆さんもご存じかと思います。そのため先の法律制定で現在での自殺というものは罰則に値すると決められてしまいました。それは自殺により社会が回らなくなってしまうというひどく全体主義的な発想の元誕生しました。弊社は日本をはじめ世界全体での全体主義的な動きに沿った新たな自殺の方法を提供いたします。それが過去での自殺です。2400年ではインフラをはじめ一つが壊れてしまうと全ての機能が停止し、最悪の場合経済活動の一時的停止にまでつながってしまいます。しかし2400年よりもはるか昔であれば、そのような心配は一切なくなります。それに失われてしまった風景の中自分の最期を迎えるというのは精神衛生上大変良いものになるかとも考えられます。ここで皆さんが心配されるのは過去に自分の体が置いてきぼりになるかもしれないということだと思います。その心配はご無用です。私たちが責任を持って時空法に基づき処理いたします。
ただし、ご利用いただく方々にはいくつか注意事項があり……。
「どう?私がここにいる理由を分かってくれたかな」
僕は衝撃のあまり声を出せずにいた。自殺が正当化された世界。いやそういうと間違いになってしまうのだろうか。正しく言えば何もにもあずかり知らぬところで消える命はその世界の認識化には無い、そういうことなのだろうか。
「やっぱり驚くよね。未来には、はちみたいにこのおかしさを訴える人たちも当然いるんだよ」
「僕にはこれが正しいかどうか判断するのは難しいよ……。でもななは未来で辛いことがあったから、これに参加したの?」
「いや、違うんだ。ただ死んでみたかったんだ」
次々と僕の中に異質な考えが流れ込んでくる。理解が追い付かない。2400年が異質な未来であれば、彼女も「ただ」死んでみたいと言い出した。あまりにも不条理ではないか。
「なな、僕にはさっぱり理解ができないよ」
「そうだろうね。実を言うと私にもよく分かっていないんだ。これを申し込んだときにはああ、死のうかなと思ってたけど今はそんな気もしない」
遠くを見つめながら話すななは僕とはだいぶ遠いところにいるのかもしれない。ベンチの隣に座っているけれど、時間の差というものは埋められないものなのだろうか。それとも彼女だけが特別な考えを持っているのか。
「うーん……。とりあえず、僕は質問を続けるよ。どうしてこの場所を選んだの?君が昨日言った通りここはまるで何もないよ」
「それはね、はちと一緒なんだ」
「僕と一緒?」
「そう。自殺をするにあたって素晴らしい場所を探したんだ。何もなくて、誰もいなくてまあこれは違ったんだけど。それでどこか懐かしさを感じるような場所がよかったんだ」
300年後の未来に生きる人間が懐かしさを感じるというのはどうにもおかしなことだと思ったが、ここの空気というのはどこかで固定されているのかもしれない。いつ誰が見ても懐かしさを覚えるのが遊園地なんだろうか。
「僕がいて、すみませんでしたね」
「まあ、その分過去の人と面白くおしゃべりすることが出来て私は楽しいよ」
にこりと笑う彼女の前で僕はもう思考を停止していた。彼女はもしかしたら死ぬことをひどく重くとらえているがために、僕から見ると軽く見えるのかもしれない。どうにも筋の通らないことではあるが、僕の筋でないものを理解するには、筋違いの方がちょうどいいのだろう。
「さて、私がたくさん説明してあげたから今度は君の番だ」
そう言うと彼女は僕にリストを押し付けてきた。よく見るとたくさんの質問が書いてあった。
「いちいち口にしていくと何を質問したいか忘れちゃうからそこに全部書いたよ」
好きな食べ物から年齢、学生か働いているか、すぐに答えられる質問ばかりだったが、一番最後には答えにくいものがあった。とりあえず、それは無視して一通り答えた。ななは質問にさらに質問を重ね、最後まで恐ろしく時間がかかった。
「それじゃあ、最後の質問に答えてもらおうか。なんで君は昨日から自分のことを空っぽというの?」
そう、僕にその質問はよく刺さった。無意識ではなく、自分でも嫌な意識のうちにその言葉が出ていた。うんうん言いながら悩み、ようやく答える気になった。
「僕は文字通り何もないんだ。周りで生きる人間は才能や技術や生まれながら持つ者ばかりだと思うんだ。それに比べて僕は何一つ抱え持ってない。重荷になると他人が苦言を呈すようなものすら持ち合わせていない。本当に空っぽなんだ。でも君みたいに死ぬような気分にもなれなくて、惰性で日々を過ごしているんだ」
「ふーむ、なるほど。それじゃあ、はちも私の言いたいことが分かるんじゃないのかな?」
「言われて見ればそうかもしれない。でもななは生きることが苦しいわけではないんだよね?」
「苦しくないと言えば嘘になる。生きることも死ぬことも同じくらい辛いし、一回しかないものだし」
彼女は遠くを見た。その先には300年先のものが映っているのだろうか。先ほどの矛盾や少しの狂気も僕がただ一方的にそう思っていただけかもしれない。僕ももしかしたらななだったのかもしれないし、ななも僕だった可能性もあるわけだ。
「今日はたくさん話したね。また明日。明日はここにいられる最後の日なんだ」
「最後って明日には死んじゃうってこと?」
「いや、そういうわけではないよ。リベルモルタムとの契約と時間法の関係で3日しかいられないんだ。その間に死ぬのも止めるのも私の自由ってわけ」
僕はそのサービスが一定の需要を得る理由が少し理解できたかもしれない。
「それじゃあ、また明日」
最後の日に僕は何をすべきなのか、何を話すべきかそんなことを考えながら階段を下った。
梅雨明けが各地で宣言されるも今日は雨になってしまった。夏がやってくる前の最後の雨かもしれない。僕は傘を開き急いで何もないあの遊園地へ向かった。屋上はビシャビシャで屋根のついているところのベンチも座れそうになかった。
「はち、今日は座れそうにないから歩きながら話すことにしようか」
「そうだね」
たいして周は長くないだろうから何周もすることになるだろうと思った。
「ななはやっぱり今日死ぬことにするのかい?」
「今のところはその予定だね」
拳を握り、僕は考えたこと言う覚悟を決めた。
「僕は君に死んでほしくないんだ。できれば明日もその次の日も生き続けてほしい」
「たとえ生きてても明日以降は二度と私に会えないんだよ。それに私たちはついこの前会ったばかりだろう」
彼女の言葉は至極まっとうだ。これは僕のエゴ、わがままなんだ。
「たしかにそうだね。でも君が死んでしまうと僕まで生きている価値がないように思うんだよ」
「はち、私は意味もなく死にたいと思ったんだよ。でもそれは生きる価値がないってわけじゃないんだ。生きることにも別に特別な理由を持つ必要はないと思うんだ」
彼女は優しそうにそう言った。その言葉は今までのどれよりも優しくどれよりも僕の心に深く沈んでいった。
「それでも君には生きていてほしいんだ。未来にいても3日間の記憶と君がどこかで存在しているその事実だけで僕は十分なんだ」
彼女は戸惑っていた。もちろん僕も戸惑っていた。言おうと心に決めていたつもりではあったが、いざ言葉にすると自分の心かどうか不安に感じる。
「ありがとう、君は優しい人だね」
ななは末にそう返答してきた。僕にはそれが生きることに繋がるのかそれとも逆かは理解できなかった。でも、伝えたいことは遠い彼女に渡されたのではないかと思っている。
それから二人は言葉を交わさず、歩いていた。雨が上がり、夕日が見えてきたところで今日は長くないことを感じ取った。これ以上ここにいると門が閉まり出られなくなってしまう。
「そろそろさよならになりそうだね、ちはやくん」
僕は突然本名を呼ばれてドキッとした。
「なんで僕の名前を」
「身分証明書を人に盗られるなんて、君は甘いね」
財布の中を探すとあるべき場所にそれがなかった。
「それは、君が本名を言ったように思わなかったから、僕も名前を作ったのさ」
「甘々なちはやくんにしてはやるね。まあ、その甘さに救われたのも事実なんだけど……」
ななの小声はちはやには届かなかった。風のいたずらで声はかき消されてしまった。
「本当にお別れだ」
「絶対に死なないでくれよ」
「君も絶対に生き続けるんだよ」
ななの言葉を受け取ると僕は階段を降り、雨に満たされた廃墟を去った。
翌日、僕はどうしても気になって行ってみたがやはり誰もいなかった。その代わりにベンチの上に僕の身分証明書が置いてあった。盗られたまま流れで渡しっぱなしだった。景色が雨でにじみそうだったが、僕はここで起きた全てを抱え遊園地を去った。
その後遊園地はテレビ番組で取り上げられ、観光スポットと化してしまった。僕はそれから一度として行かなかったが、雨が降るといつだって白いワンピースの彼女が僕の目には映るのだ。
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