第2話
それから数日が経った休日の昼下がり、御前崎に呼び出された一宮は会社近くの駅にいた。
指定されたフクロウのオブジェ前で、まわりに聞こえないように小さく口を動かす。
「話ってなんだろう?」
『俺じゃなくて本人に聞けよ。悪い話じゃないと思いたいね』
「だといいけど」
部長の送別会があった翌日、一宮は笑いものにされるとビクビクしていたが平和そのものだった。それから今日まで何もない。ここに呼び出されただけだ。
一宮は御前崎の姿を探して辺りを見回す。オブジェ前を待ち合わせにしている無害な若者たちすら怪しんでいた。まだ何も始まっていない内からこの調子では先が思いやられる。
『まずは相手の出方を見るしかないだろ。それまではのんびりしてろよ』
「でもさ」
『今あれこれ考えても仕方ない。黙って待ってろ』
それからも一宮はブツブツ言っていたが全て無視を決め込む。そして御前崎が現れた。
「ごめん。電車が遅れちゃって。待ったよね?」
「いえ、今来たところです」
その返しは何だ。デートかよ。今来たならお前も遅刻って事だぞ、とツッコミたいのを我慢。
そんな一宮に御前崎は笑みを浮かべる。金を取れるスマイルだ。
「良かった。じゃあ行こうか」
「どこへ?」
「ゆっくり話せるところだよ」
人通りの多い街を御前崎が先を行き、一宮が続く。御前崎は話すたびに振り返っていたが、立ち止まると一宮の手を取った。
「うん。こっちの方が話しやすい」
「は、はい」
『はい、じゃねえよ。そんなに緊張していたら
思わず口を出してしまった。俺こそデートの指南をしてどうする。御前崎の出方を探る本質を忘れるな。
当の御前崎はギクシャクしたままの一宮に笑いかける。
「そんなに固くならないで、一宮君。今日は二宮君じゃないの?」
「中からの方が客観的に観察できるって……あ!」
「私を疑うのはわかるけど、それ言っていいの?」
その通りだ、馬鹿野郎。作戦バラしてどうする。恋心抱く相手だからってテンパりすぎだ。
そのまま二人は地下街に入り、エレベータに乗る。たどり着いたところは、水族館だと?
想定の斜め上すぎて一宮は何も言えない。そうしている内に二人で列に並んでチケットを買い、中へ足を進める。暗い通路を抜けたところは、海を切り取って運んできたような大きな水槽だった。魚たちに迎えられた御前崎は子供みたいに顔をかがやかせる。
「すごいね。都会の真ん中なのがうそみたい。来てよかったね」
だからどうした。俺たちの秘密を握ったうえでの呼び出しなら重要な話があるんじゃないのか?
一宮も一宮だ。何か言ってやれ。
「誘ってもらえてうれしいです」
そうじゃないだろ。
「私も一宮君と来られて良かった」
まるで初デートの恋人同士みたいな会話だ。遊びじゃないんだぞ、と言いたい。しかしその言葉は伝えずに沈黙を貫く。水槽に写る一宮があまりにも楽しそうだったからだ。
こんな機会が二度とおとずれないのは間違いない。それなら野暮なツッコミはなしだ。
そのまま二人はたわいのない話をしながら、といっても御前崎が話して一宮が答える役割分担で館内をめぐる。
そして御前崎はクラゲの水槽に顔を近づけながら言った。
「二宮君を生んだきっかけは何?」
一宮も漂うクラゲを見つめながら答える。
「こんな生き方がしたいって理想が二宮になったんだと思います。人の目を気にせず自由に振る舞える二宮のようになりたかった。でも僕にはできない生き方なんです」
おそらく一宮は真実を話している。俺が生まれたばかりの頃の一宮は他人の目を今以上に気にしていた。
それを聞いた御前崎は一宮に顔を向ける。
「願望を押し付けたのね」
そう言う御前崎は少し怖く見えた。それが錯覚でないのは続く言葉でわかる。
「二宮君はそれでいいの? 一宮君にとって都合のいい存在で納得できるの?」
言葉の冷たさから逃げるように一宮はあとずさるだけ。さっきまでの和やかな雰囲気は消え去った。
静かに時間だけが進み、御前崎は顔を伏せる。
「ごめん。踏み込みすぎたね。今日はここまでにしようか」
このまま終わらせると一宮はまた勝手に傷つくだろう。それは面倒だし、何より言わせっぱなしは気に入らない。
『一宮、変われ。心配するな。ちょっと挨拶するだけだ』
そうして俺が表に、一宮が内に入る。
『今日は様子を探るのに徹するって言ってたよね』
「一宮は黙ってろ。話があるのはお前だ。御前崎」
「もしかして二宮君?」
「そうだ。何が目的だ? 何のために一宮に近づいた? 害を成すようなら容赦しない」
思わず脅迫じみた言葉になったが御前崎には効果がない。微笑みながら答えた。
「私は一宮君と仲良くなりたいだけなんだけどな。もちろん二宮君とも」
「本当か?」
「うそは言わないよ。だから二人の秘密は誰にも話さない。約束する」
俺は真偽を見抜けない。一宮にもわからないだろう。どう判断すべきか悩んでいると、御前崎はいたずらを思いついた子供のような顔をした。
「やっぱり話さないというのは保留ね」
「口止めに何を要求する気だ?」
「そうじゃなくて。また遊んでくれるなら黙ってるよ。ふふ、次が楽しみだなあ」
御前崎は卑怯な取引を持ちかけてくる。それも二重の意味でだ。そんな言い方をすれば一宮が舞い上がるに決まっている。
『二宮、信じてみないか?』
俺はため息をつくのを我慢して二人に言った。
「わかったよ」
その答えに、目の前の御前崎も、俺の中の一宮も満足したようだ。
そして御前崎は付け加える。
「それとね。私たちだけで会う時は
俺は今度こそ我慢せずにため息をついた。何もかも予想外すぎる彼女に振り回される未来を想像してしまったから。
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