【短編】表のお前を支えるのは裏の俺

Edy

第1話

 誰もが楽しんでいる飲みの席だというのに、一宮いちのみやという男はひとりきりだった。たまに話を振られると箸を止めてはいるが、言葉より緊張の方が伝わっているのは間違いない。当然ながら会話は長続きせず、また黙々と料理をつつきグラスを傾けていた。


 居酒屋の宴会場はかなり広くて大勢いるが、職場の飲み会だから見知った顔しかいない。それなのに話しかけられただけで固くなるのは一宮らしいといえた。


 気弱な一宮はまた箸を止める。女性社員が固まっているテーブルを見つめているので、俺はため息をつきたくなった。一宮のお目当ては御前崎おまえざきだ。気づかいができて人当たりもいい。そのうえ美人とくれば恋心を抱いてしまうのもわかる。


 しかし彼女につりあうのは一宮のようなさえない男じゃない。松阪まつさかみたいなやつだ。


 その男は場の空気を見てタイミングを測り、よく通る声で視線を集める。


「それでは部長よりご挨拶です。部長、お願いします」


 松阪に促されて年配の男が立ち上がる。拍手が落ち着くのを待ってから、よどみないスピーチを始めた。


 定型文みたいな退職の挨拶ののち花束が贈られる。その役割をつとめるは、やはり御前崎だった。部長は目尻を下げて受け取り、また拍手が沸き起こる。


 俺たちの部署の中で若手といっていい松阪と御前崎が司会と贈呈役に選ばれたのは、皆から認められているからだ。


 美男美女の二人が並んでいると誰の目から見てもお似合いに見えるだろう。現にもてはやす声が聞こえてきた。


「松阪と御前崎は仕事ができるし、みんなの前なのに堂々としているじゃないか」

「そうだな。まだ若いが部署を引っ張っていってもらいたいものだな」


 二人を褒める課長たちの言葉は続く。それだけならいいが話は悪い方へ向かった。


「それに引き換え一宮はな」

「比べてやるなよ。あの二人と同期だから気持ちはわかるけどさ」

「でもさ、普段は愛想笑いしかしないのに時々やたら強気になるだろ。何考えているかわからないよな」

「あー。そういうところは何とかしてもらいたいもんだ」


 ほら始まった。何かにつけて一宮は比較される。非の打ち所がない二人と同等なものを期待するなと言いたい。


 それを聞いていた一宮はいたたまれなくなって席を立った。


 一宮は身ひとつで店を出ると、近くの公園に向かう。ビルの谷間にある公園は昼食時なら付近で働く人たちが訪れる憩いの場だが夜中なので誰もいない。むしろ照明のほとんどが壊れているのでは避ける人の方が多そうだ。


 一宮はベンチに腰を下ろし、スポットライトのように残っている照明の下で口を開く。


「僕は駄目だな。二宮にのみやに全部任せて消えてしまいたい」


 気持ちはわからなくもないが、物騒な事を言い出すからくぎを刺す。


『そういう事は思っても口にするな。本当に消えてしまうぞ』


 本来、体がひとつなら人格もひとつだけだ。しかし俺たちは違う。一宮と、こいつが生みだした俺が同居していた。今はバランスが取れているが、自らの否定は消滅につながる。一宮の言葉はそんな危険をはらんでいた。


「そうは言われても、つらいんだよ」

『一宮は自己防衛が弱すぎるんだ。エゴイストぐらいでいいんだよ。しかも逃げ出しやがって。戻る時はもっとつらくなるって考えなかったのか?』


 その時の事を想像したのか、一宮は天をあおぐ。


「どうしよう?」

『仕方ないやつだな。変わってやるよ』

「ごめん」


 その瞬間、間接的だった世界がリアルになる。俺が体を操っている感触を味わいつつ、肉声で答えた。


「気にするな」


 さて、久しぶりの生身を堪能したいところだが戻るとしよう。部長の挨拶がすんだという事は、そろそろお開きの時間だ。かばんが宴会場に置きっぱなしなのはまずい。


 立ち上がりスーツの襟を正していると、闇夜に近づいてくる人影を見つける。照明の下に来たのは御前崎だった。


「一宮君、鞄が置いたままだったよ」


 柔らかい笑みを浮かべている御前崎は俺の鞄を差し出す。


 俺の中でテンパる一宮を無視して、受け取った。


「ありがとうございます。ここにいるってよくわかりましたね」

「一宮君、昼休憩はいつもここだからね。大丈夫?」

「はい。少し酔ったみたいですが平気です」

「そうじゃなくて、課長たちの話」


 それを気にしているのは一宮だ。思い出させられて、またへこみだす。こいつのために話を変えるべく、とぼける事にした。


「さあ。本当に良い冷まししたかっただけですよ」


 肩をすくめて余裕ぶる俺に御前崎は顔を寄せる。内面を見透かすような目にゾクリとした。


「一宮ではないわね。入れ替わったのかしら?」

「何を言って――」

「隠さなくていいわ。君たちが二重人格なのはわかっているから」


 秘密を言い当てられて冷や汗が吹き出る。


 たまにしか話さない間柄なのになぜわかった? それより今は切り抜ける方を優先しないと。


 どう対処するか考えたいが、また一宮が騒ぎ出して邪魔をする。


『二宮! 逃げよう!』


 それは問題を先送りするだけだ。それより良い手を思いついた。


「バレてしまっては仕方ない。俺は二宮。百ある人格のひとりだ」


 大げさに答えて冗談にしてしまうのは我ながら良い思いつきだ。結果として御前崎に笑われただけで悪手だったが。


「一宮君はそんな事言わないわよ。まあいいわ。今日は連絡先交換だけで許してあげる」


 御前崎はスマホを出した。それだけで済ませてくれるならとうなずく。


 手慣れた感じで操作を終えた御前崎はとびきりの笑顔になった。


「またね。今度ゆっくり話しましょう」


 去っていく後ろ姿を見つめている俺に、一宮が八つ当たりする。


『バレちゃったよ! どうしよう? どうしたらいい?』

「知るか」


 これからどうするのかは御前崎次第。きっと最悪の展開になると思ったが、想像もつかない方向に事態は進んだ。

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