遠き星の友

伊利亜雛

遠き星の友

 初めて彼と話したのは、水を湛えた桶が分厚い氷の層を作るような極寒の元旦だった。自分の干支の年だったのをよく覚えている。

 親に連れられて向かった近所の神社の初詣で、あまりの寒さに悴む手を吐息で温めようとしたその時、どこからか不思議と彼の声が聞こえてきた。

 「寒いなぁ…風だけでもどうにかなんないかなぁ…」

 声の高さから、僕と同い歳くらいの男の子だと思った。しかし、辺りを見渡しても目に入るのは初詣に訪れた楽し気な大人の姿で、周りにそれらしき子供の姿は見当たらなかった。その時は、あまりに僕と同じようなことを考えていたし、もしかしたら無意識に独り言を言ってしまって、自分の声を誰かの声と勘違いしてしまったのかもしれないと少し恥ずかしくなった。

 そしてすぐに、「そんなわけないか。変なの。」と笑いが込み上げてきた記憶がある。


 次に彼の声を聞いたのは、その3年後だった。その日は、雪の降るような寒いクリスマスだった。当時の僕は恋人もおらず、寂しさを紛らわす為に家の近くの神社に、来年こそは恋人ができていますようにと願掛けをした時、声が聞こえた。

 「いや、俺に言われても…」

 世間が賑わうクリスマスの夕方の神社での話だ。もちろん、周りに人なんておらず、僕は「もしや神様の声なのでは!」と言いようのない興奮を覚えた。

 「いや!そこを何とか…!神様の力が必要なんです!」

 「俺は神様なんかじゃないけど…」

 「え?じゃあ君は、誰…?」

 それが僕と彼の初めての会話だった。

 祈る為に自分の顔の前で重ねていた両手から、顔をあげると、声は聞こえなくなった。さっきと同じように両手を自分の顔の前に持ってきて、祈りをささげるポーズを取ると再び彼の声が聞こえた。

 「聞こえるか~?」

 どうやら、彼と話すには、両手を顔前に持ってこないといけないらしい。


 この声の正体を探る為、彼と話していくと、彼は僕と全く違う世界の住人だということが発覚した。当時多感な中学3年生の僕は、彼の世界に興味と憧憬を抱いた。

 彼の世界には、科学がなかった。「動け!」と念じれば、物を動かすことができるし、「燃えろ!」と念じれば、火を生み出すこともできた。超能力と呼ばれる力が彼らには生まれながらにして備わっているのだろう。

 僕は彼の話を聞きながら、まるで空想の世界だと心を躍らせた。

 一方彼も、僕の世界のことに興味が尽きない様子だった。乗り物全般や、科学を駆使する僕らは、彼からしたら魔法使いのように思えたようだ。

 お互いに、それぞれの世界の話で大いに盛り上がり、気づいたときにはもう辺りは、夜空が境界を失くしてしまったかのような暗闇であった。

 クリスマスの長い夜に期待を膨らませ紅潮している人々をよそ目に、僕は非日常に遭遇した興奮にあてられながら、帰路についた。

 それから僕は、何かあると神社にきては、何でも語り合い、いつしか彼は気の置けない親友になっていた。


 時が経ち、高校2年の夏、バスケの大会で良い成績を残せますようにといつもの神社で祈っていたところ、彼から交信があった。内容はいつも通り、他愛のないものであった。

 「なぁ、そういえば、よく通ってるその”神社”って何なの?」

 「神様が住んでいる建物だよ。願いが叶うようにお祈りしてるんだ」

 「え~神なんてわざわざ会いに行く価値のあるもんかね~」

 どうやら彼の世界では、神と呼ばれる存在は、はるか昔に彼らの星にやってきたが、ある程度人が住めるようになると出て行ってしまったという。だから彼らの星には神というのは存在しないのだそうだ。彼らの世界の宇宙のどこかには神はいるが、どこを漂っているかも、はたまたどこかの星に永住しているかもわからない。

 だから彼らの世界では神というのは自分達を捨てた身勝手な存在らしい。

 そして、その神話の最後にはこういう言い伝えがあるという。

 『その神々、終に理想の地を見つけたり。その地、青き星也。』

 僕はその時、「それって地球みたいだね」と言おうとしたが、彼がそのまま話を続けてしまい、タイミングを逸してしまった。

 

 それから日が経ち、高校3年生の冬、僕らは喧嘩別れをすることになる。

 この当時、僕の母親が体調を崩し、死の淵をさまよう危機的な状況であった。

 深夜に携帯に着信があった。今夜が峠だと、短く父から伝えられる。

 僕は寝間着のまま、すぐに家を飛び出し、いつもの神社に向かった。「生きて、生きて」と心で何度も叫びながら、神に祈りを捧げた。

 その時、彼の明るい声が聞こえてきた。

 「ちょっと聞いてくれ!神様の行き先がわかったんだ!」

 今にも母親が死ぬかもしれない状況に聞こえてくる、楽し気な彼の声に腹が立って仕方がなかった。

 「そんな話どうでもいいんだよ!こっちはそれどころじゃないんだよ!!」

 気づいたら僕は声を荒げ、憔悴によって生まれた怒りを彼にぶつけてしまっていた。

 「どうした…?その行き先っていうのがさ…」

 「うるさい!しばらく話しかけてくるな!」

 僕はそのまま、目の前で組んでいた両手を外すと、右手で自分の太ももを殴った。

 彼への怒りを発散させるためなのか、母親の死に対する焦りを紛らわすためなのかは、今思い返しても、わからない。

 それから、僕らが交信をすることはなかった。


 初めて彼と交信してから、干支が一巡した。あの時と同じように、初詣にきている。懐かしくなって、悴む手を温めるように両手を重ねて顔の前に持ってきてみる。

 「久しぶり。聞こえるかな」

 静寂が僕に、彼との関係は母親が死んだあの日で終わったと教える。

 「ダメか。あの日のことを謝るのと、君に嬉しい報告がしたかったんだけどな…」

 頭ではわかっていたことだけど、心はまだ追い付いていなかったようだ。ずきりと胸に、傷がつく。

 僕は、彼と喧嘩別れした後、大学に進学し、勉強をする傍らで、彼との話をSF小説として書くようになった。幸いなことに、その一つが大賞を受賞し、作家としてデビューすることが決まったのだ。

 今日はその報告を彼にしたいと思って、いつもの神社に来た。

 しかし、案の定、彼に僕の声が届くことはなかった。

 彼と僕の関係は、もう、終わってしまったのだ…。


 作家としてデビューしてから、1年が経った。1年前からずっと、心のどこかで彼とまた交信できるのではないかと淡い期待を胸に、毎日神社に通っているが結果はいつだって惨敗だった。

 今年の初詣を早々に済ませ、家に帰り、おせちを食べる。駅伝を見て、まったりと過ごしていると、どこかで聞いたような話が耳に飛び込んできた。

 『夕方のニュースです。人類史上初、NASAが宇宙外生命体との通信に成功しました。その通信によると、彼らは地球を”神の住まう星”と称しているとのことです。』

 もしかしたら彼の星かも、と心のどこかで期待せずにはいられなかった。

 彼に会えるかもしれない。

 そう思うと、体が先に動き出した。気づいたときには、いつもの神社で僕は祈りを捧げていた。

 「聞こえる?今日、君の話していたような宇宙人と交信に成功したってニュースが流れてきたよ!あれは君の星の人なのかな…?」

 何分経っても、聞こえてくるのは、初詣に来た雑踏の賑やかな声だけだった。

 「やっぱり、ダメか…そうだよな」

 わかっていたことなのにと、自嘲気味に笑いが込み上げてきた。

 いよいよ執着するのも最後にするか…と自分に対し、語りかけたところ、かすかな声が聞こえてきた。

 「…えるか」

 僕は空耳とも思える微かな声に全神経を集中させた。

 「聞こえるか、友よ…どうか届いてくれ…」

 「あぁ!聞こえるとも!ずっと…ずっと話したかったんだ!話したいことがたくさんあるんだ!親友の君に聞いてほしいことが!沢山!」

 「あぁ良かった…君の話は全部面白いからな。小説家にでもなっていることだろう。また話を聞かせてほしいんだが、今は俺の話をさせてくれ。時間がないんだ」

 彼はそう言うと、深い呼吸を一つした。

 「今、我々の星の民は、君の星に向かっている。」

 「え、じゃあ君に会えるの!?」

 「そんな明るい話じゃない!侵略だ。君の星は、俺らの神々が理想の地として最後に見つけた星だったんだ!」

 さきほどのニュースがフラッシュバックする。

 彼は続けた。理想の星を見つけた彼らの民は、身勝手に自分達の土地を捨てた神々を根絶やしにして、その土地を手中に収めようと侵攻している途中だという。

 理想の星を見つける原因を作ってしまったのが、他でもなく、僕がずっと地球のことを話してきた彼であった。

 彼は僕と同様に、向こうの星で地球のことを小説として世に出したところ、大ベストセラーになった。そして、その話を元に国家が地球は実在すると捜索を始め、見つかるに至った。

 彼は、侵略が決定した日、僕に交信して伝えようとしたが、地球からのスパイという容疑をかけられて監禁されてしまい、ずっと交信できなかったと話した。

 そして今、彼は処刑前の最後の願いとして、交信の時間をもらったという。

 

 「俺はもうすぐ死ぬ。でも只では死なない。俺は君の住む星が好きだ。本当に素敵な話ばかりで心が躍った。そんな魅力的な君達の世界を壊したくない。だから、彼らを道連れにするつもりだ。今まで、ありがとう。お前がいてくれて、クソみたいな人生だったけど、俺はずっと救われてきたんだ。親友よ、幸せにな…」

 「ちょっ!待ってよ!そんないきなりすぎるって!」

 僕の声に対して帰ってきたのは、彼の周りから生じているであろう爆発音だった。

 僕は咄嗟にどこの星の海を漂っているかもわからない彼の船を探して、空を見上げた。見上げた夜空には一つ、流れ星が流れていた。


 僕は今、白に統一された部屋の中央に座らされている。

 僕が乗せられた、宇宙を漂うこの船は君の星を目指している。

 「神が前に住んでいた星がどこにあるか、教えてくれないかな…もしかしたらまだ残ってる神がいるかもしれない!浪漫に溢れた話じゃないか!」

 冷徹な顔の上に笑顔の特殊マスクでもはりつけたかのような作り笑いをした軍服の男性がさも親し気に話しかけてくる。

 僕はもう、生きる気力もなかった。抵抗はするだけ拷問が増えるだけだった。

 窓の方に目を向ける。ガラスにうっすらと反射した自分の顔は虚ろな瞳をしていた。この窓のその外の宇宙のどこかで、君は雄々しく命を燃やしたんだな…

 友よ。あぁ、僕も君と同じさ。君の世界が大好きだ。だから、僕も君の世界を守るよ…。これからそっちにいくよ。また話の続きをしよう。聞いてほしいことが沢山あるから…。

 「神なんてわざわざ会いに行くもんじゃないよ」

 僕はガラスを突き破り、どこかで彼が静かに眠っているであろう宇宙の海に飛び込んだ。

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