鉄板 & 地球代表

 棋王戦挑戦者決定変則二番勝負の決定局だけあって、解説陣も第18世永世名人の資格を持つ森内俊之九段とかつては羽生キラー、最近は藤井キラーとして知られるタイトル獲得経験もある深浦康一九段のダブル解説である。


 解説の二人も藤井聡太の飛車などの大駒を派手に切り飛ばして、相手玉を即詰みに打ち取る得意の終盤力を生かした勝ち方ではなく、相手の仕掛ける罠をことごとく見破り、先受けし、受け潰すというこれまでにない手も足も出ない指し回しを見せつけた劇的進化を目の当たりにして、「これ、こんな指し方をされたら、心が折れちゃいますね」と解説とも呟きとも取れるコメントを発していた。


「活躍時期がずれていて良かった。。。」


 二人は奇しくも同じことを考えていた。森内は、かつて鉄板流の異名を取り、その受けの強さで名人位に8期在位し、なんと当時棋界を席巻していた羽生善治に先んじて第18代永世名人位を名乗る資格を手にし、一時代を築いた名棋士である。その受けの名手森内をして、今日の受け潰しの藤井の勝ち方は、驚愕を通り越して畏怖の念を抱かせていた。「公式戦で自分は生涯のうちに、藤井聡太に勝てるのだろうか?」と。これまでの対局では藤井の圧倒的な終盤力の前に、その鉄板はひしゃげて不様な崩壊を晒していた。いや、鉄板の防御を組む前に軽妙な手裏剣が何度も飛んできて、その応接をしている間に搦め手門は封鎖され、自玉はあえなく毎回捕獲されていた。その上、今日の受け潰しの本局である。相手の佐藤天彦九段は自分の後継を張る受け将棋の名手である。それが、手も足も出なくなり、最後は心折られるように投了に追い込まれた。おそらく、自分が藤井と同世代であったなら、第18世永世名人の称号も、鉄板流の異名も得てなかったに違いない。危なかった。。。


 深浦九段も夜の有明海の如き深く湛えたような明鏡止水の感で半生を振り返っていた。当時、人智を越える妙手「羽生マジック」を連発した羽生さんを宇宙人、その宇宙人から地球を守るべく羽生キラーであった自分は「地球代表」のニックネームを与えられ、またタイトルを獲得するなどの活躍をすることも出来た。現在、対藤井戦績では、全棋士の中でも一番の勝ち星、勝ち越しを出来ている。だが、それは今までのことだ。今日の戦いぶりはどうだ?過密な対局日程で一体、いつ研究をしているんだ?という時間のない中、見ている限りでは、一日寝る毎に成長しているのではないか?と思われるほど、ますます大局観は優れ、終盤のミスは減り、時間のペース配分も向上してきている。現に最初こそ大きく負け越していた「序盤・中盤・終盤隙なし」と謳われた豊島将之からは竜王位と叡王位を奪取し、タイトル挑戦もことごとく鎧袖一触といっていいほどの圧倒する完勝振りである。


「俺がこの先、藤井聡太を相手に地球を守れることはない。代表引退だ。」


 終局を迎え、解説の仕事が終わると、その日、どちらからともなく、二人は飲みに出掛けていた。寿司屋でのカウンターで並んでの差しつ差されつの決して交わす言葉は多くない飲みとなった。お互い向かい合って飲むには、感じるところが同じ方角を向きすぎていたから、横並びのカウンターでの飲みがちょうど良かったのである。


しんみりと森内が問うた。


「深浦さん、三国志演義に出てくる周瑜ってご存じですか?」

「森内さんのおっしゃりたいことはよく分かります。実は私も今日、周瑜に想いが至りました。棋士になるような男子は将棋と同じく戦略に通じる三国志演義は大好きだから、ピンと来ます。」


 中国全土を「天下三分の計」によって魏・呉・蜀の三国に分けて凌ぎを削り合う三国の中にあって、周瑜は呉における天才軍師であったが、圧倒的稀代の才能を誇る諸葛亮孔明の前にあっては、悉く周瑜の計略は見破られ、さらに裏をかかれ、歯がたたず、また、名声としても遥かに及ばない。ついに周瑜は病の床につき、最期に「天よ、あまりに無情だ!なぜ、己と孔明を同時代にこの地上に遣わせたのだ!孔明さえこの世にいなければ、己は天才軍師として歴史に名を刻めたというのに!無念だ。。。」と悲憤のうちに吐血して非業の死を迎えたのである。


 森内はこのことを指している。棋士だから、皆まで言わないし、また、言わせない。二人は、どこか悲しげに、そして、どこか安堵の表情を浮かべながら、再び杯をカチリと重ねた。それ以上、交わす言葉はなく、寿司をつまんだ後、二人は帰路についた。

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