第5話(最終話)二〇二〇年前後

「魔法のiらんど」さんと「カクヨム」さんにお引越しをして、ほぼ二年。「カクヨム」のほうは、アカウント使用のみでいたため作品をアップしたのはずいぶんと遅れてからだ。しかもアップに際し、新たにアカウントを作り直している。なので、「魔法のiらんど」より利用期間は短い。しかし今となってはカクヨムさんの方がラインアップは充実している。


 前回は『時神と暦人』のサードシーズンと、『思い出の潮風食堂』のお話をさせていただいた。今回の話題、対象年代は二〇二〇年前後、ほぼこの四、五年の話になってくる。無理やりお題に合わせたコンテストへの応募というのは、あまり自分の得意分野ではなく、納得いくものが出来ないというジンクスに気づいた僕。そういうのに向かない性格だ。マイペースに、自分が楽しんで書いたときのほうが、まわりの反響も良かったし、作品のメンテも捗るというのが、最近のスタンスである。もはや何度となく書いているが、おおよそ仙人気分なので、さほど一喜一憂してまで作品と向き合わず、客観的に作品を愛する方向へと向かった。自分にあった書き方や手直しの間合い、方法でやっていくことがスタンダードになったということだ。まあ、どんなものごとでもそうだが、やり方は一つではない。十人いれば十色のやり方がある。


 そんなわけでこの頃、ついに『時神と暦人』はフォースシーズンに突入。ここで再びお話は関東に戻ってくる。歴史の本やウェブを調べると、意外にも僕の知らない伊勢神宮の御厨が関東にもまだ多数存在していた。しかも僕が知らないというだけで、結構有名なものも多い。

 相馬御厨そうまのみくりやもその一つだった。これが北関東と東関東、南関東に跨っている。現在の地域でいくと茨城、埼玉、千葉、東京である。全国的にも規模の大きな御厨である。旧国郡ひとつがほぼすっぽりと入ってしまう広さの土地が伊勢神宮に献上されているのだ。しかも物語の宝庫だ。今回はこの御厨と付近の御厨を含めて、タイムゲートの派生形である「念動隧道」というSFアイテムを中心に据える。昔話伝説を追いかけながらプロットを構築している。作品に使わせていただいたのが、「桜姫麿皇さくらひめまろおうの山桜伝説」、「ヤマトタケルノミコトの海老川船橋命名伝説」、「『万葉集』歌の真間まま手兒名てごな美女伝説」である。『万葉集』や神話に付随する地方伝承である。それに彩りを添えたのが、内行花文鏡などの銅鏡や古代装飾品である。もともと祭祀用の鏡であるこれらの道具、それを季節ゲートの開閉アイテムとして使った。また弓道をかじったことがある僕の体験もあって、所作を会得はしているので、ゲートを開けるには弓と鏑矢を使うなどのしかけも施して、今までとは違うカラクリの方法で臨んだシーズン作品だった。結構、僕の作品にしては評判良かった。驚きだった。みんな難しいのが好きなんだ。作る方は四苦八苦しているに、読み手のほうがはるかに頭脳明晰だ(笑)。


 それと並行するようにSF推理もののお遊び作品を作っている。特に意味はなく思い入れもない。中身スカスカの気まぐれで出てきた作品だ。『時空魔女マリン嬢の回想日記』という作品。ほぼお遊びの世界を息抜き半分とは言え、真剣に書いている。何を思ったか衝動的に書いてしまった。勢いに任せてノープランで作ったので、いま作品は充電中だ。これが困ったことに他の作品よりプレビュー数が多い。僕自身『面白いのか? これ』と疑問である。ありがちな設定に、ありがちな事件。勿論僕の作品なので、ごく普通の近所の身近な事件しかない。事件とは言え、警察沙汰にはならないような可愛い事件だ。自分でもどういう展開でこの作品がころんでいくのか見ものだ。ほぼ他人事(笑)。


 そして最後になったが、現在「カクヨム」にアップしている「恋と御縁の浪漫物語」シリーズである。とにかく書いていて楽しい。それも作品との距離を取りながら書いているので、思い入れは排除している。そしてこの作品はSFではないプレーンな作品ではあるが、すべて作り話、すなわち虚構である。だいたいこんなドラマチックな展開は、現実世界、リアルな場面で起こり得ないご都合主義でしかない。でも人はどんなときもそのご都合主義が自分のときにだけは、起きてほしいと信じているものだ。好きな人に告白するときに、受け入れられることだけを前提にしなければ告白なんて出来ないだろう。でも相手にも好みや都合がある。そこをクリアできる人、タイミングが味方してくれる人、追い風のバックグランドが起きる時などのいくつもの条件が重なったときにミラクルはやってくる。そんなミラクルを味わってほしいのがこのシリーズである。

 たまたま文字数も応募規定にも合いそうなので、今のところ来年のコンテスト用に使おうと思っている。まだこの先この作品をどう維持していくのかは考えていないが、それぞれのブックファイルに新しいお話を続編として足していくのか、十作品を全てまとめてしまって、ひとつのオムニバス形式に変えるのかをぼんやりと模索中である。僕もこんなドラマチックで、穏やかな優しい恋愛を送ってみたかったものだ。オジサンのため息と過ぎ去りし若き日の残像(笑)。


 この段落だけ少々加筆させて頂く。報告があるからだ。

『三日月が似合う神明社-沙織と恋と杉玉と-』が【カクヨムWeb小説短編賞2022「ご当地短編小説キャンペーン」】で初めてSF以外の作品でベストエイトに残った。そのうち四作品が受賞だったが、「じゃないほう」の四作品となった。すなわち受賞を逃した。でも選考の諸先生やカクヨムさんには感謝である。なんとか受賞にそろそろ届くようになりたいモノだ。


 駆け足で、ここまで西暦で言えば、一九八五年頃から二〇二二年までを僕の書いてきた作品を通して、文学背景や道具の変遷なども味付けとして用いながら振り返ってみた。読者の皆さんはどう感じたのだろう。原稿用紙にノンブル打って、一枚一枚コンビニやコピーセンターに持ち込んだ原稿をコピーする。それを手元に残して、同じ原稿を使うときには再度それを見ながら原稿用紙に書き写していくのだ。気の遠くなるような作業だったので、当時の文学同人は今とは意味の違う変わり者だった。唐変木とうへんぼくとか朴念仁ぼくねんじんという扱いだった。書き取りという皆が嫌がる作業を自ずから進んで趣味にするなど変な人種である。それの集合体が同人なのだ。まだオタクという言葉も一般的にはなかったと思う。

 僕たちの少し前の世代の同人活動の姿を面白おかしく書いているのが、筒井康隆さんの名作『大いなる助走』である。「文学」という名称と雰囲気に魅せられたお馬鹿な人々が巻き起こす珍行動をパロっている。今はデジタルのクラウド媒体に作品を置いておく時代なので、ここに出てくる不思議な人種がいたこともイメージがつきにくいのかもしれない。大の大人が文学に心奪われ女房に小言を言われ、それでも書き続ける。もはや負の連鎖でしかない(笑)。この作品の学術版が、その後の作品『文学部唯野教授』と言われている。大ベストセラーだ。鬼才筒井さんのパロディは『農協月へ行く』のあたりからスラップスティックに磨きがかかったと書評では言われていた。ここまでのおふざけは僕には出来ないが(根がクソ真面目なので)、その精神は見習いたいものだ。僕のSFは多分自分で思うには、眉村六割、星二割、筒井二割で出来ているかな? と思う。でも『ねらわれた学園』と並んで『時をかける少女』、そして『かぼちゃの馬車』は僕の中学から高校時代の大切な小説書きのお手本なのである。それに『探偵物語』と『獄門島』、『天河伝説殺人事件』が少し入るのかな。


 世間は年末。来年はうさぎ年。僕も皆さんも跳躍の年になるように祈念してやまない。これにて「拙作の歩き方」、ご披露終了とさせていただきたい。お互いにでもあるのだが、益々のご発展とご健康と良い読書生活、書き物生活を送りたいものだ。では皆さん、良いお年をお迎えください。

                                                         了

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