健全で多幸的な最高密度のバレンタイン


「これ、もしよろしければ皆さんで食べてください」

「えぇ!? いいんですか! さかきさん! いつも差し入れありがとうございます!」


 鋭い美貌を少しだけ緩め、微笑んで高級チョコレート店の一粒500円のアソートボックスを差し出したのは、隣の営業所のエース、今期No.1営業に表彰されたさかきすばるだった。


「さ、榊さん! このチョコ貰ってください!」

「ありがとう、素敵なチョコレートだね。恋人と一緒に頂くよ。清水さん、ホワイトデーは期待していてね」

「は、はい~!」

 出た、一撃必殺目線合わせてのウインク攻撃! うちの営業所の清水さんが撃ち落とされている。

 ……しかも『恋人と一緒に』ってところできちんと脈なしだよとも伝えている。プロか!


「え~、榊くん来るなら私も持ってこれば良かった~」

「ははっ、寄るとは伝えてありませんでしたし。またの機会にお願いします」

「今日は何の用事で来てくれたの?」

「業務資料の受け渡しですよ」


 榊は仕事が終わらずパソコンと睨みあっている俺の席に近寄ってきた。

滝藤たきとう

「すまん、まだ終わっていない」

「構わん。一秒でも早く会いたいから来てしまっただけだ」

 パソコンを覗き込むように見せかけて、耳元で甘くささやかれる。

 ちょっとこの男は色気の特売セール中なんですかね。

 甘過ぎんだよ! まだ会社だぞ!!


「……ん? この客の要望だと保守付けては難しいんじゃないか?」

「う……利益規模から計算するとうちの装置は導入が難しいんだけど、ここのオーナーさん、利用者の為にって導入迷ってくださって……。少しでも経費抑えたら導入できないかなって……いや、すまん、この案件だけちょっと片付けていいか」

「課長なら切れって言いそうだな」

「……言われてる」

「ふーん、また実績にならなそうな案件抱え込んで」

「ソ……ソノトオリデスネ」

 くそー、その通りだから言い返せねぇ。


「ここ、保守の点検時期ずらせるか? 決算前に例年キャンペーンやるだろ。それで少し値引きできるのと、技術屋連れていくなら派遣費は実費になるが、営業の見回りなら無償だ。簡易的な不調ならその場で見て調整するのも認められているよな」

「そうだけど、もし実際に動作不備があっても俺は直せないぞ?」

「俺にこの案件任せろ。この前資格一種合格したから中まで見れるぞ」

 榊は表情を変えずにブイっと片手でピースをした。

「い、いつの間に……それ、技術職でも取るの大変な資格じゃなかったか? 良いのかよ。それだけでも作業費取れるのに」

「構わん」

 榊はニッと俺に笑いかけた。


「もしもお前が困っていたら、良いところ見せたいってだけで取った資格だしな。思わず早い段階で役立って良かったぜ」

 

 ほ、惚れてしまうだろ!!

 あ、いや、暫定恋人は延長入ってもう2月まで来ているけど!


 あまりに近い距離で仕事の話をしているものだから、こいつの付けている香水の香りがふわりと薫る。

 これからバレンタインデートのつもりなのか、着ているスーツもネクタイピンもいつもより一段と高級だ。


 くそ、イケメンリア充爆発しろ。

 ……いや俺もリア充してるから爆破対象か。


 数字など計算し直したものを打ち込めば仕事は片付いた。

 お疲れと差し出されたのは差し入れのチョコレート。

 ……俺の好きなミルクチョコレートを確保していてくれたのかよ。


「皆平等に。……だけど、このぐらいの贔屓は許されるだろ」

 普段あまり平日にはデートができないからか、今日は二段階ほど浮かれているようだ。


 日報を手早く送って退社の準備をする。

 後ろで『あら、うちの眼鏡と今日飲むの? 私も混ぜてほしいなぁ~』なんて先輩の言葉を、『今度会社の同じ年の面子で飲み会開くので、その準備なんです』なんて軽くかわす。

 スマート過ぎる。同じ年のやつなんて一つの営業所にそうそういない。この近辺だって俺と昴だけだ。


 ……いや、よくよく今の会話を考えてみたら、俺先輩に『うちの眼鏡』って呼ばれてんの? え、酷くね? 名前ですらねぇ! 俺の他にも眼鏡いるだろ!


 ぽつりと俺の眼鏡だよ。って小さく呟く昴を連れて会社を出る。何もこんなバレンタインに準備会しなくても! ってぶーぶー言っている女性陣を角が立たないようにあしらう。


「昴」

「ん? 何だ。優人ゆうと

「これは俺の眼鏡だ。お前のじゃない」

「……チッ」



 まだ寒さが染みる2月中旬の夜を歩いていく。

 今日はこのまま昴の家で一緒に食事を取る予定だ。


「約束、覚えているな?」

「わかっている」

 約束をきちんとしておかないと、この男は限度というものを知らないからな。


 貢ぎまくろうとするし、色々と無駄遣いをしそうになる。

 このバレンタインだって酷かった。

 某有名なチョコレートの催事場で前職時代の後輩ホストパシらせて全種買い占めようとしていたからな。全力で止めた。

 俺に、俺に貢がせろ!! って有名チョコレート店のパティシエを札束で買収しようとしたのも止めたし、海外に行って本場のチョコレートを買い漁りに行こうとしたのも止めた。

 いちいちやることの規模がちげーんだよ……。

 その時間的コストをこちらにまわせ。寂しーだろうが。


「でも上限5000円はさすがに少なすぎるだろ! せめてその100倍までは」

「人を糖尿病にさせるつもりか! 5000円でも高いくらいだよ!」

「無理……お前の好物のチョコレートを名目でいっぱい貢げる機会なのに……全然貢げないの無理……せめて5万……! ちゃんと考えて買うから! 越えないように買うから!」

 小学生の遠足のお菓子の上限かよ!

「俺もそのぐらいの値段の奴を選んだんだから、俺の身の丈にあったものを贈ってくれ!」

「え、選んだって……え、嘘……」

 あ、やっば。俺もこいつ用のチョコレートを買っていたのがバレちまったか。


 ぴたりとこいつの足が止まる。

 イケメンが一瞬にして顔を真っ赤に染めて、狼狽える。

「無理……推しからのチョコレート……むり……聖遺物として保管する……」

「まじでやめろよ。そんなことするなら渡さねーからな」

 俺から渡すのは当然として、もらえるとは思わなかった……死ねる……幸せ過ぎて……とブツブツ隣で言っているイケメンの足を蹴る。


「せーしきなお付き合い、してんだろ。なら俺だってお前に何かしてやりたいって考えてもおかしくはないだろ」


 昴は、それこそ見たものを一撃で魅了するような……そんな蕩けた笑みを浮かべた。


 あ、流れ弾に当たった他の通行人が何人か胸を押さえて蹲っている。


「はは、早く帰って優人を抱き締めたい。ご飯を一緒に食べて、チョコレートを食べて、映画を見て」

「映画ってチョコレートファクトリーのやつ? 不思議なチョコレートの」

「もちろん」

「いいね。主演の独特な雰囲気が好きなんだよな」

 ……滅茶苦茶意外なことに、俺たちはまだ健全なお付き合い……というものをしている。

 この男なら狩人となった瞬間に距離を縮めそうだが、本当に本当にゆっくりと、俺のペースにあわせてくれている。

 ……いや、正確に言うと、『無理! 片想い期間が長すぎて今でも夢かもしれないって毎日思っているんだからな! そんな先に進むのなんてまだ無理! 心臓爆発しそう!! 会って話ができるだけでも多幸感やばいのに!!』

 って、あいつも言っていたから、これが俺たちのペースってやつなんだろう。


 通販で自分用のご褒美チョコレートを買うのが楽しみなだけだったバレンタインが、今年はこんなに甘く、楽しい。

 好きな人に渡すためのチョコレートを選ぶのって、それだけでも幸せなんだなって、初めて知った。



 昴の部屋に到着すると、手洗いうがいを済ませて廊下でいちゃいちゃしながらリビングに入ると、昴は夕食を準備してくれた。

 俺の好きな料理と酒。

 あ~酒が旨い。恋人の愛情がこもった酒が超旨い!


 デザートは昴からのチョコレートを食べ……。


「いや、チョコレートケーキにフォンダンショコラに生チョコにトリュフにガトーショコラにエクレアにオペラってどれだけあるの?」

「はいこれ、レシート」

「……4998円。刻んできたな」

「店のチョコレートだと一箱しか買えないからな。今年は金額の代わりに愛情をたっぷり入れて手作りで攻めてみた」

「……これ、死ぬほど量があるんだけど」

「これが俺の愛だ!」

 

 俺の日常での些細な不運はまだまだ続いているけれど、最近ではそれを気にしなくなるほど幸せな事も多い。


 健全で多幸的な……最高密度の愛情を恋人が溢れるくらいに注いでくれるからな。


 俺は幸せだ。

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