健康で文化的な最低限度のクリスマス

弥生

健康で文化的な最低限度のクリスマス


「はは、今年もやベーな」


 クリスマスといえば、毎年呪われているとしか思えない事が連発する。


 3年前のクリスマスには、運搬していた営業用の小型医療機器を破損し。

(滅茶苦茶怒られたけど始末書とボーナスカットで許された。でなければ首か全額弁償だったと思えばまだ軽い方か)

 2年前は下の階の不始末で木造築50年のアパートが全焼し。

(幸いにも死傷者はおらず、残業で帰れなかった俺は職場でその事を知ったのだった)

 1年前は高校時代の憧れの女性と奇跡的に漕ぎつけたクリスマスデートで宗教を薦められた。

(何も言うまい。丁重に断った……心に重症は負ったが体は無事だ。……嘘だ、少しだけ自棄酒をして次の日死んでた)


 そして、今日、この日。


『只今、電気系統のトラブルにより、ーー方面の電車は停止中です。現在復旧に努めていますので、今しばらくの……』


「まじかー」


 終電の電車が止まった。

 復旧の見込みは未だになく、周りもざわついている。

 タクシーの待機列は一向に縮まらない。ケーキを片手に持つお父さんたちがしきりに腕時計を気にしている。……待っている家族がいるのだろう。

 諦めてこの辺りでホテルを探すか……といっても、今日は聖夜。

 恋人たちが軒並み部屋を埋めているだろう。

 

 ……詰んだ。

 

 最高のクリスマス、なんてものは望んじゃいない。

 ただほんのちょっと……人並みの普通の日を過ごしたいだけだと言うのに……。

 

 俺のクリスマスはいつもこんな感じだ。


 諦めてホームのベンチに座る。

 吹きっさらしのホームは冷たく、心まで冷えきってきそうだ。

 ひょいと右手に持ったホールケーキを見つめる。

 ……保冷剤1時間なんだけど、家まで持つかな。

 いやいや、どこかの聖人の降誕祭を祝うためじゃない。

 俺の、ぼっち誕生日にせめてケーキを食べてやるという強い意志の現れだ。

 くそ、俺はチョコレートケーキが好きなんだが、今日も今日とてクリスマスデコレーションのケーキしか残っていなかった。

 ……毎回、聖人に負けねーからなって調子乗ってホールを買って二日目に後悔を繰り返したりしてない。そんなこと、ない。


 まぁ、いい。

 いや、良くないけど。

 そこまではいつも想定内だ。

 今回はそれよりもなお、最低な事がある。


「……チッ」

 俺の隣で舌打ちしているこの男だ。


 隣の区の営業所のトップ。2年前に他業種からの引き抜きで入って来たのに、いきなり頭角を表した。

 しかもだ、切れ長の瞳の超絶イケメン。

 顔で売っているんじゃねーの? と陰口を叩かれるほどの美形なのだ。いや、その高身長と美貌ならモデルでもホストでも芸能人でもなれんだろ。


 あーこいつが顔だけで売っていたら、単純にひがむことも出来たんだろうが、その営業成績は全て実力だ。

 圧倒的な業界知識と取り扱い商品の知識、そして人心把握術とも言える細かなサービスで顧客満足度は全営業所でも一、二を争う。

 

 こいつは顔で売ってるんじゃない。その信頼で売っているのだ。と他の営業所を押さえて収益一位になった隣の営業所長か鼻高々に言っていたっけ。


 仕事も出来て知識も豊富、少し美貌が鋭すぎるとしても会話しやすく頼りになる。


 そんな圧倒的に持ちすぎている男は……何故か俺を嫌っている。


 え、理由? 知らん知らん。

 聞けば同い年との事だったから、去年部署合同の飲み会でセールストークとか勉強させてもらおうと酒を注ぎに行ったら死ぬほど嫌われていた。

 いや、何でだよ。周りに集っていた受付事務営業の美女たちが、あなたが何かしたんでしょう! と非難を浴びせて来たがまじで知らん。


 何故かこの男は、俺が近寄るとさっきみたいな舌打ちをして睨み付けてくるんだ。

 ……さすがに、これは、俺もこいつを嫌ってもいい……よね?


 だが、この平凡ヒラ社員(日本製)としましては、だ。

 ……同じ社員として会釈ぐらいはしておかないとなって、小市民的に思ってしまうんだ。


「ど、どーも……」

「……」

 どーも、ってなんだよ。

 最近使わねぇよ。


「電車が止まって、災難でしたね」

「……チッ」

 ……俺頑張ったよね?

 こいつだって嫌っている相手から話しかけられたくないよね!? もういいよね!!

 義務は果たしたよね!?

 

「あー、その、ケーキ。恋人へですか?」

「……は?」

 マジで青筋立ててキレないでくれよ!! 怖えーよ。イケメンのガチギレ怖すぎるだろ!

 オッケーゴーゴル。このシチュエーションでの最適解を教えて!


「……恋人は、いない」

 おっ珍しい。舌打ち以外の反応があったぞ。

「あ、家族とですか?」

「違う! その……お、推しの誕生祭を祝うためだ!!」

 推し!?

 え、今このイケメン推しって言った? 

 空耳? てか推しの誕生日を祝うってイベントお前みたいな祝われる側みたいな奴もすんの? いや、そんなイメージで御免だけど!


「あ、そぅ……なんですね。女優さんか何かかな」

「そ、なっ、お、推しは女優なんて目じゃねぇ。あれこそまさに聖人君子……俺の救世主メシア……」

 あーはい。はいはい、今日生誕されたあの方ね。

 最近の宗教でも推しって言うんだ。

 あなたの推し神だれ? 私はサン・ジョルディ! みたいな使い方でいいのかな。


「えーと、その、うん。……今日はホワイトクリスマスなのに……大変でしたね」

 あまり深くは触れないでおこう。この話題は俺の傷口も開くしな。


滝藤たきとうは、そのケーキ……」

 あ、さすがに名前は覚えてくれていたか。

「まぁ、一人で食べる予定だったので、誰かを待たせる事にならなくてよかったですよ」

「……チッ」

 また、舌打ち。

「……もう、電車も出ないだろ。これ、やる」

 お、ケーキの包みとは別の袋から、ビールやツマミが出てくる。

 うわぁ、これ俺の好きな酒だ! プレミアムなやつだ!

 くっそー、こいつ普段からこんなの飲んでいるのかよ。発泡酒をちびちび開ける俺とは違うね!

 がしりと酒を掴む。

 ありがとう! 嫌なやつだと思ってごめんね! 好き!

 ……一秒前までプライドは捨てた。そんなものない。


 二人で並んで酒を飲む。

「ぷはー、旨い。うまい……もうこれだけで今日良い日かな……」

「安いな」

 うっせーよ。

 空きっ腹に酒が染み渡るのか、普段よりも酒のまわりが早い。

「いやさー、なんでお前俺のこと嫌ってんの? 他の営業所でも俺の態度だけあからさまに違うじゃん。俺なにかした?」

 軽くなった口がついつい気になったていたことを聞いてしまう。

 口調? もーいーよー。取り繕うのも疲れたー。


「嫌ってねーよ」

 こいつも酒がまわってきたのか、俺相手でも会話をしてくれるみたいだ。

「じゃなんだよ、言えよ。俺の何がそんなに気に食わねーの?」

「…………からだよ」

「あ?」

「だから、緊張して、しゃべれねーからだよ!」

「…………えぇーー」

 人畜無害に眼鏡着けたら俺になるって皆に言われているのに?


「ほ、ほんとは、もっと、何が好きなんだとか休日何しているのとか、き、聞きたいのに、お前を目の前にすると頭が真っ白になって……チッ! な、んで、しゃべるのなんて俺の十八番おはこじゃねーか、くそ、なんで……こんな……」

 丁寧に整えた髪をくしゃくしゃにして、美貌の男がもどかしそうに言葉を詰まらせる。


 ……そういや、いつも丁寧な口調なこいつが、こんなにも荒れているのは初めて聞いたな。

 ……ちょっとだけギャップが可愛いじゃねーか。

 いや、まてよ。

 その前に……うぇ、酒がまわる。

 こいつの様子の方が気になってしまったけれど、もっと重要な事があるだろ。


「え、俺もしかしてお前に嫌われてないの?」

「嫌った事なんて一度もねーよ!」

 なんだよそれーー! 滅茶苦茶安心したじゃないか! 知らない間に粗相したかとずっと心配だったのに!!

 なんだよ! ただ酒恵んでくれる良い奴じゃねーか! 好き!

 ……いや、みなまで言うな。チョロいのは良くわかっている。


「えー、なんだよ。早く言ってくれよー。もうさーなんだよ嫌ってないのかよ~」

 あ~酒が旨い。人の金で買った酒が旨い!

 いや、電車止まっているし問題なーんも解決してないけど、もう良いかな!

 あははっ!


「ずっと……好きだった」

「えー、いつからだよぅ~」

 えー俺もライクライクー。

「3年前のクリスマスから……」

「えーそんな前から~……3年。3年前?」

 ほわんとしてきた頭で考えても、それってこいつが入社してくる前じゃないか?


「3年前のあの日、あんたは発作で倒れた飲み屋帰りのおっさんを助けていた。同伴の女だって、周りの連中もただの酔っぱらいが千鳥足になっただけだって言ってたのに……。万が一の事がありますからって。……営業で使っていただろう医療機器を迷わず使って」

 酔いが回ってへろへろしていた脳が、すっと冷えていく。

 そうだ、3年前。確か繁華街近くの店での営業が思わず長引き、社に帰る途中だった。

 ……自己破損扱いにしたあれは……。


「俺は、今でも一言一句覚えている。『違ったのなら、それで良いのです! ただ万が一、何があったときに、装置を使っていれば……そんな、そんな後悔があってはいけません! 私は医者ではありません。治療を行う免許を残念ながら持っておりません! ですが、この小型医療器機は使うことができます。そう、認可され作られています。救う手段がない一般の人たちが、救急車が到着するまでの僅かの間でも命を繋ぐ事ができる、この道具はまさしく今のような状況で使うべきなんです!』……俺は、本当にあの言葉に驚いたんだ。ここで使っても、この人に一切のメリットはない。なのに、あの時あんたは迷わずそれを使った」

「……結果的に……発作も、軽いものだった……すぐ意識は戻って……」

「……あのクソ野郎は起き上がると、この事は公にしないでくれ。妻に隠れて来たんだ。飲み歩いたなんて知られたら大目玉になる! って……救ってくれたあんたに対してそんな事を怒鳴り付けて……あんたはその言葉にわかりましたって小さく答えて、器機を自己破損扱いにした」

「良く覚えているな……」

「……入社してから知った事もあるけどな。そんな男の戯れ言なんて聞かずに、人命救助に使用しましたって言えば良かったのに。そうすれば正当な理由として処罰さえなかっただろうに」

「言わないって、約束したから……」

「本当に、信じられなかった。なんでこいつはそんな、そんな事をして……自分が損するような選択ができるんだろうって、理解ができなかった。だから、俺は、俺は知りたいと願って……」

「いや、その……はは。確かに、損ばかりする人生だとは思うけど……。あー、ダサいな。あそこを見られていたのか……でも周りなんて繁華街で、飲んでる客かギャバ嬢やホストぐらいしか……」

「同伴中だったからな。通りかかった時にそれを見ていた」

「どーはん?」

「俺、前職はNo.1ホストだぞ」

「ふぁっ!?」

「お前の言葉を聞いて、本当に衝撃を受けたんだ。俺は言葉や行動で貢がせる事に何の躊躇いもない。女も何人か沈めた。その人生にも興味はなかった。金さえ……どれだけ貢がせるか、なんて事ぐらいしか感心がなかった。あれほど……あれほどの情熱を持って訴える言葉なんて、俺は持っちゃいなかった。だから……色んな伝手をたどって、あんたの会社を突き止めて、転職したんだよ」

「は……? え……? いやだって、前職も医療メーカーじゃないのか? だって知識量が」

「大学はそこそこ良いところ出ていたからな。医学部だし、問題はねぇ。知識って言っても業界研究、マニュアル、カタログ、開発記録覚えればそこそこ対応できる。営業も相手の必要としているものや趣味や記念日子どもの誕生日やらを覚えてメール一通でもやり取りすれば懐に入れる。この人は自分に関心を持っていて、希望を叶えてくれるって信頼さえ掴めりゃ自然と物は売れていく。客惚れされるよりは簡単なものだぜ」

 いやいやいや、そこが大変なところなんですけど!?!? 業界知識ってさらりと言ってるけど更新頻度高いし大変なんですけど!?


「同じ営業所には入れなかったが、隣の営業所に潜り込めた。そこそこ活躍はして経験は積んだか……あの時の言葉には到底及ばない。結局人間なんて変わらなかった。被る面が変わるだけで、欲なんてものはどこも変わらず、女だろうが顧客だろうが簡単に転がせる。なぁ、あんたはどうしてそこまで人に尽くせるんだ。ばか正直に、愚直に……何の特もないのに……何故そうやって、人のためにできるんだ」

「……」

「さっきだってそうだ。タクシーの順番、ケーキを持った男に何度か譲ったろ。……家族が待っているならって。自分は一人だから問題ありませんって。問題ありすぎてタクシー諦めてベンチに座っているのにな」

「ぐっ……」

「……なぁ、あんたの事が知りたい。もっとずっと……あんたと話したいと思っていたんだ。……それなのに……くそ、百戦錬磨の元No.1ホストのこの俺が、あんたと話す会話の糸口さえ掴めず、動悸が収まらず震えて、話しかけることさえできないなんて! くそ、本当は、ずっと……あんたと話したいと思っていた……」

 顔を覆ってしまった男に、なんて声を掛けていいのかわからない。

「えっ、えー、そうだったの……?」

「差し入れぐらいでしかアプローチできていない……くそ、情けねぇ!」

「あっ! 隣の営業所からの差し入れ、毎回何故か俺の好きなお菓子だったのは! お前か!」

「根回しした。茶菓子もリサーチ済みだ」

「やるな……」

「このケーキも、チョコレートだ。シェ・バルディシュボンの限定ケーキ」

「滅茶苦茶高級ケーキ店じゃん! うわ、一度は食べてみたい夢のケーキ……!」

 ふと、手元の酒を見る。

 俺の……俺の好きな銘柄。

「……あの……ちなみに、推しの誕生祭って?」

滝藤たきとう優人ゆうとの誕生祭」

「俺かよ!!」

 きょとんと奴が顔から手を離す。何を当然の事を言っているんだ? みたいな顔で。


「去年も一昨年もした。推しに話しかけられなかった分、ちゃんと祝おうって」

「したのかよ!」

「……誕生祭、するだろ? 俺もホスト時代シャンパンタワーやらドンペリナイアガラやらマンション一棟プレゼントとかされたし」

「あー! そういえば前職ホストでしたね!?」

 今度は俺が顔を覆う。なんてこった!


「なぁ、本当にこんな機会はないんだ。本当に、ホワイトクリスマスの奇跡のようで……止まってしまった電車には悪いが、こんな、幸運あり得なかった」

「いや、俺もここまで想われていたなんて思いもしなかったよ……」

「一度きりは嫌だ。もっと……話したい」

 この全てを持っているような男が、真剣に懇願してくる。

 こんな、こんなことはもう生涯にないだろう。


「本当に誤解していたよ、さかき。俺たち友達から始めよう」

 俺は破顔して手を差し出した。


「やだ」

「は!?」

「やだ、友達だけじゃ、やだ。足りない。こんな、こんな奇跡的な機会逃したらもうない。3年も待ちわびていたんだもん。恋人からがいい」

 え、やだ、とかもん、とか拗ねたような顔するなよ! 美形のギャップで殺す気か!?


「お前酔って…………ないよな」

「バレたか。全然ヨユー。まだテキーラのショット20はいける」

素面しらふで押してくるじゃん」

「優人は男の恋人に嫌悪的な反応をしていないし、押したらいけそう」

「てめー、冷静に判断してんじゃん」

「恋人になったら一番最初に誕生日をお祝いして美味しいケーキを食べる予定なんだけど」

「ぐぅぅ」

 この野郎、全力で落としに来てやがる。

「友達以上、暫定恋人でどうだ? お試し期間は1ヶ月」

「よ、よろしく、お願いします」

 艶やかに微笑んで、榊が俺の手を握る。

 うわ、この野郎、俺の指の間に指を絡めてきて恋人繋ぎしやがったぞ! プロかな!?

 あ、いやプロだったわ!!


「ちなみに、だけど。この近くに前職時代に買ったマンションがあるんだ」

「……は? この地域滅茶苦茶高いのに!? というか、この近くにマンションあるなら電車乗る必要は……」

「帰りがけに優人の姿を見かけて、一言でも会話できたらいいなって……気づいたら追いかけていたな」

「……行っても良いけど何もしない?」

「しないしない」

「……わかった」

「……男のそんな言葉は、反故にされる事がほとんどだから気を付けろよって言いたいが……まぁ、今回は信頼を買おう。一緒にケーキを食べてお酒を飲んで、楽しい誕生日とクリスマスを過ごそう」


 先にベンチから立った榊が、俺の手を引っ張って俺を立たせる。


 健康で文化的な……最低限度の日が過ごせたら、不運続きの俺としては儲けものだったのに。


 今年のクリスマスは、何故か最大限度のプレゼントが用意されていたみたいだ。










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