たんぽぽと修道女

威勢ヱビ(いせえび)

たんぽぽと修道女




アリエスは清浄潔白な修道女シスターである。

同じく修道女シスターであった母から「総てを信じ、見返りを求めず、人々に平等に心からの愛を与えなさい」という教えを受け継ぎ、常に人を疑わず、妬まず、恨まず、全ての人々を慈しむように努力し、今日まで過ごしてきた。

尊敬する人物の一人であった母が偉大なる我らが主の元に導かれてから早六年。現在は生まれ育った村の教会で日々修道に励みながら、五年ほど前から悲しくも様々な理由で行き場を失った子供たちを受け入れ、孤児院のようなことをしている。

本日の天候は晴天。修道女シスターとしての正装である白い大きな襟に黒を基調とした膝下丈のワンピースにタイツでは少々汗ばむような陽気だ。村で昼食の材料の買い足しを終えたアリエスは温かい日差しに少しの汗を流しながら、かわいい子供たちの待つ教会へと続く帰路を急ぐ。

教会は村を見下ろす小高い丘の上にあり、ほんの五分に及ぶ木陰が涼しい林を抜けたら、もう目の前だ。

山の向こうの大きな街にあるものに比べればそれほど大きくはなく、母が幼い頃には既に建てられていたという、こじんまりとした少々古ぼけた建物だが、そこにまた年季の入った木造特有の暖かみと趣きがあって、安心する。

……時折強い風による破損やすきま風、雨による雨漏りの際は、慣れない修繕に少々骨が折れるが、そこはまあ、……ソレだ。

緩い上りの傾斜が終わり、正面に教会の扉が見えた。労わるようにそよ風に頬を撫でられながら、教会の脇に回り込む。隣接して建てられている隣の建物が、彼女の家であり、孤児院である。

とそこで、アリエスはその玄関の前で突っ立っている人物を見つけた。


「あ……」


思わず立ち止まった彼女のやっと幼さの抜けた小さな顔が、綻ぶ。

食材が詰まった紙袋を抱える両手に力がこもり、頬がわずかに赤らむ。

その人物は、彼はアリエスに気づいていないらしく、こちらに背を向けたままなにかを探すように周囲を見渡している。彼の特徴の一つであるめったに見かけない雪のような白いくせっ毛が揺れた。


「カイナさん!」


無意識に弾む声とともに、アリエスは彼に駆け寄る。

気づいた彼が振り向いた。こちらに笑顔を向けかけて、なにかに気づいたようにすぐに顔を逸らされる。どうしたのだろうかと、首をかしげながらアリエスは彼の傍で足を止めた。

すると、不意に、


「どうかされ───きゃっ!?」


腕を強く引かれ、咄嗟に抵抗する間も無く教会と孤児院の間の建物の陰に引きずり込まれてしまった。

そこは人がやっと一人通れるほどの隙間しかない。そんなところに二人の、しかも大の大人が押し込められれば、図らずも密着した状態になってしまうのは当然であった。


───はわわわ……!?


あまり服を着こんでいないせいか、密着すると意識せずとも服の上からでも彼の体の逞しさがうかがい知れる。

そういえば以前、彼は一応武人なのだと聞いたことがあったか。細身といえど鍛え上げられた体は華奢なアリエスをすっぽり覆ってしまえるほど大きくて、一体どういうわけか、まるで逃がさないと言わんばかりに背中から壁に体を押し付けられ、こともあろうに彼はその骨張った男性らしい大きな手をアリエスの両脇の壁についたのだ。とどめには一つ目だけ釦の開いたシャツの襟元から鎖骨がいやらしく顔をのぞかせている。

これでもかと魅せつけられる男の色香に、耐性など一ミリも無いアリエスは目が回る思いだった。力みすぎて腕に抱えた紙袋と、なかに詰まった食料たちが悲鳴をあげているが、とてもそれどころではない。

それらから逃れるべく、アリエスは必死に顔を上げた。が、視界に入ったのはもちろん、彼の整った横顔であった。怪訝そうに外を伺う妖しさを孕んだ紅すらまた美しくもどこかなまめかしくて。

生殺しにすら等しい状況で、アリエスは一人顔を耳まで真っ赤にして卒倒しそうになっている。


『───アリエス、ずっと言えないでいたのだが……。私は……、ずっと前から……キミのことが……!!』


薄暗がりの中、抗えぬ衝動に駆られて熱を帯びた目が縋るようにこちらを向いて、体の奥が不完全に消えた火のようにちりちりと疼く。そして、やがて引き合うようにゆっくりと唇が近づいて……。


───きゃああああダメよだめだめぇっ!!!


自ずと膨れ上がる妄想を振り払うように、アリエスはぎゅっと固く目を閉じて首を横に振るう。


「か、カイナさ───」

「しっ。静かに」


アリエスを一瞥し、カイナは人差し指を自身の口元に当てた。その顔はどこか楽しそうで、イタズラを試みる幼い少年を思わせる。

ああっ。そんな子供のような無邪気な笑顔も───割愛。


「カイナにーちゃんどこー?」

「かくれんぼなんだから、よんで出てくるわけないじゃない」


近くで子供たちの声がする。孤児院の子たちだ。

来たようだ、とカイナは楽しそうに呟くと、見つからないように身を屈めて建物の陰から顔を覗かせ、外の様子を見始めた。


「か、かくれんぼ……?」


子供たちの会話から聞こえたその言葉を反芻しながら、ぽかんとした表情でアリエスはカイナの背中を見る。


「あ! みつけた! みつけた!」

「っはは、見つかってしまったか」


嬉しそうな明るい声がして、カイナもまたどこか嬉しそうに笑いながら腰を上げ、陰から出ていく。


「おにーちゃん!」

「ここにいた……」

「やっとみつけました!」


四人の子どもたちがぱたぱたと駆け寄ってきてカイナを囲み、彼の手を引いたり抱きついたりとじゃれつく。

後からおそるおそる陰から出てきたアリエスは、呆然としながら呟いた。


「こ、これはいったい……」


カイナはそばに居た栗色の髪の少女を抱き上げて彼女を振り向く。


「巻き込んですまなかったな。アリエス。子供たちと隠れんぼをしていたところだったんだ」


子供たちの気配がして、見つかってしまうと思ってつい慌ててしまってな、と苦笑がついてくる。


「あ! せんせーもいる!」

「おかえりせんせー!」

「せんせーもかくれんぼしてたんだー!」


飛び交う無邪気な笑顔と笑い声。

脳裏に返る自身の滑稽な想像。もとい妄想。

がくりと、アリエスはその場にくずおれた。


───神に仕える修道士である私としたことが!よりによって教会我らが主の目の前で私はなんて低俗な想像を───!!!!



アリエスは清浄潔白な修道女シスターである。

……はずだ。

齢二十のその生涯を神道にのみ注ぎ続けてきたツケだというのか、隙あらば彼女の脳裏に芽生えるその少々過激な妄想癖こそが、彼女の唯一の悪癖であった。


***


「おにいちゃん、つぎはご本よんで……?」


カイナの腕に抱えられているミーシャが静かな声色で言う。彼女は外遊びも嫌いではないが、読書が好きなのか、孤児院に来た当初から静かに本を読んでいることが多かった。


「えー! まだもうちょっとにいちゃんとあそびたい!」


カイナが快く頷く前に、そばに居た少年、ユーティスがごねる。すると、少し困ったような顔をするカイナの手が彼の頭に乗った。


「ユーティス、順番に皆がやりたいことをして遊ぶ約束だろう? 次はミーシャがやりたいことを皆でする番だ。この続きはまた今度にしよう」


優しくなだめると、ユーティスはふてくされたような顔をしながらも、わかったと小さく呟いた。


「ん。いい子だ」


カイナが一度ひとたび頭を撫でてやれば、ふくれっ面で拗ねる子供でも瞬く間に笑顔になるのだから、不思議だ。

子供たちとカイナが笑い合うその光景を、アリエスはまるで暖かい陽だまりの中にいるような心地で微笑みながら眺めていた。


「さあ、では中へ入ろうか。アリエスも」

「はい」


カイナが子供たちを連れて孤児院の中へ入っていき、そのあとを、くしゃくしゃになって潰れてしまっている買い物袋に苦笑いするアリエスが続いて、静かに扉を閉めた。


***


「『───そして、森の中で一人ぼっちになってしまったリリアは心細くなり、ぽろぽろと涙を流しながら、とうとうその場に座りこんでしまいました。すると、森の奥から妖精が現れ、リリアを励まします。

もう大丈夫だから、どうか泣かないで。私のあとについてきてください。』」


あたたかい日差しが差し込む十畳前後ほどの静かなリビングルームに、絵本を朗読するカイナの声が響く。

子供たちはカイナの周りに腰を下ろし、誰もが黙って彼の朗読に耳を傾けていた。

胡座あぐらを組んで座っている彼の脚の間に座って一緒に絵本を読んでいる栗色の髪に紫色の瞳の少女がミーシャ。まだ五歳の彼女は父が既に亡くなっており、母も病に倒れ、間もなく息を引き取ってしまい孤児院に預けられた。本が好きなとてもおとなしい少女だ。

カイナの右脇でうつ伏せに寝転がり、立てた肘に顔を乗せてニコニコと楽しそうに朗読を聞いているのが金色の髪に青緑色の瞳の少年がユーティスという遊び盛りの七歳の少年である。森の中をボロボロの身なりで一人でいたところを保護された。

その反対側、カイナの左脇で彼の腕にくっつきながら絵本を覗き込んでいる少年がアルドいい、水色の髪に金色の瞳をした、少し臆病だが動物が好きな四歳の男の子だ。隣に座って目を閉じ、朗読に聞き入っているカーマインの髪に緑の瞳を持った九歳の年長の少女、ファルと姉弟で、事故により両親とも他界。身よりもなかったため、話を聞いたアリエスが引き取る旨を申し出た。

まだ幼いというのに、どの子も辛い思いをしたせいでここに来たばかりの頃は寂しそうな表情ばかりしていたものだが、アリエスの努力の甲斐あってか、それとも様子を見に来ては遊んでくれるカイナのおかげか、誰もが今ではすっかり楽しそうな、子供らしい生き生きとした表情を絶やさぬようになった。

その笑顔を見るたびに心が安らぐその心境は、きっと子を優しく見守る母親と同じものなのだろう。悪いことをすれば厳しく叱りつけ、良いことをすれば頭を撫でてたくさん褒め、大切なことをたくさん教えてくれたかつての自身の母のように。

このまま子供たちと一緒に彼の優しい声を聞いていたいが、そうもいかない。アリエスは自身を奮い立たせると、洗濯に取り掛かろうと静かにリビングを後にした。

彼が子供が好きだということを知ったのは、彼と知り合うと同時にだった。

カイナと初めて出会ったのは四年ほど前。少し体が大きくなったユーティスに合う服が無く、新しい服を買い与えようと、ユーティスを連れて村へ買い物に出たときのことだった。

出かける前に、くれぐれもはぐれないように、勝手に歩き回らないようにと釘を刺しておいたのに、少し目を離した隙に彼を見失ってしまったのだ。村は街ほどの大きさではないものの、それでももちろん、アリエスは慌ててユーティスを探した。

今頃寂しがっているかもしれない。心細くて泣いているかもしれない。あの子を見失ってしまったのはあの子のせいだけではない。自分がついていながらなんたる失態だ。そう思いながら必死に村中を探し回っていたさなかに、知らない青年と一緒にいるユーティスを見つけたのだ。

聞けばおいしそうな香りを漂わせるパン屋に気を取られている間にアリエスとはぐれ、案の定泣いていたところにカイナというこの青年が現れ、保護者と会えるまでユーティスに付いてくれていたのだという。

初めて出会ってから本当に短い間だったというのに、そのときにはユーティスは既にすっかりカイナに懐いていて、──見たことのないぐらいの美形だったためにアリエス自身もうっかりトキめいてしまったというのはさておき──お礼も兼ねて孤児院に招待してみれば、紳士然とした落ち着いた物腰と面倒見の良さから子供受けもいい彼は瞬く間に子供たちの人気者になったのだった。

それからというもの、子供たちの希望と彼自身の希望から、彼はたびたびこの孤児院に訪れては日が暮れるか子供たちが飽きるまでその遊び相手を務めてくれている。

炊事や洗濯などの家事に修道女シスターとしての職務など、こなさなくてはならない仕事が山積みであったアリエスには大変ありがたいことだった。

洗濯物を持って、孤児院の裏の洗濯場に回る。衣服とタオルを合わせて大きめの木籠にぴったり収まるぐらいが、アリエスと子供たちの昨日の一日分の洗濯物である。袖をまくり、淡いブロンドの髪に頭巾をまいたら、井戸から水を汲んで、それらを一枚ずつ丁寧に、手早く揉んで擦り合わせて洗っていく。

終わったらバサッと強くはためかせてシワを伸ばしながら物干し竿にかけて干していく。

どんなに頑張ってもここまでで一時間と少しかかってしまう上、一人でこなすとなると華奢な体つきであるアリエスにはなかなか重労働だ。

言い知れぬ達成感と少しの疲労にふぅ、と一息つき、右手の甲でかいてもいない額の汗をぐいっと拭うと、アリエスは頭巾を取り去り、芝生の上に腰を下ろした。村よりも高い位置に建っているこの教会は神が人を見守るように、村やそこに暮らす人々を眼下に見下ろすことが出来る。

心地よい風が頬を撫で、草木の揺れる音に混じって小鳥たちの囀りが耳をくすぐって、形も大きさもまばらな雲が気ままに澄んだ青空を泳いでいく。

平凡で穏やかで、かけがえのない静かな時間が流れていく。

ふと、視界の端を鮮やかな黄色が掠め、アリエスは顔を向けた。それはたんぽぽの花だった。春を告げる、可憐で、けれどたくましい小さな花。

花言葉は《真心の愛》。それから、しばしば恋占いにも用いられることから《愛の信託》という花言葉もあるのだそうだ。

もっとも、恋占いには綿毛の方を使うのだが……。

そこまで考えて、アリエスは逃げるようにたんぽぽから目を逸らす。

が、


「あ……」


こういうときに限って、目敏く見つけてしまった。

風に揺れる、綿毛のたんぽぽを。

まるで早く取れと急かすように、不意に強い風がアリエスの背中にのしかかる。


「…………っ、」


脳裏をよぎる。彼が、カイナがこちらを向いて優しく微笑みかける。

どうして胸が痛むのか。どうして息もできぬほど胸が締めつけられるように苦しいのか。その答えを、アリエスは既に知っている。速くなる鼓動が、なにを叫んでいるのかを。


───で、でも私は修道女シスターだもの……。男性とお付き合いだなんてそんな破廉恥なこと……。


しかし母は昔、自分にこうも言っていた。貴方が我らが主以外に本当に身も心も捧げてもいいと思えるような大切な人ができたなら、その人を信じて、その人の隣を歩いていきなさい。貴方が心から愛する人なのであれば、神様も私たちも、止めたりなどしないわ。私もまたそうして貴方を生んだのだから、と。


───心から、愛する人……。


左右の肩口からそれぞれ前に流している、くせ毛なのか毛先に向かうにつれて緩くロールしている淡いブロンドの髪に指を通し、毛先をいじる。


『アリエス、私は……、キミを愛している。キミが修道女シスターであることは分かっている。だがそれでも私は、キミが欲しい……』

『カイナ、さん……』


ぎゅう、と強く抱きしめられて、彼らしくない、縋るようなか細い声が囁く。アリエスは驚いて、それから嬉しさが胸を満たして、出てこない言葉の代わりにゆっくりと大きな背中に腕を回す。

すると、不意に体が後ろへ傾いていく。


『きゃっ!?』


アリエスの小さな悲鳴と一緒に軋んだのはベッドのスプリングだ。背中は柔らかいシーツに受け止められて事無きを得たが、代わりに、自身に覆い被さるカイナの姿が視界に映る。


『アリエス……、キミの全てを、私にくれないか……?』


拒まれることに怯える切ない目に心を射抜かれる。

甘くとろけるような声と言葉に早くも脳は酔いしれ、もう限界だと理性が思考を手放した。

そしてアリエスもまた求めるように彼の首に腕を回し、彼を受け入れる。

すると、大きくて温かい手が裾から潜り込んできて、タイツの上からいやらしく太ももをなぞる。


『んっ、や、やぁ……!』


アリエスが小さく声を上げて肩を揺らし、身をよじると、カイナは愉快そうに妖しく笑って紅の目を細める。さきほどまでの弱気なそれとは打って変わって、その目は欲望に燃える狼の瞳に変わり果てていた───。


───ってちょっと待ってお願いだから止まって私の思考───!!!!


急ブレーキ。

我ながら行き過ぎた妄想に慌てて歯止めをかけ、八つ当たりのようにべしんべしんと芝生を叩き、文字通り頭を抱える。これではただの痴女だ。

ひいひいと息も絶え絶えになるアリエスの顔は言わずもがな真っ赤で、ぷしゅーと湯気でも出そうな勢いである。

しばらくその場で身悶えてから冷静さを取り戻すと、アリエスはそっと綿毛のたんぽぽに触れ、茎の中ほどで摘み取った。

綿毛のたんぽぽを使った恋占いのやり方はいたってシンプルだ。息を吹いて、一息で全て飛ばすことができれば両思い、半分ほど残れば脈はある、たくさん残るとこちらにまったく無関心、という三つの結果がある。

綿毛を顔の前へかざして、息を吹いた。


「……あ、あれ?」


どうしたことだろうか。息の吹き方が悪かったのか、吹いた息が思いのほか弱かったのか、吹いた息に手を引かれて飛んでいったのは、全体のほんの少しの量の綿毛だった。

目の前には、まだたくさんの綿毛が留まったままアリエスを見返している。ともかくとして、結果は惨敗。肩を落とし思わず今度はため息をつく彼女に追い打ちをかけるように、脳裏に三つ目のたんぽぽの花言葉が浮かぶ。


「神の、お告げ……」


つまりは、そういうことだというのか!

四つん這いになり、打ちひしがれた。


「……アリエス?」

「うひぁいっ!!?」


戸惑いがちに名を呼ばれ、不意打ちをくらったアリエスは返事を噛んだうえに声が裏返っている。振り返ると、カイナがきょとんとした表情をしてすぐ後ろに立っていた。


「どうした? 何かあったのか?」


首を傾げる彼に、アリエスは顔を青くする。まさか、見られていたのか……。いや、はたから見ればただ単に綿毛を吹いて遊んでいたようにしか見えないはず……!


「か、かかかカイナさん、いつからそこに……?」


冷静を装いたかったのに、言葉が詰まって吃ってしまった。


「たった今だ。子供たちに絵本を何冊か読んでいたのだが、皆遊び疲れたのか気がついたら寝てしまっていてな。今しがた子供たちを寝室に運んできたところだ」

「えっ!? あ、ありがとうございます!すいませんわざわざ……!」


アリエスは慌てて立ち上がり頭を下げた。

いかに彼が好き好んで子供たちの相手をしてくれているといっても、元々は彼は孤児院とも教会とも関係が無い。だというのにご丁寧に子供たちを寝室まで運んでくれるとは。いや、誠実で心優しい彼なら不思議ではないが。

ちょっと洗濯をして、また性懲りもなくうごめく悪癖に悶えている間にそんなことになっていたとは。


「ん? ああ、たんぽぽか」


アリエスの手に握られている綿毛のたんぽぽにカイナが気づいた。

どき、と肩を揺らしたアリエスが言葉を発する前に、カイナは彼女の横を通り過ぎ、ちょうどさきほどアリエスが座り込んだ場所の隣辺りに腰を下ろした。


「たんぽぽの花言葉は確か……、神のお告げ、真心の愛、それから愛の信託だったな」


手近に生えていた黄色の花を咲かせているたんぽぽに目を向け、微笑む。

彼が座り込んだのであればこのまま一人立ちつくしているのもなんなので、アリエスも彼の隣に再び座り込んだ。


「たんぽぽの花は、なんだかアリエスに似ているな」

「え? どうしてですか?」


いったいこの花と自分のような人間と、どこが似ているというのだろう。

くすくすと笑う彼の顔を覗き込むと、彼はアリエスを見返して笑ったまま、


「キミが子供たちに向ける愛情は、まさしく真心の愛だ。それに神のお告げを授かるのは修道士の役目でもある。そしてなにより、アリエスもこの花も、小さくも可憐で、とてもかわいらしい」


じわじわと、顔に熱が集中する。

今まで一度も言われたことのない歯の浮くようなセリフに固まっていると、カイナはたんぽぽの花を手折り、アリエスのブロンドの髪に差し入れた。


「とても似合っている」


満足したようにそう笑うカイナ。

対しアリエスはついに彼の顔が見れなくなり、火照る顔を伏せる。


「あ、ありがとうございます……」


振り絞るように転がり出た言葉はあまりにも小さくて、けれど彼に届いたかどうかを気にしている余裕はどこにもなかった。


───貴方に羞恥心はないのですか!? はっ!

まさかこれもタチの悪い私の妄想では……!? というかタチが悪いのはカイナさんの方でしょう!!?


「さて、子供たちも眠ってしまったし、邪魔にならないうちに、私はお暇するとしよう。洗濯物を手伝えれば一番よかったのだが、すまなかったな」

「え、あ……!?」


腰を上げ、アリエスの後ろを通り過ぎて歩いていく。顔を覆って悶えていたせいで気づくのが遅れ、引き止めるタイミングを失ったアリエスは飛び上がるように立ち上がった。

遠ざかっていく大きな背中に、なんと言葉を投げたものか。あたふたしながらも口を開いた。


「カイナさん!」


足を止め、振り向く。


「えと、……また来てくださいね!こっ!子供たちが待ってますから!」


言い訳がましく付け加えると、彼はその意図に気づくことも無く嬉しそうに笑って応えた。


「ああ。また顔を出させてもらうとしよう」

「はい! お待ちしています!」


本当の気持ちは理由に隠して、アリエスは笑った。

今はまだ、このままでいい。子供たちが理由であっても、貴方のそばにいられるなら。

軽く右手を振って、カイナはこちらに背を向けて再び歩き出す。


「カイナさん、貴方を好きでいても、いいですか……?」


高鳴る胸を押さえて、彼が差してくれたたんぽぽの花に触れ、その背中にそっと呟いた。

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