第3話
一週間後、リヒトは黄昏村に引っ越した。
アルヴェアーレの女将は、名残り惜しそうにしつつ、いつでも店に来てほしいと言ってくれたので、月に一度のメンテナンスの際は必ず寄ると約束した。
村長が貸してくれる使用人の部屋には、ひととおり家具が揃っていたので、街で借りていた部屋にあったものは、ほとんど売り払った。持ってきたものは、身の回りの品と賞金稼ぎで使っていた武器類、それから家族写真くらいだ。
初日は、朝から夕方まで雑草を抜くだけで終わった。
村長は、リヒトが文字通り朝から夕方まで仕事をしていることを気にかけ、時々は休憩を入れるようにと言ってくれた。
「体に負担がかからないようにしてくださいね。仕事は細く長く続けられるように自己管理してください。そうそう、作業着もいいですが、もう少しちゃんとした服装のほうが似合いそうですね。あなたと、この庭に合うようにデザインしてもらわなければ」
なぜか彼女は嬉しそうに言う。彼女には子供がいないらしい。機械人形であるリヒトの外見は二十歳くらいで設定されているので、もし息子がいたとしたら、こんな感じだと思うのだろうか。
「リヒトさんの腕や目は、もう治せないのですか?」
「いえ。かなりお金がかかるので。不便はありますが、この仕事ならこのままで構いません」
「そうですか……目は眼鏡を掛けたらなんとかなったりしません?」
「人間の近視とは違いますよ。目を細めるのは、光が入りすぎて視界がぼやけるのを防ぐためで、理屈は同じですが」
「それなら、色入りの眼鏡がありますよ。金物屋に作らせましょう」
また、なぜか嬉しそうだ。断ろうとしたが、彼女は「絶対に似合うからかけてほしい」と言って話を聞いてくれなかった。
まだ彼女の性格を掴みきれていないリヒトだったが、初めに受けた印象とは違って、どこか少女っぽい人だと思った。
翌日からは雑草を抜きつつ、休憩がてら、庭にある花木の種類を覚えていった。書斎にある図鑑や育て方の本を自由に読んでいいと言われたので、単純作業に飽きたら書斎に入り、ひたすらノートに記録していった。
村長とメイドのカリンも、仕事の合間を縫って様子を見にきては、手入れの仕方を教えてくれた。
庭には多種多様な花が植えられているが、村長は特に薔薇の花が好きだと言った。庭には、蕾をつけているものもある。
「もうすぐ薔薇の季節です。最近は手入れがちゃんと出来ていなくて。来年に期待しますね」
「虫害が多いんですか?」
「それもありますが、日当たりが悪いと病気になりやすいんです。剪定もきちんとしたほうが綺麗に咲きます」
それから薔薇について色々と調べてみたところ、まず日当たりと風通しを良くしたほうがいいと分かった。他の花木を植え替えたり、場合によっては抜いてもよいかと村長に確認すると、柵で囲われた場所には入らないでほしいが、他は相談と報告さえしてくれれば任せると言われた。あの一角は村長が管理しているらしい。車椅子では難しいのではと思ったが、彼女は全く歩けないわけではないと言った。
「あそこには、夫の墓がありますので」
そう言った時の横顔は、表情らしい表情が浮かんでいないのに悲しげで、一層美しく見えてしまったのだった。
ほどなくして薔薇が咲く時期になり、休日の朝に花が咲いたものを切って花瓶に活けると、村長は自室に飾ると言って喜んでくれた。
そして、新しい作業着と眼鏡が出来たから着用してみてほしいと言われた。帽子からブーツまでデザインに統一感があって、質がよく実用性も兼ね備えている。クラシックな、お屋敷の庭師らしい格好だ。
「とてもよく似合っていますわ」
うっとりした表情で村長が言うので、リヒトは照れくさくなって目を逸らした。
休日は大抵、自室で本を読むか村を散策している。庭の手入れはしなくて良いと言われているが、朝夕の水やりやチェックだけはしている。今日は天候も良いし、せっかく新しい服を貰ったので、もう少し庭の様子を見に行こうと思い立った。
「私も一緒に行っても構いませんか?」
テラスから出ようとすると村長に声を掛けられたので、リヒトは頷いた。車椅子を押すと申し出ると、お言葉に甘えてと彼女が微笑むので、また照れくさくなった。
小道に沿って時々止まりながら庭を眺めつつ、村長は、一ヶ月働いてみてどうか、仕事は気に入ってくれたかとリヒトに尋ねた。
「自分には合っているようです」
「良かったわ。すごく熱心にやってくださっているけど、リヒトさん、あまり笑わないから、どうかしらと思って」
返答に困り、リヒトは瞬きを繰り返した。
「楽しいですよ」
「そうですか、良かった」
村長は、近くにあった薔薇の花に顔を近づけた。微かに甘い香りが漂ってくる。リヒトは少し逡巡してから口を開いた。
「俺……あ、私は、よく誤解されるんです。本当は人と関わりたくても、表情も言葉もうまく表現できなくて」
機械人形だからだと言ってしまえば、それまでだ。他の人形に相談しても、首を傾げられてしまうだろう。我々は人間ではないのだから、同じになる必要などないと。両親からは人間として振る舞うよう求められてきたせいで、そうする必要がなくなっても、変えることができずにいた。自分は人形だと認めて諦めてしまえば、楽になれるというのに。
村長はリヒトのほうを振り返った。
「普通に話せるようになりたいと思っていらっしゃるんですか?」
「そうですね。最低限」
「最低限は、できていると思いますが。それにあなたは、そんなに人と話したいと思ってなんか、いないでしょう?」
棘のある言い方ではなかったが、意味を測りかねたリヒトは首を傾げた。
「確かに、上手に話せるほうが得です。多くの人と関われますね。でもその分、あなたが付き合いたくない人の数も増えますよ。あなたが、どちらに天秤を傾けるか分かりませんが、この村では関わりたい者同士しか関係を持ちません。私もそう。それでいいんですよ」
リヒトは黙り込んだ。それが理由で、ここに来たのだった。
「たぶん俺……私は、期待に応えられないのが嫌なんだと思います。楽しい気分になってもらえないから人が去っていく。自分に価値がないと思うんです」
「こんなことを聞くと失礼かもしれませんが、性格は変えられるのですか?」
「それは勿論可能ですが、そうすると今までの記憶も一部失われるかもしれません」
「それなら、やめておきましょう。無理に人に合わせる必要なんかありません」
そうですねと答えて、なぜ自分の心には空洞があるのだろうとリヒトは考えた。心なんて無いはずだけれども、家族がいても職場があっても、いつも何かが足りない気がする。
「リヒトさんは、寂しいですか?」
その表情には見覚えがあった。面接の日に、夕食に誘ってくれたときと同じだ。
「寂しいんでしょうか、俺は」
「きっと、そうですよ。それなら私と同じですね。でも、私はリヒトさんが来てくださって、前ほどは寂しくないですよ。リヒトさんは、私が友人では不十分ですか?」
「すみません、そんなつもりじゃなくて」
慌てて言い繕うと、村長は笑い出した。
「ちょっと言い過ぎてしまいましたね。卑屈なことを言うと、私は若いお友達ではないから、あなたにとってはつまらないだろうと思っていました。カリンはいい子ですから、時間をかけて仲良くなってくれると嬉しいわ」
「つまらないなんて、思ってません。無理に話さなくてもいいし、一緒にいると心地いいです」
正直な気持ちを言ったつもりだったが、村長は長い睫毛を数回上下させてから、黙ってリヒトの目をじっと見つめた。
「何か変なことを言ってしまいましたか?」
「いいえ。あなたは、そのままがいいと思いますよ。それから、自分のことは『俺』でいいんですよ」
彼女は、くすくす笑うと車椅子の車輪を回して先に行ってしまった。
「お墓のほうに行きます。ありがとう」
リヒトは彼女の後ろ姿を目で追いつつ、なぜ彼女が笑っていたのか考えてみたが、結局答えは出なかった。
薔薇の花が落ちたあとは、しばらく雨の日が続いた。
あまり長時間雨に当たり続けると金属部品の多い身体に障るので、雨の強い日にはカリンの仕事を手伝った。
彼女は村長以外の人間とは必要最低限しか話さない。ひどい時は、夕食時以外に声を発したのが一回という日もあった。
代わりに表情は豊かだ。よく観察していると、素直で優しい人だとわかる。だんだん意思疎通を図ることができるようになってくると、会話がなくても居心地の悪さを感じなくなってきた。
カリンの手伝いも不要なときは、村長の雑務を手伝った。
彼女は一緒にいても疲れないし、彼女もカリン同様、話さなくても気まずい思いをせずに済む。決して感情の波を見せない穏やかな人だが、ずっと執務室にいると、意外と抜けたところがあることを発見した。
書類の間違いを見つけて報告すると、村長は申し訳なさそうにしつつ、毎回褒めてくれる。
覚えるのが早い、手先が器用、真面目等々、リヒトは褒められ慣れていないので、どう反応していいか分からず、ついに言ってしまった。
「そんなに褒めないでください」
「どうして? 本音です。お世辞じゃありません」
「俺は人間ではないから、これは普通です」
「それは関係ないわ。私に出来ないことがたくさん出来るんだもの」
「じゃあ、これからは褒めずに心の中にしまっておいてください。誰も聞いていなくても恥ずかしいんです」
顔を隠しつつ言うと、村長は笑い出した。
「あら、恥ずかしがってる顔もかわいらしくていいのに」
「リーフィアさん、わざとからかってるんですか?」
「いいえ?」
村長は机に頬杖をついて、満足そうな笑みを浮かべた。
その顔を見て、なぜかリヒトは落ち着かない気分になった。彼女の、ゆるい弧を描いた唇には薄い色の口紅が塗られている。そのことが気になった。女性が化粧しているのは普通のことだ、だから本当に気になるのは、そこじゃない。
自分が本物の人間だったら良かったのに。
だったら、何だ?
リヒトは書類に目を落とした。その後も一日中、村長の微笑みと唇のことばかりを思い出してしまった。寝て起きれば、そんな不具合なんて治るだろうと思っていたけれども、その日から少しずつ、似たような違和感を覚えることが増えていった。しかも、なぜか活動に必要なエネルギーが一時的に増え、身体の中心部にある魔法石に負荷がかかって熱を持ってしまうのだった。
雨の日々が終わって普通の仕事ができるようになれば、余計な考えも吹き飛ぶだろうと考えたが、甘かった。
今年は例年よりも雨の期間が長いらしく、一ヶ月以上も続いたのだった。
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