第2話

 一週間後、二人の娘と共に馬車に揺られて二時間ほどで、黄昏村にたどり着いた。

 話すのは得意でないと断っておいたからか、道中、二人の少女はこちらに話しかけてくることもなく、リヒトは本を読むか車外の景色を眺めるかして時間をつぶした。山間の道は薄暗く、闇に支配される時間帯は獣や魔物が出て危険だろう。一応、普段使っている剣は持参していたが、使わずに済んだ。

 二人は村長宅まで案内してくれた。

 畑や放牧場が一面に広がる、のどかな村だった。家は、数軒集まって並んでいるところもあれば、農地の間にぽつぽつと離れて建っているところもある。山の稜線に沈んでいく太陽の赤い光で彩られた村は、絵画の中の世界のようだった。

 村長宅は、畑の間の道を抜け、緩く傾斜した坂道を登った先にあった。腰までの高さの年季が入った石組みの垣根で囲われた家は、かつてリヒトが住んでいた家よりも大きかった。

 リヒトは、祖父の代に貴族税が払えなくなって平民落ちした一族の生まれだ。家はそれなりの構えだったが、もしかすると、この家にも同じ境遇の人間が住んでいるのかもしれない。

 庭師も募集しているという割に、家の正面の庭には煉瓦が敷き詰められていた。おそらく、家の裏側に広い庭があるのだろう。 

 門が内側に開いていたので、入って良いということらしい。少女たちに礼を言って別れ、ドアをノックした。

 ほどなく現れた背の高いメイドに用件を伝えると、彼女は一礼してから無言で二階への階段を登りはじめた。あとをついて来いということらしい。

 家の外観は古そうだったが、内装は過剰な装飾がなく洗練されていた。清掃も行き届いている。

 執務室と書かれたプレートがついている部屋に通されると、女将から聞かされていた通り、女性の村長が出迎えてくれた。

 リーフィア・カウリショーと名乗った村長は、車椅子に乗っている、うっすらと金色が混じった白髪の、線の細い小柄な女性だった。背筋は伸びていて、目鼻立ちがすっと通っている。年齢は分からないが、少なくともリヒトより十以上は上ではないかと思われた。もう少し若い頃は儚げな美人として名を馳せたであろう。

 酒場で聞いた噂から、一体どんな女傑かと思っていたが、品の良い金持ちという印象を受けた。人嫌いには見えないが、応対の態度は役所的と言えるかもしれない。

 彼女は一通りの質問を済ませると、事務的な話はこれで終わりだと言って姿勢を崩した。

「ここまでお話したあとで申し訳ないのですが、実は門番には先に応募があって、その方で良いと思っているのです。もしも興味がおありなら、この家の庭のお手入れをする庭師をしてくださらないかしら。それなら敷地にお部屋もご用意できるのですけれど」

「ええと、草花の手入れは、全く知識がないのですが」

「それは全然構わないんですよ、ひとつひとつ覚えてくだされば。ここは広いですし、年中いろいろな花木が咲いて枯れて、なかなかの体力仕事です。門番ほど人と話す必要はないですし、あなたは真面目そうな方ですから、仕事が沢山あって忙しいほうがお好きではないですか?」

 淡い緑色の目は、リヒトの目を真っ直ぐ見つめていた。右目と左腕のことは伝えておいたが、そのせいで門番より庭師が向いていると言われているわけではないようだ。

「考えてみます」

 村の外観や家の雰囲気はひと目見て気に入ったが、庭師は畑が違いすぎる。

「良かったら庭を歩いてみてください」

「勝手に歩いていいんですか?」

「今日はこちらで泊まっていただきますし、あなたが妙なことをする方でないと、調べて分かっていますから」

 彼女は穏やかな微笑みを浮かべていたが、その瞳の奥に潜んでいる何かが、侮れない人だと告げてくる。賞金稼ぎの癖で、怖気づいた素振りは見せないようにしつつ、勧められた中庭に一人で向かった。

 村長はリヒトの過去のことを調べて分かっていると言うが、一体どこまで知られているのだろうか。賞金稼ぎの仕事をしていて、後ろめたいことが一つもない者はいない。もし彼女が、何もかもを知った上でここで働くことを許すというのなら、変わり者だ。何より、リヒトが抱える身体上の問題――目や腕以外にも大きな問題がある――については一言も触れなかったのが不思議でならなかった。

 さすがに、あの距離で話していて気付かないということはあるまい。先に言っておかなかったことを後悔し、重い気分になった。


 村長から聞いた通りに一階のテラスから外に出ると、一軒家がもう一つ建てられそうなくらいの広さの中庭が広がっていた。

 傾いた日の光を通さないほどに重なった、様々な木々の葉が、まだ少し肌寒い風に揺られている。日に焼けて色褪せたレンガで花壇が作られており、車椅子でもゆったり通れそうな小道になっている。小道の先は生い茂った木々に隠れて見えないが、まだまだ先があるなら、手入れには相当の手間がかかるだろう。珍しそうな花が咲いている花壇の中にも、あちこち雑草が伸びていた。その中を蜂や蝶などが飛び交っており、木々の間からは、まだ鳥の声も聞こえる。

 小道に沿って歩いていくと、蔦が絡まった背丈ほどの高さの柵が現れた。柵の隙間から窺い見ると、ぽつんと一つ、墓石が見えた。その周りだけは手入れがきちんとされており、まだ新しそうな花束が供えられているのが見えた。村長の親族の墓かもしれない。

 周囲をぐるりと歩いてみて、ここでの仕事なら、人と話す必要がないのは大きな魅力だとリヒトは考えた。それから、自己裁量で仕事を進められることも。

 しかし、いつまで雇ってもらえるかが問題だ。それと、身体上の問題のことも確認しなければ。

 家のほうに戻ると、村長がテラスに出て、こちらを見ていた。

「見てくださってお分かりになったと思いますが、雑草が伸び放題ですの。お恥ずかしいです。でも、最初は草抜きをしてもらうだけで十分。手入れは少しずつ覚えていただければいいの。いま決心がつかなければ、少し考えてくださって構いません」

「そうですね、お仕事のお返事は明日にさせていただきます。ですが、その、本当に泊めていただいていいんですか」

「お客様のおもてなしは好きなので、どうかご遠慮なく。代わりに、私のつまらない話を聞いてくださると嬉しいですわ。なにせ、この家には私とメイド一人しかおりませんから」

「すみません、先にお伝えしたとおり、食事は大丈夫ですので」

「ええ、それは伺っています。ですから食後のお茶の時間だけでも」

 少し寂しそうな口調が気になった。この人は、なぜ一風変わった村の長を務めているのか。簡単に聞いてよい話ではなさそうだが、純粋に知りたいという興味が湧いた。

 そういえば、亡くなった祖母と彼女は、どことなく雰囲気が似ているかもしれない。儚さと芯の強さを持ち合わせていて、優しかった祖母。仕事のせいで彼女の死に目にあえなかったことを、ずっと後悔している。

「私のほうからも、伝えないといけないことがあります。お茶だけいただきます」

 リヒトが頭を下げると、村長は両手を合わせて微笑んだ。


 お茶の時間までは客室で時間を過ごすことにした。

 窓は庭に面しており、夕陽で黄昏色に染まり、薄青から濃紺、漆黒へと空が色を変えていく様子を見ることができた。開け放した窓から漂ってくる香りで分かったのだが、夕飯には、赤毛の少女が言っていた通り、ポトフが出たようだった。

 一時間ほどしてから、メイドが呼びにやって来た。

 彼女は二十代くらいの大柄な女性で、褐色の肌に髪はワインレッド、目は金色だった。どこか飼い慣らされた野獣を思わせる、しなやかな身のこなしだった。おそらく亜人と人間の混血だろう。最初と同じく、あまり言葉を発さずに食堂まで案内してくれた。愛想はないが、冷たいわけではなさそうだ。

 村長は、ポトフの残りがあるが本当に食べなくて良いのかとリヒトに聞いた。リヒトは、食べられるものなら食べたいのだがと、まずは一番大事な話を先に済ませておくことにした。

 リヒトは人間ではない。人型の自律式機械人形だ。

 機械人形は、魔法と科学技術に優れた隣国で、もとは軍事用として開発されたものだ。平和な今の時代では、家庭用の使用人代わりの機能を供えた比較的安価なものが輸出されるようになった。この国でも富裕層が導入することが増え、街で目にすることも少なくない。外見は、よく近付いて見ないと人間との差は分からないほど精緻だ。稼働に使われているエネルギー源は魔法石で、月に一度のメンテナンス時に交換すればよい。

 人形の人工知能は、生きた人間から集めたデータを元にモデリングされており、雇い主の好みに合わせて性格付けすることができる。リヒトが内向的な性格なのは、貴族崩れのヴィースリ夫妻が、早逝した一人息子をモデルにしてほしいと望んだからだった。そして、本当の子供と同じように扱われ、愛情を注がれた。

 機械人形は、主人なしで活動してはならないと法で定められている。雇い主を失ったら、国か市町村の登録ネットワークに申請して、次の雇い主を探すことになっている。一人で放浪していれば、役所に見つかり次第捕まってしまうのだ。高価な機械人形が勿体ないということもあるが、何より人々が恐れているのは、主を持たない人工知能がメンテナンスされずに放置されたり、悪用されたりして、人に危害を加えることであるらしい。

 リヒトは、そんな機械人形を見たことがない。みな主人のことを思って、自然に任せて朽ちていく。

 今はアルヴェアーレの女将が繋ぎの主人として登録してくれているが、賞金稼ぎを辞めるのなら、次の雇用主には新たな主人となってもらわねばならない。

 リヒトは村長に、面接の時点で伝えておかなかったことを侘び、もし雇ってもらえるなら、自分の所持税と維持費は全て給料から賄うつもりでいるので、名目上の主人になってくれないかと頭を下げた。

 村長は目を丸くしつつ、黙って最後まで話を聞いてくれた。外見も動作も全く人間と遜色ないから、今の今まで気付かなかったという。

 たぶんそれは嘘だろうと、リヒトは思った。親から人間として扱われてきたリヒトは、自分を人間と変わらない存在だと考えている。そのことを察してくれたのかもしれない。

 村長は、機械人形について詳しいことを知らないので一から教えてもらわなければならないが、所持やメンテナンスに金が掛かるのなら経費でまかなうと申し出てくれた。

「あなたは好きでその体に生まれついたわけではないもの。仕事で稼いだお金は、自分のために使えばいいんですよ」

 リヒトが遠慮しようとしても、彼女は頑として受け付けなかった。

 それから村長は、村のことや住人のことを教えてくれたが、リヒトはあまり聞いておらず、代わりに村長のお茶の飲み方をじっと見ていた。

 どんな人かを判断する時に、飲食時の様子を気にするといいと叔父が言っていたからだ。家柄がわかると言いたかったのだろうが、村長は作法が申し分ないだけでなく、とても美味しそうに茶を飲む人だと、リヒトは思った。使用人であるメイドまで同席させているところは変わっているが、とっつきにくそうに見えるメイドも、ただ口下手なだけらしく、会話に時々加わってくれた。おかげで気まずい思いをせずに済んだ。

 この落ち着いた環境なら、やっていけるかもしれない。幼少時代に戻ったかのような、久しぶりに味わう安心感だった。

 その日は、慣れない床でも普段より良く眠ることができた。機械の体なので人間ほど長時間の睡眠は必要ないのだが、普段と違うことをすると、やはり負担がかかるものだ。

 目を閉じると、あっという間に眠りに落ちてしまった。


 翌朝、起きてすぐにカーテンを開けて窓の外を見ると、早朝から花を摘みに行っている村長の姿が見えた。窓を開け放すと、綺麗な空気が室内に入り込み、小鳥の囀りが聞こえてくる。

 こちらに気づいた村長が声を張り上げ、よく眠れたかと尋ねた。

 リヒトが頷くと、彼女は嬉しそうに微笑んだ。

 階下に降りると、香ばしいパンの香りが漂ってくる。村長は、朝食は庭に面したテラスで摂ると教えてくれた。

「天気と気候がよい時期は、ここで食べているんですよ」

「目覚めが良くなりそうですね」

 リヒトの席には、水の入ったコップを置いてくれていた。飲んでみると、街のものとは違って雑味がない気がした。

 リヒトは、昨日に尋ねそびれた質問をした。

「失礼かもしれませんが、村長が退職されたあとは、どうなるのでしょう。次の方がここに住まれるんですか?」

 村長は、顔色を変えずに紅茶を一口飲んでから答えた。

「私には後継ぎがおりませんから、村長は、いずれ他の方に継いでいただきます。でも、ここは私の家ですから、あなたさえ良ければ働き続けてください。私がいなくなったあとのことは……この家を譲る方が決まったら、お話ししてみますわ」

「いえ、そんな先のことまでは構いません。私のほうが先立つ可能性だってあります」

 村長は、ほんの一瞬、表情を固くした。

「いいえ、それはダメですよ。そうならないように、あなたのお医者様にきちんと定期検診していただきます。その費用もこちらで持ちます。この村からは遠いのですか?」

 酒場のある街のはずれに技師がいると伝えると、それなら安心だと彼女は言った。

 朝食後、リヒトはここで働かせてほしいと伝えた。村長は、顔を綻ばせた。

「主人だとか雇用主とか、考えなくていいんですよ。これからは家族です。私のことはリーフィアと呼んでくださいね」

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