百年の庭

すえもり

第1話

 今日は、主人の部屋の花瓶にどの花を活けようか。

 新緑の季節、庭にはありとあらゆる色の花が咲いている。選び放題だ。

 どの花の花弁も、普段より一層艶やかに見えるのは、昨晩の雨粒が残っているからだ。

 昨日、主人は気心の知れた友人と茶会をしていた。だから、雨の日でも気分が晴れるように華やかな色のものを選んだ。

 今日は来訪者がない。ひとり執務室に籠る彼女に、優しい色と香りの花を……

「リヒトさん、朝食が出来ましたよ」

 振り返ると、テラスに主人の姿がある。車椅子だというのに、また無理をして。

「いま行きます」

 選んだのは、淡く清潔な香りが特徴の白い薔薇だ。彼女は薔薇の甘い香りが好きだ。きっと喜んでくれるはず。少し垂れ気味の優しい目尻を下げて、柔らかく微笑んでくれる様子が目に浮かんだ。


 まだ世界に妖精や魔物が存在していた時代のこと。

 とある王国の東の辺境の小さな街には、周辺各地から賞金稼ぎが集まってくる酒場『アルヴェアーレ』があった。

 蜂の巣を意味する名の、この小さな街で一番大きな酒場に彼らが出入りするのは、この地域を治める領主が出している、最新の指名手配犯の貼り紙を集めた掲示板があるからだ。

 三十人が座れば店内がいっぱいになるくらいの店内は、昼間から既に多くの客で賑わっている。ガタイのいい男、腕っぷし自慢の男、闇討ちを得意とする女、あらゆる出自の人間が集まる中、隅の席でひとり窓の外を眺める青年がいた。

 リヒト・ヴィースリもまた、掲示板目当ての客の一人だが、街の役所の会計係でもしていそうな風貌――悪く言えば陰気で神経質そうな顔つきをしている。癖のある栗色の髪はきっちり刈り込まれており、背は高いが体格がいいわけではない。目つきは悪く、会話を拒絶するかのように閉じられた唇で薄い茶を静かに啜っていた。

 もっとも、本人に他人を拒絶しようという意図はない。目つきが悪いのは怪我で右目の視力が落ちたせいで、口がへの字なのは親譲り、人と打ち解けられない性格なのは生まれつきのものだった。

 長い冬が終わり、人々が浮かれている季節だというのに、彼が普段より一層陰気な雰囲気を纏っているのは、ここに来る途中ですれ違った占い師と思われる若い男から、不吉なことを言われたからだった。

――君、今の仕事をやめたほうがいい。続けていたら、二、三年のうちに片脚も失うよ。

 ちょうどリヒトは、そろそろ賞金稼ぎの仕事をやめようと思っていたところだった。

 リヒトを導いてくれた叔父は三年前に引退した。今は一人でやっている。誰かと組めばよいのだが、人と容易に打ち解けられない性格ゆえに難しかった。

 昨年、左腕を賞金首にやられて握力は弱まり、今年に入ってから右目も負傷し視力が極端に落ちた。そのせいで、今は少額の依頼をこなして糊口をしのぐだけで精一杯だ。

 親は既に他界しており、帰る場所はない。引き取ってくれた叔父の家には世話になってばかりだったので、これ以上は頼れない。ずっと、どこか人里離れた場所で静かに、一人で定住したいと思っていた。旅も野営も慣れているから、大抵のことはやっていけるつもりだ。ここから遠くない東の山の麓あたりで何か仕事をやってみようと情報収集を始めたものの、今の自分に山の仕事ができるか、不安もあった。

 真っ昼間から飲んだくれている若い二人組の賞金稼ぎの話し声が、リヒトの意識を呼び戻した。

「俺もそろそろ家庭ってやつを持ちてえな」

「お前みたいなフラフラしてて出自のわかんねえやつは、黄昏村にでも住むしかねえな」

「誰があんな田舎に行くか。亜人やら呪術師やら、はぐれ者が集まってる吹き溜まりだろ? まずマトモな嫁探しが先だ」

「ああ、そうだな」

 リヒトが聞き耳を立てていると、カウンターで暇そうに肘をついている女将と目が合った。あまり気が進まなかったが、もう一杯注文するついでに、先程聞いた村のことを聞いてみる。彼女は陽気でお喋りな人で、リヒトが話しかけられる数少ない人間のひとりだ。

 女将も件の村のことは時々耳にするというが、詳しい情報はわからないようだった。

「噂じゃ、あの村に住むには村長が募集してる職に応募して受からないといけないらしいよ? まあ、あんたは怪我が続いてるから心配だし、それもアリだけどさ」

「その募集、どこに行けば調べられるんだ?」

「週末の市に、村から農産物や薬草を売りに来てる連中がいるらしいから、話を聞けばいいと思うがね。でもアンタ、田舎で一人でなんてやってけるの? そんなに変わり者じゃないと思うけどさ?」

「何言ってるんだ。変わり者でしかないだろ」

「うーん、私はそう思わないけどね」

 リヒトは苦笑いした。そう言ってくれる人間は少ないだろう。いくら普通のふりをしていても、リヒトと普通の人との間には、どうしても超えられない壁があるからだ。


 週末の市場、女将から聞いた情報を元に、『黄昏村』の人間を探した。

 大通りに沿って並ぶ屋台の西の一番端に、それらしき二人組の店を見つけた。仲の良さそうな赤毛と栗色の髪の少女二人が、薬と雑貨とわずかばかりの農作物を売っている。どちらも明るい笑顔で接客しており、他の売り子と、さして変わらない。だが、赤毛の少女のほうは放浪民族の衣装を纏っており、もう一方の少女の瞳は血のように赤かった。街では暮らしづらい異端者なのだろう。

 おそらく、この二人には街で暮らしたくても暮らせない事情があるのだろうとリヒトは考えた。異教徒の薬師は恐れられる。しかし、彼らの医療の知識が優れていることは知られているから、人伝に評判を聞き、藁にもすがる思いで頼る者もいるのだろう。店は繁盛していると言って良さそうだった。

 リヒトは目に効く薬を買うふりをして近づき、村の話をそれとなく聞いてみた。赤毛の少女が、ちょうど今は門番と村長宅の庭師を募集していると教えてくれた。

「うちの村に、どうして興味を?」

 二人の少女は、リヒトをまじまじと見つめた。

「あまり人と関わるのが好きでないから」と言うと、栗色の髪の少女は「村には、そういう人が多いですね」と笑った。

「街に降りてくる私たちのほうが、村では変わり者よね」

と、赤毛の少女が付け足した。

「黙々と仕事して、できるだけ自給自足でやっていくのが好きな人にはいいと思います。もちろん最低限の助け合いはしますが、誰もほかの人のことに口出ししないので」

 門番のほうに興味があると伝え、直接村に行けばよいのかと尋ねると、彼女たちから村長に話を通しておいてくれるという。面接は、おそらく来週の土曜日で、いつも二人が市場から帰るときに一緒に馬車に乗って行くことになっているという。

「日時はそれで構いませんが、場所だけ教えてもらえたら行きますよ」

「場所は公開していないんです。あの辺りは魔物が出ることもありますし、人数は多いほうがいいですよ」

 それならお願いすると伝えると、栗色の髪の少女は紙を差し出し、名前と簡単な来歴を書くようにと言った。リヒトが書いて渡すと、出発は早くとも午後三時の出発になるので、宿泊の用意をしておくようにという。

「村長宅に泊めてもらえるので、美味しいご飯がいただけますよ」

 リヒトは少し考え込んだ。

「ご飯は遠慮しておくと伝えていただけますか。食べられるものが限られていて、手間をおかけするので持参します」

「大丈夫なんですか? じゃあ私が代わりにもらおうかな」

 赤毛の少女が言うと、栗色の髪の少女が嗜める。

「あのねえステラ、そういうのはダメよ」

「だって来客の時はポトフが出るでしょ? シェリルだってルークだって大好物じゃない」

「いつでもお願いすればいいでしょ。すみません、えっと……リヒトさん。では来週、お待ちしていますね」

 シェリルと呼ばれた少女は、礼儀正しく頭を下げた。

 思っていたよりも話がすんなりいきそうで、リヒトはほっとして帰路に就いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る