第3話 私は "しもべ" じゃありません!
「レティ、大丈夫かい?歩く速度が速すぎて酔っていない?」
「はい、大丈夫です。お気遣いありがとうございます」
魔王様は、存外気配り上手だった。私と言葉を交わしながら、魔王様は私を懐に入れたまま、ご機嫌な様子で魔王城の中を案内してくれた。
執務室から、貴重な魔導書が置かれている書庫、食堂、客室まで。色々な場所に連れて行ってくれる。
城内の貴重な情報を目の当たりにするうちに、自分が魔王様の懐に入っていることには、かなり慣れてしまった。慣れって怖い。
慣れてしまえば、温かいし安定感があるしで、とても居心地が良い空間だったのだ、実は。
そして、魔王様と密着していることにも慣れてしまうと、別の疑問が頭をもたげる。
……こんなにあちこち城内を案内して頂いて、大丈夫なのだろうか。敵に塩を送っているようなものでは。
(私、魔王様を倒しに来た、魔王様の『敵』のはずなのだけど……)
ちらりと魔王様を盗み見る。私が入っている場所からだと、魔王様の喉から顎のラインしか見えないけれど。
ちなみに、見えるのは、無駄な肉が付いていないセクシーな喉元。やはり魔王様は、外見のどこを取っても整い過ぎている。
(
自分の手の内を見せても問題無いという余裕の表れか。はたまた、これは何かの罠なのか――。
そんなことを考えていると、魔王様は立ち止まった。目の前には、美しい紋様が入った群青の硝子扉があった。
「ここが最後の場所だ。気に入ってもらえると良いけど」
そう言った魔王様は、扉を開け放った。
「わあ……っ!」
目の前にあったのは、色とりどりの花が咲き誇る庭園。淡い色の花びらや雪のように小さな綿毛がふわふわと舞い、太陽の光が柔らかく差し込んでいる天国のような空間。
ここが魔王城の敷地内だと言っても、人間は誰も信用しないだろう。それくらい、華やかで優しくて、夢のような世界だった。
思わず、胸の前で手を合わせて目を輝かせていると、
「喜んでくれているみたいだね、良かった」
と、魔王様の声が聞こえた。
「とても素敵です!こんなに綺麗な場所は初めて見ました」
そう言って魔王様の方を見上げると、私の方を向いて微笑んだ魔王様の顔が視界いっぱいに見えた。
「ふふ、お褒めの言葉をどうもありがとう。庭もきっと喜んでいるよ」
目を細め、とても嬉しそうな顔で笑みを見せる魔王様。
優しい表情、優しさが溢れ出たような庭。そこには、邪悪さなど一切感じられなかった。
「君、お菓子は好き?」
しばらく庭を堪能すると、魔王様からこんな質問をされた。
「はい!甘いお菓子は心に幸せを運んでくれるので」
(そう言えば、この旅に出てからは、全く食べられていないな)
ピクニックの持ち物には、お菓子は必須でも、厳しい旅に、嗜好品であるお菓子は不要。
そんなわけで、最後にお菓子を食べたのは遠い昔のことのようだ。あの可愛くて甘い、魅惑の品々が恋しい。
「じゃあ、君の心に幸せをお届けしようか。……ちょっとここで待っていてくれる?」
「……!はい!分かりました」
魔王様の言葉の意味を理解して、私の顔は喜びで綻んだ。
「お菓子に釣られてニコニコ笑ってる…………可愛い……」
また魔王様に笑われていることも、今の私には気にならない。我ながら、非常に現金な奴である。
(でも、前から私、こんなのだったかしら)
三頭身の小さなぬいぐるみ化したことで、何だか言動まで幼くなっているような気もするのだけど……。
そう思いながらも、結局私は内なる欲望には打ち勝てず、魔王様に連れられた庭園内のベンチに大人しく座ったのだった。
数分もしないうちにとんでもない事態になることなど、考えもしないまま。
ちなみに魔王様は、ベンチに私を座らせる前に、どこからともなく取り出したお洒落なハンカチを敷いてくれるという紳士っぷりだった。
++++++
ツンツン、ツンツン。固い物が私の頭に触れる。目の前には、黒々と照り輝く鋭い鉤爪。
(ひぃぃ!か、鴉が……!)
私は、命の危険を感じていた。
ツンツン、ツンツンとなおも鴉は私の頭をつつく。
(た、た、た、食べられる!?)
鴉に死んだふりは効くのだろうか。熊には死んだふりは効かないんだっけ。いや、今、熊は関係ない。
どうしよう。そうだ、死んだふりならぬぬいぐるみのふりをしよう。きっと、鴉もぬいぐるみは食べないだろう。うん、食べない。食べないよね……?
(私はぬいぐるみ、私はぬいぐるみ――)
そう念じて、目を開けたまま私は体を固まらせた。
永遠とも思える時間が経過した後、救世主が現れた。
私は、ひょいと大きな手に首根っこを掴まれて、鴉から引き離される。鴉も、もう片方の手に首を掴まれていた。
(た、助かった……)
魔王様は鴉を軽く睨んだ。
「こら、クロウ。止めろ。レティをつつくな」
「我が君。こやつは何者です?」
鴉――クロウというらしい――は、ビー玉のように輝く黒い目を吊り上げて、魔王様を見上げた。器用に翼を使って、私をビシッと指している。
「王国の騎士姫、レティシア嬢だよ。可愛いでしょ?」
「なんと!?我がおらぬ間に、我が君は新たな
目を真ん丸にしたクロウは羽をバタバタ動かし、地団太を踏んでいる。
クロウの言葉を華麗にスルーして、彼から手を離した魔王様は、私を手の上に優しく乗せた。
「可哀想に。涙目になっているじゃないか。怖かっただろう?一人にして本当にごめん」
もう大丈夫だからね、という言葉と共に、魔王様は私の頭を撫でた。
温かくて優しい手。
今は何故か、その手がとても心地良くて落ち着くような気が…………
さわさわ、さわさわ――
「ちょっと!いつまで私の頭を撫で続けるおつもりですか!?」
「気持ち良い……見た目だけじゃなくて、手触りも最高とか…………」
魔王様は、今にも溶けてしまいそうな顔で私の頭に触れ続けている。
「……」
私は無言で体を反らし、魔王様の手を避けた。
「あ。ごめん、嫌だった?」
「限度というものがあります」
「そうか。残念」
魔王様はしょんぼりして手を離してくれた。
形の良い眉を下げ、肩を落としているのに、そんな姿も決まっている。良い男は、しょぼくれていても良い男――を体現するような姿だ。
そんな様子を、クロウが見逃すはずもなく。
「何っ!?けしからぬ!」
翼でジェスチャーしながら、彼は私に食ってかかってきた。
「我が君の撫で撫では至上なるぞ!それを拒むとは、一体どういう了見であるか!」
「レディーを撫でまわすのは関心できません。それともあなたは、『我が君』を変質者に仕立て上げたいの?」
「な、何を申すか!!我の我が君であって、貴様の我が君では無いわ!」
「それもそうね」
「ふんっ!」
クロウはぷいっとそっぽを向いた。
口論が終わると、静観していた魔王様がようやく口を開いた。
「クロウ、そろそろ気は落ち着いたか?」
「我が君!」
クロウは、ぱあぁっと顔を明るくして(……多分。鴉の表情はよく分からないのだ)、声を上げた。魔王様は、しかつめらしい顔で、重々しく言葉を発した。
「お前に重要な役割を命ずる。これは、お前にしか頼めないことなのだ」
「我が君、何なりと申し付けくださいませ!!」
クロウはいそいそと背筋を伸ばし、尾羽をピンと立てた。
「至急、国の見廻りに行け」
「は……?」
ぽかん。そんな言葉が似合う、鳩に豆鉄砲が食らったような顔。鴉に豆鉄砲を打ってもこんな顔をするのだろうか。
クロウは呆然としていた。
「良い返事だ」
違う。彼は返事をした訳ではない。私は心の中で首を振った。
その証拠に、クロウは小さい声で、悲しそうに呟いている。
「……我は今、森の見廻りから帰ったばかり……その報告すらまだなのに……?我が君との時間は…………?」
「都へ通じる道行に異変が無いか、確かめねばならぬのだ。風のように速い、お前の翼だけが頼りなのだよ」
戻ったら、褒美に目一杯撫で撫でしてやろう。
魔王様の言葉に、クロウは目を輝かせる。彼は機敏な動きで翼をシュッと胸に当て、深々と頭を下げた。
「我が君……!かしこまりました!行って参ります」
「ああ、頼む」
魔王様の手のひらで転がされる鴉、ここにあり。頭をつつかれておきながら、彼が何だか可哀想に思えてくる。
敏捷に空を駆けていく黒い影を見送った魔王様は、私に向き直る。その表情は、気遣わしげなものだった。
「ごめんね、突然うるさいのが来て驚いた?」
「いえ、私は大丈夫です。それよりも彼、見廻りから帰ったばかりで疲れていたのでは」
「そうだなぁ。レティをつついた上、口論をしかけた罰という意味もあったけれど、異変がないかどうかは気になっているからね」
まあ、本当はすぐに見廻りにやる必要も無かったかもしれないけど、彼に邪魔されず君にお菓子をあげてみたかった……というのもあったかな?どうだろうね。
そう言って、魔王様は、含みを持たせた笑みを浮かべて首を傾けた。
「魔王様、悪い人だって言われることありません?」
「しょっちゅう言われていると思うよ。俺は魔王だからね」
騎士姫は、愛が重い魔王様の懐に入る(物理)~甘やかし上手な魔王様と、期間限定のほのぼの共同生活始めました~ 時海 桜笑 @sakura_tokimi
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