第2話 懐に入る、とは
「そうと決まれば、我が城をご案内しよう。お手をどうぞ……と言いたいところだけど、エスコートは難しそうだね?」
立ち上がった魔王様は、私を見下ろす。
(……大きい)
いわば、巨人に見下ろされているよう。実際は、私が小さくなっているだけなのだけど。
私はテーブルの上に立っているはずなのに、魔王様の顔は遥か遠くにあった。
何だか圧倒されていると、魔王様が屈んで私の顔を覗き込んだ。魔王様は、意味ありげに微笑んで口を開いた。
「どうかした?俺に見とれている?」
「そ、そんな訳……!」
「照れなくても良いのに」
魔王様は、口を尖らせた。子供っぽい表情なのに、あざとい魅力が漂っているように見えるのが不思議だ。
「惚れてくれても良いんだよ、俺に。そうしたら、君にかかったまじないも解けるかも」
「まじない?」
「可愛いぬいぐるみになったこと。多分何かのまじないがかかっているんだろう?」
「まさか魔王様、何かご存知なのですか?」
私はハッとして魔王様を凝視した。警戒心を持って、体を強張らせる。
「知らない?愛があれば、何でもできるんだよ?」
「それは、おとぎ話の話ですか?」
いわゆる、『真実の愛』で魔法が解けるっていう眉つば物の話だろうか。私は目を半眼にした。
「さあね。どうだろう」
魔王様は、鼻歌を歌いそうな様子でニコニコ笑っている。
「もしかして、からかってます?」
「さあ。信じていれば、魔法だって何だって、解けるんじゃないかな?ほら、信じる者は救われるって言うだろう?」
「魔王様は、信心とは無縁の存在なのでは?」
「ははは、よくご存知で。騎士姫様」
魔王様は快活な笑い声を上げて、胸に手を当てて芝居がかったお辞儀をした。
どう考えてもからかわれているが、なかなかどうして、魔王様のポーズは決まっていた。きっと、顔もスタイルも良すぎるせいだ。
彫りが深めの顔立ちに、丁寧に削り出されたようなきれいなラインを描く鼻筋。不遜な笑みを湛えるのがよく似合う薄い唇は、どことなく色気を漂わせている。
そして、くっきりとした二重と長すぎる睫毛に囲まれた紅玉のような瞳は、今は興味深げに私を見つめていた。ただ目と目を合わせているだけなのに、一歩間違えれば、魅入られてしまいそうなほど妖し気な色香が放たれている。
(敵ながら、心臓に悪い程の美形……)
魔性の男とは、こんな人のことを言うのだろう。魔王様は人じゃないけど。
惑わされないように気を付けよう。目を閉じてそんな決意をしていると、何故か体が持ち上げられているような感覚になった。
「!?」
否。慌てて目を開けると、本当に体が浮いていた。愛すべき地面、もといテーブルの天板は眼下遠くになっている。
「何です!?私を摘まみあげているんですか!?」
私の地面を返して!!
魔王城に辿り着くまでに色々あったけど、さすがに体が浮いているなんて経験はしたことないから!
地面が無い不安定さと、いつ落ちるかも分からない不安感に苛まれる。
(怖い怖い怖い!!!)
「突然レディーに触れるのは失礼だろうから、摘まみあげてはいないよ」
許可を取ろうにも、君が俺の手から逃げてテーブルの上から落ちたら困るし、先に浮かせておこうかなと。
右手を私に向けた魔王様は、至極真面目な表情で、左手をひらひらさせてそう宣った。どうやら、右手から私を浮かせる魔力を出しているらしい。
「先に浮かせておこうかな、なんて、鬼なんですか!?」
いくら、私がテーブルから落ちたら危ないとはいえ、アウトな発言では!?
「魔王だけど。似たようなもの?」
そう言って、魔王様は首を傾げた。
「お願いします、持ち上げるなら、あなたの手の上に乗せてください。空中に浮かべられるのは怖すぎます」
私は懇願した。
もう騎士姫としての威厳も何も無いが、こればかりは仕方ない。人間、耐えられる恐怖には限度がある。
魔王様はすぐさま聞き入れ、水を掬うように両手を上向きにして、その中に私を下ろしてくれた。
「なるほど、怖いのか。俺の魔力が尽きない限り落下しないし、安全だと思ったんだけど」
「だとしても、何かをするならば先に説明してください。それに、この方法は安全だと聞いても、私には怖いです」
「そういうもの?」
「お、恐らくは?多くの人間は、そうやって行動しているかと……思いますが……?」
言っていて自分でも自信がなくなってきた。だって、時々言葉足らずなまま勝手に行動して大目玉を食らっている古狸達――大臣達――に見覚えがあるから……。
「と、とにかく、先に説明する方が、後で何かと上手くいくことが多いかと思いますので!えへへ……」
何とも言えず、思わず作り笑いをしてしまった。
「ふっ。作り笑いしてるじゃないか。何か、例外に心当たりがあるような顔だな?」
残念ながら、魔王様にはばれてしまったようで、吹き出されてしまった。
それにしても、よく笑う魔王様だ。
「ぬいぐるみでも、表情はとても分かりやすいものなんだ……作り笑いも表現できるとか、すごすぎるしやっぱり可愛い……」
作り笑いがツボに入ったようで、またしてもふるふる震えながら笑っている。笑いの振動が手にまで届くほど。その手は律儀にも、しっかりと私を支えてくれているけれど。
(ん……?)
振動は手まで届くのに、私の体は
自慢ではないが、今の私はぬいぐるみの身の上。布地の中に、綿のようなものがいっぱい詰まっている、ふにふにした質感だ。当然、足裏も柔らかくて、人間の時よりもバランスが取りづらい。
それなのに、全然平らではない魔王様の手の上で立っていられるなんて……。
私は、笑いが収まってきた魔王様におずおずと声をかけた。
「あの、魔王様?」
「うん?どうかした?」
「もしかして、何か術をかけて私の体を支えてくださっていますか?」
魔王様は、ハッとしたような顔をした。
「あ!すまないね。魔力を使うのは呼吸をするのと同じようなものだから、また何も言わずに使ってしまった」
「いえ、そうではなく……。ありがとうございます。先程偉そうなことを言っておいて恐縮ですが」
「どういたしまして、で良いのかな?人間に術をかけるのは難しいものなんだね」
浮かせるのはダメ、支えるのは良い、か。なるほど、なるほど。
覚えたことを反芻するように、口の中で言葉を転がす魔王様はどことなく可愛らしく見えた。
「私も魔王様の慣習に歩み寄れるように努力しますね」
思わず、微笑みと共にそんな言葉が出てきてしまったのは、きっと、人間に近づこうとする魔王様の姿を見たからで。
「……!どうもありがとう、レティ」
(あ、私の愛称……)
瞠目して私を見て、嬉しそうに笑う魔王様を見た時、私は自分が何を言ってしまったのか、まだ理解していなかった。
++++++
「両手が塞がっていると、扉を開けられない」
だから、ごめんね?
そんな言葉と一緒に、形ばかりの許可を取られた後、私はある場所へと丁寧に入れられた。
視界良好(なんなら、元の体よりも視線が遥かに高く、とても見晴らしが良い)。かつ布と布に挟まれて、体勢も非常に安定している。そして、人肌程度の温もりと、ほのかに漂う甘いスパイス系の良い香り。
魔王様の低めの声が、すぐ近くから降ってくる。
「レティ、居心地は悪くない?」
「ハイ、ダイジョウブデス」
ぎこちなく答えることしかできないが、そもそも空中浮遊を嫌がったのは私だ。文句は言えるはずがない。
でも、でも……。
(一体どうしてこんなことに……)
「~~♪」
私は、鼻歌を歌う魔王様の上着と上衣の間……いわゆる懐に、入れられていたのだった。
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