第59話 隣で手を握るアイスメイデンと家庭問題【後】

 青井父に言われた、俺には守れないという言葉。

 あれがなかなか頭から離れない。


「守るって、なにからだよ」


 世の中には様々な危険が潜んでいる。

 ふとした時に起きる事故や、不意な事件により身が危険に晒される可能性はゼロじゃない。

 誰にでも降りかかる可能性がある。

 だが恐らく、先程の言葉はそういう意味じゃないのだろう。

 秋乃の名にまつわる何か、を示唆していたのではないだろうか。

 例えば、秋乃家のなんらかの確執、とか。


「秋乃さん……」


「先輩…………大丈夫、ですか?」


 顔を上げると、愛原が心配そうにベンチで項垂れる俺を見下ろしていた。

 

「どう、だろうな。自分でもどうしたいのかわからないぐらい、ぐちゃぐちゃだよ」


「ですよね。いきなりあんな事を言われたら、先輩だって困惑しちゃいますよね」


 言いながら愛原が隣に腰を下ろすと、示し合わせて反対側に座った田中も不安げな顔で覗き込んでくる。


「でも別れるつもりは……無いんだよね?」


「それはまぁ、そうだな。考えられない。少し前の俺なら、ここまで悩まなかったと思う。秋乃さんを芸能人みたいな、遠い人としか見てなかったからな。でも今は……」


「違う?」


「ああ……今や秋乃さんは、俺にとってなくてはならない一番大事な人だ。だから、手を離したくはない。誰に何を言われようとも」


 右手を握りしめながら、俺は声を振り絞る。

 その様子を田中はジッと見守っていたが、「ふぅ」と一息吐くと。


「なら悩む必要なんかないでしょ」


 背中を叩いてきた。


「え?」


「だってもう答えは出てるじゃない。手を離したくないって。それが答えなんじゃないの?」


「あ……」


 そうか、そうだよな。

 答えなんかとっくに出てるんだ。

 俺は秋乃さんの手を離さない。

 秋乃家に何があろうと、俺は絶対に。


「ごめん、田中さん。お陰で自分がどうしたいか、わかった気がする。ありがと」


「別に私はただ……あんたがウジウジしてる所なんか見たくなかっただけ。それだけよ。……じゃあ私はそろそろ帰るから。なんか手伝える事あったら言いなさいよ。わかったわね」


「ああ」


 頷くと田中は複雑そうな面持ちで去っていく。

 

「待ってくださいよー、田中せんぱーい」


 愛原はそんな彼女の後を追おうと立ち上がる。

 そして俺の前を通ろうとしたその時。

 何か言いたい事でもあるのか立ち止まると、一瞬こちらを一瞥して。

 

「……当真先輩って、ほんとにズルい人ですよね」


 愛原の瞳は、なにか悲しい事があったかのように潤んでいた。

 同時に若干憤っている雰囲気も。


「愛原……」


 俺はどうして愛原がそんな表情をしているのか理解できず、ただ愛原の名を呟く。

 だが彼女は立ち止まらない。

 聞こえたはずなのに。


 それからどれだけの時が流れたのか。

 考え事をしていたら、気が付くと夕焼けが廊下を照らす時間になっていた。


「もうこんな時間か」


 秋乃さんは未だ病室から出てこない。

 まあ持病の発作とはいえ、今日から一週間ほど検査入院しなきゃならない訳だからな。 

 つもる話もあるか。


「んー! んじゃちょっくら気分転換にブラついてきますかねー。 喉も渇いたし」


 と、伸びをした直後。

 

 ガラッ。


「ん?」


 俺が立つのを待っていたかのようなタイミングで扉が開いた。


「冬月くん、お待たせ」


「お疲れ様、秋乃さん。お母さんどう?大丈夫?」


「ええ、問題ないわ。たまたま病院に診察しに来てたのが良かったみたい。予定どおり、再来週には帰れるって」


「そっか、良かったな」


「えぇ……」


 どうしたのだろう。

 いつもならなんでもズバズバ言ってくる秋乃さんが珍しく、言いあぐねている。

 

「秋乃さん、どうかしたのか?顔色少し悪そうだけど」


「いえ…………ただ、お母さんが冬月くんと話したいらしくて」


「俺と?」


 秋乃さんは幾ばくかの間を置いて、頷いた。

 

「ダメ、かしら」


「そんな事はないけど。俺も秋乃さんのお母さんと話してみたいし。……じゃあ、早速入っても良い?」


 もう一度頷いた秋乃さんに促され、俺は病室に踏み入ろうと足を動かす。

 だが扉をくぐる直前。

 何故か目を合わせようとしない秋乃さんがこんな事を呟いてきた。


「これから何を聞いても、わたしを嫌いにならないで。お願い。わたしには冬月くんが必要なの。 だから……」


 秋乃さんの苦痛な叫びとも呼べる掠れた声に、俺は考える間もなく肯定し、病室に入る。

 視界に飛び込んできたのは、夕焼けに照らされる清潔な空間と純白のシーツ。

 それと、ベッドに横たわる一人の女性だった。


「あら、貴方はもしや……。ふふ、こんにちは。冬月当真くん」


 朗らかな笑顔で挨拶をしてくれたこの人は、間違いなく秋乃さんの母親だろう。

 病室の利用者だから。

 というのもあるが、なによりも彼女の髪が秋乃さんの母親だと物語っていた。

 夕焼けに輝く、とても眩しい銀髪が。 

 ただ娘と違って髪を後ろに纏めており、それが実に母親っぽさを演出している。

 その髪型や雰囲気が母を思い起こさせ、少しばかり緊張してしまう。


「こ、こんにちは。えっと……」


「ふふ、そんなに緊張しないで?ほら、こちらへ」


 セレスティナさんはベッドの傍の椅子をポンポン叩く。

 俺は遠慮気味に、恐る恐る。


「し……失礼します」


「はい、どうぞ。ふぅん、君がクーちゃんがいつも話題に出すボーイフレンドの冬月くんなのね。なるほどなるほど、くーちゃんこういう男の子が好きなのねぇ。お母さんとは趣味がちょっと違うかしら」


 まるで動物園で飼育されている動物の気分だ。

 娘の彼氏に興味津々なのか、セレスティナさんは舐め回すようにジロジロ見てくる。


「あ、あの……」


「あっ、ごめんなさい。くーちゃんが恋人を作るなんて思ってもいなかったから、嬉しくてつい」


 それは良い話を聞けた。

 

「へぇ。そうなの、秋乃さん?」


 隣の椅子に腰かけた秋乃さんにニヤニヤしながら尋ねるも、秋乃さんは相変わらずの仏頂面でこう……。


「ええ、まあ」


「あらあら、くーちゃんったら照れちゃって。ふふふふ」

 

 これで照れてるの?

 全然わかんなかった。

 流石は母親だ。

 俺もいつかその領域に達したいものである。


「お母さん、冬月くんに話があるんじゃなかったの。無いならわたし達もう行くから」


 照れ隠しなのか、怒ったような口調で秋乃さんが俺の手を引くと、セレスティナさんは慌てて。


「待って待って、くーちゃん!話すから!話すから一旦座ろ?ね?」


「……ふん」


 宥められた秋乃さんは渋々座る。

 俺の手を握ったまま。


「ふぅ、良かった良かった。くーちゃんったらせっかちさんなんだから」


「お母さん」


 セレスティナさんはキッと睨まれ、急いで口をつぐむ。

 そんな二人のやり取りを眺めていた俺は、静かになったこの隙に要件を伺う事にした。


「それで、話というのは……」


「あっ、そうだったわ。いい加減話さないとね。くーちゃん、良い?」


 なんの話か知らないが、秋乃さん的にはあまり話したくない内容のようで、渋い顔をしている。

 が、覚悟が定まったのか、秋乃さんは渋々頷いた。


「ありがと、くーちゃん。じゃあ話しましょうか、うちの事情を。でもその前に……」


 セレスティナさんの表情から、先程までの優しそうな微笑みが消えた。

 代わりに母親然とした、毅然な顔つきとなる。

 その目は鋭く、心臓を射ぬかれている気分だ。


「冬月当真くん、これだけ訊かせてもらえるかしら」


「……はい、なんですか」


「冬月くんは……娘に対して、どれだけ本気なの?この先何があっても、来栖の手を離さないと約束できるぐらいの気持ちはある?それだけ教えてちょうだい」


 …………。

 やはり秋乃家には俺ら一般家庭には無い、何かがあるのだろう。

 でなければ、青井の父も、セレスティナさんもこんな事をわざわざ尋ねたりはしない。

 だが俺は既に決めている。

 何があろうとも、秋乃さんの手を離さないと。

 だから俺は悩む素振りもなく、真剣な眼差しでこう言った。


「あります。 たとえ何があったとしても、僕は……俺は絶対に逃げ出したりしません。絶対に」


「冬月くん……」


 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

隣の席のアイスメイデンが俺にだけ優しい @belet

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ