第78話 辿り着く場所
大勢の人が、その広い道を歩いている。まるで大河の流れのように。
親子が、家族が手を繋ぎ、恋人同士が腕を絡ませて、仲の良い友人たちが肩を組んで、若者が老人を負ぶって、皆その道を、同じ方向に向かって歩いている。
時に立ち止まり、時には振り返って、そしてまた歩き出す。腕を組んでいたカップルの女性の方にふっ、と赤ちゃんが抱かれ、若者が負ぶっていた老人が静かに、幸せそうな表情でフェードアウトする。
全ての人々が、その『人生』という長い道を、幸せと不幸を繰り返しながら歩き続ける、最後の時まで。
私も、みんなと、同じ方向に、向かって。
ちょっと、つかれたわぁ、と足を止める。と、一人の若者が私の前にしゃがんで、その背を向ける。首を後ろに向けて、どうぞ、とアピールしてくる。
すまんなぁ、と若者の背に体を預ける。私をおんぶした彼は力強く立ち上がり、再びみんなと一緒に歩き出す。
そんな様を見て、周りの人たちが笑みをこぼす。私の知っとる人達、仲の良かった友達、いっしょに仕事をした人、私と縁が出来て、同じ時間を共有した、人生の宝物。
「よっ、ご両人!」
ななみんとせっちゃんがいつもの冷やかしをよこす。隣ではツキちゃんが相変わらず私たちの姿を文章に起こしている。こんなおばあちゃんの友達になってくれて、ありがとなぁ。
「おら頑張れ天野、男の見せ所やぞ」
「もっと体鍛えとくべきやったなぁ」
渡辺君と本田君が私を背負う青年に檄を飛ばす。裏表のないええ男たちやったなぁ、あんたらも。二人とも好きな女の子を幸せにしてやりや。
私の前をひとりの中年男性が、後ろ向きに歩いている。おぶさる私を嬉しそうに見ながら。なんや鐘巻さん、そんなニヤニヤしてからに。私が普通の年寄りしとるんがほんなに嬉しいんか? 嬉しいんやろなぁ。
後ろから横に並んできたのは孫の壮一や。ばあちゃんいけるか? と声をかけてくれる、おまはんももうええ歳なんやから、健康には気をつけんとあかんで。
その横には寄り添うように柊さんが付いて歩いとる。なんやおまはんら、ひょっとしてええ関係になったんか? ほうやな、ほんな関係があったらええなぁ。
少し離れた所を藍塚の井原会長、三木社長、専務の理子ちゃんが並んで歩きつつ、こっちに手を振っている。周囲には橘医師やリヒター博士、門田さんにマルガリータさん、そしてヤボ君ら私が救った青年たち。あのプロジェクと共に在った人たちが、やはり同じ道を、同じ方向に歩いていく。
反対側に目をやる。運転手の流さんや芹香さん、水原さんや大荻さん、岩城先生。
そしてあの一年三組で少しだけ同じ時間を過ごしたクラスメイト達。私の思い出の地、徳島で、二度目の青春を共に生きた仲間のみんな。ああ、文化祭はよかったねぇ。
最後に私は、彼に頼んで後ろに大きく振り向いてもらう。そのはるか先に居たのはひとりの山伏、
私は、前を向く。そして背負われたまま、みんなと同じ方向に歩き出す。
そして、周囲のみんながふっ、と白い景色に溶けて消える。私と、そして私を背負う愛しの君、
さらに歩み続けると、その道の先に一軒の家が見えてくる。その縁側から家の中に続く入り口が大きく開いていて、中にあるちゃぶ台に大勢の人が座って、お茶をすすったり話をしたりしている。
こっちを見た彼らが、一斉に手を掲げて、私を柔らかい笑顔で出迎えてくれる。
息子たち、近所の茶飲み仲間、若い頃一緒に百姓仕事をした男衆、催事の際に集まって炊き出しや宴会の世話をした同じ年頃の女たち。
そして、私を愛し、共に
ああ、私もようやく、ここに来られたんやなぁ。ずいぶん遠回りをして。私だけが一度この時間の、人生の道を引き返して、すいぶん長い間他の人と反対に歩み続けて、そこでまたいろんな人たちに出会って、その人たちのお陰でやっと私も、この終の場所に、みんなが待っとるそこに、ようようたどり着いたんやなぁ。
お土産話、いっぱいいっぱいあるでな。ほなけん遅れたんは堪忍してや、なぁ、晴樹さん。
縁側に辿り着く。未来君が背を向けて私を縁の上に降ろす。そして改めて私に向き直る。
その顔をくしゃくしゃに歪めて、大粒の涙をとめどなく流し続けて。
「あかんなぁ未来君、お別れの時くらいしゃんとせな」
無理を言っているのは分かっている。ほれでも私は、彼に胸を張って私を送り出してほしかった。
「登紀さん、僕は・・・・・・僕はっ・・・・・・」
流れる涙をぬぐおうともせずに、彼は嗚咽混じりに声を出す。ああ、やっぱりどこまでも真面目やこの子は。老婆になった私の世話をずっと続けて、新しい恋なんか探そうともせんかった。普通の青年やったらこんなお婆ちゃんになった女なんかほっぽっとくやろうに。
「未来君、ありがとな。」
彼の肩を掴んで優しくそう告げる。ほんまに彼にはどんだけ感謝しても足りへんわ。私に恋心を教えてくれて、私の呪いを引きはがしてくれて、ほんで、たった一年やけど、いっしょにこの道を歩き続けてくれて。
やから私は、彼に言葉を残さなあかん。彼がいつかまた新しい人生を歩き出せるように。
「あんな、未来君。よう聞いてや」
◇ ◇ ◇
「最後です、みなさん言葉を聞いて下さい」
橘医師が全員にそう告げる、今まさに臨終の床にいる彼女、神ノ山登紀が最後の言葉を、遺言を残そうとしている。その言葉に彼女を取り囲む大勢の人間が、息を飲んで耳を澄ます。
「未来君、君が!」
彼女の孫の壮一の言葉にうん、と頷いて僕、天野未来が登紀さんの口元に耳を近づける。涙も鼻水も嗚咽も止まらないけど、それでもこの言葉を聞き逃したら、僕は一生後悔する!
あれから一年。天野家に居付いた登紀は、それから急に衰えて行った。もともと元気なおばあちゃんであったはずの彼女が、三カ月で歩くことが出来なくなり、半年もすれば寝たきりになってしまっていた。専属の医師になった橘さんにもその原因は分からない、生活環境も栄養状態も全く問題は無かったはずなのに。
考えられるのは、彼女が正確には七十七歳ではなくて、もう百三十九歳になるはずであるという事。あの時元の年齢に戻しては貰ったが、実際にはミイラに近い年齢になり、その場で命尽きてもおかしくない可能性もあったのだ。そしてこの一年で彼女は加速度的に歳を取って行った。まるで実際の年齢に追いついていくように。
なら、どうして最初からそうしなかったのか。推測の域を出ないが、それはあの”おおかみさま”の慈悲だったのではないだろうか。僕と登紀さんへの褒美に、最後の一年間を一緒に過ごせる時間を作ってくれたんじゃないだろうか、としか思えなかった。
(登紀さん・・・・・・・)
耳を澄ます。かすれるような声と共に、僕の好きな人の最後の言葉を、しっかりと心に刻むために!
◇ ◇ ◇
「未来君、いつか言うとったな。新しい恋を、愛を探すんは、決して不純な事やないって」
そう、あれは僕が晴樹さんのお墓の前で彼女自身に言った言葉。登紀さんが晴樹さんへの想いを持ったまま、別の誰かに恋する事を、僕は悪い事だとは思わなかった。でも、それは自分に都合のいい解釈だった、僕が登起さんといい関係になる為に吐いた、欲の入った意見だったんだ。
今、登紀さんとの別れの時を迎えて、僕はあの時の彼女の想いを、やっと理解した。
心から想い続ける人を失うという事の悲しさ。それを乗り越えて次の恋を探すという事の、難しさを。
「おまはんの名前は、『未来』やろ?」
その言葉に僕ははっとする。そうだ、あの時、おおかみさまと対峙した時も彼女は僕にそう言った。過去の人生に囚われて動けなくなった僕の背中を押してくれた、あの叫び。
「私のことは忘れてくれてもええ、覚えとってくれてもええ。ほなけど、それはもう済んだことや」
そんなことない! と言いたい。でも、今、口を挟むわけにはいかない。それは彼女の、最後の言葉になるだろうから。もう、僕の言葉を聞く余裕はない。登紀さんは今まさに、最後の力を振り絞って言葉を、遺言を伝えようとしてるんだから・・・・・・
「おまはんの未来にも、きっと素敵な恋がある。誰かと一緒に育む愛がある。ほれを否定したらあかん、あの壮一もやっとほれに気付いてくれた。おまはんも、いつかきっと気付いてなぁ」
登紀さんが僕の涙をぬぐう。その手の感触に、顔を上げて彼女の顔を真っすぐに見る。泣くなよ僕、涙を止めないと、登紀さんの顔がはっきり見られないじゃないか・・・・・・
縁側に座った彼女が、やれやれといった顔をして息をつき、際にある一冊の本を手に取る。赤い表紙に金の文字で書かれた”Diary”の文字。二人の恋の始まりを告げ、その縁をずっと繋いできた交換日記を両手に持つと、満面の笑顔でそれを僕に差し出した。
「ありがとなぁ、未来君」
僕は顔を上げ、右手で思い切り涙を拭って、登紀さんを真正面から見る。そこには確かに、僕の好きな神ノ山登紀さんの顔があった。老人になっても、やっぱり彼女は僕の大好きな登紀さんだった。
「うん、ええ顔や、ええ男や、自身持ちない」
その言葉を最後に、登紀さんが、彼女の旧友たちの姿が、夫の晴樹さんが、その家の縁側と共にゆっくりと色と形を失っていく。白い世界に溶けていくように、僕の居る世界から消えていく。
泣いちゃだめだ、笑うんだ、最後に見せる僕の顔は笑顔じゃなくちゃいけないんだ。
登紀さんのように。
「ありがとう。僕は登紀さんが、大好きです」
笑顔で言えたかな? 涙は未だぼたぼたと零れ落ちているけど、それでも――
世界が、縁側が、そして彼女の笑顔が、白い世界に溶けて、消えた。
◇ ◇ ◇
「登紀さんっ!」
「トキちゃああん!!」
「神の山さん!」
「ばあちゃんっ!」
集まった面々が皆、必死に声をかける。だけど、彼女は安らかな顔のまま、答えることは無かった。
―神ノ山登紀、永眠。享年、百四十歳―
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