第77話 それぞれの歩む道
笛の音が響き、手鐘が村人たちの歓喜を響かせる。
―おおかみさまのお力で、吉野の大河をお鎮めになった―
大人たちが皆、村の広場で手を上げ踊る。
―いなほはみのり、みずはせせらぎ、だいちはわれらをおささえくださる―
つい半日ほど前まで、大雨で水浸しだったその村の畑は、黄金色の稲穂が波打ち、豊穣の実りを約束していた。
―やれうれしや、やれありがたや―
彼らは浮かれる。自分たちが山の大神様にささげた人身御供が、この奇跡を呼んだのだと。
そんな喧噪に、目を向けようとしない者達が、その村にも何人かいた。
「にぃにをころして・・・・・・あととりだっていうとったのに」
「ほんまやなぁニナ。あの子を捧げといて、男は勝手やわ」
庄屋の家の中、妻と娘は外で踊る夫や男衆に、心底からの嫌悪を抱いて嘆いていた。
この家の長男、
「おいツル、ニナ。おまはんらも出て来て踊らんかい!大神様に対して失礼やろが!」
庄屋が家に入ってきてそう怒鳴りつける。だが妻も娘も目を反らして動こうとしない、お腹を傷めた子を殺されて、ずっと大事にしてもうた
「ええかげんにせんか! 皆大神様に感謝しとるんや、おまはんらがほんなことでどないする!」
ずかずかと家に上がると、妻の胸倉を掴んで引き起こす。もうおらんなった利助に対していつまでもどくれくさって! と、平手打ちをすべく手を上げて・・・・・・
「ほうやで、おおかみさまのおかげやないか。みんないっしょにおどろうや!」
空気が、三人が、そのまま固まった。
「り・・・・・・利助?」
信じられない物を見ているといった顔でそう言う母に、戸口に立った彼、利助はにかっ! と笑って鼻をひとすすりし、嬉しそうにこう続けた。
「ほうじゃ、おおかみさまのおかげじゃ。ほらニナ、そとでモチくばっとるで、いっしょに食べよで!」
「に、にぃに。ほんまに、にぃにか?」
「利助! おどれは、おおかみさまの所におらんで、ええ、んか?」
目に涙をいっぱいに溜めて震える妹と、何か間違いを起こしたんでは無かろうかと狼狽する父。
「に、にぃにーーっ!」
泣きながら駆け出したニナが、そのまま兄の胸に抱き付いた。利助は妹の頭を優しく撫でつつ、父を見上げてこう言った。
「大丈夫じゃおっ父。おおかみさまがぜんぶ、ええようにしてくれた」
果たして村のあちこちで、同じ歓喜の声が上がっていた。
「ヒナユリ! おまはん、なんで?」
「岩太、おおかみさまのといこにおらなあかんのか・・・・・・ええんか?」
「ハス、ああハスや、ほんまにハスやぁー」
生け贄にささげられたはずの七人の子供達。それが今、再びこの村に戻って来ていた。彼ら彼女らを捧げた後ろめたさがあった村人たちは、子供らのまさかの生還に嬉しさを隠せなかった。
人身御供は返された。なれど雨も降らず、稲穂はさらに光り輝いている。
村人たちは知る由もない。それが今から遥か未来にて、彼らの遠い子孫たちの活躍によって救われたという事を。
”登紀”と”未来”。ふたつの時間の流れを示す者達によって、成された奇跡だという事を。
◇ ◇ ◇
アフリカ。サハラ砂漠南部のセネンゲティ野生動物保護区。
そこは地獄だった。雨季が去り、乾季が訪れたその場所にはアフリカの太陽が容赦なく照り付け、大地は乾きに乾いて水の一滴、草の一本も存在を許されなかった。かつての水場は泥沼になり、さらにひび割れた大地となりつつある。
雨季が終わる前に多くの草食動物たちは大移動を終えていた。またそれを狩るべく肉食動物たちもその地を後にしている。だが例年その移動に乗り遅れる動物たちも少なくはなかった。群れからはぐれたヌーやシマウマ、水場に未練を残して捨てられなかったワニやカバ、最悪のタイミングで出産してしまって、子育てで動けなかったライオンなどが渇きの大地に取り残されていた。
彼らはわずかに残った水場、と言っても泥水のぬた場でしかないような所に寄り添うようにして集まり、辛うじて体が乾き切るのをこらえていた。だがそれも時間の問題、間もなく彼らは残らず渇きで死に、何物にも食われる事すら無くミイラと化すしか無かった。
肉食動物も、草食動物も、寄り添いながら夢を見る。
雨の夢を。水の夢を。死ぬ前にせめて腹いっぱい水を飲む、そんな叶わぬ夢を。
ふっ、と灼熱の太陽が、何かに遮られる。空に轟く雷鳴に、動物たちはあの懐かしい雨季の訪れに思いを馳せる。そんな事などあるはずもないと、本能で理解しながらも・・・・・・
さあぁぁぁぁぁ
大地を水が叩く。霧雨のように降り始めた雨は、ほどなくアフリカらしい叩きつけるような豪雨と化していく。動物たちは最後に力を振り絞って立ち上がり、天に向かって口を開け、毛皮に着いた水滴を懸命に舐めとり、出来たばかりの水たまりにむしゃぶりつく。
生きている、生きられる。命が乾いて消えるその直前に訪れたその天の恵みに、全ての生き物たちがただ懸命に答えていた。
そんな彼らを少し離れた所で見ている一頭のリカオンがいた。その胴には蛇・・・・・・というか、まるでミニチュアの龍のような生き物が巻き付いている。
『良いのか、おおかみよ。彼らはここで死ぬべき運命であったのだ、それを・・・・・・』
龍のような蛇が首を持ち上げてリカオンにそう言う。本来ここで死ぬ運命にあった動物たちを生かすことで、本来
『神である我らが、自然の運命を操るなど。まして遥か遠い異国なればなおのこと』
『まぁ、良いではないか龍神よ。この大地は阿波の国はおろか、大和すら遥かに超える雄大さだ。余が持ち込んだ雨程度でどうなるものでもない、彼らも一時命を繋いだのみで、次の雨まで生き抜くことは出来ぬであろうよ』
おおかみさま、と呼ばれたリカオンがそう答える。彼らは遥か遠い国の土着の神、そこで起きた洪水をまるごとその体に回収したおおかみさまは、それをどこに持ち込むか考えた末に、己のその姿の生き物の故郷に行ってみたいと思いこの地に来た。果たしてそこは持て余した水を降ろすのにこの上なく適した大地であった。
『で、どうする。ここにとどまるか?』
『いや、やはりここは我らの居付く土地ではあるまい。いつかまた阿波の国に我らを必要とする者達が現れることもあろう』
『どうかのう・・・・・・今の人間の科学をもってすれば、、もう我らなど不要かもしれんぞ』
その蛇、龍神の言葉にもおおかみさまは、ふっと笑って笑みを見せる。
『なに、出番がなくとも人々が見せる贄。いや、”物語”は極上のものがある。ならばやはり我々は帰るべきであろう』
『結局それが目当てか、全く欲な神もおったものよ』
笑い合う二匹の神。彼らは空にふわりと舞い上がると、眼下の動物たちを愛おしそうに眺める。せめて、死が訪れる時までは、懸命に生きよと――
◇ ◇ ◇
朝、藍塚本社の食堂にて。昨日泊まり込みで『ある事件』の対応に追われていた時遡プロジェクトの一同が、岩城先生の差し入れ弁当をかきこみながら、TVのニュースを眺めていた。
―台風は昨夜徳島県に上陸した後、速度を増して日本海に抜け、間もなく温帯低気圧へと変わるでしょう。なお心配された吉野川の氾濫はなく、今も中程度の水域を保っております。昨夜、突然水位が下がった現象については、専門家によりますと―
いかにも偉そうな先生が推察するには、吉野川の川底のどこかに地下に通じるひび割れが発生し、そこに水が落ち込んだとの見解を示していた。なんでも吉野川は日本の地層上『中央構造線』という断層のど真ん中を流れる川で、その下にある空洞部分に水が落ち込んだせいだと言う。なので今度はしばらく地震に警戒が必要だと続けていた。
「的外れな見解だなぁ」
「ま、正解を知ってる俺達からしたらなぁ」
「というか、神様が水を飲んじゃったとか真面目に言ったら笑われるのはこっちでしょ?」
そりゃそうだ、と皆が笑う。両者の言い分を聞き比べたら誰だって専門家の意見を正解と見るだろう。
と、一人の女性が、並んで座って朝食を取っている青年と老婆をしげしげと眺めて、だはーっ、と特大の溜め息をつく。
「あ~もう、だーかーらーさっさとセックスしちゃいなさいってあれほど」
「朝っぱらから何言うとんこの娘は!」
老婆、神ノ山登紀が向かいの三木七海にゲンコツを落とす。彼女は「だってぇ~」と涙目になりながらも、登紀とその隣に座る青年、天野未来に訴えかける。
もうずっと公認カップルだったふたり。だが夕べ全ての呪いが解けたせいで、ふたりとも本来の年齢に戻ってしまった。十八歳の天野君はともかく、七十七歳の登紀おばあちゃんじゃさすがにカップルにはならない。
「え? 僕はいいけど、登紀さんがおばあちゃんでも好きだし」
あっけらかんと返す天野未来。その様を見て全員が固まり、やがて「天野らしいや」と笑いをこぼす。
「何言うとん、こんなお婆ちゃんさっさと忘れてええ女見つけないな」
「前にも言ったよね、僕は登紀さんの見た目が好きになったんじゃない、って」
平然とそんな会話をする二人を少し離れた所から見ていた医療班、ヤボ・ケイツリ君の肩を王林杏がぽんと叩く。
「さすがに諦めがついた?」
「・・・・・・凄いな天野は、とても私じゃああは言えないよ」
二人ともかつて人身売買組織から登紀に救われ、その恩を返すべく日本まで来た。ヤボは恩人であり、若く麗しい姿になった彼女に恋していたのだが、彼女の相手、天野未来に比べるとまだまだ想いが薄い事を悟らざるを得なかった。
時遡プロジェクトは今日から解散に向けて動き出すだろう、なにしろ肝心の天野の呪いが解けた以上もう続ける意義も意味もない。ちなみに
だが成果が無かったわけではない。研究の過程で生まれた様々な新薬や医療器具は次々と特許を得て、藍塚グループに少なからぬ利益を生み出す事は確実だった。さらに副産物として、世界中の医療機関が一致協力して研究できたことは、国家の垣根を越えて医療が繋がる大きな一歩になるだろう。
呪術班と称されたチームによって、日本と世界の逸話や伝承を巡るネットワークが確立したのも大きな成果だ。特に世界的な星占術者のマルガリータ・ディアス女史が動いたことで、こういった過去の伝承や神話を紐解く流れが世界中でブームになっており、そこにロマンや一獲千金を夢見る者たちの活動が盛り上がっていった。
結果から言うと、十分な成果を持ってこのプロジェクトは終了する事が出来る、と言えるだろう。
同じ目的をもってこの日本、徳島県に集った人々は、もうすぐ本来の居場所へと帰っていく。自分たちの人生は、物語はこれからも続いていくのだから。
「登紀さん、僕の家で暮らさない?」
未来のその提案に
「ほうやなぁ、私をあくまで”お婆ちゃん”として扱ってくれるんならええよ」
さて、どう返す? 未来君。
「うん、それでいいよ」
意外にあっさり諦めてくれた。真面目な彼の事やからひょっとして恋人がおばあちゃんでもかまわないとか言い出すかと思っとったけど、ほれやったら・・・・・・
でも、その後に彼が発した言葉に、私は心の隙間を全部満たされた、気がした。
「これから一緒に、同じ時間を歩んで行こうよ」
私はずっと孤独だった。人の流れとは逆の道を、若返りの孤独をずっと歩いてきた。誰も私の隣を歩いてくれない、そんな時間をもう六十年以上も歩み続けて来た。
ずっと願っていた、ずっと言ってほしかった。それは決して叶わない願いだと思っていた。
でも、今それは叶った。どこまでも真面目な、私の恋した少年によって。
二人を眺めながら、アイン・J・鐘巻がうんうんと嬉しそうに目を細める。かつてあの旅館でいつか彼女に告げたいと言っていたセリフ、やっと言えたじゃないか、と。
感激に涙を流して泣き続ける神ノ山登紀を見て思う。やったな、あの不死身のモンスターに、ついに会心の一撃をお見舞いするシーンが見られたじゃないか。
サンキューな、ボーイ。
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