最終話 その場所から、未来へ
「あれ? 三木さんも今日休みなんだ」
「まね、なんか昨日の引きずっちゃって・・・・・・有給取っちゃった」
初夏の坂野町。あの思い出の墓地に、彼女はふらりと現れた。いつものOLスタイルのロングヘアーではなく、学生時代によくしていた三つ編みリングの可愛らしい髪型で。
登紀さんが亡くなってから一年。
昨日は彼女の一回忌だった。久しぶりに時遡プロジェクトの面々が集まって、亡き彼女を皆で悼みつつ、懐かしい邂逅の時間を過ごした。
法要とは故人を悼むだけではなく、その人の縁者が久しぶりに顔を合わせ、思い出や現状を語り合う集いになる。僕、天野未来も、彼女、三木七海も、久々に会った面々に懐かしさと、あの時の活躍を思い出していた。
僕は今も藍塚にいる。本来就くはずだった営業部門で、取引先に頭を下げる毎日を続けていた。三木さんも同社のOLとして、様々なスケジュール管理や事務処理に精を出す毎日。
あの日、登紀さんの最後の言葉。
―日記、見てや―
かすれるような声で辛うじてそう残した後、彼女は静かに息を引き取った。ひとしきり泣いた後、僕は交換日記の最後の一ページをみんなの前で開いた。
そこにはまず自分の遺産の配分、半分を孫の壮一さんと保護者役を務めていた柊由美さんに託し、残りは藍塚グループに丸々寄付して、その使用用途を一任すると記されていた。
「会社が社員に金をもらうなどありえん!」
井原会長のその言葉を皮切りに、その遺産の押し付け合いが始まった。無論僕の所にも持ってこられたが、そんなの受け取る理由なんてどこにもない。僕はもう登紀さんに十分すぎるほどいろんな物を貰ってるんだから。
結局国際警察やら地検特捜部、大学病院や郷土資料館からも突き返されて未だに収まり先が決まっていない。もちろんそんな話を聞きつけて「恵まれない子供たちの為に」「信じる者は救われます」「将来への投資に是非」なんて輩がわらわらと湧いてきたが、それらはすべて
ちなみに神ノ山壮一さんと柊さんは正式に結婚していた。元々いい雰囲気だった二人だったけど、遺産が舞い込むのをキッカケに柊さんがまたホスト遊びにハマるんじゃないかと自分自身を案じ、それを自重するために逆プロポーズしたそうだ。諦めていたウェディングドレスを着られた彼女は本当に嬉しそうだった。
「七十五歳と四十三歳の夫婦かー、さすがにもう子供は期待できないかなぁ」
「分からないわよー、超ハッスルすれば可能性はあるかも」
相変わらずだね、と笑みがこぼれる。三木さんは本当に仲人向きの性格してるよ。
「にしてもさぁ、あれから二年でしょ? 色々代わったわよねー」
「だよねー。本田君と宮本さんなんて大ブレイクだし」
柔道の国際強化選手だった本田君は先月、ドイツで行われた国際大会で見事優勝を果たした。ずっと目の上のタンコブだった選手がケガをしたために代役出場での大金星で、一気にオリンピック代表候補に名乗りを上げたのだ。
反面、出だしでコケたのが相方の宮本さんだ。自信満々で出版した僕たちの伝記小説『時遡物語』は見事に大コケしてしまった。各所から「リアリティがない」「ファンタジーが中途半端」などの酷評を受け、大量に余った在庫は藍塚の社員に格安で叩き売られた。
で、リベンジにと書いた『転生したらリカオンでした・野生動物は辛いよ』がまさかの大ヒット! 異世界じゃなくてアフリカに転生するという独自の設定と、リカオンという動物の生態を詳しく描いたことが好評を得ていた。残酷な集団狩猟がまず目立つ動物だが、その実とても仲間想い子供想いで、強敵の多いアフリカで仲間との結束を一番の武器に生き抜いている姿は、どこか我々人類に通じるものがあった。
「川奈さんは、いまだに行方不明なの?」
その質問に三木さんは深刻そうに頷く。
その後彼女は大学を辞めて姿をくらました。と思ったら昨日の一回忌にひょっこり姿を現し、終わった途端にまたドロンしてしまった。
「見つけたら、渡辺君とくっつけちゃおっか」
「いや、本人たちの気持ちがまず先でしょ」
渡辺一馬君はあれから東北の門田さんの孫、金山洋子さんに見事にフられていた。というより彼女には既に婚約者がいたというだけなんだけど。
その
悠々自適なのはDr.ロベルタ・リヒター氏もだそうだ。医学界を正式に引退して、妻との失った時間を取り戻すべくおしどり夫婦生活を続けているとの事。昨日再会した時にお目にかかった奥さんは、元麻薬中毒患者とは思えないほどに生気に溢れていた。彼女もまた登紀さんに救われた一人として、深い哀悼の意を示してくれた。
鐘巻さんは未だアメリカに帰らずに日本各地を旅している。かつての東北旅行で味を占めたのか、西に東にと漫遊して温泉巡りなどしているらしい。うーん、本当に日本人の血が濃いなぁあの人。
他にも世界各地に戻ったプロジェクトのメンバーが、昨日久しぶりに一同に会した。みんなそれぞれの生活に戻り、専門分野で活躍している。その事を昨日みんなでこのお墓に報告し、亡き人をしのんで仲間との邂逅を楽しんだ。
みんな、あれから歩き出している。それぞれの人生の『道』を。
だけど、僕は、まだ、踏み出せていない。
遺書である交換日記には他に、みんなへの感謝の言葉や死後の葬儀の方法などが記されていた。体が加速度的に弱っていく中で、ちゃんと自分の死後の事、今でいう終活を完璧にまとめ上げていた。
そして、その日記の表紙カバーの裏に隠れるように記されている一文があった。それは頭に『天野未来君へ』との表題があったので、僕以外の人たちは見るのを自重してくれた。
そこに書いてあったのは、僕にとっての彼女からの、
―私のことは忘れてくれてもええ、覚えとってくれてもええ。ほなけど、それはもう済んだことや―
―おまはんの未来にも、きっと素敵な恋がある。誰かと一緒に育む愛がある。ほれを否定したらあかん―
―おまはんも、いつかきっと気付いてなぁ、いつか好きな人を見つけて―
―幸せに、
僕は登紀さんが好きだった、登紀さんも僕が好きだった。それはもう自惚れではなく、自信を持ってそう言えた。
でも登紀さんは僕がそれに縛られて、次の恋を見つけられなくなるのを心配してか、そんな残酷な遺言を残して逝ってしまった。
そう、あの晴樹さんの元へ。
僕は、今も登紀さんが好きだ。忘れる事なんてできなかった。でも、彼女は、そこからさらに一歩踏み出しなさいと、そう言うのだ。
ふと、三木さんがお墓に手を当てて、しみじみとした口調で、こう言った。
「郷土文化研究部の三人、久々だよね。ねぇ、トキちゃん、天野君」
「あ・・・・・・うん」
あの懐かしい高校時代。僕たち三人は同じ部活動で、時々トリオで行動していた。一緒に資料館に行き、阿波踊りを並んで楽しんだ。三木さんが僕と登紀さんの仲を冷やかして、僕が照れて登紀さんがチョップを入れていた。
僕と、三木さんと、登紀さんの眠るお墓。本当に久しぶりにあの郷土文化研究部の三人だけがここにいる。
彼女は登紀さんのお墓にこん、と額をくっつけると、静かにささやいた。
―ゴメンね、トキちゃん―
え?
彼女は僕のほうに向きなおると、その三つ編みリングの髪留めをしゅるっ、とほどいて、普段のロングヘアーを腰上までなびかせる。
僕はその姿に、彼女の思いつめたような、そして真剣なその瞳に、何か心の琴線に触れるよなものを感じた。
「あのね、天野君」
初夏の風が、ざざぁっ、と木の葉を鳴らす。まるで世界が僕たち二人を何かの舞台に上げたような、そんなシーンを肌で感じた。
「君に、大事な話があるの」
何かが変わる。登紀さんが最後に願った、僕の人生の、何かが。
「私ね、あなたのことが、ずっと・・・・・・」
世界が、変わった。僕の人生が、三木さんの人生が。
今、大きく動き出した。
どこかで、誰かが、こう思った。
―良き、
――時遡(トキサカ)―― ―完―
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