第72話 おおかみさまと、さいごのひみつ
あそこや、間違いない。
かつての私の夫、春樹さんの眠る墓地。未来君に正式に告白され、その返事をしたあの夏の思い出の場所。
そうや、あそこは確かに山の上まで真っすぐな参道が、不自然なほどの急勾配で舗装されていた。普通山肌にコンクリートを舗装するならもっとジグザグに道を作る事でゆるやかにし、登りやすくするはずや。そうでなかったんは舗装する前から
「登紀さん!」
「うん、今からでも行こうな、早よせんと台風が来てまう!」
未来君と頷き合って席を蹴り、ハンガーにかけた雨合羽をひっつかんで部屋を出る。皆もなんだなんだと反応して追いかけてくる。
「心当たりがあるのか?」
「はい! あそこに間違いないと思います、行かせてください!!」
未来君を先頭に玄関ロビーから外に出る。そんな私たちを強風と豪雨が、まさに嵐が出向かえる。
どざあぁぁぁぁぁ・・・・・・
ゴオォォォォォォ・・・・・・
「こ、こりゃアカン! こんな天気やったらどこも行けんわ!」
渡辺君の叫び通り、この嵐の中を目的地まで行くなど自殺行為だ。敷地内のポプラの木は折れんばかりに風でひん曲がり、アスファルトの地面はまるでスモークのように雨を弾いて白く染まる。
「残念だが無理だ、目的地がどこか知らんが、この中を進むなど自殺行為だぞ!」
三木社長が私と未来君の肩を掴んで止める。確かに目的地の墓地までは約二十キロほどもある、車で行っても冠水道路に捕まってしまうやろし、バスやトラックだと強風を受けて横倒しになるのが関の山だ。
「くっ、もう少し早く思い出してたら・・・・・・・」
いよいよ台風の暴風圏内に入った県内。こうなっては身動きを取る事自体が危険だ。でももしこのまま手を打たずに留まれば、いよいよ大水害が現実になってしまう。あのおおかみさまと何らかの交渉をしてそれが阻止できるんなら動かなあかん!
と、そんな私たちの前、玄関ロビーに一台の大きな車がヘッドライトの輝きと共にやって来る。
「おーい未来、借りて来たぞー。これならあと一往復ぐらいなんとかなるわー!」
「父さん! こんなの、どこで借りて来たの!?」
なんと10トンのダンプカーで登場した未来の父、天野流。彼は自分のスポーツカータクシーでここに帰ってきた後、息子のあと一回は出るとの言葉を受けて近場のリース会社に無理を言ってこれを借りて来たのだ。
「はっは、確かにこれならいけるな!」
鐘巻さんがニヤケ顔で言う。重量のあるこのダンプなら少々の強風などどこ吹く風だろうし、巨大なタイヤに支えられて高い位置にあるエンジンは多少の冠水道路でも水に浸かりはしないだろう。
「未来君!」
「うん、これなら。みなさん、行ってきます!!」
「ちょっと待った!」
踵を返して乗り込もうとした私達を止めたのは予想外の人物だった。
「そこに”おおかみさま”とやらが居ると確信しているな? だったら私も連れて行ってもらおう」
なんと医療班リーダーの橘医師が不敵な笑みでそう告げる。彼の後ろにいた医療班の面々まで「そーだそーだ」と行く気満々や。
「当然我々も行くぞ、八百万の神のご尊顔を拝する絶好の機会だ」
呪術班リーダーの
「あったよ、
「でかした!」
宮本さんが蛍光灯交換用の脚立を持ってきて本田君がそれを受け取る。止める間もなくそれを登ってダンプの荷台に次々と飛び込んでいく皆さん。あんたらそれ道路交通法違反やで。
「さすがにここまで来たら、みんな結末を知りたいでしょ、はいこれ忘れ物」
ななみんが未来君のスポーツバッグをほい、と手渡す。中には四角の角が当たる感触、交換日記が中に入っているのが分かる。
「マルガリータさん、門田さん、こっちに!」
助手席から未来の母、芹香がそう声をかける。さすがに老婆二人をこの嵐の中、荷台に乗せていくわけにはいかないと手招きし、みんなも手を貸して高いダンプカーの運転スペースへと上らせる。
最後に私と未来君が荷台に乗り込み、降りる時の為にアルミの脚立を引き上げる。結局時遡プロジェクトの全員がダンプに乗り込んでしもた・・・・・・ほんまにもう。
「さぁ、いざ行かん! おおかみさま目指して突撃だーッ!」
「会長、
「ヤクザの殴り込みちゃうんやから」
会長のボケに社長と専務が冷静に突っ込む。ああそう言えばこの会長はヤクザの家の出やったな、確かに任侠映画なんかではこうして鉄砲玉がダンプの荷台に乗り込んで殴り込みに行くシーンとかよくあったなぁ・・・・・・ほんまにもう、ほんまにもう!
嵐の中をダンプカーが進む。もうほぼ無人の夜の道路は木々が倒れ、信号機が明後日の方向に曲がり、道路に溢れた用水路の水が川のように流れる。私達のダンプだけが台風の町中を、まるで孤独なパレードのように突き進む!
「未来君、いよいよやな」
「うん、絶対に今日で終わらせる!」
荷台の先端に立ち、やや背伸びして行き先を見据える未来君。いよいよこの呪いの総元締めの”おおかみさま”との対面に、高揚と緊張を隠せないようで、顔に当たる雨も全く気にせずにいる。
「そうだ天野、これ!」
水原さんが差し出したのは例のフィギュアネックレスだ、今日完成したばかりのそれは見事にあの七人の子供を再現していた。これなら本当に身代わりが務まるかもしれないと思わせる。
ありがとうございます、と言ってネックレスを首にかける。どうかこれが未来君の代わりにい生け贄になってくれますように、と祈らずにはいられない。
◇ ◇ ◇
「着いたぞ! ここから先は車では無理だ!!」
流さんがダンプを止めてそう叫ぶ。答えて本田君が脚立を持って飛び降り、足を広げて固定させると全員が荷台から降り、その先の墓地へと駆け出す。
「あそこや!」
「あれか! 本当にあの夢で見た山道・・・・・・この先にいるのか!?」
私の叫びに鐘巻さんが反応する。そうや、間違いなくこの先におるはずや! 私が嫁いだ神ノ山家の墓があるのも、入り嫁の私が生け贄に選ばれたのも、その私が恋した未来君が私に告白したんも、全部この場所がかつての”おおかみさま”が奉られた場所やったからなんやろ!
未来君を先頭に、全員が山道の麓に到着する。その山の上まで真っすぐに伸びた道を見上げる。
―ヴンッ!―
それに応えるかのように未来君の周りに五重の輪の魔法陣が発動する。腕に巻いた医療バンドが、バシュッ、という音を立てて若返り防止のワクチンを撃ち込む。
そして、周囲が静寂に包まれた。
「え、雨が・・・・・・止んだ。風も?」
ピーター君の言葉通り、荒れ狂っていた天気がいきなり凪いだ。まるで空気がいきなり生ぬるくなったかのように重くなり、むせ返るような湿気が周囲を包む。
「え、空が、晴れてる!」
アバ君が天を仰いでそうこぼす。その言葉に反応して空を見上げると、なんと雨雲が大きな円状に口を開けており、その中にはきらめく星々と、、そして・・・・・・
「赤い満月! あれは・・・・・・月食の月!!」
皆既月食の時にのみ見られる、紅に焼けたかのように赤く光る満月が天の中心にあった。
『よく来たな、生け贄の
静寂に染み渡るようなその声に、全員が雷に打たれたように反応する。この世の者の声とは明らかに違う、霊力と言霊を音に乗せたような言葉!
「あれ、か!」
鐘巻さんが参道の先、山頂にあるそれを差して言う。言われるまでも無く全員がそこにある
そこにあったのは、あの夢でも見た犬の像。牛ほどもある巨体を腹ばいに伏せ、首だけを伸ばしてこちらを見下ろしている。
「おおかみさま・・・・・・ですね!」
未来君がそう言った瞬間だった。彼の魔法陣から発せられた光が、まるで意志あるかのようにおおかみさまの所まで、光の筒となって伸びて行ったのは。
「な!?」
「天野、うわっ!」
その輪に触れた本田君の手が撥ねられるように弾かれる。未来君の隣にいた私も彼に手を伸ばすが、まるで見えない何かがあるように彼に触れることが出来ない。
「結界だな、迂闊に触るでない!」
白雲さんの言葉通り、未来君とおおかみさまはまるで一本の長い土管、というより海中水族館の通路のような透明な管の中に隔離されて相対している。そしてその中には何人たりとも入らせないような強い”壁”が立ちはだかっている。
そして光の伸びた先、おおかみさまの像の傍らに、スゥ、と光柱が立ち、ほどなくそれは七人の子供の姿を取る、あの生け贄の子供達!
『これからみるのが、さいごのひみつ』
一人の男の子の言葉を合図に、彼らはおおかみさまの像の左右に分かれ、その傍らに
ピシッ、パキパキパキイィッ!
同時に、おおかみさまの石像に亀裂が走る。な、なんや、おおかみさまの身に、何かが起こる?
バリン、バカァッ! ビキンッ ゴトッ!
おおかみさまの像が割れ、砕け、地面に石片が落下する。そしてその中から、一匹の生物が、まるで鎧を脱ぐかのように姿を現していく―
◇ ◇ ◇
「ひっ、ヒィッ!!」
悲鳴を上げて座り込んだのは医療班の紅一点、
「なっ、なんで、日本に、アレが!」
汗をかきながらピーター君が一歩二歩後ずさる。隣ではアバ君が「マイ、ガッ!」と囁くように神に祈る。
「シィッット!」
そう発して歯ぎしりをしたのはヤボ君だ、前傾姿勢で
「なんで、なんで、そんなこと・・・・・・」
私には理解できる。彼らがこうまで怯えるのは無理の無い事や、なにしろ過去のトラウマをまともにかき回されとるんやからなぁ!
石像の下から現れたのは今回は門田さんでは無かった。その像の形通り、中に納まっていたのは一匹の犬だった。
でもそれは”おおかみさま”の言葉から想像できるような、純白の毛並みとたてがみを備えた美しい姿では無かった。逆に悪神を連想させるような漆黒の邪悪狼の姿でも、なかった。
茶色い毛並みに、所々にある黒い
その姿を私は知っている。かつてあの狂気の宴、ここにいるヤボ君たちを売り買いしていた奴隷商船で、私にけしかけられ、彼らに悪夢の光景を見せようとした猛獣、アフリカの
「リカオンっ! なんで、日本の神様じゃろがいっ!!」
「アマノ・・・・・・にげて」
王さんが泣きながらそう呟く。その言葉に私は弾かれたように身をひるがえし、未来君を見る。
生け贄。
その言葉通りなら、未来君はあのリカオンに文字通り食い殺されるんやないか。当時あの場にいた子供たちは、かつて見ずにすんだ残酷な光景を、今この場で見せられるんやないか。
そして、未来君とリカオンは、結界によって同じ空間に閉じ込められてるんやないか・・・・・・
「未来君っ!!」
何が恋心を食うや、生まれてくる娘を娶るや、精神を食うや、そんなレベルやあらへんやないか!!
(・・・・・・え?)
私は未来君を見て固まった、彼の様子が想像とあまりにも違っていたから。
私はてっきり未来君が、あの姿を見ても毅然としていると思っとった。なにしろ大水害を目の前にして自分が生け贄になるんなら、とも思うやろうし、いくら動物嫌いでも一見貧相に見えるリカオンは、その大きな耳も相まってどこか愛嬌もある。その実態を知っていない限り、そこまで怖がることはないだろう。
でも、彼はまるで、王さんやアバ君と同じように。いや、あるいは、それ以上に動揺していた。
「あ、あああ・・・・・・」
ヒザを突き、目を見開いて涙を流し、震える体は固まったまま動かない。呼吸をするのも忘れたかのように大きく口を開け、その口から嘔吐がどろりと零れる。雫の落ちる先、彼の股間からは湯気が立っている、失禁しとる! なんで、そこまで!?
その時だった。未来君の背後に、まるで亡霊のように人影がヌゥッ、と現れたのは。
まるで背後霊のように現れたそれは、ドクロのような目をにやりと歪ませると、未来君の肩の上に手を添える。そこから伸びた糸が、まるで操り人形のように未来君の全身に繋がっていく。
そして、その背後霊が次第に、その姿を鮮明にしていく。
上等すぎるガウン、しわがれた指にはめ込まれた指輪の数々、邪悪で醜悪なシワの刻まれた悪鬼のような顔、老人でありながら妖怪の如く狂人の人相を纏った、闇の
「
なんで、どうして? あの男がこの場におる? あの船に乗っとった悪人どもの首魁が!
死刑になったはず、私を殺そうとして全てを暴かれ、破滅してとっくにこの世には居なくなったはずやないか、それが、なんで・・・・・・
なんで未来君の後ろにおるん? ほんで・・・・・・
未来君が、
操り人形の糸を恍惚の表情で操作しながら、富喜来は邪悪に嗤い、言葉を発する。
―さぁ、目を反らしてはいけないよ―
私の背後で「ちぃっ!」という舌打ちが聞こえる。それが鐘巻さんの発したものである事に、その時は気付かなかった。
―
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