第70話 両天秤

 午後六時、藍塚薬品本社の第三会議室にて、『時遡プロジェクト』の全員が集まって緊急会議が開かれていた。飛騨から急遽帰還した呪術班リーダー、天仙院白雲てんぜんいんはくうん氏の発言に場の全員が息を飲み、「そんな馬鹿な」という顔をする。


「大昔の水害を、今年に持ってきた・・・・・・ちょっと信じられないわね」

 プロジェクトリーダーの三木専務の言葉に頷いたのは医療班の面々だ。だが彼らも、もうその非科学的な話を頭ごなしに否定はしない。橘ワクチンの成功以来、彼らはファンタジーな話をとりあえず受け止めて、それを現代医学や科学でどう対処するかの方向に舵を切っていたから。


 かつてこの徳島、当時の阿波の国を襲った未曽有の大水害。その被害を食い止めるべく山の神『おおかみさま』は七人の子供を生け贄にして、その水害を遥か未来の現代へと追いやったというのだ。そしてそれを川の神様である龍神様が、時を経て受け取ったとのこと。

 その水を受ける為の人柱、すなわち『受け柱』が、私たちの友人の川奈潺せっちゃん・・・・・・


「だとしたら、今年の吉野川の水位が異常だったのも説明はつく、な」

 大荻さんが半信半疑でそう呟く。確かに今年、四国地方は雨不足だったにも関わらず、吉野川の水量は例年を大きく上回っていた。彼女が過去からの水を何度かに分けて受け取っていたのなら、あるいは本当にそうなのかも知れない。


「でも、勝手な話じゃないですか! なんで俺達この時代の人間が、昔の水害の尻拭いをしなきゃならない!」

 立ち上がってそう発したのは本田君だ。だがその当然の意見に、白雲さんが逆方向からの正論をぶつける。

「君はこの徳島の人間なのだろう。もし当時の水害で大勢の人が死んだなら、その中に君のご先祖様がおられる可能性は少なくないぞ」

 つまり、もしそうなっていれば本田君も、他の皆もこの世に生まれてすら来なかった可能性もあるのだ。そんな事実を突きつけられて、彼は言葉もなく着席する。


重なる時の、生け贄の子供トシウモルピリア・ケーラ

 マルガリータさんの呟きに続いて通訳のピーター君が解説を続ける。古代アステカで使われていた二つの暦が重なる時、捧げられる生け贄は最大の恩恵をもたらすと言われる。

「重なる時。つまり過去と現在、『水害』という共通のファクターを経てそれがここに実現した、と言ってます」


「ほれで私が、ほんで未来君がこの時代の生け贄に選ばれた、ちゅうわけ」

 かつて登紀が呪いを受けた原因、あの七人の子供達に「代わって」とお願いされた真意。それはかつておおかみさまが水害を完全には食い止められず、問題を先送りにした上で今度こそ決着をつける為に、より強力な生け贄として私を、そして未来君を選んだっちゅうわけか。

「おそらく今の時代にも『おおかみさま』は現れるであろうな。小僧を贄とし、龍神との決着をつける為に」

 白雲さんがそう結論付ける。せっちゃんが龍神様の力を得て水害を受け取り始めた以上、おおかみさまもこの時代に現れ、過去からの因縁を終わらせに降臨するであろう、と。


「じゃあどうするのよ、私達『時遡プロジェクト』は天野君の呪いを直すのが目的よ。でもこのままじゃ呪いをかけた『おおかみさま』のシナリオ通りじゃない!」

 ななみんが手を広げてそう発言する。確かにこのまま未来君が生け贄になってしまったら私たちのここまでの努力が無駄になってしまう。かといって未来君が生け贄にならなければ、どれほどの水害が徳島を襲うのか想像もつかない。


 水害阻止を取るか、未来君を取るか。

 人として県民の安全と生活を選ぶか、営利会社として時遡プロジェクトの成功を目指すのか。


「結論付けるのは早いな」

 今まで押し黙っていた井原会長が机をばん! と叩いてそう発する。

「我々としてはどちらかを取るのではなく、両方の成功を狙おうでは無いか。人間らしく欲張って行くとしよう」

 堂々としたその理想の意見に皆の顔がほころぶ。うん、さすがは会長、ここ一番での明確な目標提示は貫録すら感じるわ、あのロクデナシのヤンキーがなぁ・・・・・・



      ◇           ◇           ◇    



「天野の代わりに、身代わりアイテムでこらえて許してもらえんやろか?」

 水原さんが制作中のフィギュアを手にそう発言する。もし身代わりアイテムで水害が収まるならそれが一番だろう。現に歴史上でも身代わりの道具が災害を収めた例はあるのだから。

「それはおおがみさま次第ね。前にも言ったんでも、おおがみさまが生げ贄の何食うのがが分がらねぁーど」

 門田さんがそう返す。単に生け贄の姿形を欲するのならこの精巧な人形でも十分に使えるだろう。もしおおかみさまと出会ったなら、交渉する余地はあるんやろうか。


「えーと、トキちゃんが体外受精児だったから選ばれて、その後に天野君がより適任ということで代わったのよね」

 宮本さんツキちゃんが頭をひねってそう発する。そう、私がかつて贄に選ばれ、時遡の呪いをかけられたのは、私が人の手で作られた『作り物』だったからだ。だとしたらその私よりさらに適任な未来君は、おおかみさまに一体何を見込まれたんやろか。


「真面目さ、とか?」

「テンパりやすさじゃね?」

 未来君と言えばまず連想されるワードが出される。当の彼は「酷いなぁみんな」と呆れ顔だが、このさい何でも検証してみんと。


「だとすると、小僧の精神を食らうのかも知れぬな」

 白雲さんが大真面目な顔でぞっとする仮説を立てる。なんでも古来には人間の精神の源である『尻子玉しりこだま』を食う妖怪の話があり、それを奪われた人間は魂の抜けた廃人になってしまうと言われている。


「もしそんなのなら身代わりアイテムなんて意味無いな、とりあえず他の仮説を立てようぜ」

 ヤボ君の言葉に一同思考を切り替える。前例はあくまで最悪のケースとして、より説得の余地のある『贄』を考えていく。


「神ノ山さんと出会って、恋仲になってから呪いが移ったんやから、恋心を食べるとか?」

 王さんの乙女チックな過程にツキちゃんが眼鏡を光らせてメモを取る、こんな時でもブレない娘や。

「だとしたら・・・・・・東北で調べた『二人の間に将来出来る子供』じゃないか?」

 東北で伝承の調べ物をしていた時に何度か目にした猿神の話。飢えや病を治す代わりに将来生まれる娘を嫁に寄こせとの契約、それを未来君に確約させる気なんやろかと彼の方を見ると・・・・・・真っ赤になっとった。いやそれあくまで仮定やからな。


「そもそもその『おおかみさま』とやらが話の分かる輩とは限らん、人に勝手に呪いをかけるような者はな」

 鐘巻さんが少々イラついたような口調でそう発する。元刑事の彼にしてみれば憎き呪いの発動者に、また水害をこの時代に持ってきた相手に、今でいう忖度そんたくするような思考は受け入れられないみたいや。

「現れたらとっ捕まえて無理矢理にでも水害を収めさせる、それが道理だろう!」

 犯罪者に対しての怒りの目をしてそう続ける。たとえ相手が神であっても道理は曲げぬその考え方に、一部の面々がその通り、と首を縦に振る。


「・・・・・・難しいね」

 未来君がぼそりとそうこぼす。真面目な彼にとって、自分の身の為に生け贄を拒んで水害を引き起こしたなら自分を許せないだろう。かといって安直に生け贄になったら、自分が呼びかけて始まったこの時遡プロジェクトのみんなの努力を投げ捨てることになるのだから。

「ほんなことないわ、自分の事だけ考えとったらええんよ」

「君はあくまで『検体』だ。考えるのは我々に任せたまえ」

 私に続いて三木社長がそう窘める。ただでさえ当事者の重荷を抱える未来君が、その両天秤に乗っている問題にまで頭を悩ませる必要はないんや、一人でしょい込んでもしんどいだけやけんなぁ。

「そーそー、悪いようにはしないって」

「君を救えなければ我々は集まった意味がない、信じてくれたまえよ」

 橘医師とDr.リヒターがそう続く。話が呪いに傾いているとはいえ、医療班も座して結果を待つつもりは無いとの意思を告げる。


「ありがとうございます、よろしくお願いします」

 皆の激励に、立ち上がって頭を下げる未来君。思えばプロジェクト発足の時も同じようにテレビ画面に頭を下げとったなぁ。ええんよ、その真面目さこそ未来君・・・・・・


 ―ヴンッ!―


「なっ!?」

「魔法陣、久々に来たっ!」

 未来君の周囲におなじみ五重の輪っかが浮かび上がる。同時に彼の左腕に巻いたバンドが魔法陣を感知し、即座に未来君の腕にワクチンを撃ち込む。

「効いていそうかね?」

「ええ、痛みが引きません、大丈夫です」

 橘医師の質問に答える未来君。よし、医療班の会心の一作である自動注射帯インジェクションバンドはしっかり仕事した、これなら彼が急激に若返る事はあらへん。


 そして彼の周囲から、ゆっくりと手が生えてくる。それは二の腕から首、胴体から足まで生え続け、そのまま全身が魔法陣の上まで出揃うと、その七人の子供達がふわりと未来君を囲んで着地する。


「ちょうどいいな、色々聞きたいことがあるからなぁ」

 鐘巻さんが指をゴキゴキ鳴らして近づく。確かに今ある疑問を聞き出す事が出来れば方針がはっきりするだろう。

「坊やたち、全部話してもらうよ。『七つのひみつ』、そろそろおじさんに教えてくれたまえ」

 子供相手に精一杯怒りを抑えた表情でそう詰め寄る。でも彼の正面にいる男の子は「それは・・・・・・言えません」と首を振る。

 ぴきっ! と何かが響割れるような音がした。それは多分鐘巻さんが発した怒りの音なのだろう。

「待って下さい、この子達は悪くない、そうでしょう?」

 思わず手を伸ばしかけた彼を、未来君の言葉が押し止める。少し躊躇したその手首を今度は私が掴む。

「らしくないわ、落ち着いてな、敏腕警部さん」


「ああ、すまん・・・・・・少し興奮した」

「いえ、怒ってくれてありうがとうございます」

 ふぅ、と息をつき、腕と矛を収める鐘巻さんに未来君が礼を述べる。今この子達とモメても得られるものはないやろう。


「それで、今日はどうしたの?」

 未来君がヒザを付き、子供達と目線を合わせてそう問いかける。それに応えて七人の子供たちが声を揃えて、一斉にこうハミングした。


 ―おおかみさまがまってる。『あそこ』にきてください―

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る