第61話 大神と龍神

「お、おおお、なんと神々しいお姿!」

「おおかみさまじゃ、おおかみさまがご降臨あそばされた!」

 坂の上に現れた門田さんの姿をした人物に、集落の者たちが感極まった態度でひざまずき、彼女を崇め奉る。

「おおかみさま、その子らをどうか生贄としてお召しになられ、そして何卒なにとぞ、何卒この雨を止めて下され」

「野分が近づいておりますれば、このままでは村の者ことごとく吉野の川に飲み込まれます、どうか、どうかおおかみさまのお力を持ってお救いを!」


「のわき?」

「確か台風のことやったわ、確かにこの風、台風が来とる時に似とる」

 ななみんの疑問に登紀わたしが返す。確かにこの土地の水かさに加えて台風なんかが直撃したら、集落丸ごと浸水、最悪家ごと流されかねない。河川が決壊し濁流と化してここを飲み込む可能性もあるだろう。


「何を勝手なことを! だったら大人たちが生け贄になればいいんじゃないか!」

 激高する未来君。本田君も「まったくだ」と続くが、渡辺君がそれを嗜める。

「生け贄や人身御供っていうのは子供じゃないとあかんみたいなんや、門田さんの所の本もたいていそうやったし」

 ここしばらくずっと門田さんと行動を共にしていた渡辺君には、そういった神話や伝記を読む機会が多かった。その彼がそういうなら確かにそのケースが多いのだろう。


 そんな話をしている内にも、生け贄の子供たちはぬかるんだ坂をまるで階段のように昇り続け、ついには門田さんおおかみさまの前に立ち並ぶ。


 その時だった。門田さんのその顔がひときわ濃さを増し、まるで人狼のようにぐにゃりと鼻筋を伸ばし、口を少し開けて牙を覗かせたのは!

 集落の民たちは、おお、とその変貌ぶりに感嘆の声を上げるが、私達はみんな背筋が凍る思いだった。これからあの子供達が門田さんに食い殺される・・・・・・?


 しゃらん!


 彼女が手にした神楽鈴を、正面の子供に向けて一振りする。その瞬間からその子供の姿が薄まっていく・・・・・・、まるで立体映像を消していくかのようにフェードアウトして、いなくなった。

 そして門田さん、いや人狼は顔をにやりと歪ませ、ぺろりと舌なめずりをする。

「た、食べられた!?」

 宮本さんが呆然としてそうこぼす。確かにあれではまるでその存在そのものを食べられたかのように見え・・・・・・・


 -ヴンッ-


「う、うわっ!」

「魔法陣が出た、って、さっきの子供まで!?」

 未来君の周囲におなじみ五つの輪の魔法陣が現れた。しかもたった今、山の上で消えた子供がその魔法陣の縁にそのまま立っていたのだ。いつもの手だけと違って、最初から全身を晒した状態で!

「天野君、ワクチンは?」

「だ・・・・・・大丈夫、まだ効いてる」

 この世界に送り込まれてすぐ打った橘ワクチンはまだ効果が続いている、でもこの異常な舞台でそれがいつまで持続するかは分からない、油断は禁物だ。


『よく、みてて。これからおこることが、むっつめの、ひみつ』

 魔法陣に立つその少女が山の上の『おおかみさま』を指差してそう告げる。


 -しゃん、しゃらん、しゃあぁんっ-


 次々と神楽鈴を打ち振るう人狼。その度に目の前の子供たちが薄くなり消えていく、そして人狼が何かを咀嚼し、飲み込み、ふぅ、と息をつく。


 -ブン、ヴンッ、シュヴン-


 そして彼らが消えるたび、未来君の魔法陣の周囲に彼らが勢揃いしていく。その中心にいる彼の左右を私とななみんが庇うように立ちはだかり、鐘巻さんが山頂の人狼と未来君の直線上に割って入る。意味があるとも思えないが、少なくともこれが私たちの『意思』や、と。


 最後の子供が喰われ、七人目の子供が魔法陣に現れたその瞬間だった。ふと雨が止み、台風の気配を思わせる生暖かい風がスッ、と収まった。

「え・・・・・・これは、本当に」

「雨を、止めたの?」

 さっきまでの展開からしても、これはあの人狼おおかみさまが人身御供に応えて、雨を止めたかのような気にさせる。じゃあ、やっぱりこの『おおかみさま』は・・・・・・・


「マイ・・・・・・ガッ」

 そうこぼしたのは鐘巻さんだ。その顔じゅうが脂汗でまみれ、全身が総毛だっている。

「鐘巻、さん?」

「お前たち、感じないか? まるで災害ディサスターの前のようなカームを!


 ぞくり!


 言われて初めて全員が気付いた。特に霊感など無くとも感じられる、悪い予感が空気そのものからビンビン伝わって来る。まるで噴火直前の死火山の火口に立っているかのように!


 ズ、ズズズ・・・・・・


 空気が震え出す、風がゆっくりと流れだす、雲がさらに厚みを増していく。これは・・・・・・マズい!

「みんな、あれっ!」

 叫んだのは宮本さんだった。彼女の指差す方向、おおかみさまのいる山の反対側。そこには遥かに広がる平原があり、その地平線には、一本の青い線が走っていた。

 その線は秒ごとに縦に厚みを増し、地響きを立てながら少しづつこちらに迫って来る。

「つ、津波だっ!」

 全員がざざっ、と一歩後ずさる。誰もがでも、とその場から動こうとはしない。この世界は今の現実ではなく、過去に起こったであろう映像を見せられているにすぎないと思っているから。


「って、みなさん、早く避難を!」

 未来君が振り返って叫ぶも、村人たちは一心不乱におおかみさまに祈りをささげるばかりで、背後に迫り来る危機に気付きもしない。いや、あるいは知っていて目を背けているのか、それともあの『おおかみさま』が、見せないように村人たちを縛っているのか。いずれにしてもそこから逃げようとする者は誰も居なかった。


「いや・・・・・・津波じゃない、あれはむしろ、濁流?」

 迫り来る青い水から目を離さずに発したのは本田君だ。言われてみれば迫り来る水は押し寄せる波と言うより、一本の流れとなってうねりながら迫り来るように見える。しかも平原を押し迫っているにもかかわらず泥の色をしていない、まるで一本の清流がそのまま迫ってくるようだった。


『来たか、龍神よ!』


 世界に響く声を発したのは振り向かずともわかる、あの山の上の人狼だ。人ならざるその声量と音程の圧は大気を震わせ、押し寄せる波に劣らぬ威圧を響かせる。


 そしてその濁流が目の前まで来た時、まるで毒蛇がそうするように流れが鎌首を持ち上げた。水の先頭が渦を巻いて形を成していく、そして人狼の言葉通りの龍の頭を形どる。


 濁流は巨大な一匹の龍に姿を変えていた。頭を山の上の人狼と同じ高さまで持ち上げ、その長い体で空中に渦を描いて漂わせる。

 山の上の大神と、その正面まで巨体を持ち上げた龍神が、お互いをめ据えて対峙する。


 その龍の頭の傍らに、ひとつの人影が宙に浮いていた。あまりにも場にそぐわぬ姿で。

「うそ、でしょ」

「せっちゃん・・・・・・なんで?」


 短く切りそろえたボブカットの髪を風になびかせ、活動的なホットパンツにスポーツ用品メーカーのロゴが入ったTシャツをまとった、この場にあまりにもそぐわない見姿で龍と共に居たのは間違いなく私たちの友人、川奈 潺かわな せせらぎその人だった。


『大神よ、如何に乞われようと無駄な事。この地が没するは天の意思なれば』

 大気を震わせて響いたのは、まちがいなくあのせっちゃんの声だった。マイクもスピーカーも使っていないのに、あの人狼の声に負けぬ超常の響きをもって、それでもそれは私たちの友達の声だった。 


「おい川奈、なにやってんだお前ーっ!」

「せっちゃーん、聞こえるーっ!?」

 懸命に呼びかけるも、彼女は私達に一瞥もくれずに、おおかみさまに向かって言葉を続ける。


『天よりの雨が大河を成す、それすなわち天の意思。この地はおかの者より河の者の場となる』

 彼女らしい凛とした態度でおおかみさまにそう告げる。この地は人間から、魚やそしてあの河童たちが住まう地になるのが天の意思だ、と言わんばかりに。

 そんな解釈を私たちがしたのは、東北に来て以来そういった逸話や伝承を研究して来たからかもしれない。思えばせっちゃんは十二支の『辰』担当だった、だからあの水の龍の代弁者になっとるんやろか?


『そうはいかぬよ、吉野の大河で収まり足るを知るがよい』

 そう返すおおかみさま。だが龍とせっちゃんは変わらぬ態度のまま、口角を少し上げて高圧的に返す。


『無駄な事、と言ったはず。今のお主の力程度で、我が流れは止めるにあたわぬ!』

 その瞬間だった、どどどどぉぉっ! と叩きつけるような豪雨が降り注いだのは。今でいうゲリラ豪雨もかくやといわんばかりの雨量に、山の上の人狼も龍の傍らのせっちゃんも、その姿を雨中に消し去る。

『その程度の”贄”を得たところで、我を凌駕するなど詮無き事。それは承知の事であろう』


 降り始めた豪雨の音に、村人たちの悲鳴が織り交ざる。この雨はまさに彼らにとって天から落ちる絶望と言えるだろう。生け贄を捧げたにもかかわらず、天の神からのこの仕打ちに、怨嗟の声を撒き散らす。


『余は山の大神。山に降る雨を受け止め、大河に返す存在ぞ、ゆめゆめ侮るではない!』

 おおかみさまの声が響く。この絶望的な状況にあってまだ、彼には何か手があるというのだろうか。


 -ウオォォォォーーーーン-


 狼の遠吠えが響き渡る、豪雨の音を引き裂いて響くその声は、どうしてか、どこか・・・・・・


「なんだ、なんか哭いてるような声」

「うん、悲しそうな遠吠え、よね」

 本田君に続いて宮本さんが感想を述べる。あの強大に見える龍神に相対している狼にはしてはあまりに悲しげで、そして悔いを感じさせる響きだった。


「え、なっ何?」

「なんだ・・・・・・湯気? いや、蒸気か?」

 足元からいきなり水煙が立ち上り始めた。それはすぐ視界に入る大地全てから立ち上り、豪雨の中に湯煙を立ち昇らせた、次の瞬間!


 ぱりぱりぱりぃっ!


 乾いた、空気を爆ぜるような音が世界に響いた。充満していた湯気は瞬時に消え去り、足元の水がみるみるうちに消失して乾いた大地に代わる。降り注ぐ大粒の雨は地面に水痕さえ残せず、その『渇き』に存在を消し去られ続けていた。

「世界が・・・・・・乾いていく!?」

 水に浸かっていた水田はあっという間にひび割れが見えるまでに乾き切り、腐敗の色をしていた稲穂は鮮やかな白金の輝きを持って実りの粒をたたえている、降りしきる雨は大地の渇きの前に、その爪痕さえ残せなかった。


 やがて雨が上がり、雲の切れ間から陽光が差す。大地は潤いを残しつつも渇きを称え、恐水の影は綺麗に消失していた。


 いつの間にか村人達は踊っていた。笛を吹き、鐘や太鼓を打ち鳴らし、稲穂を手に持って歓喜の舞いに身を躍らせていた。

「おおかみさまのお力で、吉野の大河をお鎮めになった」

「我らのささげたおのこにおなご、おおかみさまといっしょにかみとなられた」

「やれうれしや、やれありがたや」

「いなほはみのり、みずはせせらぎ、だいちはわれらをおささえくださる」


 彼らにはすでにおおかみさまも、そして龍神の存在も意識から消え去っていた。でも私たちには未だにあの山の上とその前で対峙するおおかみさまと龍神の、門田さんとせっちゃんの姿が見えていた。


『それが、お主の答えか、大神よ』

 せっちゃんが威圧半分、憐れみ半分で門田さんにそう告げる。門田さんも今は人狼の面影はなく、いつものあの温和な顔に戻っていた。


『これが、今の余に成せることなれば』

 そう言ってがくっ、とヒザをつく門田さん。精も根も尽き果てたといった感じで、それでも相手から目を離さずにそう告げる。

 せっちゃんはしばらくその様を眺めていたが、やがて、ふっと笑みを見せると、一言こう返した。


『よろしい。ならば悠久の時の流れの中で、いつか受け取ろう・・・・・


 そしてせっちゃんと傍らの龍は、生け贄になった子供たちと同じようにふっ、とフェードアウトする。それに呼応するように世界が夜に入れ替わり、満天の星々が空を覆う。

 村人はいつの間にか消え去り、山の上の門田さんだけがそこに残されていた。そして彼女はヒザをついた状態から、ぐらっ、と体を前に傾けて・・・・・・


「門田さーーーんっ、あぶなーーーい!!」

「気を失うな、起きろミセス・カドターっ!」


 未来君と鐘巻さんの絶叫が響く中、彼女は生け贄の子供たちが上がって来た坂道を、転がるように転落していった。

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