最終章 過去と現在と未来

第60話 かの時へ

 空も、足元も、四方も。


 世界の全てにヒビが走り、まるでプリズムガラスのように、あるいは万華鏡の欠片のように、細かく分割されていく。


「未来君、腕、まくって!」

「あ、うん!」

 私は未来君の手首を掴み医療ガンを構える。先の遠野での一件もあって、もし何か異能を感じる変化があればすぐさまワクチンを撃ち込むと決めていた。彼も承知ですぐに服の袖をまくり、二の腕をあらわにする。

 パシュッ、という音と共に細胞弾が撃ち込まれる。未来君が痛みに瞬間顔をしかめるが、すぐに笑顔を見せてお礼の意を示す。これで最悪の事態は避けられるだろう。


「な、なんだぁ、こりゃぁ」

「これ・・・・・・遠野の時と違う、何が起きてるの?」


 ヒビ割れたガラスのように細かく分割された世界は、その一片一片が違う世界を次々と映し出し続けていた。もはや恐山の風景はどこにも無く、花畑が、都会の喧騒が、砂漠が、海が、まるでTVのチャンネルを連続で切り替えるように次々と映し出されていく。

「世界が・・・・・・壊れて、いくの?」

 宮本さんが胸に両手を添えて思わず嘆く。次々と変化していくその世界の様に、今まで彼女が見聞きしていたファンタジーの世界を超える怪奇現象に、震えながらそこにへたり込む。


「かっ、門田さんがおらん!」

 渡辺君が思わず叫ぶ。私達の中心におったはずの、そしておそらくは『おおかみさま』が憑依していた彼女は、いつのまにかそこから姿を消していた。

「バカな・・・・・・俺は目を切ってはいなかった、人が、掻き消えるなんて!」

 鐘巻さんが冷や汗を流しながら愕然としてそうこぼす。彼女の護衛を任されていながら、その姿を見失ったことに対して歯噛みをしながら。


「って、せっちゃんもいなくなってる!」

「なんやってぇ!?」

 ななみんの叫びに私も反応する。おおかみさまが憑依した門田さんが消えるのはまだ在り得ることではある、でもまさか私たちと同じように立っていただけのせっちゃんまで消えてしまうなんて・・・・・・一体これはなんなんな?


 その間にも四方は次々とピースごとに違う世界を映し出し続けている。ひまわり畑、星空、森、お祭り、魚、山脈、木造の家、夕暮れ、大雨、お葬式。ありとあらゆる景色がまるでフラッシュバックのように、その世界のピースに現れては消えていく。


「みんな、集まって!」

 未来君が思わず叫ぶ。そうだ、この異常な世界ですでに二人も行方不明になっている、このまま各々がボーッとしとったらそれこそ全員バラバラにされかねない。

「応」「だな」「そうね!」

 みんなが一斉にその発案に同意し、へたりこんだ宮本さんの元に集まる。

「手を繋いで、鐘巻さんも、早くっ!」

 全員が輪になって手を繋ぐ。その間も周囲の景色はめまぐるしく変化を続けている。でもただひとつ、最初の頃とは明らかに違う点があった。

「なんか・・・・・・昔になってないか?」

 本田君の言葉通り、空間の欠片に見える景色からいつのまにか、都会や自動車、飛行機と言った現代のものが映らなくなっている。代わりに目にするのは藁ぶき屋根やあぜ道、馬に乗る武士、千刃こきで脱穀する農民、電線や鉄塔の皆無な山々。明らかに時代を遡っている景色を映し出している。そして・・・・・・


 -ぱりいぃぃぃぃ・・・・・・ん!!-


 空間が、一斉に砕け散った。



      ◇           ◇           ◇    



 ぐちゃっ。


「え・・・・・・雨?」

 世界が砕けた後に、いやむしろその外側にあったのは、降り注ぐ霧雨に霞む世界だった。足元の靴がぬかるんだ地面にめり込み、足を動かす度にぐちゃぐちゃと音を立てる。

「ここは、どこ?」

 周囲をを見回す。そこは明らかに今より昔の田舎の景色だ、電線鉄塔も通信の電波塔も見当たらず、手つかずの山々の麓にいくつかの古い家々があり、その先には見渡す限りの田んぼが広がっていた。

 

「せっちゃーん、どこーーー!?」

「門田さーんっ、川奈ーっ、聞こえたら返事しろおぉぉーっ!!」

 ななみんや渡辺君に続いて私達も声を張り上げる、いつの間にか消えていた二人やけど、ひょっとしたらこの近くにいるかもしれへんから。

「せっちゃーん、門田さーんっ! 聞こえるー!?」

「俺達はここにいるぞーーーっ!ミセス・カドタ、ミス・カワナ、返事プリィーーズ!!」


 ひとしきり叫んだ後、全員が耳を澄ませて返事を待つ。だが聞こえてくるのは、しとしとと田んぼを打つ霧雨の音のみで、聞き慣れた友人やおばあちゃんの声は響かない。


「だめか・・・・・・っていうか、ここどこだよ」

「恐山じゃないことは確かよね、硫黄の臭いがしないもん」

 改めて周囲を見回す。その空気は静謐で、あの異様な圧とガス臭のする恐山の地とは明らかに違っていた。


 そして周囲の田んぼに目をやり、思わずこぼさずにはいられなかった。

えらいひどいこっちゃね、これ全滅しとるでないで」

 私の言葉に、農業の知識がある何人かが首を縦に振る。田んぼにある稲はもう実をつけているにもかかわらず、一面が水に浸かってしなだれかかっている。明らかに水を抜く時期なのにこれでは稲は全滅だろう。


「長雨が原因かな、用水も溢れまくってるよ」

 田に水を引く溝は、その排水キャパを明らかに上回る水によって満たされ、それが田に溢れてこのあたり一帯を完全な池にしてしまっている。私達が立つあぜ道は辛うじて水に浸からずに済んでいるが、それでもぐちゃぐちゃにぬかるんでいて、もはや時間の問題かと思わせた。


 -いやあぁぁぁー


「えっ!?」

 遠くから聞こえた叫び声に全員が一斉に振り向いた。山の麓にある家々から聞こえたその声に全員がばたばたと反応し、集落の中でも一番立派な藁ぶき屋根の家の前に目をやる。

 そこにいたのは、一人の男が男の子の手を引っ張ってどこかへ連れ去ろうとしてる姿と、その男の子にすがり付いて泣きわめく少女の姿だった。

「聞き分けんか、ニナぁっ!」

 男がぱぁん、と少女の横っ面をひっぱたく。その容赦のない一撃に小さな女の子は吹き飛ばされ、水たまりに倒れ込んでしぶきをあげる。でも次の瞬間には号泣しながらも起き上がり、再び男の子にすがり付く。

「いやあぁぁぁー! にいにをつれてっちゃやだぁーー!!」


「人身売買かよっ!」

 本田君の叫びと同時、堰を切ったように彼と未来君がそこに向かってダッシュする。格闘家である本田君と、正義感の塊の未来君がその光景を黙って見ているわけは無かった、私達もそれに続いて駆け出す。

「あかんおっとう! にいにをつれてったらあかん、あととりだっていってたでないでー!」


「人身売買じゃ無くてDVかよ! 天野、女の子を頼むっ!」

「うん!」

 大人の男に本田君が、女の子の方に未来君が駆け寄り、泥しぶきを上げてブレーキをかけ、二人の間に立ちはだかる。その時まさに男が少女に二発目の張り手を打つべく手を振り上げていた。


 そして、その打ち下ろされた手が、本田君のガードの腕と、女の子に覆い被さる未来君の体を、すり抜けて・・・・・


 ぱちぃん、と少女の頬を強烈に叩いた。


「え!?」

「すり、抜けた・・・・・・?」


 倒れ込んだ少女の元に、その男と手を掴まれた少年が歩む。本田君の体を通り抜けて。

「ええかニナ、みな山神様に人身御供を差し出しとんのじゃ。庄屋のわしとこだけ出さんのでは示しが掴んのや」

 男、おそらく少年と少女の父親が悲しい目をしてそう告げる。そう言われた少女は水たまりに座り込んだまま、絶望の声を上げて泣き叫んだ。

 そして、別の所からもすすり泣く声が聞こえていた。その家に目をやると、着物を着た女性が畳に顔をうずめて泣き暮れていた。

 少年は泣く少女をそっと抱きしめて、優しく声をかける。

「ニナ、そしておっ母、もう泣かんでもええ。おらはこれからえらいかみさまのとこに行くんじゃけん」

「今年の梅雨ナガセの大雨で米は全滅、しかも野分のわきも近づいちょる。このままやったら皆死んでまうんやで!」

 後ろの父親がそう続きを語り、ぐいと少年を立ち上がらせる。引きはがされた女の子に彼は優しく頭をなでてやると、そのまま父に手を引かれ、家を背にして歩き始めた。


 その正面に、私は立っている。

 止めるつもりやった。ほなけんど私はその子を正面から見た途端に別の思考に引き釣り込まれてしまった・・・・・・身動きが出来へん私の体を、父親と息子がすり抜けていく。

「未来、君。あの子・・・・・・」

「え・・・・・・あ! まさかっ!」

 私の態度で察したか、未来君が二人を追いかけて追い越して、その正面に立って、手を引かれる男の子をじっと見る、そして彼も弾かれたように気が付いた。

「あの、魔法陣の・・・・・・子供!!」


 私や未来君の魔法陣から出てきた七人の子供、その中でも一番いい身なりをしていた男の子。剣山山頂で私達やマルガリータさんの前に現れ、星占いでオオカミ座と冥王星を指し示したあの子だ、間違いない!

「うそ、でしょ!?」

 ななみんが呆然としてそう嘆く。ほれやったら私たちはあの子供達が生け贄になるその時に連れてこられたって言うの!?

「あり得るわね。門田さんに憑りついたおおかみさまも『余と贄の契り』って言ってたし、何よりみんな阿波弁でしゃべっとるし」

 宮本さんの言葉に全員がハッとさせられる。確かにあの一家も全員が阿波弁なまりで喋っており、それが青森ではなく徳島な事を証明していた。


 泣き叫ぶ少女と嗚咽を漏らす母親を背にして、私たちは父子が向かう先に目をやる。そこには大勢の大人たちが集まり、うち何人かは少年や少女を連れていた。そしてその全ての子供に、私と未来君は確かに見覚えがあった!

「間違いない、みんなあの魔法陣の子供だ!」

 未来君が険しい目をして彼らのもとに向かう。さっきからの経験からおそらく言っても何もできないだろう、この光景はいわば映画のように、こちらから見て聞くことは出来ても触れることは出来ない、そして向こうはこちらを認識すらしていないのだから。


 人だかりの向こうには、三人ほどの神主の衣装を着た老人が、木造りの祭壇に向かって大麻おおぬさ(お祓い棒)を振っている。その先には山があり、木々を避けるようにして一本の土道が山頂まで真っすぐに伸びていた。その道のすぐ前に七人の子供たちが立ち、大人たちが神主の後ろに下がる。


「山の大神様よ、このままでは私たちは水に沈んでしまいますれば、この子らをお捧げ致します」

「なにとぞ、なにとぞ、吉野の川の龍神をお鎮め下さいますよう、お頼もうします」

 神主たちが口々にそう唱えながら大麻を振り回す。そして脇に控えていた巫女たちがチンチンチン! と鐘を打ち鳴らすと、子供達はその切り立った土の道に足を掛け、登り始める。


 ザッ!と未来君がその前に、両手を開いて立ち塞がる。

「行っちゃダメだ! 生け贄なら僕が代わるんだ、君たちがそう言ったじゃないか!」

 でも彼らは未来君がいないかのように通り抜け、そのぬかるんだ坂を登り始める。不思議な事にこれだけ雨が降って濡れている土の道、しかも山に向かって切り立ったその道は崩れる事もなく、子供たちの足をしっかりと支えて放さない。

「待って!」

 未来君が子供たちを追いかける。でも少し登っただけで足をぬかるみに囚われ、ずるりと滑ってうつ伏せに倒れ、そのまま滑り台をずり落ちるように下まで戻る。

「行くっちゃ駄目だって!」

 それでも顔を起こし、手と足を使って泥の上り坂を駆け上がろうとする。だけど道はまるで彼を拒むかのように崩れ落ち子供たちを追わせない。

「なんで、どうして・・・・・」


 私は四つん這いになったまま上を見上げる彼の元に行き、肩を貸して起き上がらせる。

「落ち着いて未来君。これって多分遠野の時と同じ、立体映像みたいなものを私たちに見せとるだけなんや」

「あ・・・・・・」

 そう、あの遠野のかっぱのAIの部屋で見た川の流れ、水しぶきすら上がるリアルさだったが、実際には水に濡れてはいなかった。

「あれだけ派手に転んだ未来君の顔も体も泥で汚れてないし、雨に打たれとる私らの服も濡れとらん、やけんこれはただの映像なんや」


「そんな・・・・・・」

 悲壮な顔で俯く未来君。多分彼にはあの幼い妹と母親の姿が焼き付いとるんやろう、彼らを救ってあげたいと思うがゆえにこんだけも思い入れてしまうんや。

「天野、落ち着け、これはたぶん『おおかみさま』とやらが見せてる幻覚や」

「そうよ、ならこれから何が起こるかをしっかり見て、今後の参考にしないと!」

 本田君と宮本さんが、今やるべき事を彼に示す。そう、確かに門田さんに憑依したあのおおかみさま? はそう言っていた。だったら未来君はその様を目を反らさずに見届けなければいけない。


「お、おい・・・・・・あれ!」

 渡辺君が指し示す先、道の行きつく先、その頂に一体の像が鎮座していた。

「犬の・・・・・・像?」

 ななみんの言葉通り、そこにあったのは牛ほどもある犬が腹ばいになって伏せ、首だけを伸ばして下を、登って来る子供たちを見ている石像の姿だった。

「おおかみさま、やはり『ウルフ』なのか!」

 鐘巻さんがそう叫ぶ。西洋にあっては悪と謀略の化身、和の国においては山のいなると称されるその姿、やはり大神は狼だったんだと確信を持つ。


 だけど次の瞬間、その確信はあえなく霧散する。


 石像がぐにゃりと姿を変える。四つ足の動物から人の姿に、紅白の巫女の衣装に身を包んだ、ひとりの老婆の姿に!


「「門田さんっ!!!」」


 そこにいたのは、恐山で口寄せの術を使ったはずのお婆さん、私たちのために色々世話を焼いてくれた、門田 一花かどた いちかさん、その人だった。



 その目を赤く染め、不敵な笑みを浮かべた、あの時のままのかおで。

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