第59話 旅の果てに、出会う。

 登山道に入ってすぐ、鮮やかなコバルトブルーが映えるカルデラ湖の淵を歩きながら、その絶景ぶりに皆が思わず感嘆の言葉を漏らす。

「うっわーなにこの湖、沖縄かハワイの海岸みたい」

「宇曽利湖(うそりこ)ですって。強い酸性の湖だからこんな色なんだって」

酸性湖ACID LAKEってやつだな、イエローストーンを思い出すよ」

 強い酸が鮮やかな青色を浮かばせ、人が生身で入ったりすると肌を火傷してしまう、どこかの有名なアニメ映画で見たような湖だ。


「ほんまに恐山って、なんでもありなんやなぁ」

 ここに来てからというもの、その世界観の違いに驚かされっぱなしだ。日本の伝説や伝承の世界がリアルで存在しているこの地は、今風に言うなら異世界にやって来たみたいな錯覚すら起こさせる。


 湖を過ぎ、いよいよ本格的な山道に入る所で、本田君が先頭にいる門田さんの前に背中を向けてかがみ込む。

「じゃ、こっからは俺が負ぶっていきますよ」

「おやおや、そうがい? すまねぁーねぇ」

 人一人背負って登山とか無茶な話ではあるが、柔道国際強化選手の彼ならあるいはこなすかもしれない。彼にとってもいいトレーニングになるだろう。


「でも門田さん、なんで巫女さんの衣装なの?」

「ほうやな、私も気になっとったわ、お寺から出て来たのに」

 宮本さんの言葉に登紀も続く。未来君や本田君は「何が?」という表情を見せているので解説を入れておく。

「巫女は神社のほうなんよ、お寺と神社が一緒になっとるとこもあるけど、菩提寺は完全に仏教みたいなんやけどなぁ」

 私の解説に、ああなるほど、と頷く面々。徳島にも大きな神社とお寺が隣接している所はあるが、お正月に巫女さんがいるのは確かに神社の方だ。


「おらのこれは、まぁアルバイトみだいなものなの」

 本田君に背負われたまま門田さんがそう返す。え、門田さん巫女のバイトしてらっしゃる?


「おらね、イタコのの出なのよ」


「「えええええーーーっ!?」」

 未来君と本田君、それに鐘巻さんを除いた全員が仰天の声を出す、イタコといえば死者の声を聞く『口寄せ』の術を使う伝説の巫女のはず・・・・・・まさか、門田さんが?


「イタコってなんだー?」

「死んだ人を憑依させて、その言葉を伝える人! 有名よ!」

 呑気な本田君の質問に宮本さんが食い気味に話す。ああこの二人、本当に真逆なカップルなんやなぁ・・・・・・・

「あ、そっか。それで門田さん、昔話に詳しいんだ」


 何気に発した本田君の言葉に未来君がうんうんと頷く。私含めて他の皆は一様に「へ?」という表情を見せる、その点にどういう繋がりが・・・・・


 ああっ!!


 全員が一斉にその事実に気付いて、改めて門田さんを見る。ほうや、伝説や伝承なんかその時代の人でも無いと正確に知る事はできへん。ほなけど、もし昔の人の言葉を聞く事が出来る人がおったら、どんな逸話や歴史やって正確に調べることができるでないで!


「ま、ほいな事。おらは口寄せでいろんな知識得で、こいな偉そうな肩書ぎたがいでるのよ。まぁズルよね」

 その言葉に全員がいやいやいやと首を横に振る。イタコの力は門田さんの実力なんやし、それで聞いた知識が過去の曖昧な歴史を修正しているとなれば、それはもうズルではなく神がかりの力というべきやろう。


「で、その衣裳で山に登るって事は・・・・・・もしかして山の上で『口寄せ』を?」

「せいかーい」

 未来君の質問に彼女はにこやかにそう答える。どうやら恐山まで来た一番の目的はそこにあったみたいや。ほなけど、まだ一つ分からんことがある、それは・・・・・・


「ちょ、ちょっと待って。じゃあ一体だれを呼ぶつもり?」

 ななみんがそう問う。そう、問題はそこだ。未来君の時遡の呪いは現代の病であり、私たちの知っている先祖あたりを呼んでも手掛かりは無いだろう。仮に門田さんの故知の方を呼ぶにしても、そうそうこの呪いを知っているとも思えない。


 が、門田さんは柔らかな語りを崩さぬままに、とんでもない爆弾発言を言い放った。


「もぢろん『おおかみさま』」


 ぞくぅっ!


 全員の背中に寒い物が走り抜けた。時遡の呪いの張本人、いや張本神であるやろう『おおかみさま』、未だ正体が見えないその存在を、彼女はその身に宿そうというのだ。もしそれが成功すれば、私達時遡プロジェクトの決定打となりうる!


「す、すげぇっ! さっすが門田さんや!」

「これはぁっ・・・・・・劇的に事態が進むかも」

 渡辺君が拳を握って興奮気味にこぼし、宮本ツキちゃんが思わぬ大イベントに眼鏡をキラリと輝かせる。

「けど、それって大丈夫なんですか?」

「言えてる・・・・・・天野君の呪いみたいなのを仕掛ける存在なんでしょ? 門田さんに何か悪影響あるかも」

 未来君に続いてななみんもそう門田さんを案ずる。あの「おおかみさま」は超常の力を持った危険な存在であることは確かだ。それを自らに憑依させるなど彼女自身の身を危うくする、その可能性は決して否定できないだろう。


「心配してけでどうも。んでも、それがおらにでぎる事だがら、やらせでけろ」



 山頂に到着、さすがに息を荒げている本田君が門田さんを下ろす。東にはさっきの青い湖が強烈なアクセントを放ち、西の空には今まさに夕日が山々に落ちようとしていた。

「うん、いい頃合いね」

「頃合い?なんかタイミングがあるんですか?」

「ええ。誰そ彼時たそがれどき、昼夜さ代わる時、隣の彼誰だがわがらねぐなる時」

 門田さんは語る。夕闇に沈みつつある時間帯は人の表情が読み取りにくくなり、隣人であるはずの人が別人に見える時がある。その時こそが人ならざる者、神や魔、妖怪や魑魅魍魎が人に憑りつきやすくなる絶好の刹那なのだとか。

「そうか! だからこの時間に、山に来たんですね」

 未来君の言葉通り、これですべてに得心がいった。この恐山に来たのも、この時間帯をわざわざ選んだのも、全てはこの時の為にと門田さんが選んだ決断だったんや、彼女もまた『時遡プロジェクト』の一員として、危険を顧みずに自分の役割を果たそうとしているんやな。


「ほな、始めるわよ。みんな、位置についでね」

 門田さんの指示に従い、私たちは宮城の家で座っていたように、彼女を中心に十二支の方角に位置する。西方『とり』の位置に未来君が夕日を背負って立ち、その隣で私が万が一に備えて、未来君の為の医療ガンを構えて待機する。


「鐘巻さん、門田さんにもし何かあればお願いします!」

 ずっと彼女の面倒を見て来た渡辺君が不安げな顔で鐘巻さんを見る。答えて彼は刑事の顔付きになり、指をゴキゴキさせて「任せとけ」と返す。もし彼女に憑依した『おおかみさま』とやらが狼藉を働こうとしたなら、取り押さえるのは方角に縛られない自分の役目だ、と。


 本田君、宮本ツキちゃん、川奈せっちゃん、ななみん、渡辺君、未来君、そして私の七人が巫女装束の門田さんを取り囲み、夕闇のその時を待つ!


 しゃらぁぁん!


 金色の神楽鈴を右手で打ち鳴らし、懐に差した和紙を取り出して、ばさっ!と広げる。山谷交互に折られたそれはまるでアコーディオンのように蛇腹に伸びていき、やがて二メートルほどの紙の帯となると、そのまま彼女の周囲を渦を巻いて踊るように舞い始めた。全員がその神秘的な光景に声も無く見守る。


「時を撫でし遥かなる道、ハクの文の導きなしてわらわ紙縒こよりのえにし繋げん!」

 門田さんが高らかに歌い上げるそれは、祝詞のりとと呼ばれる遥か過去との交信のための呪文。彼女の家にのみ伝わる、他のイタコの人たちからは外法とされる彼女のオリジナルの口寄せ術だ。


 天を仰いで両手を広げ、彼女の周囲を回る和紙の渦が螺旋を描いて空に登っていく。


「遥か太古の大神おおかみよ、酉の男子おのこを贄に欲する御方、我に宿りてそのりんをお教え下され、慎みかしこまってお祈り申し上げ候――」


 そして彼女が広げた手を、ぱんっ! と打ち鳴らした時、舞い上がっていた和紙が折り目からまるでカッターナイフで切ったように分離され、そのまま紙吹雪となってひらひら舞い落りる。それは彼女の体を通過する時に金色に光り輝いて黄金雪となって降り注ぐ。


 全ての紙吹雪が地面に落ちた時、門田さんは瞑目して下を向いていた。神楽鈴を力なく下げ、まるで立ったまま眠っているかのようにすら見えた。



 その彼女が、ゆっくりと顔を上げ、眼をひらく。


 それは今までの温厚な表情とはうって変わった、険しくも不敵なカオだった。そしてその目は赤銅色に染まり、まるで彗星のように光の帯を風に流す。


『贄の男子おのこよ、ついに余まで辿り着いたか』

 明らかに門田さんのとは違う声で、彼女はそう発した。

『ならば御覧成れ、余と贄の契りを――』


 その瞬間、景色が、世界がまるで万華鏡のように細かく区切られ、そして・・・・・・


 壊れ はじめた。

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