第52話 門田邸

 ちょんちょん、ちょんちょん。

 誰かが僕の肩をつついている。


 ちょんちょん、ちょんちょん。

「ん・・・・・・誰?」

 まどろみから覚めた僕は肩をつつく方の手を見る。まだ夜中っぽいけど・・・・・・

「!?」

 僕のベッドを青い光が下から・・・照らし出していた。これは・・・・・・魔法陣! がばっ!と跳ね起きて周囲を見回す。ベッドの下に光るお馴染みの五重のリングと、そこから懸命に腕を伸ばして僕の肩をつついていた手が見える。

「腕は・・・・・・まだ痛い。ワクチンはまだ効いている」

 一昨日打ち込んだ”橘ワクチン”はまだ効力が続いている。この魔法陣が出現した時は僕の体は加速度的に若返りが進行してしまう、それを止める為の特効薬はまだ有効みたいだ。


 床から延ばされた腕を掴んで、よっ、と体を引き上げてあげる。出て来たのはあの七人の中で一番背が高かった女の子だ。見た目8歳くらいだろうか、相変わらず痩せこけた体に、汚れた布を巻きつけるように身に纏っている。

「今日は、きみ一人?」

「うん」

 頷いた彼女は、しばし間をおいて話し始めた。

「”おおかみさま”が驚いてた。お兄ちゃんのからだ、おさなくならないようにしてるんだね」

 どき、と緊張が走る。この子達を操っている”おおかみさま”とやらにも、橘ワクチンの存在に気付いているのか。

「でもね、それじゃあつらいとおもうよ・・・・・・『いけにえ』になるときに」

「どういう・・・・・・こと?」

 思わず聞き返す。生け贄になる時に大人の体だと、子供のそれより苦しむことになるのだろうか。

「おとなは、いろいろかんがえる。なやむ、おもう、あせる、おもいだす。それが、くるしみ」

 年齢に似合わない哲学的な事を話すその子、その表情はどこか悲しげだった。

「だから『いけにえ』は、こどもでなくちゃいけないの。だから『ときさか』ののろいがある」

「それって・・・・・・」

 彼女の言葉を手繰って行く。子供を生け贄にするのはその恐怖を実感できない年齢の子を、なかば騙すようにごまかして捧げさせる為なのか・・・・・・胸の奥から嫌悪感がせり上がって来る。


「でも、おにいいちゃんはおとなのまま、いけにえになることをえらんだ。ちからのないままに」

「ちから?」

「ときさかののろいをたすけるちから。あのおばあちゃんがもってた、わすれるちから」

 あっ! と息をのむ。そうだ。登紀さんは時計仕掛けのある場所で、自分の存在を忘れさせる魔法を身につけていたんだった。そのせいで僕もみんなも一度は彼女の事を忘れ去ってしまっていたんだ。

「おにいちゃんは、いろんなひとにのろいをしってもらった。そののろいをとめるちからをもらった。でもそれは、『そのとき』に、おにいちゃんをくるしめることになる」


 -それが、よっつめの、ひみつ-



「・・・・・・夢?」

 朝、目が覚めてホテルの天井を見ながら僕、天野 未来あまの みらいはそう呟いた。左手を上げてワクチンを撃ち込んだ、未だちくちくと痛むところを見る。その痛みで思い出す、夜に見たあの少女の事を。

「じゃ、ないな。四つ目の秘密、か」

 その瞬間だった。左手の痛みがふっ、と消え、傷口から小さなかさぶたがぽろっ、と外れ落ちたのは。

「あ、切れた」

 橘ワクチンの二発目が効力を失った。最初は四日ほど持った効き目は二日ほどに縮まっていた。



 朝食後、ロビーでみんなに昨夜の事を話す。またあの魔法陣が現れた事、出て来た少女が告げた事を。

「おおかみさまとやらがワクチンに気付くとはねぇ。現代医学を理解している古代の神って、なんかシュールだな」

「子供の方が苦しまんでええなんて、ひどい話やなぁ。ほなけん私や未来君を子供にしようとしたんか?」

 登紀さんが頭をひねって考える。彼女曰く時を遡って若返っても記憶は継続されていたが、心の有り様は肉体年齢に引っ張られて若返り続けていたようだ。

「あーそれで天野君とラブラブなんやねぇ、年甲斐もなく」

 三木さんお約束のからかいに思わず顔が熱くなる、登紀さんは「誰が年甲斐もなく、や」と彼女にヘッドロックかけて拳でぐりぐりしてるし。


「忘れる力あったねぇ、トキちゃんのことすっかり忘れてしまってたし」

「魔法陣と言うからには何かしらの力があるのだろう。白雲さんは自らの指針を文字にした魔法陣を出していたとの事だし、神ノ山さんは忘却の魔法・・・・・・天野君にそれが無いのは、やはり途中からピンチヒッター的に呪いを受けたからなのかな?」

 宮本さんの言葉に鐘巻さんが解説を入れる。漫画やアニメでも魔法陣と言えば何かの魔法を発するためのエフェクトのようなものだ、若返る呪いは常時進行中だし、僕だけはあの子たちを召喚するだけの物なのだろうか。


「なーんか、ハズレ能力を引いたキャラみたいだな、それ」

「いいよ、僕には力なんかなくてもワクチンがあるし、強力してくれる大勢の人たちがいる。あ、もちろんみんなもね」

 本田君の言葉に真顔で返すと、何故か一瞬空気が固まった後でみんなが一様に「やーれやれ」というため息をつく。え、何か変なこと言った?


「さーて、行きますか。門田さんのいる地、東北へ」

 登紀さんの音頭で全員が立ち上がる。なんか話題をぶった切られた気がするし、妙に皆ヤル気になってるみたいだけど・・・・・・何なの?



 東北新幹線で宮城県仙台市に到着したのはお昼前だった。渡辺君に連絡を取って一緒にいる門田さんの所在を聞くと、昨日までに秋田を回って今は自宅に帰っているそうなので、僕らもそこに向かう事にした・・・・・・のだが。


「うわぁ、すっげぇ家」

「いかにもっていうか・・・・・・絵に描いたような『昔の家』よね」

「絵巻の家とか、絵本の挿絵に出てくるような家って初めて見たー」

「というかバス停の名前が『門田家前』って、どんだけだよ!」

 東京と遜色のない大都会、仙台市から西へ西へと移動する毎に景色は山河を深めて行っていた。目的地の鬼切首おにきりこうべと呼ばれる場所に来る頃には、もう集落すらほとんど無い、平たく言えば「ド田舎」そのものの場所だった。事実ここまで乗って来たボンネットバスは一日一本だけの運航という秘境っぷりだ。

 そしてその中に佇む門田邸はなんというか、古来の物語に出てくる日本家屋をそのまま保存したような風貌だった。竹で編まれた生垣が家をぐるり囲っており、丸太が打ち込まれただけの門扉の上の方に、削り痕で『門田』の名が表札代わりに記されている。敷地の中央に鎮座する藁ぶき屋根の家の壁にはふすまが並んでおりガラス窓など皆無だ。屋根には煙突が一本出ており、炊飯の煙がかすかに漂っていた。

 庭も贅沢な感じは一切なく、枯山水かれさんすいや松の木の盆栽などは見当たらない。大きな石がそこらにごろごろしているだけで、隙間からは雑草もいくつか覗いている。ホーボーに生えていない所を見るに、たまに草刈りはしてるっぽいのだが。


「伝説の『マヨヒガ』ってこんな感じじゃないかしら」

 宮本さんの言葉に鐘巻さん以外が「それだ!」と注目する。東北地方に伝わる伝説、誰に知られるともなくひっそりと存在し、そこから持ち帰った物はどれもがその人に富や幸運をもたらすと言われる御伽話。


 確かにここは古代よりの伝承や逸話の生き字引と言われる門田さんの自宅にピッタリである。


「おー来たか天野ー、本田ー!」

 家の裏から手斧を持って渡辺君が現れた。彼は時遡プロジェクトの一員として門田さんの世話係を任じられていて、今も夕餉ゆうげの為の薪割りをしていたそうで、汗だくになりながらもこちらに笑顔で歩いて来る。

「ビックリしただろ、この家。ものすごい田舎の家テンプレでさぁ」

 だねー、と頷く一同。というか彼だけはもうすっかりこの家に馴染んでいる感じがする、徳島にいた頃は結構都会嗜好なキャラだったんだけど、染まったねぇ。


 玄関前まで案内され、年代物の引き戸をすいっ、と開く。その先の上り口にひとりの老婆が座布団に正座していた、門田さんだ!

「あ、こんにちわ。お久しぶりです」

 僕の言葉に続いて全員が会釈する。が、彼女は構わずに脇に置いてあった三味線を手に取ると、それをべいん!と鳴らした後、小刻みにメロディを刻み始める。


(あ!これって・・・・・・)

 聞き覚えのあるそのリズムに思わず反応する。僕だけじゃなく登紀さんも、他のみんなもその音楽に親しみの記憶を引っ張り出される。


「桶屋が夜中に桶作り~♪」

「「こっとこっとこっとこっと、ことことことっ!」」

 これやっぱり徳島の民謡(正確には近年の歌謡曲)だ。お馴染みの歌に反応して全員で拍子を取り、歌声を合わせる。

「「お宮の祠の裏じゃった~♪」」

「いんや、わい夕べ、夜なべやせぇへんでよ!?」

 渡辺君がニヤニヤしながらセリフの部分を担当する。

「「あ~れは狸であ~たんじゃ~、こっとこっとこっとこっとことことことっ!」」

 門田さんもすっかり笑顔で、津軽三味線を弾きこなしながら阿波の歌を楽しむ。


「「あっわーの、たーぬきっの、話しっでっす~!」」


 歌い終わって全員が拍手する。玄関口の出迎えがいきなりこれって、徳島人には嬉しすぎる歓迎である。


「徳島からよぐ来だねぇ、ささ、お入りなさい」



 ちなみに流れに全くついてこられなかった鐘巻さんは、門田さんの勧めでネイティブアメリカンの伝承歌を披露してようやく家に入れて貰えた。というかめっちゃ歌うまいしこの人!

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