第47話 飛騨山中へ

「登山靴は、これでよしっと」

「リュック、こっちのにするー?」

「あ、携帯食は藍塚薬品製カロリーメットなんやね、徳島人として鼻が高いわ」

「こっちの杖は熊よけの鈴付きか、これも買っておこう」

「帽子も忘れないように、高所は紫外線きっついから」


 早朝に名古屋を発った僕たちは、特急ひだ一号から高山本線を乗り継いで飛騨市に到着してすぐ、近くにあるアウトドアショップにて登山の準備を始めていた。

 なにしろ目的の修行場、焼岳やけだけは剣山を軽く超える標高なのに加えて活火山でもあり、向かうにはそれなりの装備が必要になってくる。ましてや鐘巻さん以外は初の本格的な登山、準備は万全を期してもやりすぎということはないだろう。


「ま、こんなもんかな」

 一通りの買い物を済ませて店を出る、買うついでに中で着替えたのでみんな見た目はすっかり山人やまんちゅに山ガールだ。まぁ登り始めればすぐに化けの皮が剥がれるのは避けられないだろうけど。


 そこからバスに乗って一時間ほどで登山口に到着。着替えた服はそこにあった道の駅のロッカーに預けたんだけど、それでもやはり荷物は多い。中でも買い込んだエロ本と、魔法陣が出た時の為の医療ガンと細胞弾はただでさえかさばる上に、本来登山とは無縁の荷物なのでかなり負担に感じる。とはいえどちらも持っていかざるを得ないのがしんどいところだ。


「さて、ツルギサンで鍛えた成果が出るかな?」

「呼吸は深くゆっくりと、でしたね。」

 先日剣山で登山したときは空気の薄さに難儀したものだ。今回はその教訓も生かして、コンディションを乱さずに進みたい。杖についた鈴ををチリンチリンと鳴らしながら山に入っていく一同。


「おー、尾根に出たね。見晴らしワンダフル!」

 わざとらしく英語を混ぜてそう言う鐘巻さんの横で、僕と登紀さんと三木さん、そして宮本さんは息を荒げながらそこに座り込んだ。

「も、もう三時間も歩きっぱなし……足が棒になるー」

「せっちゃん連れてくるべきだったかなぁ、私、もう無理」

 確かに。川奈さんや本田君あたりの体育会系なら「いいトレーニングになる」とか言いそうだけど、元帰宅部の三木さん、文芸部の宮本さん辺りはさすがに辛そうだ。

登紀さんはと言うと、呼吸こそ辛そうだがそれでも弱音を吐くこと無く、大きく深呼吸して体を慣らそうとする。このへん流石は人生経験豊富な人だ。


「ここからは尾根をずっと登ることになるね、空中散歩みたいで楽しそうだよ」

 鐘巻さんの言う通り、山の稜線に沿って登っていく道は全周の景色を一望できる登山となる。ただひたすら上に続く道はもう勘弁してと言いたくなる過酷さだけど。


 覚悟を決めて登山再開。足を踏みしめた際に転がった小石がはるか下まで乾いた音をたてて落下していく。なんの安全の保証もない登山道に、冷や汗と脂汗が交互に吹き出てくる。

 もう誰も無駄口は叩かない、景色を見る余裕もなく、ただ黙々と足を運び、体と荷物を持ち上げ続ける。


 そして二時間後、ようやく山の中腹にある焼岳山小屋に到着。


「だはーっ、つかれたーー!」

 小屋に転がり込むように倒れ伏す三木さんと宮本さん。登紀さんもまた大きく息を付き、へなへなと床に座り込む。

「アマノはまだ余裕ありそうだね、さすが男子ボーイだ!」

「あ、いや。僕は呪いのせいで体は疲れないんです」

 一秒ごとに若返る僕の体は、消化気管や呼吸器などの体の外側を除いて疲労することはない。とはいっても呼吸はさすがに苦しいんだけど。

「どうだい、折角だし景色でも見ないか?ツルギサンとはまた違った絶景だぞ」

 そう勧められて小屋の外に出る。肩の荷を下ろすだけでずっと軽くなった体を動かして、小屋の外に出る。


「うわ、凄い!さっすが火山!」

 まず目につくのは、そこかしこから立ち上っている煙と、それが醸し出す硫黄臭だ。四国にはない火山の中に居ることを五感で認識する。


 と、続く登山道の尾根にかかる煙から、ひとつの白い影がふっ、と姿を現した。それはまるで人の形をした煙のように、ふわふわと浮かぶように歩きながらこっちにやってくる。


 その山伏の姿を、僕は知っていた。

天仙院白雲てんぜんいんはくうんさん!」

「おお、グッドタイミング!」

 まるで申し合わせたかのような登場の仕方に思わず感嘆する鐘巻さん。しかしこうして見ると白雲さんは本当に山が似合っている。かつて徳島の町中に現れた時はうさん臭さしか感じなかったのに、こうして山で出会うとまるで絵画のように景色にハマっていた。


「来たか、小僧」

「はいっ!」

 彼は出会った時から僕を「小僧」と呼んでいた。でもそれは侮辱や軽視は連想されず、むしろ寺の住職とかが弟子をそう称するような、成長への期待を込めた響きが感じられて好ましかった。

 とりあえず彼を山小屋に招き入れてミーティングタイムに突入する。


「ふむ、人身御供の身代わり陶器、水害に対する大神への供物、そして『重なる時の、生け贄の子供』か」

 プロジェクト開始からここまでの大荻さんや水原さん、そしてマルガリータさんが調べ、体験した結果のレポートを興味深そうに眺める白雲さん。

「なかなかに興味深い。特にマルリータさんの話は実に、な」

 あ、マルリータさんです、それじゃピザですよとツッコミたくなるのを押さえて話の続きに耳を傾ける。

「洋の東西でこうまで違うものだな・・・・・・奇妙なものだ」

「どういう、ことなん?」

 登紀さんの質問に白雲さんは、にやと笑みを見せてこう返した。

「人身御供も大神様も、まるで逆なのだよ。そもそもの考え方が、な」


 白雲さんは語る。元々人身御供は人が神になる神聖な儀式で、その一族は末代まで称えられるものだそうだ。そもそも天災を鎮める存在なればこそ神聖であらねばならないという考えからだ。

 そして大神、つまり霊犬も日本の神話では名の通り神として奉られている神聖な生き物、神社の狛犬に代表される信仰の対象として崇められる存在なのだという。

 だが、マルガリータさんの世界では、生け贄は威圧と征服の為の儀式であり、狂気と圧政の手段でしかない。また西洋における狼は害獣であり、童話の中でも非力なものを餌食にするだけの悪として描かれている。


 かつて登紀さんが受け、今は自分に移っている呪いは・・・・・・そして未だに全容が見えない『おおかみさま』とはどちら側の存在なのだろうか。


「さて、鐘巻君。頼んでいた物は持ってきてくれたかね?」

「もちろん。七海、出して」

「この流れでコレですかっ!?」

 三木さんが思いっきりズッコケながら、預かっていたエロ本入りの手提げ袋を出す。それを受け取った白雲さんはどさどさと机の上にぶちまけて、パラパラとページをめくって確認する。途中から登紀さんが僕の背後に回って目隠しするし・・・・・・なんかシリアスから空気の落下ぶりが酷いんですけど。


「よかろう。じゃあ行こうか」

 本をバッグに詰め直して白雲さんが立ち上がる。それに続いて全員が「やれやれまた登山か」とため息交じりに立ち上がるが、彼はそれを制する。

「いや、ここから先は女人禁制だ。よって女衆はここで待っていてもらう」

「えー、どうしてっ!」

 抗議の声を上げたのは宮本さんだった。小説のネタ探しが主目的である彼女は、ここから先の展開に加われない事に納得いかないようだ。

「ほうやな、未来君を見失う訳にはいかへん」

「私も行きますよ、立場上同行する義務がありますから」

 登紀さんと三木さんもそれに続いたが、白雲さんはそれらをバッサリと斬って捨てる。

「私の弟子たちが禁欲修行をしているのだよ。そんなところにうら若い女性が顔を出したらどうなるか、分かるね」

 うぐ、と言葉を詰まらせる三人。言われてみればいちいちもっともな話だ。そう考えたらあのエロ本も、白雲さんなりの弟子たちへの気遣いなのだ、との深い配慮が見えてくる。


「来るのは小僧だけでよい、鐘巻君はここで彼女たちを守ってあげてくれたまえ。このあたりには熊も出るからな」

 そのセリフにヒェッ、となる一同。確かにここは野生の熊のいる本州の山岳地帯、もし出没したら女の子三人だけでは危険度が大増しになるだろう。

「ベアーか・・・・・・狩ってもいいのかね?」

「銃も無いのにどーやって!」

 猟師の家の出の鐘巻さんの冗談に三木さんが突っ込む。さすがにもう付いてくる気にはならないらしく、部屋を回って戸締まりの確認をする女性陣。



「天野君、気をつけて」

「うん、僕は今、呪いのせいで不死身だから、熊に襲われても大丈夫・・・・・・でもやっぱ怖いけどね」

 ああそうだった、とひとまず安堵する一同。確かに僕の時遡の呪いをもってすれば、例えヒグマに襲われたって死ぬことは無いだろう、そういう意味では今ワクチンが切れているのは逆に幸いだった。

「えー、スマホも持ち込み禁止なの? GPS使えないじゃない!」

 修行場には電子機器の持ち込みも禁止らしく、僕はスマホを登紀さんに預けて山小屋を出発する。もう夕日が山から落ちかける時間帯であり、気の早い一番星がかすかな瞬きを見せていた。


「ほな、しっかりな」

「うん、いってきます」

 登紀さんと拳をコツンと合わせて、夜のとばりが落ちつつある山道を出発する。この先には何が待っているのか、僕の呪いに対して白雲さんは、そのお弟子さんたちはどう受け止められるのか、期待と不安を胸に抱いたまま・・・・・・


 僕は飛騨の山奥深くへと、一歩、踏み出した。

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