第39話 霊峰|剣山《つるぎさん》

 徳島県西部。そこは四国山地の深淵へと続く入り口であり、現代日本の三大秘境のひとつでもある祖谷地方を擁する山深い観光地だ。


「うっわー、本当に世界がV字になってる」

「山々を縫うように川が流れてるわねー、なんか水墨画の世界みたい」

 鐘巻さんのワゴン車で国道を南下しながら大歩危おおぼけ小歩危こぼけのダイナミックなV字渓谷を堪能する未来君と七海ななみん。私はそれを見てすっかり元気になった未来君に一安心する。うん、夕べ鐘巻さんに任せてよかった。


 私たち四人は今日、剣山の山頂ヒュッテで泊り込んで星占術を研究しているマルガリータ・ディアズさんと、その助手のピーター・フィリップ君の所に陣中見舞いをしに行く予定だ。なので剣山に昇る前にこの周囲の観光を堪能すべく、高知県の県境付近まで車でやって来ていた。


 石の博物館ラピスおおぼけで宝石の原石や胆石なんかを見て回り、川下りの観光船で山河の情景を楽しみ、祖谷のかずら橋をきゃあきゃあ騒ぎながら渡って、川魚あめごの串焼きに舌鼓を打つ。県西部の観光地を存分に堪能した私たちはいよいよ目的地の剣山、登山リフトの見ノ越駅に到着する。


「剣山って大蛇いるんでしょ、大蛇」

 都市伝説で語られているUMAに興味津々のななみん。まぁそうでなくてもこの剣山は平家の落ち武者が辿り着いたという史実から、遠い国ソロモンの秘法が眠っているのではないか、なんてトンデモ伝説まで、何かとミステリーの話題には事欠かない山だ。

 とはいえ標高1955m、2千メートル級の山にしては登るのに敷居は低く、日本一の長さを誇る登山リフトで中腹まで登れば、あとは子供でも装備無しで山頂まで行けるほどの登山難度の低い山でもある。このお手軽さと山頂からの景色が素晴らしいのがあいまって、西日本でも人気の観光名山なのだ。


 リフトで空中散歩を楽しんだ後、いよいよ山頂に向かっての登山開始。入り口にある鳥居をくぐって山肌に出ると、静謐な高所の空気と雄大な四国山地の遠景が実に心地よい。尾根に沿って簡素に整備された山道を歩いて山頂へ向かう道中、下山する家族連れとすれ違い、元気な子供たちが自分らを追い越して駆け上がって行く。

「なーんか、山の人っていうか、高地で生活する人になった気分やねぇ」

「あ、分かる分かる。アルプスとかネパールってこんな感じなのかなぁ」

 景色は文明とは無縁の自然の雄大さなのに、そこにこうも普通の人たちがいると、まるで世界だけが丸ごとスイッチしたように感じられる。

「ツルギサンっていうから、もっととんがった山だと思ってたけど、意外になだらかだねぇ」

「何でも昔、平家の落ち武者が山に剣を奉納したからそう言われてるらしいですよ」

 鐘巻さんの疑問に、ななみんがパンフレットを見ながら返す。かつて世界を股にかける刑事だった彼ならもっと険しい山々で犯人を追跡した、なんて映画みたいな事もあるのだろうか。


 高山植物が山肌一面に並び、遠方には低い雲が山の谷間に影を落とす。裾野に広がる遠大な景色を眺めながらの登山は四十分ほどで終点を迎え、山頂のすぐ下にある剣山ヒュッテに辿り着いた。

「なーんか、空気が薄いせいか、疲れて無いのに息がしんどいねぇ」

「HAHAHA、高所に登る時は呼吸に気を使わないとダメだよアマノ」

 私たち三人が息も絶え絶えなのに、鐘巻さんだけはここにきてもケロリとしていた、さすが。


「おー、来たかアマノ、それにカミノヤマ」

ヒュッテの食堂にいたピーター君が出迎えてくれる、その際には星図のような物を広げたマルガリータさんも座っていた。というか彼女は82歳の高齢なんだけど、よくこの高地で平然としていられるなぁと感心する、私が77歳の時にこんな所に来たらそれこそへたりこんでしまうやろに。

「故郷メキシコは標高高いから、むしろ快適。だそうですよ」

 マルガリータさんの言葉を通訳したピーター君の解説に、ああほうかそうかと納得する。むしろ下界の方が酸素が濃すぎてしんどいのかもしれない。


 まだ日も落ちきっていない早い時間、星を見るには早いのだが、せっかく山頂まで来たんだしと、全員で展望台まであがって景色を楽しむことにした。


「うっわー、ほんっといい眺め!」

 なだらかな頂上に組まれた渡り廊下のデッキを歩きながら、全方位に広がる山脈をぐるり見渡して未来君がそう発する。西には向かいの山である次郎笈じろうぎゅうに続く尾根道が彼方まで見えており冒険心をくすぐられるし、南には一面の高山植物がまるでスキー場のスロープのように整然と生え並び、見えなくなるまで山を下っている。


 北側にはさっき話題になった奉納した剣を掲げたと言われる”刀掛けの松”があった。もう中ほどから折れている朽ち木ではあるが、それが逆に存在感を醸し出している。

「本当にすごいわねー、まさに霊峰って感じで。」

「星が出るともっとファンタスティックだ、今夜を楽しみにするといいよ」

 ななみんの言葉にピーターがそう返す。さすがにこれだけ標高が高いと星空はさぞ美しいだろう、マルガリータさんの占いで何か事態が好転する事を期待しつつ、ヒュッテに戻ってチェックインの手続きを済ませる。


 それからは食堂で夜に備えてのミーティングとなった。マルガリータさん曰く、もうこの土地の星の見え方は把握したそうで、早速占いの対象である未来君を星下に据えて占術を行いたいそうだ。ちなみにマルガリータさんは日本語が話せないのでもっぱらピーター君が通訳を担当している、彼の母国であるパプアニューギニアは言語が非常に多く入ってきている国なので、メキシコ彼女の母国の言語であるスペイン語も日本語も非常に流暢に訳してくれて助かっている。


「今夜十時四十二分、アマノに宿っている天王星が地の直下に位置する。その時の星の輝きで占ってくれるそうだ」

 地の直下。つまり立っている私たちの真下、地球の後ろ側に天王星が位置する時の上側の星の輝きで、未来君に相対する星を特定して彼の未来や呪いを解析するとの事だ。なんとも非科学的な方法ではあるが、マルガリータさん曰く古代アステカ文明から続く由緒正しき方法なのだそうだ。


「そういえばピーターさん、以前に天王星が凶星だって言ってましたよね。それって何か由来があるんですか?」

 未来君の質問にピーター君が神妙な顔で解説を始める。彼の国でもアステカの占いでも天王星というのは非常に縁起の悪い星だそうで、強く輝く時には必ず凶事が起こるとすら言われている。


 そして科学的視点から見ても天王星は惑星として極めて特異な星だ。普通恒星太陽を周回する惑星は、その遠心力によって飛ばされた岩石が渦を巻きつつ集合して出来上がるものだ。なので自転方向は公転方向とほぼ同一の向きになる。

 だが、この天王星だけは、なぜか自転軸が公転軸とほぼ直角、つまり縦に回転しながら太陽の周りを回っている、なのでその輪も土星などとは違い、縦にリングを描いているそうだ。


 主星である太陽に逆らって回る星、なるほど凶星と言われるのには納得の理由である。


 夜の十時を過ぎたあたりから皆が準備にかかる。マルガリータさんはネイティブを連想させるデザインの台座やお香を用意し、宝石を埋め込んだ円盤や数珠のような玉の連なるネックレスを身に纏うと、全員に趣のあるバンダナを配る。占いの儀式のときには全員がこれを左腕に巻いてもらいたいとの事だ。

 ななみんはビデオ撮影の用意を整え、鐘巻さんはピーターと共に荷物運びや老齢のマルガリータさんを頂上まで誘導するための手はずを整える。私はと言うと、今日のこの儀式をしっかりと記録すべく交換日記に鉛筆を走らせる、ほんまこれ便利やなぁ。


 さぁ、間もなく時間だ。

 霊峰剣山、天王星の呪いを受けた未来君、そして古代アステカの星占術を会得した威厳のある老女マルガリータさん。オカルトやファンタジーの要素をたっぷり含みつつ、その運命の時を待つ。


「・・・・・・曇ってますね」

 曇天の空を見上げて未来君がそう呟く。その言葉に全員が「あー」という顔で口を開けたまま呆然とする。星占術の天敵、天候不良のお出ましだ。どんな高名な占い師もこればかりはさすがにどうしようもない。

「どうする、もう一泊する?」

 ななみんが提案する。明日になれば天気も回復するかもしれない、占い云々もあるが、せっかくここまで来たのだから綺麗な星空を堪能してから帰りたい、というのも確かに私たちの本音だ。


「マルガリータさんは決行したいって言ってる、少しでも晴れれば占術は出来るし、今日は吉日なんで逃したくないそうだ」

「まぁ山の天気は変わりやすいって言うし、待ってみるのもいいんじゃないか?」

 ピーター君の通訳に鐘巻さんが同意する。もうすでに頂上デッキに道具の持ち込みも済ましており、今から成果もなしに片付けてしまうのは確かに勿体ない、ダメもとでやってみるのもいいだろう、という事になった。


 全員がバンダナを左腕に巻き、小さな四角形の布を地面に敷いて未来君をその上に立たせる。彼の周囲に原石のままの宝石をちりばめて、正面に台座を置いてマルガリータさんがうやうやしく着席する。

 が、準備をしている間も空はますます雲を厚くする、間もなく訪れる時間までに晴れる望みはなさそうだ。


「あと10秒・・・・・5、4、3、2、イチ、ゼロっ!」

 ピーター君のカウントダウンが終了する。だが空は未だに星々を見せずに・・・・・・



「なぁっ!」

「ええええーー!?」

「おお、おおおおっ!」

「うっそ、なにこれっ!」


 空が、まるでシャンデリアのように輝いた。星々の光が分厚い雲を突き破って輝き、山頂を昼間のように照らし出している・・・・・・これは一体なんなんな?


「・・・・・・来た!」

 ただ一人、空を見ていない人物がいた、他ならぬ未来君だ。


 彼の足元には、五重の天王星の輪が、青い光を放っていた―

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