第38話 少年と刑事

「どう、天野君は落ち着いた?」

「うん・・・・・・なんとかなぁ」

 徳島県西部の脇貞町にある旅館のロビーにて、チェックインした私と未来君に遅れること三時間、七海ななみんと鐘巻さんが本社への報告を終えて、ここまで追いついて来ていた。


 今日、徳島県立美術館で知った驚愕の事実。未来君が患っている”呪い”が、神獣である大神に捧げられて食い殺されるという結末を迎えるという推測に、動物恐怖症の彼はすっかり委縮してしまっていた。


「まぁ無理もないわな、子犬や子猫ですら苦手そうだったし」

「本人は『もう大丈夫、心配かけてごめん』って言うとったけどな、ずっと青い顔して、なんか縮こまってしもとるんよ、あれで大丈夫って言うてもなぁ」


 本来は彼のリフレッシュ目的で始まった休暇、各所で頑張る皆に激励に回る旅のはずだったのに、初日から彼の心は激しくかき乱されてしまっている、これじゃどうにも意味がない。

「うーん、それじゃあ……」

「下品な冗談はやめないな」

 私の先手を打っての言葉に、ななみんはうぐ、という顔で言葉を詰まらせる。どーせキスしろとか体で慰めろとか、そーゆーこと言うつもりやったんやろ。


「じゃ、男同士で話してみるか」

 後ろからそう言ったのは鐘巻さんだ。元国際警察ICPOの彼ならあるいは犯罪被害者の心のケアに対するノウハウもあるだろう、ここはひとつ任せてみるのもいいかもしれない。

「よろしくお願いします」

「まぁ沼田早苗さん探偵時の偽名にそう言われたら、昔の借りを少しでもお返ししないとね」


 ふっ、と笑って未来君の部屋に向かう彼。私達のいたわりはあまり効果がないようだし、ここはひとつ男同士の語らいで少しでも未来君の負担が軽くなる事を期待しよう。




「よう、風呂行こうぜ」

「あ、鐘巻さん、お疲れ様です」

 障子を開けて部屋に入るなりそう誘って来る鐘巻さん。日系アメリカ人である彼だけど、角刈りにサングラスに浴衣、あと小脇に抱えてる洗面器に入った入浴品一式が似合いすぎるんですけど・・・・・・日本人カラー強いなぁ。

 でも荒巻さんとお風呂か、確かにいいかもしれない。この所登紀さんには気を遣われっぱなしで、今日も情けない所を見せてしまった。なんとなく気まずい雰囲気がしてたから近くには居づらかったし、かといって一人でいてもますます落ち込みそうだったから。

「はい、行きましょう」



「ふー、広い風呂はいいねぇ」

 鐘巻さんが珍しく緩んだ顔で息をつき、手足を伸ばして恍惚に浸っている。旅館の風呂は二人が湯船に入っても余裕のスペースがあり、思う存分体を大の字にして湯の中に漂う事が出来た。

 その彼の体は55歳とは思えないほどに鍛え込まれていて、逞しさと頼もしさを十分に感じさせる。また体のあちこちに傷があり、彼の人生の過酷さを伺わせていた。


「すみません、昔のこととか聞いてもいいですか?」

「ん?沼田さん、いや神ノ山さんの事かい?」

「それもありますけど、その・・・・・・危険な事とか、死にそうになった事とか」

 今日、僕は自分の呪いの行きつく先を知った。死ぬこと、苦手な動物に殺されることが想像もつかないほど恐ろしくて、不安で、逃げ出したいとまで思ってしまった。

 だから、生と死の境を経験しているであろう鐘巻さんの話を聞けば、少しは怖さに向かい合えるんじゃないかと思ったんだ。


「そりゃあ色々あったし見ても来たさ、こんな仕事をやってりゃな」

 そこからは彼の生々しい話に心臓が冷える思いだった。マシンガンの弾と弾の隙間を偶然すり抜けたなんてのはまだソフトな方で、悪人が部下を廃車プレス機に放り込んで殺害した話とか、足をコンクリートに固められて海に投げ込まれた死体をダイバーと一緒に引き揚げに潜ったら、小魚がピラニアのように群がっていたとか、野菜の皮をむくピーラーのような特殊な拷問器具で全身の皮を文字通り削ぎ落された遺体とか、僕の知る常識の世界では考えられないような危険で残酷な、なにより悪意が支配する世界の話が次々と飛び出してきたのだから。


「怖くなかったんですか、辞めようと思ったりは・・・・・・」

「そりゃあるさ、何度吐いたかわかりゃしないし、次は自分の番だ、ってずっと自覚していたからね」

「じゃあ、どうして続けられたんですか?」

 僕のその質問に彼はふむ、と考え込んで、そしてこう答えた。

「そりゃ俺が辞めたって、他の誰かが同じ目に合うのは止まらないだろう、だったら逃げてもしょうがないなと思ったんだよ」

 刑事の仕事をしている内に、他人の死と自分の死の境界が曖昧になってきたんだ、と続ける。自分が悲惨な死を迎えるのは、他人が目の前で無残に死んでいくのを見るよりはむしろ楽なんじゃないかと感じるようにすらなってきていたそうだ。


「後な、俺の父親ダディ猟師ハンターでな、子供の頃から死体慣れしていたってのもあるけどな」

「でもそれ、人間じゃなくて動物の、ですよね」

「内臓は全然おんなじさ、人も動物も」

「え・・・・・・そう、なんですか?」

 脊椎動物の臓器は哺乳類から魚類に至るまで、外見上はそう差がないものだ。生物の根幹を成すDNAが生物の種類の差をつけているのは、筋肉と骨格、それに脳が主な要素で、内臓に関しては素人が見て違いを感じる物では無いものなのだ。


「ま、そんなワケだから、慣れてる俺が辞めて不慣れな新人に引き継ぎするのは嫌だったんだよ。そんでいつまでも現場に出てた時、”彼女”に会ったわけよ」

「登紀さん、ですね」


 そろそろのぼせて来たので、湯船から上がって体を洗いながら鐘巻さんの話を聞き続ける。

「まぁ反則だわな、何しろ斬られても蜂の巣にされても死なねぇんだから。今まで俺が見て感じて来た『デッド』を根本から否定された気になったよ」

 生き死にの境を潜り抜けてきた彼だからこそ、登紀さんの不死身の体は受け入れられなかったそうだ。

「だからよ、彼女が病だか呪いだかで苦しんでいるって聞いた時、贅沢言うんじゃねぇって思ったさ。何度死んでも死なない奴が何言ってんだ、ってな。」


「でも、登紀さんも苦しんでいます、苦しんでいたんです!」」

「だからお前さんが代わってやったってのか? クレイジーなこった。恩恵だけ彼女が受けまくって、残り少ない死へのカウントダウンをお前さんが引き受けるなんて不公平じゃねぇか」

 言われてみればその通りだ。僕はあの時、登紀さんの事を忘れていた罪悪感に囚われて、一も二もなく身代わりになる事を申し出た。そのことを後悔はしていないけど・・・・・・


「まぁそんなだからよ、彼女に男が出来た、って聞いた時にゃ耳を疑ったよ」

 僕の方に向き直って、真剣な表情でそう話す。

「あの不死身の化け物モンスターがまさかラブロマンスしてるなんてな、お相手はどんな妖怪スペクターかと思いきや、真面目で誠実な少年ボーイときた、お前さんに本気で同情したよ。あんなモンスターに騙されてる可哀想な奴だ、ってな」

 その言葉に抗議しようとしたけど、その前に鐘巻さんが手の平をこちらにかざして『まぁ最後まで聞け』とポーズを取っていたので、とりあえず聞き続けることにした。


「だからだよ、あの時君にああ言ったのは。『なぁに、難しい話じゃない。君が彼女をたらし込めば・・・・・・いいんだよ』ってヤツな。あれ半分は本気だったんだぜ、あのモンスターに普通人が一矢報いるのも悪くない、ってな」

「登紀さんが・・・・・・キライ、なんですか?」

「ノンノン大好きさ、彼女のお陰でどれほどの人が救われた事か。俺もそうさ、彼女が居なかったらあれからどれだけの死体を見ていたか分かったもんじゃない。でもな、やっぱり理不尽っていうか、反則じゃねぇか、って気持ちもあるんだよ」


「まぁ、分かります。今風に言うとチートって奴ですよね」

 元々はゲーム等のプログラムを不当に改造して自分だけに利益や特権を成す行為を示す言葉。今の日本で流行している物語によく使われる、努力をしなくても自分だけが特別になれるという都合のいい陳腐な物語。登紀さんの、そして今の僕の不死身の体は、喧嘩や殺し合いにおいてはまさにそれだろう。


「だからな、お前さんには頑張って呪いを克服してもらって、是非彼女に『ざまぁみろ』って言ってやって欲しいんだ。彼女が長年克服できなかったシックをお前さんが、大勢の普通の人が力を合わせてぶっ壊す、なんとも痛快な話じゃないか!」

 がっはっは、と笑顔を見せてそう話す鐘巻さんを見て、なんだかすごく納得がいった。国際警察なんて大手を退職して、蓄えもたっぷり有るであろう彼が、わざわざこの日本の地方都市のプロジェクトに参加しているのかが。

 それは自分の過酷な人生で、どうしても受け入れられなかった理不尽な存在である登紀さんの呪いチートに、彼なりの決着をつけたかったんだ。


「僕は全部終わっても、『ざまぁみろ』なんて言いませんよ」

「ほほー、じゃ何て言うつもりだ?」


 いつか彼女に言いたい言葉。それを今、この場だけフライングして、静かに宣言する――



「HAHAHAHAHA!やるじゃねぇかBOY。だったらせいぜい今から、彼女の前じゃ格好つけていかにゃなぁ!」

「・・・・・・です、ね!」


 落ち込んで、子供みたいに震えているわけにはいかない。そんな僕が最後にその言葉を発したって背伸びしていること甚だしいじゃないか。その日の為に、その台詞が相応しい男にならなきゃいけいんだ。

 もう大丈夫、例えこれからどんな過酷な運命が待っているとしても、きっと僕は、僕たちは乗り越えていける。


 だって僕と登紀さんには、こんなにも頼もしい大人たちが、力を貸してくれているんだから。

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