第三章 ALL FOR ONE

第24話 人生の門出に


 「「吉野よーしのーのー大河たーいがー、流れーるー歴史れーきしー、そーれーを追い越してー、すーすもーう、わーれらの明日へー♪」」


 国分寺高校の体育館に校歌が流れる。歌う皆が旅立ちの時に気分を高揚させ、三年間学んだ学校への思い出に目を潤ませる。

 今日は卒業式、それぞれが充実した三年間を胸に、ある者は大学に、ある者は社会人としてこの学校を旅立っていく。


 そんな中に僕、天野 未来あまの みらいもいた。三年間自分らしく真面目に生活してきた。三年の秋には僕の発表した考古学に対する論文が県内で高く評価されたのがとても誇らしかった。たったふたり・・・しかいない部活、郷土文化研究部で真面目に活動してきたことが実ったのだから。


 同学年の本田秀樹君は三年間続けた柔道で国際強化選手に選ばれた、これから大学でオリンピックを目指して活躍していくだろう。彼の恋人である文芸部の宮本月子さんは、いくつかの書籍化小説を書きあげて有名な出版社に専属ライターとしての就職が決まっていて、名実ともにこの学校一のカップルになっていた。


 あまり進学率の高くないこの高校で多くの生徒が就職先として選んだのが、地元に新設された藍塚グループの一社、藍塚薬品工業だった。三年前からここら一帯の高校生を相手に入社を推進しており、その条件が大卒者と変わらない待遇を約束されていたこともあって、卒業生の中からも多くの者がそこに就職を決めていた。

 僕もまたそこへ就職する。他にも仲の良かった渡辺君や、三年間同じクラスだった三木さんもそこで働くことになっていた。ちなみに三木さんと仲の良かった川奈さんは大学進学でバスケを続けるらしい。



「やー終わった終わった」

 卒業式が終わり解散となった後、渡辺が僕の肩をバンバンと叩いて笑う。これから僕たちは仲の良かったグループのみんなと卒業の打ち上げに行く予定だ。本田君、宮本さん、三木さん、川奈さん、僕と渡辺君。わりと卒業生オールスターな面子で市内のカラオケボックスに向かう。


 でも、だれか足りない。そんな想いが心のどこかに感じられる、どうしてだろう?



 皆が変わりばんこに熱唱する。本田君は熱血アニメソングが、三木さんは昭和~平成ドラマのテーマソングが十八番のようだ。宮本さんはもっぱら聞き専で、歌い終わるたびにその人に辛めの採点評価を下している。真面目に聞いてくれるのは嬉しいけど、なんかプレッシャーかかるよねコレ。

 川奈さんはもっぱら今風のポップがメインで、渡辺君は得意の演歌を渋めの声で披露する。僕や本田君は知っていたけど、初めて聞く面々はその歌唱力に関心しきりだった。

 僕はというと、あまりレパートリーが無いので徳島の古い民謡や子守歌なんかを歌ってみた。もちろんそんなのがカラオケに入っているはずもなく、曲のない歌オンリーなのだがそれでも皆は手拍子を打って楽しんでくれた。


 時間が押してきて、最後はもう一度みんなで国分寺高校の校歌を熱唱する。一年の時に同じクラスで出会ったこのメンツも、これからはそれぞれの人生を歩んでいく。


「「かーがやーけー我ーらのー、国分寺・高校ー♪」」


 熱唱が終わり拍手が起こる。みんな目にうっすら涙をためており、鼻をすすったりハンカチを当てたりして、仲間たちとの別れをしみじみと堪能していた。


 そんな中、僕はまた、胸にぽっかりと穴が開いたような虚無感に囚われている。


「ん、どした天野?」

「うん。ねぇ、みんな・・・・・・」

 本田君の問いに、僕は顎に手を当てて考える。この空気の中こんなこと言ってもいいのだろうか、とも思うけど、もう皆に確認を取るのは今が最後のチャンスなんだ。


「誰か、忘れてない?」


 この三年間ずっとそんな気がしていた。何か大事なことを忘れている、無くしている。でもそれは思い出そうとしても、まるで霧のように溶けて消えてしまう儚いもので、具体的に何なのかは見えてこなかった。かと言って忘れようとしても、それは心の奥に小さな棘のように刺さっていて、嫌でも思い出さずにはいられないでいた。

 そして、こうして皆が集まっている今、その思いはますます濃いものになっている。だったら忘れているのは、今ここにいない「誰か」なんじゃないだろうか。


「なーんか俺も、そんな気がしないでもないんだよなぁ」

「あー私も。誰かっていうか、何かっていうか」

 渡辺君やぼりぼり頭を搔き、川奈さんがそう言って頷く。本田君と宮本さんは「そう?」という表情で顔を見合わせる。

「岩城先生じゃない? このメンツなら」

 三木さんの言葉に、一同がああそうかと同意する。一年の時の担任で、強面の顔に似合わず情が深く、よく気配りができる『尊敬する出来た大人』を具体化したような恩師だった。

「あーあー、あるかもなぁ。誘えばよかったよな」

「先生は忙しいだろー」


 本当に、そうだろうか。


 確かに岩城先生にもずいぶんお世話になった。郷土の資料を研究する際にいくつもアドバイスを頂いたし、本田君に至っては柔道部の顧問として師弟関係でもあった。間違いが多い高校の男女交際にあっても、健全なギリギリの線をさりげなくアドバイスしてくれるなど、本田君と宮本さんのカップル持続に大きく貢献してくれた人でもある。


 健全なお付き合い、カップル・・・・・・あれ?


 やっぱり何かが違う、何か引っかかる。岩城先生も関係した、違う誰か・・がどうしても心に引っかかる。でも、思い出すことができない、その姿が霞に消えていく。歌詞が聞こえない音楽のように、響きだけを残して名前が思い出せない。


 そんな風に悩む僕を、ひとりだけ笑顔で見つめている人がいることに、僕は気づかなかった。



     ◇           ◇           ◇    



 『皆さんはこれから本社の一員として、輝かしい未来に向かって活躍して行きます』


 四月。藍塚薬品の入社式会場に藍塚グループ会長、井原昭三氏の演説が響く。僕は真新しいスーツを着て、近隣高校から集めた100名を超える新入社員と一緒に演説に耳を傾けていた、今日からいよいよ社会人としてスタートだ。 

 いつだったか、国分寺高校にも会長や社長、専務が公演に来たことがあった。その時と変わらぬ声で、その時よりも自分たちをより一人前の人間として甘やかさない口調で演説し、僕たちの心を引き締めていく。


『新入社員の皆さんお疲れさまでした。それではこれより各々の部署に移動して、これから共に働く先輩方とコミニュケーションを取って下さい。社会人として大事な最初のお仕事です』


 早速のミッションに、みんなは自分たちに割り当てられた部署に向かって移動する。隣に座っていた渡辺君は工場勤務、んじゃ後でなと肩をたたいて講堂を後にし、現場の方に向かっていく。

 僕は研究開発部門の営業担当だ、まず薬の知識を色々学びながら、それを関連会社に紹介して出資や購入をお願いするために奔走するのがこれからの僕のお仕事。


 早速6階にあるオフィスまで上がると、すでに3人ほどが入口のパイプ椅子に座っていた。僕もその隣に腰かけて初仕事の面合わせを待つ。と、入り口のドアががちゃりと開いて、一人のOLさんが部屋から出て来た。

 僕を含む4人にびしっ、と緊張が走る。いよいよこれから部屋の中に・・・・・・と思ったら、彼女は他の3人を無視して僕の方に来ると、冷ややかな声でこう告げた。


「天野未来君ですね、君はこちらに来てください、会長・・がお呼びです」


 え、会長? さっき演説していた、このグループで一番偉い人が・・・・・・僕に?



「失礼します」

 6階から付き添ってくれたOLさんが最上階の会議室のドアをノックする。後ろに立つ僕はもう心臓がバクバク言いっぱなしだ、普段なら影も踏めない存在である大企業の会長が、今日入社したばかりの僕に一体何の用なのだろうか。


「入りたまえ」

 遠くから響くその声にドアを開けるOLさん。どうぞと促されてごくりと唾を飲み込み、入り口の正面に立って「失礼します!」と深々と頭を下げ、そして上げる。


「!!」


 その奥行きのある会議室の遥か向こう、窓際に横に並んだ机に3人の人物が座っていた。中央に井原昭三会長、その左右には社長の三木誠二氏と、社長夫人の理子専務が自分を値踏みするような目でこっちを見ている。

 そしてその机の両端から90度折れ曲がって、長い机が左右から目の前までコの字型に並んでいる。その机にも多くの人が座っており、彼らもまた自分に注目していた。


 只事ではないこの歓迎ぶりに心臓が激しく跳ね続ける。トップ3は勿論のこと、左右の机に座る面々も只者ではないことが容易に想像できる。なにしろ右側の人たちは全員が白衣だし、左側の面々は逆に様々な濃いファッションの服装に身を包んでいるのだから。


「あ、あの・・・・・・一体?」

「まぁ座りたまえ」

 問いかけた言葉を遮られて、目の前の末席に座る。なんだかここにいるとまるで裁判官に断罪される罪人の様な心持ちになる、一体どういう過程で僕はここに座っているのだろうか。


「さて、天野 未来あまの みらい君。」

「は、はいっ!」

 社長に声をかけられて、思わず裏返った声で返事をしてしまう。居並ぶ面々がふふっと笑うが、そんな事を気にしている余裕は僕には無かった。


「君には是非、わが社が特別に企画しているプロジェクトに加わってもらいたいと思っているのだよ」

「特別な・・・・・・企画?」

 どうも要領を得ない提案に言葉が詰まる。高卒の僕は特に専門的な何かを習得しているわけでは無い、そんな若造をわざわざプロジェクトに加える理由って・・・・・・?


「これを」

 横にいたOLさん、というより秘書にも見える女性が、脇に抱えていた雑誌大の封筒を一つ僕の前に置く。

 その封筒には大きく、こう書かれていた。



 ――時遡プロジェクト――

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