第25話 時遡プロジェクト
「開けてみたまえ」
その社長の言葉に従い、”
『
「・・・・・・細胞、反、再生?」
うーん、症候群と言うからには何かしらの病気の類なんだろうし、ここは製薬会社なんだからそれを研究するプロジェクトなんだろうけど、前半の文字があまりにも意味不明過ぎて理解できない。
「私から説明しよう」
そう言って立ち上がったのは社長のすぐ横に居る白衣を着た人物だ。その禿げ上がった頭と豊かな顎髭は、まるで音楽の教科書にでも載っていそうな風格すら漂わせている。
そして、僕はその人物を知っている。この藍塚薬品のパンフレットに一番大きく掲載されている、世界的な薬剤開発の権威!
「Dr.ロベルタ・リヒター・・・・・・さん!」
思わず名前を声に出す。今から20年以上も前に新開発の精神安定剤”リヒター”を作り上げ、世界にその名を馳せた名ドクター。藍塚グループが製薬会社を立ち上げるためにヘッドハンティングした代表人物だ。
「私を知ってくれていてうれしいよ、Mr.アマノ」
「お、恐れ入ります!」
思わず恐縮して頭を下げる。会長に社長に専務に続いて今度は世界的な権威の医者ときた、自分の場違い感がますます跳ね上がってしまう。
「さて、早速だが君は、『時間と共に若返る人間』がいると聞いたら信じるかね?」
流暢な日本語でそう聞いて来るリヒター博士。その突拍子な質問にしばし困惑する。若返る? なんかどこかのアニメか何かで聞いたフレーズではあるけど、そんな事を大博士に真面目に聞かれても・・・・・・
「えーと、例えばアルツハイマーとか、老人の赤ちゃん返り、みたいなものですか?」
少ない知識を総動員して、なんとかそれらしい答えを返す。多少こじつけっぽい回答ではあるが、そうでも言わないと想像が追い付かない。だが、リヒター博士は首を横に振ると、次の書類を見たまえと催促する。
「え?」
二枚目の紙に書かれていたのは、よくある人の成長を描いた風刺画だった。赤ちゃんから幼児、少年、青年、中年から老人へと変化していく姿。でもただひとつ不自然な点がある。それは人と人との間に描かれている矢印が逆になっていることだ。この矢印を追っていくと、人は老人から赤子へと向かって行っている事になる。
「あ、あの・・・・・・」
「次の一枚を」
わけがわからず言いかけた言葉をドクターに止められ、理解が追い付かないまま次の書類を見る。そこに印刷されていたのは四枚の細胞の写真の拡大図。一番上に『
そしてその写真にはそれぞれ”0.00sec","2.00sec","4.00sec","8.00sec"と、時間経過が示されており、また細胞の一部に赤ペンでマルが示されていた。そしてその細胞は、時間が進むごとに圧縮されて中央に押し込められるように縮んで行っていた。
「これって・・・・・・細胞が、逆行しているって事ですか?」
いやまさかありえない、どう考えてもこれは時間表示をいじるか加工してるんだろう、細胞が時間と共に縮小し、分裂どころか合体して減少していくなんて。
でも、ドクターはその馬鹿げた回答に、大きく頷いて見せた。
「世界でただ一人、その病気、
そこからドクターの話を引き継いだ若い医師が、僕の手元にある書類と照らし合わせて説明を続ける、でもそれはとても信じられないものだった。
ある老婆がこの病にかかり、それから彼女は一年に一歳ずつ、いや一秒に一秒ずつ若返っていくようになったそうだ。消化吸収機関や脳内の電波記憶はそのままに、彼女の中の
別の紙に書かれているのはさらに信じられない話だった。一秒ごとに別人になって行く彼女には、あらゆる体内負傷が一秒後にはリセットされるというのだ。注射針を刺しても、例え銃弾が体内にめり込んでも、一秒の後にはその全てが治療され、体内にあるはずの異物は『無かったもの』として消失してしまうというのだから。
その彼女はもう少女の姿まで若返っているという。『K』と称されたその人物が生きている内にその病のシステムを調べ上げて、我が藍塚グループの研究結果として新たな医学を推し進める。そしてその権益を独占して世界に名だたる会社として発展する計画だと。
「考えても見たまえ、ケガが瞬時に直るだけではない、悪くした臓器を健康な時期に戻せる、
・・・・・・え、サンプル?
「それにだ、何よりも! 時間の進みと若返りの時間を同一に調整する事が出来たらどうなると思う? そう! 人類の夢、不老不死が実現するんだ!!」
若い医師が力説する。確かに本当にそんな病気があって、それを同じ時間に固定出来たら確かにそうなるだろう、理屈では。
「これは人類が新たなステージに移行するための大いなる一歩だ!」
高揚した声でそう演説を〆る医師。彼が着席すると入れ替わりに、反対側の列にいた背広の中年男が立ち上がり、僕に向けて話を切り出す。
「天野君、君には正直医学の点はよく分からないだろう。だから君にやってもらうのは別のことなんだ」
「別の・・・・・・それは?」
聞き返しつつも少し安心する。全く知らない医学の世界で、こんなファンタジーみたいな病気の担当にされても何もできる気がしない。でも、じゃあ一体何をすれば?
「君にはその『K』に会って、我々に協力するよう交渉をしてもらいたい」
え、それって結構重要な仕事じゃないのかな、もし失敗したら『K』っていう人の協力が得られないわけで・・・・・・
そんな困惑の表情を察した背広の男が、眼鏡をくいっ、と上げて口角を吊り上げ、不遜なトーンでこう続けた。
「なぁに、難しい話じゃない。君が彼女を
ぞくり、という悪寒が腹の中を駆け抜けた。僕に、その人を誘惑しろって、言うのか?
「『K』には監視を二重三重に付けてある。その報告によると、どうもターゲットは君みたいな少年がお好みのようだ。年齢を考えたらお笑いだがね」
そのために、そんなことのために、僕はここに呼ばれたのか。
「まぁ最悪『僕、新米で営業とってこないと上司に怒られるんですぅ』って泣き落としすればウンと言ってくれるんじゃないか? 相手はお婆さんなんだしねぇ」
ぐしゃ、と会議室に音が響く。他でもない僕が、手にしていた書類を握りつぶした音だ!
「お断りします!!」
顔を上げ、遥か先の真正面にいる会長に向かって、僕は言葉を投げつけた!
「ほう、何故かね?」
平然とそう返す会長を睨みすえて、息をついて言葉を返す。
「このプロジェクトは、一人の不幸を利用して金儲けを考えているだけです! 『K』を囲ってどうするつもりですか? 話が本当ならこの人はもう20年も生きられないんですよ・・・・・・その残り少ない貴重な時間を、貴方達はなんだと思っているんですか!」
ぜぇぜぇと息をつき、反論が来ないのをいいことにさらに叫ぶように返す。
「どうして! その病気を治療する事を、その患者を救う事を考えないんですか! どうしてそこだけがすっぽり抜け落ちているんですか!!」
言った、言ってしまった。今日入社したての新米が、県内屈指の大企業の会長が指揮するプロジェクトに暴言を吐いた。もう僕は間違いなくクビだろう、でもそれでいい、こんな会社に養ってもらうなんてまっぴら御免だ。
机の上の封筒。”
―びりぃっ!―
真っ二つに、引き裂いた。
ふぅ、ふぅ、と息をつき、言う事は終わったとばかりに視線を机に落とす。ああ、これで終わりだな、父さん母さんに何て言ったらいいんだろう、あんなにこの会社に就職できたことを喜んでくれたのに。
ぱちぱちぱちぱちぱち・・・・・・
え? 場の空気にそぐわない音が響いてくる。これは、拍手?
顔を上げると、さっきまで嫌な話をしていた背広の男が、満面の笑顔で手を叩いている。
――パチパチパチパチパチパチパチパチ――
会長が、社長が、専務が、ドクターが、居並ぶ役員たちが追随して拍手を鳴らす。
「え、え? どういう・・・・・・」
僕の疑問の答えが、僕の横から、僕のよく知っている声で帰って来た。
「正解って事だよ、
隣に立っていたOLさんはそう言って、こちらに微笑みを一つ返す。
「え、あれ? 今の、声って・・・・・・まさか!」
彼女は笑顔のまま、その長い髪の毛を左右に分け、僕の側の右だけをくるくると器用に三つ編みにすると、それを耳の後ろにリングにして見せた。その目は今までの冷ややかな目から、ぱっちりとした少女の瞳に代わっていた。
「え、ええええええっ、み、三木さんっ!?」
大人の雰囲気を纏っていたOLさんは、瞬時に僕の元クラスメイト、かつ部活メイトの三木七海さんに早変わりしていた。彼女はふっふーん、と鼻息をついて得意気に「気付かなかったでしょ」と囁く。
「うむ、さすが七海の見込んだ男だ、大正解だよ天野君」
「真っすぐな所がまたいいわねぇ、社長の若い頃にそっくりで」
社長に続いて専務がそう言うと、何故か間に挟まれた会長が「もうそれは言うなよ」と渋い顔をする。
「悪かったね、君を試すようなマネをした。でもどうしても我々は君と言う人物をよく知る必要があったんだよ」
背広の男がそう言って頭を下げる。僕はどうやらここにいる人たちに試されていたみたいだ、と理解してすぐまた疑問が湧いて来る。なんでまたこんな大仰な事を?
「さて、天野君。我々と君の目指す方向は一致したわけだ、まずはめでたい」
会長が僕を見据えて、今までとは違う、輝きのある目でそう発した。
「目指す・・・・・・方向ですか」
「ああ、我々の真の目的は、今まさに君が言った『この女性を治療し、救う事』なのだよ。新発見だの金もうけだのはあくまで副産物、ついでの話だ」
その言葉に、胸に暖かい物がじわり滲むのを感じた。この人たちはちゃんと情もあり、やるべき道を間違ってない人たちなんだ、よかった、この会社に入社したのは間違ってなかったんだ。
「でも・・・・・・やはり不思議です。いくらなんでもこれだけの人が、ひとりの為に関わるなんて」
あの藍塚グループの会長、社長に専務、世界的権威のドクター、それに一癖も二癖もありそうな面々に、いつの間にかOLに化けてた三木さん。社長に『七海』と呼ばれていたことからおそらく身内なのだろう。ここまでの大仕掛けを、企業を挙げてする必要が、いったい何故?
その疑問を察したかのように、会長が机の引き出しから包みを取り出して、ごとり、と机の上に置いて、一言、こう発した。
「今ここにいる者は皆、『K』に、つまり彼女に
そう言って包みを開く。中に入っていたのは、白木で出来た何かの刃物の握りの部分と、その先に僅かに残っている金属。ヤクザ映画などでよく見る、いわゆる”ドス”の、刃がほとんど失われた物だった。
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