天国と地獄の法──身分法

 一一〇三〜一二二三年、南フランス・リヴェイユ


 フランス革命から向こう、近現代西洋社会においては身分差別撤廃が進み、身分法という分野は消滅への道を進んでいった。しかしインドのカースト制、ロシアの農奴制、日本の士農工商制など、各国には厳然たる身分の定めが存在し、その一部は現代においても強い影響力を持っている。

 十二世紀南仏はキリスト教の異端信仰として知られるカタリ派の根拠地として栄えた。その栄華は十三世紀にアルビジョア十字軍の侵攻を受けて殲滅されるまで続いた。ローヌ側沿いの町・リヴェイユでもやはりカタリ派が信仰されていた。ただし、リヴェイユが他のカタリ派地域と一線を画していたのは、布格令(通称「天国と地獄法」)と呼ばれる特殊な身分法が布かれていた点である。

 リヴェイユは南仏において典型的に見られる農業と商業の盛んな町だった。豊かな水源を活かした周縁部と、交易の中心となる都市部とに分かれ、十一世紀初頭からドクテーヌ家が支配していた。ドクテーヌ家は小作人と地主を厳格に身分として分離し、小作人は地主の〝所有物〟同然に扱われた。小作人には所有権が与えられず、小作地からの移動が禁じられたほか、人身売買も恒常的に行われていた。こうした扱いはカタリ派の教義に照らしてもきわめて異例であったが、リヴェイユはこうした強固な小作制度の下で経済的に高い利潤を生み出していた。

 しかし、この身分制度にもひとつイレギュラーが存在した。それが天国と地獄法である。端的にいえば、これは小作人が地主の身分を手に入れるため、地主に〝挑戦〟するための仕組みである。この〝挑戦〟の儀式はヨハネの黙示録になぞらえて「天与の秤」と呼ばれた。

「天与の秤」への挑戦権を与えられるのは、四十歳を超える健康な小作人の男である。小作人はクリスマスから十日後、つまり新年に、ドクテーヌ家の広大な屋敷に招待される。このとき、小作人の主人である地主も一緒に招かれる。小作人と地主は、頭に鉄仮面を装着され、大広間に通される。そこにはリヴェイユの有力者たちが観客として集い、二人は彼らの前でいくつかの試練を行う。試練の内容としては、聖書の暗唱、剣舞、食事の儀礼、書写などが伝わっている。

 一連の試練が終わった後、有力者たちは投票を行う。鉄仮面をつけた二人のうち、いずれが地主に相応しいかを判定するのだ。鉄仮面をつけるのは、純粋にその者の振る舞いだけを審査するためである。

 投票の結果、選ばれなかった者はその日のうちに毒殺される。ドクテーヌ家で供される食事に毒が盛られているのだ。参加者は自分の食事を口にするまで審査の結果を知ることはできない。そして投票で勝利した者は、

「天与の秤」で小作人が勝利することはほとんどない。審査は非常に厳しく、小作人が地主と同じように振る舞うことは不可能だからだ。しかしそれでも「天与の秤」に挑戦しようとする小作人は毎年あとを絶たなかったという。町の有力者たちにとって小作人たちの無謀な挑戦は、娯楽でもあっただろう。

 もし万が一、小作人が勝利した場合、小作人は地主の土地や家系、妻や子供たちも含めてあらゆるものを得ることができる。地主の家族たちにとっては家長の死の原因となった小作人が、その日から突然地主として振る舞い出すわけである。もしそんなことがあれば大きな軋轢を生むはずだ。

 しかし、実際に地主となった小作人がいたのかどうかについては不明である。

 

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不可解法律全書 世界の不合理な法の合理的な世界 よるきたる @gintonicbomber

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