第35話

 天井から吊り下がっていた照明も割れに割れ、室内が一瞬にしてブラックアウトする。


 絋が目を開けると、蘭子が涙をこらえるような眼で、銃口をこちらに向けていた。

他方、最初から安全圏へ隠れていた部屋の主は、滅茶苦茶になった幹部室の隅で、怒りもせずにその光景を眺めていた。それどころか、笑いながら拍手までしている。


「機銃掃射とは、中々派手にやるじゃないか? 修繕代はもちろん、防衛省が払ってくれるのだろうね?」


 顕長が階下の様子を眺めている傍で、空気を切り裂くような爆音を上げながら、軍用の戦闘機がホバリング飛行をしている。


 機種はビル側を向き、機銃もこちらを狙っている。

 F‐35に酷似した垂直離陸用戦闘機。首都直上で運用するなんて正気の沙汰じゃない。

 紘が戦慄していると、いきなり眩しさに襲われる。備え付けられたヘッドライトが、室内を照らす。

 逆光でよく見えないが、キャノピーが開き、操縦席から人影が現れるのが見えた。


『さすがは、私の遺伝子提供元〈バリスティクス〉ですわ! 私の能力も、そろそろ打ち破りつつあるようですし。貴方は儀式に必要な要素ではありませんが、新国家建設の儀を観閲する権利を与えましょう、綾崎蘭子特務官……』


 水無瀬茉莉。フラグシップのタイプ№3が、操縦席にも座らず、開け放たれたキャノピーから見える位置で屹立している。またも怪しげなバイザーを付けた姿で、だ。

あの戦闘機がF‐35Xか? 量子コンピュータ〈プロヴィデンス〉が搭載されているという、志乃の愛機の上で、茉莉が冷たい目を志乃に向けていた。


「もうすぐ同期も完了かしら。さすが、エリア51謹製の作品なだけ、ありますわね」


 見ると、茉莉の掌には、信じられない物体が浮いていた。黒とも紫ともつかない光を放つ、ルービックキューブ大の何か。


 おそらく、現代社会の科学からは想像もつかない技術を投入して造られたと思われる規格外技術の塊。


――量子コンピュータ〈プロヴィデンス〉――!


 紘がその異様な物体に目を奪われていると、茉莉が突然、パチン、と指を鳴らす。

部屋の扉が開き、ぞろぞろと戦闘服に身を包んだ者たちが、銃をこちらへ向けながら、入室してきた。


『№4を彼女に渡せ、高宮紘。そして、投降するんだ。これから儀式の場へと移送する』


 手元の携帯電話から冴島の声が響く。完全にこちらの行動を封じられてしまった。


 儀式。この一連の事件は、ヘグリグのクーデターにと留まらない、もっと巨大な陰謀が進行しているのか。


 そして、その中心に居るのが、自分と――志乃…………?


 茉莉が、口の端を吊り上げて笑う。そこには一切の善意も優しさも感じられない。志乃の無表情の方が、ずっとずっと、暖かみがあるように思えた。


「……あれ、蘭子先輩? どこに行ったんだ?」


 ――とっさに後ろを振り向く。だが、居ない⁉ 何処だ?


 見回すと、腕を手錠に掛けられながら、割れた窓の方へと這っていく蘭子の姿があった。


「先輩ッ⁉」

「……私は、責任を取るよ、紘くん……。この状況もこの女も、元を辿れば、全部私の責任だから……。紘くんと……同じだね?」


 虚ろな、それでも生気漲る瞳で、蘭子は戦闘機を見据えながら告げる。


「内証第七の特務官として、規格外技術流出並びに軍事転用防止のため、貴方達のプロトコルを破棄します。覚悟はいい? №3……いいえ、〝妹〟って呼んだ方がいいのかな?」

「……目が虚ろだけど大丈夫なのかしら、オリジナル? 人生の殆どを国家に描かれた筋書きの分際で、脚本から逸脱した行動がとれると思って?」


 四角い物体を弄びながら、茉莉は蘭子を睥睨している。

それは、対等ではない者に向ける視線だ。


「紘くん! 私のことはいいから、志乃ちゃんと早く逃げて! あの女の口ぶりなら、私はこの計画では端役の扱いみたいだから大丈夫! だから……!」


 ぞろぞろと近づく特殊部隊員たち。逃げるなら、覚悟を決めるしかない。


一瞬の逡巡を乗り越え、紘は苦し気に言葉を絞り出す。


「…………すみません、先輩! 必ず、後で助けに行きます!」


 ――やるなら、今だ。


 志乃の方へと疾走する。考えるのは後。今は、逃げることだけ考えろ。


「こ、コウ⁉ 何をしているんですか⁉ 早く蘭子と一緒に投降を……!」


 喚く志乃をよそに、紘は鞄から秘密兵器を取り出す。


「これで空を飛んで、ここから脱出するぞ、志乃!」


 それは、鳥のような、戦闘機のような形をしたラジコン。ヒーロー番組で登場した

空飛ぶ小型の支援メカの玩具。劇中では主人公たちを空輸するシーンもあったりする。


「動いてくれよ、頼むぞ……」紘が何かを念じるようにラジコンを掲げると、コントローラも触っていないのに空中へと浮き始める。〈ARスクエア〉の能力が発動したのだ。


「飛んだ!」


「む、無茶です! ここは地上三十階で……あっ……!」


 志乃が刀を取り落とし、頭を抑えだす。紘はブレードを鞘にしまい、志乃を自分の身体に抱き寄せながら、ラジコンの真下へと歩を進める。


 さすがに、この行動は予期していなかったようで、茉莉の表情に焦りが見え始めた。


「つ、捕まえなさい! 儀式のユニットを取りこぼすわけにはいきません!」

「ほう。〈ARスクエア〉はやるなあ。さすが、目的遂行のために手段を選ばないだけある」


 特殊部隊員たちが一斉に駆け出す中、水無瀬顕長の感心したような呟きが耳に入る。


 その声に対し、蘭子が苛立つように詰るのが聞こえた。


「……アンタ、本っ当、最低だ……! ずっとそうやって、観察者を気取っているつもりなの?」

「国家も会社も女も子供も、全ては私の人生を楽しませるために存在するからな」

「チッ! ――紘くん、右後ろ! 銃口の照準に入ってる! 次! 三歩下がって! そう、ナイフぐらい、避けられなきゃ、志乃ちゃんを守れないよ!」


 蘭子の予測のもと、紘は迫りくる戦闘員たちを回避し、一部は返り討ちにしてやる。


 そして敵が気付いたときには既に、志乃とともに、割れた窓ガラスの縁へと立っていた。


「紘くん、私の言えた義理じゃないけど、志乃ちゃんを必ず守ってね!」

「先輩…………分かりました!」


 紘は多勢に無勢の状況に置かれた蘭子に申し訳なさを感じながら、ラジコンの取っ手を掴み上げ、


 ――足場の無い世界へと踏み出した。

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