第36話
威勢よく後輩に啖呵を切ったはいいものの、蘭子はすぐに投降を申し出た。
二人を逃がせば戦う必要は無いし、そもそもこの戦力差は能力では埋まらない。
「ちょっと、もう少し緩めに縛ってよ」
特殊部隊員に拘束されながら、実の父親と、自分によく似た顔立ちの少女の会話を聞く。
「取り逃がすとは、計画の進行に支障は無いのか?」
「……セレナーデを動かしますわ。あの娘と〈プロヴィデンス〉の同期が始まった以上、ここで進行を止めるわけにはいきませんから」
水無瀬茉莉。学校の後輩、水無瀬いずみの姉。奇妙なバイザーを外して、髪を栗色にしてショートカットにすれば、おそらくその顔は自分と、瓜二つのはずだ。
「アンタ、どういうつもり……? 志乃ちゃんと紘くんに、何をさせるつもりなの?」
茉莉がこちらへ振り向く。その顔は笑っているが、見せかけだろう。だって、自分もよく、そういう顔をして生きてきたのだから。
「国家の変革ですわ、綾崎蘭子。迫りくる激動の時代に備えて、我が国に嵌められた枷を解く。そのための〈サイバーテレパス〉。そのための〈ARスクエア〉。全ては予定通りなのです」
何を言っているのかさっぱり分からない。自分のクローンのくせに、その真意はまったくこちらへ伝わらない。蘭子はこちらを睥睨するもう一人の男に食って掛かる。
「水無瀬顕長! 私を捨てたくせに、私のクローンを娘にするなんて、どういう了見なの? アンタには、いずみが居るでしょう……!」
SSIビルにミサイルが撃ち込まれたあの日。蘭子は密偵を開始した。噂になっていた人造超能力者。天祐志乃の素性。自分のコピーの存在。自分の父親。いずみが腹違いの妹であったこと。調査の過程で全てが繋がった一方で、この男が自分のクローンである茉莉――Utopia Tentative-model No.3――の〝保護者〟を引き受けた理由だけが、最後まで分からなかった。
「それは、茉莉が成功作だったからだ」
茉莉の肩に手を置きながら、水無瀬顕長は自身の誇りであるかのように自慢げだ。茉莉もこちらを見下ろしながら自慢げに笑っている。
「お前の母親は、一時の私の欲を満たすための存在であり、私の伴侶たりえなかった。そんな女に子供が出来ようと、私の知ったところではなかった」
自分も母親もまとめて侮辱されたことが腹立だしい。
しかし、蘭子は我慢して言葉の続きを待った。
「後に、私の格に相応しい女が現れた。だが、生まれた娘は凡庸だった。才気も感じられないのに記者の真似事ばかりする失敗作。いずみの存在は、選ばれし人生を生きている私のプライドを、殊更に傷つけた」
聞かなければ良かった。これが自分の生物学上の父親だなんて、思いたくもない。
「……だから、政府からこの娘の〝保護者〟を要請された時、運命を感じたよ。なにせ、お前からプールされた遺伝子が――、才能を調整された私の〝娘〟が――、完璧な個体として製造されていたのだからな。茉莉のみが、次代を担う私の後継者として相応しい。そう思ったから引き取った。それだけの話だ……」
「貴っ様あああああああ!」
なけなしの力を込めて立ち上がるが、その瞬間、茉莉が立ちはだかる。バイザーを外して、高飛車な声を「自分の声を録音した時に聞くような声音」に切り替えた茉莉は、冷酷に告げた。
「綾崎蘭子。〝貴方は、父親を殴りたくなんてない〟。ただ、構って欲しかっただけでしょう?」
身体が固まった。嘘だ。そんなはずない。そんなこと思ってなんかいない。
瞬間、茉莉に蹴りを入れられ、床に叩きつけられる。――避けられなかった。〈バリスティクス〉の能力があるのに……。
「残念だが、私が認めた娘は、茉莉ただ一人だ」
「う……うう…………」
床に這いつくばり、唇を噛み締める。血が出たが泣くもんか。自分が否定したかった思いを、よりによって、目の前で、クローンに暴かれてしまった。操られた時の記憶が蘇る。
あの時も茉莉に、紘たちへの嫉妬を煽られたのだ。紘と芹那が巨永課長と親子のように会話していた時の感情も、調査の過程で、志乃が上官から娘のように大切にされていることを知った時の感情も、みんなみんな、溢れかえってきてしまった。
でも、泣かない。
仁王立ちをして佇む茉莉が、こちらを憐れむように見下ろし、元の高飛車な声で呟く。
「……綾崎蘭子……。せめて、儀式の見届け人ぐらいには、してさしあげますわ」
*
Arcadia Tentative-model。ユートピア級とは異なる目的で造られたエンテレケイア。
セレナーデ・カナン。こんな名前なのに、自分は日本人だ。正確には、特異なエムザラ遺伝子保有者の少女から造り出した卵細胞に、アングロサクソン系の細胞を用いて造られたエンテレケイアである。元々、日本政府が「宗主国」のために造り出した貢物。
それが自分だった。
貢物として差出される直前、宗主国は言った。「せめてXレイ級を持ってこい」と。
だから、超能力無効化能力〈ネームレス〉がその域に達するまで、自分は内証第十に置かれることになった。
日本人でもアメリカ人でもない、高宮芹那ですらない、半端者として。
私は、誰なんだろう。朝貢のために造られた遺伝資源。それ以外の何物でもない家畜。
そんなアイデンティティに悩んでいた自分に声を掛けてきたのは、脱走歴のあるバカ者の同輩だった。
――わたし、高宮芹那のことを知ってます。貴方とは全然違う女の子でしたよ! Mk5はMk5以外の何者でもないのです! それよりも、一緒にゲームでもしませんか?
天使のように笑う、周囲の人間を幸せにする女の子。それが№4。仲良くなるのに時間は掛からなかった。それ以降、あの日まで、自分と彼女はずっと親友だったのだ。
*
「あっれー、壊れちゃったのかなー?」
街灯に照らされた夜の公園で、芹那は故障していたドローンを物珍し気に持ち上げて、確認する。自宅待機を命じられて暇を持て余していたら、ガチャン、と何かが落ちる音が外から聞こえ、下に降りてみれば、志乃が放ったらしき監視ドローンが破損していた。
「……志乃ちゃん、何かあったのかな? お兄ちゃんも連絡つかないし……」
放課後、蘭子の手掛かりを探すと言い残して、二人は夜になっても帰って来ない。
すぐにでも探しに行きたいが、能力を使えない自分は、公園でウロウロしているのも本当は危ない身だ。
公園。公営住宅の間にある簡易な遊び場。昔、兄と一緒によく遊んだ場所。そして、自分に母親役を譲ってくれた、優しい女の子と遊んだ場所。
自分にとって大切な思い出の場所。
「……なんだか、大切なことを忘れている気がする……」
胸騒ぎがする。何か、良くないことが起こっているのではないか、そんな気がする。
「……高宮、芹那ね?」
「え?」
果たして、人影から現れたのは、黒いノートPCを持つ、金髪碧眼に丸いオーバルフレームの眼鏡を掛けた、肌の白い女の子。
外国人にも見えるが、脳が情報をうまく処理出来ない。
だって、その女の子は――
「せ、セレナーデ……?」
初めて、間近で彼女を見た。そして気付く。眼鏡を掛けているとはいえ、
――顔が、あたしにそっくりだ。
「……セレナーデ・カナン。識別名称Arcadia Tentative-model Mk.5。自己紹介は、そうね……。革命組織ヘグリグの参謀、と言ったところかしら?」
戦闘機に搭乗して、志乃と戦ったという人造人間が、そこに居た。
「あらためまして、ママ。それとも、お姉さんかしら? ――――会いたく、なかったわ」
こちらを敵視するような目。兄も志乃も居ない中、芹那は勇気を奮い立たせて対峙する。
「……あなたも、あたしのエムザラ遺伝子が使われているの?」
その問いに、金髪の少女は苦々しく言葉を紡ぐ。
「そうよ。でも、他のエンテレケイアよりも、ずっとずっと貴方に近い……。だって私は、貴方の代用品として造られたのだから……」
彼女が何を言っているのか分からない。自分を狙うテロリストなのは確かだが、茉莉や他のヘグリグが自分を見る目とは、徹底的に違うように思える。
「……私はアンタなんてどうでもいいけど……。儀式の場に連れてくるように、茉莉と〝指揮官〟から言われているの。光栄に思うことね」
「ぎ、儀式? なんのこと? お兄ちゃんや志乃ちゃんと関係あるの?」
身構える芹那に対し、セレナーデが初めて、芹那に対して笑顔を見せた。
「――もちろん。建国の儀には、王様とお姫様が必要だもの」
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