第37話

 人気のないビルの狭間に降り立った紘は、志乃を肩で支えながら状況を整理する。


 駅は既に張られているはず。もう、戻れないだろう。

だが、まずは志乃を介抱するための場所が必要だ。自宅? いや、新橋からは遠い。それに、自宅も抑えられている可能性は高い。 


 そうだ、芹那は? 妹は無事なのか。紘はスマホで芹那に連絡を取ろうと試みる。が、


「――出ない……。もしかして、アイツの身に何かが……?」

「…………コウ……。はやく、わたしを置いて投降してください……。芹那のことを考えれば、それが最善です…………」


 息も絶え絶えに志乃が、弱弱しい声で主張してくる。


「お前だけ放っておけるかよ……。このままじゃ……」

「……いいのです……。どうせわたしも遠からず捕まります……。今回の件は全て裏をかかれました。作戦は、失敗です……」


 事件はクーデターなどではなかった。冴島首席護国官に水無瀬顕長。そして、この筋書きを承認した政府による陰謀劇。


 彼らは、自分と志乃、そしてあの〈プロヴィデンス〉を用いて、何かを企んでいる。俺達にこれ以上、何をさせるつもりだ?


「とりあえず、どこか楽になれる場所に移動しよう。話は、それからだ……」


 志乃は反論するのも無駄と考えたのか、もう、その元気も無いのか。ぐったりとしたまま、こちらに身を預けて黙る。空から落ちてきた少女と、本当に同一人物なのかと、疑ってしまうほどに。


 最強の人造人間少女の身体は、思いのほか軽かった。だが、腹部の銃創から既に血が止まっているのに気づくと、やはり彼女は普通の人間ではないことを思い知らされる。



「カップルシート一部屋お願いします」


 高校生の男女。しかも、女の方は息も荒くフラフラとなれば、店員が怪訝な顔をするのも当然だ。しかし、それ以上の詮索はされず、紘は漫画喫茶の二人部屋確保に成功した。


 ぐったりした志乃をシートに寝かせ、紘はドリンクバーで水を調達。

次に持っていたビニール袋に氷を投入し、それをハンカチでくるんで即席の氷嚢をつくり、志乃の額にのせた。


「水、飲めるか?」


「…………すみません……」


 意識が朦朧とした様子で、紙コップを口に近づける志乃。昔、近所の公園で遊んでいた時、一緒に遊んでいた女の子が熱中症になってしまったことを思い出す。あの時も、同じように介抱したんだったか。量子コンピュータにハッキングされかけている人間への対処療法と同じで大丈夫なのかとも思うが。


 志乃は再び横たわりながら、横目でこちらを見た。


「…………少し、落ち着きました。貴方を助ける側だと思っていたのに、立場が逆転してしまいましたね」


 と、志乃は自嘲したように言う。


「……無理するな。俺は何か打開策を考えるから、しばらく横になっていてくれ」

「お言葉に甘えます……すみません」

苦しそうに声を絞り出して、眠りにつく志乃。


 打開策なんて、無い。だが、任務の時でも、こんなに弱弱しい姿を見せたことのない志乃に、これ以上負担を掛けるわけには、いかなかった。


 しばらく物思いにふけっていると、ふいに、左手を握られた。掴んでいるのは、もちろん志乃だ。彼女の顔が火照ったように赤いのは、〈プロヴィデンス〉に対抗するため、脳を総動員しているからだろうか。それとも――。


「――って――しは、――のーで――から」


 苦しそうに何かを呟く志乃。うなされているのだろう。起こした方がいいのだろうか?


「おい、志乃、大丈夫か?」身体を揺すって起こそうとしたその時、


「……だって、わたしは、ぜんちぜんのーなのですから……」


「――――え?」


 なんで、志乃がその言葉を知っているのだろう。どうして、あの女の子の言葉を……。


「……うっ!」


 頭が痛い。もちろん、志乃の頭痛が感染するはずもない。記憶の奥深くに眠っていたものが、呼び覚まされるような、そんな感覚を覚える。


 天祐志乃。その名前を、紘は昔から知っていた。なぜ? だって、その名前は――。


 ぐっ、と腕を力強く握られる。紘がぎょっとすると、そこには上体を起こし、目を見開いた志乃の姿があった。だが、目の前の彼女は、まるで別人のような雰囲気を醸し出す。


なぜなら、



「…………ようやく、会えましたね、コウ……」



 満開の桜のように明るい笑みを浮かべた少女が、そこには居た。


「志、乃……?」


 紘が動揺していると、少女はキョロキョロと何かを探し始める。そして、床に転がっていたタブレットを見つけると、それを手に、懐かしそうに一枚の写真を呼び出す。


「やはり、あの頃のまま変わっていませんね、コウは。ずっとずっと、会いたかった……」


 タブレット上に表示された写真には、幼い紘と芹那が一人の女の子を挟んで座っている姿が写っている。


 紘も芹那も、そして、真ん中の女の子も、元気いっぱいに笑っていた。


 天祐志乃。紘が名前を付けた初恋の女の子が、そこに居た。そして、写真の中から抜け出したかのように成長した少女が、実体を伴って、紘の手を握って笑っている。


 ――その瞬間、全てを思い出した。






「むー。およめさんはわたしなのに……!」「じゃあ、わたしは娘役をやります! お母さん、お腹が空きました!」「どう見ても君の方が年上だから、倒錯した関係性を感じる……」

「とーさく?」「……せりな、おかあさんなんてしらないもん。やりかたわかんない!」

「うち、母さん居ないんだ。死んじゃって……」「――! そうなんですか……。ごめんなさい……」「お嫁さんは昼ドラで学んでいるみたいだけど……」「分かりました」「では、お母さんの勉強をしましょう! 大丈夫。わたしも母親は居ませんが、わたしは何でも知っています! だって、わたしは、ぜんちぜんのーなのですから!」






「…………そんな……まさか……」


 記憶の彼方に居た少女の顔を思い出す。色素の薄く長い髪を持つ女の子。優しく、気遣いが出来て、笑顔が素敵で、いつも自分達兄妹を楽しませようと一生懸命だった彼女は、自分の目の前にいる少女と同じ顔をしていた。


 ご丁寧に、幼き頃の自分の写真を伴って。


「ふふ……ふふふ……やった……! やっぱり、一目でわたしに気付いてくれた! 半年も一緒に居たのに、所詮貴方は偽者なのです! ねえ、ねえ、ねえ、そうでしょう、志乃?」


 〝彼女〟は自分の掌を眺めながら、どこか焦点の合わない目で誰かに話しかけている。


「志乃? おい、志乃⁉」


 明らかに様子がおかしい。彼女はこんな笑みを浮かべる人間じゃない。誰からも愛されそうな笑顔を志乃が浮かべているのに、紘はとてつもない不快感を抱いた。


 志乃は自分の掌から視線を外すと、今度は紘の眼を見て相対する。


「……喜びよりも驚きの方が勝っているようですね、コウ? でも残念。わたしも時間があまり無いようですので、一度失礼させていただきます」


 と一礼しながら優しい声で耳元へそっと囁く。


「――次会った時は、おままごとの続きをしましょうね?」

と、そう言い残して〝彼女〟は、


 ――そのまま壊れた人形のように倒れ伏してしまった。


「お、おい? 志乃! どうした⁉ 大丈夫か?」


 一体、何が起こったんだ、今の〝彼女〟は。そもそも、この写真はなんだ?


 志乃が倒れた拍子に、床へと転がったタブレット。その画面には、確かに幼き頃の思い出が、鮮明に表示されている。小学生の自分と芹那、そして、志乃の姿が。


「い、やだ……早く……わたしから……出て、行って……! ――あ、れ……?」


 再び少女が目を開いた。その顔に浮かぶのは無表情に淡々とした声音の、いつもの志乃だった。


「す、すみません……。おかしな夢を見てしまったようで……」

だが、紘が手に持つタブレットに気付いた彼女は――――


「――ッ! や、やめて‼ 見ないで‼」


 おそらく、特務情報部で出会ってから、今までで一番取り乱した様子で、志乃は紘からタブレットを力強く奪い返す。


 そして、端末を懐に抱き締めながら、身体を震わせて声を絞り出す。


「志乃……?」

「し、知られたく……無かった……! コウ、貴方にだけは、知られたくなかった‼」

「ちょ、ちょっと待ってくれ志乃⁉ まずは落ち着い――」

「――ッ…………!」


 だが、紘の制止を振り切り、志乃はタブレットを抱えたまま、カップルシートを飛び出し、そのままネットカフェの出口へと走り去ってしまった。


 その去り際、彼女の瞳から大粒の涙が零れ落ちたのを見て、紘は呆気に取られ、そのまま動けなくなってしまう。

 

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