第38話

「うう……ひぐっ……」


 紘は勘のいい人間だ。早晩、一番知られたく無かった自分の〝正体〟に思い至るだろう。


 薄暗いビルの路地裏で、しゃくりを上げながら志乃はとぼとぼと歩く。


 任務を放棄してしまった。上官から命じられ、自身でも至上命題と位置付けていた護衛任務を投げ出した。


 自己嫌悪に陥る一方で、もう何もかも投げ出したい気持ちでいっぱいだった。


「――――無表情の人形でも、涙ぐらいは流せるようになったのかしら?」

 背後から声がする。親友だと思っていた同輩の声。金髪碧眼が目立つ少女の名前は――


「せ、セレナーデ……⁉」


 志乃は涙を振り払い、怒気を込めて尋ねる。


「な、何の用です? まさか、最後の執行者は、貴方なのですか……?」


「さっき〝あの子〟の反応を観測したわ。そろそろ器としての機能が固定化されてきたようね、№4‐2?」


 眼鏡の蔓を押し上げて、セレナーデが問いかける。


「――! そ、その識別名称で呼ぶのは辞めてください!」


 苛立ちが募る。自分の最大のコンプレックス。

代替機たる二号個体を意味する識別名称をわざわざ用いるのは、セレナーデが自分を天祐志乃だと認めていない証左に違いなかった。


「器に意思は必要ない。茉莉も私も高宮紘も、貴方を通して〝彼女〟を見ているわ。首席は意思の有無すら度外視しているようだけど」

「……首席や貴方達は、わたしに何をさせるつもりなのですか?」

「世界変革のために〝神〟へと捧げる供物。アンタはそのために産み出されたの。そして、その準備は既に終わっている……」


 すると突然、セレナーデが夜空を指さす。肉眼で視認出来ずとも、彼女の台詞から、この星の低軌道上に位置する〝システム〟を示していることは瞭然だった。


「まさか……さっきの介入は〈プロヴィデンス〉ではなく〈リヴァイアサン〉を……⁉」

「違うわ。新世界を切り開くのは、合衆国の神プロヴィデンスでも、この国の神リヴァイアサンでもない。――〈テオトコス・システム人為的なる神の母〉。私達が信奉する、この世界の最初で最後の神の名よ」 


 セレナーデが呟くと同時、ふと、もう一人の少女の存在に気付く。


「芹那……! まさか、捕まってしまったのですか……⁉」


 自分の監視が行き届かず、セレナーデの手に落ちてしまったのだろう。


 志乃は、両腕を拘束されながらも、こちらの姿を見ると喜びの表情を見せた。


「志乃ちゃん、無事だっ――ちょっと、アンタ、何するの⁉」


 こちらへ駆け寄ろうとする芹那を制止しながら、セレナーデがゆっくりと近づいてくる。


 そして、こちらの頬に手を当てて、自分でない誰かを見るように呟く。


「もうすぐ、会えるわね、〝志乃〟?」


 そして志乃は、この計画の本当の目的を、ようやく理解した。


     *


 慌てて個室を飛び出し、店員の会計も待たず料金分の紙幣をレジに置いた紘は、自分の鞄と志乃が置いて行ったブレードを携えて、走り去った志乃の跡を追う。


 外へと踊り出た紘は、すぐに辺りを見回すが、志乃の姿は見えない。


 そう遠くへは行ってないはずだが、あの様子はただ事じゃない。それに、先ほどまで量子コンピュータから電子戦を仕掛けられていた身だ。早く見つけないと……。


 直感で走り出した紘は、大都会のビル街の狭間に辿り着く。薄暗くて、数々の室外機が騒がしい。こうした路地裏を見ると、外面だけで中身が伴っていないことを実感する。この国も、それを作ってきた大人達も同時に思い出す。


 ――水無瀬顕長、冴島首席……。どうすれば、この状況を打開できるのか。


 行く先の当てはない。芹那が心配でならなかったが、自宅は抑えられているだろう。都内の何処に政府の諜報員が張っているかも分からない。蘭子はどうなった? 無事なのか? 心配する対象が、気に掛ける対象が多すぎてパンクしそうだ。


 でも、ふと気づいた。自分は今挙げた誰よりも、天祐志乃を優先している現状に。

彼女の言う通り、さっさと茉莉に引き渡して芹那の安全を確保するのが、自分の責務じゃないのか?


 だが、紘はなんとなく察していた。志乃が置かれている状況を。あまりにも理不尽な彼女の身の上を。自分の予想が正しければ、おそらく、彼女は――。


 だから、せめて自分だけは、最後まで彼女の側に居なければならない。それが、多分自分が果たせる、彼女への唯一の贖罪であると――


「探したわ、高宮紘。ようやく、会えたわね」


「誰だ⁉」


 背後で呼びかける少女の声。振りむく。金髪をたなびかせる勝気な眼鏡の少女が、黒いノートPCを抱えながら立っている。その足元には二人の少女が転がっている。

うちの一人は紘を見ると、


「お兄ちゃん……!」


「芹那……! クソっ、捕まっていたのか……!」


 やはり、敵の手の内に落ちていたのか。自分の見通しの甘さが嫌になる。

そしてもう一人は、無表情でも分かる悔し気な様子で、ぐったりと横たわる志乃だった。


「コウ…………」

「志乃⁉ 待ってろ! 二人とも今すぐ助ける!」


 芹那が期待を向ける一方、志乃は何も言わない。


 金髪の少女が真剣な面持ちで眼鏡を外し、こちらをまっすぐ見つめる。その顔は、

肌も白く髪色も違うのに、妹にそっくりだった。


「高宮紘。これで全ての準備が整ったわ。……ああ、安心して? 高宮芹那は〝ユニット〟じゃない。これから行われる、儀式の来賓として呼んだだけだから」


「お前は、セレナーデ……だな? 志乃が戦闘機で戦ったとかいう……」


「そうね。そして、このプロトコルの最終調整者といったところかしら」


 すぐに臨戦態勢を取った紘は鞄に手を伸ばし、モデルガンを取り出す。

掌中のプラスチックの塊が、瞬く間に重みのある金属に変換された。


 だが、セレナーデに照準を合わせようとしたその時、既に彼女姿は目の前になく――


 唐突に目の前に現れたセレナーデは、左手で銃を持った紘の腕を抑えながら、今度は右腕で紘の頭を掴み上げ、青白い光纏う眼球を紘の目へと合わせた。


「聞いてないかしら? 私の能力〈ネームレス〉は〝超能力の無効化〟。まさしく、貴方達の天敵よ」


 妖しく光り出した碧眼を見た瞬間、紘の手から銃の重さが消えた。自身の〈ARスクエア〉が解除されたのだ。


 マガジンを取り出すが、そこにはBB弾が装填されているだけ。


 ――まずい! だが、気づいた瞬間にはもう遅い。


 ある程度の対人戦なら経験している紘でも、すぐさま身体能力が桁違いの相手に頭からアスファルトに叩きつけられ、一気に制圧されてしまった。

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