第47話

     *


 バイナリーブレードを手にした志乃――いや、〝彼女〟というべき存在か――が、哀しそうな表情を浮かべて、こちらを振り向く。


「……どうしてですか、コウ? どうして、わたしの気持ちを、分かってくれないのですか?」


「……世界構造のリセットなんて、させない。俺達は、チートを使ったゲームのクリアより、自分の腕でハードモードに挑むことにした」


「さようならを言いに来ました、〝わたし〟。わたしが、天祐志乃であるために……」


「そうですか……。〝わたし〟のプロトコルを阻む最後の敵。偽物のわたし。人類を救う〝わたし〟のラスボスとして、これほどのクライマックスはありませんね……」


 バイナリーブレードの蒼い内部フレームを展開させた〝彼女〟は、真っすぐこちらを見据える。だが、志乃は〝彼女〟に物怖じせず、紘へと呼びかけた。


「コウ。わたしは、貴方の刃です。カッコよく決めてくださいね?」


 志乃の身体――いや、魂というべきものか――が光に包まれ、輝きが収束すると、そこにはもう一本のバイナリーブレードが浮いていた。


「――魂を武器に変えましたか……。〈ARスクエア〉は、本当に不思議な能力ですね」


「――〝志乃〟。これが俺の答えだ」


 その切っ先を〝彼女〟に向け宣言した。刀剣が展開され、朱く輝くフレームが露出する。


「さようなら、〝志乃〟――」


 それを合図に、剣戟が始まる。


 気付けば両者を取り巻く世界は、講堂に移っていた。


     *


「お兄ちゃん⁉」

「紘くん⁉」


 心も身体も、講堂のステージ上へと躍り出る。芹那と蘭子が驚く声を聞き流しながら、紘は〝彼女〟との戦闘に集中した。


「コウ! 貴方のために、わたしは神様になったのです! なのにどうして、わたしを受け入れてくれないのですか?」


 ブレード同士が衝突する。その音は鋼鉄がぶつかり合う音とは違う、もっと魂を揺さぶるような波を発した。〝志乃〟が手にするバイナリーブレードと、紘が握る魂そのもので形成されたバイナリーブレードは、文字通り火花が飛び散る程の斬り合いだ。通常なら、人間を遥かに超えるエンテレケイアの体力に、紘が対抗できるはずもない。


「……人造人間の体力に貴方が対抗出来るわけがない……文字通りあの娘の魂を懸けているからこそ、こんな真似が出来るのですね……?」


「もう辞めよう〝志乃〟。これ以上、お前に罪を重ねさせるわけにはいかない……」


「罪じゃない! わたしはこれから正義を成すんです、コウ! この国も世界も、もう完全に逼迫しているのですよ? この世界を作り上げた大人達は、本当の意味での大人じゃない。ならいっそ、大罪を犯してでも、わたしがこの世界を牽引していくしか、無いじゃないですか!」


「違う! どんなに難しくても、考えて、選び続けなきゃいけないんだよ! 困難な世界だからこそ、生きる価値のある世界なんだ!」


 たとえそれが、どんなに難しい綺麗事であっても。


「――じゃあ、その世界でも生きられなかったわたしは、どうすればいいんですか⁉」


 その問い掛けに、紘の力が緩む。つばぜり合いが一瞬止まってしまう。


「……わたしは、くじの中にハズレが入っていると、悲しむ理不尽な誰かを思い起こさずにはいられないのです。自分が辛くても、貧乏くじを引いてしまう性分なんです。でも、こんなの理不尽じゃないですか! わたしは……ただ、貴方のお嫁さんとして、おままごとをしたいだけだったのに‼ ……そんな偽者なんかに、わたしの立場を奪わせません‼」


「――――うわっ⁉」


 圧倒的な力で屠られる。


 気圧される。勝てない。何と言っても、彼女はこの国最高峰の人間兵器なのだから。


 ――そう。普通なら勝てない。


 ――でも、自分にだけ出来る残酷な必勝法を、紘は見つけてしまった。


 紘は無様に舞台袖へと転がり、体制を整えようとした直後、〝志乃〟が持つ刀の切っ先が目の前に迫った。だが、狙う先は自分ではない。


 ――ならば、いける!


「……その偽者の剣は破壊します! さよなら、〝わたし〟の偽物……!」


「――――お前にその剣が、振り下ろせるのか?」


 次の瞬間、紘は即座にバイナリーブレードを引き戻し、丸腰の状態になった。


「――――え?」


 その一太刀は振り下ろされ――――なかった。


〝志乃〟は高宮紘を傷付けることに躊躇した。だから、隙が生まれた。


「ごめん、〝志乃〟……」


 ――――鮮血が、舞った。


     *


「…………ど、どうして?」


 〝わたし〟の右肩に紘が持つブレードの切っ先が突き刺さっている。

痛い。持っていたブレードが手から零れ落ちる。


「頼む……。優しいお前に、理不尽な真似をさせるわけには、いかないんだ……!」


 その目は〝自分〟を見ている。でも、彼が見ているのは〝わたし〟じゃなかった。 ―――誰? 決まっている。自分の代替品だ。


 〝わたし〟がコウを傷つけられないことを見越して、彼は自分の身体を曝け出したのだ。


 彼への好意を利用されて、敗北したのだ。


 それを自覚し、身体が膝から床に倒れ伏す。


「負けました、志乃。コウが好きな女の子は、もう、〝わたし〟じゃないのですね……」


 コウが、悲しそうな目でこちらを見下ろしている。


 告白に失敗した女の子はこんな気持ちなのだろうか。なんて、惨めなんだろう。


「――っ〝志乃〟ッ‼」


 茉莉とセレナーデが、倒れた自分の下へと駆け寄ってきた。そして、涙を零す。


「行かないで、〝志乃〟‼ また死ぬなんて、そんなの私が認めませんわ!」


 お姉ちゃんの声がする。セレナーデはただ黙って抱きしめてくる。


「決着は最初から着いていたのです。……クローンをプロトコルに組み込んだ時から、〝わたし〟は、憎んでいた大人達と、同じ立場になっていたのですね……」


 茉莉が絶句する。そうだ。いつの間にか、わたしたちヘグリグは、憎んだはずの理不尽そのものになっていたのだ。


「貴方が気に病む必要なんてありませんわ! 全てのプロトコルは、私が現実に代行してきたのですから!」


 茉莉は涙を零しながら自分の罪を背負おうとする。


 彼女は最期まで、優しいお姉ちゃんだった。


「……悔しいです……笑顔が世界を幸せにするなんて、そんなのぜんぶ御伽噺でした……」


 自分の魂が器から離れようとしている。この身体が自分ではなく彼女のモノだと自覚してしまった以上、当然のことだ。多分、もう狭間の世界にすら、戻れないだろ

う。


 茉莉がぎゅっと抱きしめてくる。ああ、お姉ちゃんの腕の中で死ねるなら。あのヘグリグで独りぼっちのまま死ぬよりは、ずっとマシだ。


 でも――。


「〝志乃〟! わたしが貴方の願いを叶えます! だから、お願い、私に出来ることならなんでも言ってください! お姉ちゃんは、妹のためなら、何でもしてあげますから!」


 チラ、とコウの方を見る。魂を具現化されたバイナリーブレードを後生大事に抱えながら、こちらをじっと見ていた。彼なりの自分へのけじめだろうか。


 ああ。そんな貴方だからこそ、〝わたし〟は貴方と一緒に居たかったのだ。


「……なら、〝わたし〟の能力を、お姉ちゃんに、全部あげる……。だから……」


 そう言って、〝志乃〟は茉莉を抱き寄せ、自身の掛けていたバイザーを茉莉に掛け

ると、


「――〝わたし〟をひとりにしないで――」


 その一言を遺して。


〝彼女〟は紘の方を見ながら、意識を完全にこの世界から消失させた。

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