第48話

 手元から、バイナリーブレードが消える。そして次の瞬間、目の前でこと切れていたはずの少女がゆっくりと目を開け、辺りを見回した。


「……ここは……? ――戻って、これたのですね……」


 さっきまで笑みを浮かべていたはずの顔は、感情をうまく表現できない無垢の少女のモノへと戻っている。

紘はごちゃ混ぜになった感情を振り切り、志乃の元へと駆け寄ろうとするが、


「し、志乃……。――おい! 何をする、辞めろ!」


「――へ? きゃあ⁉」


 志乃が目を覚ました瞬間。


 それまで彼女を抱きかかえていた茉莉が、その身体を放り出す。


 バイザーの奥にある目が何を見ているのか、紘には分からなかった。


「貴方の最期の望み……。この私が、必ず叶えてみせますわ……」


 茉莉はつかつかと歩みを進め、失楽園計画のために用意されていた通信機材をいじり出す。彼女に付き従っていたヘグリグ達も、茉莉の雰囲気の変貌ぶりに動揺を隠せ

ないでいる。その沈黙を破るように、蘭子が声を上げた。


「ちょ、ちょっと、アンタ、何をするつもりなの?」


「黙っていなさいオリジナル。これから私は、人類史に名を刻む偉業を行うのですわ」


「ま、茉莉……? 何をする気……? もう、計画は終わったのよ……⁉」


 セレナーデも何かを感じ取ったのか、すかさず眼鏡を外して茉莉の肩を掴み、その青白い光を携えた眼で見据えた。しかし、


「UV級の〈ネームレス〉では、〝私達〟の能力は打ち破れません。だって、〝私達〟はXレイ級(かみさま)になったのですから……」


「――あうッ‼」


 そう言って茉莉はセレナーデを突き飛ばすと、黒いノートPCに向き合う。

そして、彼女は、とある領域へのアクセスに、成功した。


    *


 内閣総理大臣の仕事は忙しい。


 男は、今日も永田町で公務に勤しむ。仕事の内容は殆どが意思決定。霞が関の官僚が立案した政策を吟味し、自分が望む姿の国家を作るための方向性を指し示す。男は、自分の指揮下にあるはずの下部組織で引き起こされた陰謀に対し、頭を悩ませていた。


 ――自分が命令すれば、内証機関が引き起こした事態は収まるに違いない。

 だが、それをすれば最後。自分は総理の座から引きずり落される。

殺されるかもしれない。そしてそれは、自分が想像できる〝一番マシ〟な事態であった。


 官僚だけでなく与党にも。野党にも。あの怪文書を信奉する者は大勢いる。そして、自分が生まれる前から、あのプロトコルによる計画は脈々と引き継がれ、政府の暗部で進行してきたのだという。


 ――強い日本を創り出す上での多少の通過儀礼です。 


 冴島首席はそう言った。他の官僚も、与党の重鎮たちもそう言った。


 自分は、この国を終わらせないために、何とか盛り立てようと総理になった。


 だが、自分が何かをする以前に、この国の方針は既に強固に固められていたのだ。

最高権力者であっても、それを崩すことは出来ない。


 日本国というシステムは、権威者や最高権力者を隠れ蓑に、誰が責任者かも分からない誰かの手によって、勝手に動き出す。


 そして、その動かす手は誰のものか見えない。


 自分が変える事の出来る領域など、もう無いのではないかと思ってしまう。


 突然、公務用のPCに通信が入った。


 ――秘匿回線。この国の秘密機関と直接コンタクトを取るために用いる、閉鎖された情報通信網が開いた。男は何事かと神経を尖らせ、通信を呼び出す。


 果たして。


 ディスプレイに映ったのは、サングラスを掛けた、年端もいかぬ少女の顔だった。


「はじめまして、総理。私は水無瀬茉莉と申します」


 記憶を辿る。確か、その名は――エンテレケイアの少女のはずだ。


「――ミナセ、マツリ? 失楽園計画の執行官か。どうしてこの回線を知っているんだね?」


 工作員の実行部隊が総理に接触するなど通常ない。しかも、この回線の存在を知る者は限られている。よっぽどの極秘情報を持っているのだろうか。男は警戒心を露わにする。


「ふふっ……。警戒しても無駄ですわ。だって、超能力者の前では、全て無意味ですから」


 その意味を即座に理解した。


「――き、君! まさか、本当に反乱を起こす気か? この回線はハッキングなど不可能なはずだ! どうやって⁉」


 そもそも、この回線は物理的に外部の情報通信網から切り離されている。日本製エンテレケイアの最高傑作と呼ばれるあの〈サイバーテレパス〉ですら、侵入テストに失敗するレベルのはずだ。


 ――冴島首席はどうした。まさか、失敗したのか。


 だが、そんなことは、些事とばかりに。


 クスクス笑う少女は内緒話のように自分へ囁いた。


「総理。貴方にしか与えられていないこの国の最終兵器。ご存知ですよね? 〈リヴァイアサン・システム〉を積載した原子炉衛星は、米国が許したこの国唯一の核兵器ですから」


 そう。真の国家存亡時。在日米軍すらこの国を〝保護〟不可能と判断した際、自衛隊も通さず総理自らの命令で動かせる最後の民族自決用核兵器こそ、「多用途一号機」だった。


 米国に造られた、どの国も狙えない、本土決戦となった時に自国の領土だけ狙える自決用の核兵器。システムが敵国に接収されるぐらいなら、完膚なきまでに消滅させることを目的とした質量爆弾。


 それを使えと、この女は言っているのだ。


「貴方の奥底に眠る野望を実現しなさい。〝この国は、すぐに滅ぼさなくては〟」


 彼女の声が変わった。


 言葉を聞いた瞬間、男は、自分の奥深くに眠る野望を刺激された。


「な、何を言っている……。私は、私は……日本国の首相だぞ⁉」


『なら、この国が終わっていることを一番自覚しているでしょう? ――政府の首班として、この国の切腹を、介錯するのです』


 そして、皮肉げな笑みを残して、少女の存在が消えた。


 回線がシャットダウンされたのだ。


 男はゆらりと、すぐに手元のPCを操作し、自分にしか与えられていない原子炉衛星へアクセスした。


『光彩認証……クリア。指示を入力してください』機械の音声が問いかけてくる。


「――私だ。この国を憎悪する、全ての国民の代表として命じる。質量兵器として目標地点に自機を投下せよ。目標地点は――東京都千代田区だ」


     *


 数分後、衛星軌道上に存在する原子力衛星は、数基のバーニアノズルから炎を吹かし上げつつ、降下を開始した。従来の原子力電池ではなく、規格外技術を結集して造られた自決用核爆弾は、現行の兵器では補足不可能な光学迷彩を起動させ、地球へと落下していく。


     *


 機械式のバイザーを放り捨てた茉莉が、絶望の色を宿した瞳で笑みを浮かべる。


「あの人工衛星はただの核爆弾じゃない。列島全域と周辺海域を汚染する。この国は滅亡するし、中国やロシアだってタダじゃ済まない。製造元が米国であることもすぐ分かるでしょうし、そうすれば報復としてワシントンに核が飛ぶかもしれませんわね。そもそも、腐っても経済大国たるこの国の首都が消えれば、世界経済の破滅は時間の問題。焦土と化したこの国を起点に、人類は第三次世界大戦で滅びてしまえばいいのです」


 つらつらと語りだす茉莉に対し、講堂内は静まりかえる。


 それを、紘が破った。


「お、お前、何を考えているんだ⁉ 大人どころか、これじゃあ……」


「だって、姉として、〝あの娘〟を一人になんて、してはおけませんから……」


 茉莉の「もう疲れた」とでもいった態度に対し、隣のセレナーデが激高する。


「ちょ、ちょっと待ってよ、茉莉⁉ これじゃあ、私達エンテレケイアはなんのために……! いずみだって、死ぬのよ⁉」


 セレナーデは茉莉の襟首を掴んで詰め寄る。


 だが、彼女の抗議を茉莉は軽くいなした。


「違いますわ。〝あの娘〟の言う通り、私達は汚い大人と同じ道を辿っていた。志乃の代替品を造って生命を弄んだ。子供も大人も人造人間も関係ない。ヒトという種に生まれた賢しい文明は、一度スッキリさせた方がいいのです。いずみも綾崎蘭子も……それに私も、もう一度生まれ直せば、あの男と関係ない人間として生まれ変われるかも……」


 セレナーデが茉莉の頬をひっぱたいた。


 どさ、と茉莉が生気を失った目で空を見上げる。


 蘭子が、その様子を黙って眺めていた。


 傍らに横たわっていた冴島と水無瀬顕長がピクリと痙攣し、動き出す。


「う、うう……」


「何が、あった……⁉」


〝志乃〟の消失によって、能力の持続は解除されたようだ。

だが、そんな彼らの顔も見ずに、セレナーデは投げ遣りに言う。


「失楽園計画も、私達のプロトコルも失敗したわ。これから、この国には、民族自決用質量核兵器『多用途一号機』が落ちてくる。この国と世界に、審判の日が訪れるのよ……」


「なっ……⁉」


 水無瀬の驚愕した面持ちに対し、冴島は即座に通信機へ話しかける。


「すぐに空自へ連絡しろ! 高射部隊を動かせ! 宮内庁にもだ!」


 だが、それを茉莉がやるせなく笑う。


「ムダムダ……。かの国が造った超科学の産物を、PAC‐3なんかで撃ち落とせるわけもない……。それに、何処に逃げても一緒。みんな最終的に地獄へ落ちますから……」


 冴島の顔が真っ青になり、講堂がパニックに陥る。だが、志乃だけは、違った。


「…………止めないと」


 彼女は血だらけの肩を止血しながら、ゆっくりと立ち上がる。


「し、志乃! ゆっくりしていろ……。お前の身体は……」


 引き留めようとする紘の手を、逆に志乃は掴む。


「わたしの身体なら大丈夫。頑丈に作られていますから。それに……」


 志乃は紘の目をまっすぐ見て告げる。


「わたしは、〝志乃〟の分まで生きなければいけませんから……‼」


 ――そうだ。俺達は生きなくちゃいけないんだ。だって、生きているんだから。


 紘は小さく頷いた。そして、志乃の手を握りながら、彼女を連れて紘は歩みを進める。


「茉莉。お前や〝志乃〟が何を望もうと、俺はこの世界で生きる道を選ぶ。地獄から目を逸らして死ぬぐらいなら、どう足掻いてでも生き残ってやる……!」


 茉莉にそう言い放つと、彼女は悲痛な面持ちで顔を上げた。


「じゃあ、〝あの子〟みたいに選べない人はどうすればいいの⁉ 人生に相応しくないと捨てられた娘は? 人生の拍付けに足りない娘は? 国の道具として造られた娘は?」


「私への当てつけのつもりか、茉莉?」


 不快な様子で顕長がぼやく。


「茉莉……」


 蘭子がどう声を掛けたらいいか、分からない様子で呟いた。彼女にも思うところがあるのだろう。そして茉莉は、今度は芹那と紘を指さして言った。


「芹那だって貴方だって、そう! 選んでなんかいない! 誰かが指し示した方向を、選んだかのように錯覚してるだけ! 選ばされてるだけで、自由意志なんて無かったでしょう⁉」


 紘は芹那の方を見た。妹は黙ってこちらを見て頷く。揺らぎは無かった。自分と同じだ。あの場に居た人間にしか、分からないことがある。


 だから紘は、茉莉の主張を認めるわけにはいかなかった。


「違う。俺の選択は俺自身のモノだ。お前がもし自分の人生を選べないなら、俺が手伝うよ、茉莉。お前だけじゃない、俺はこれから、ここに居る全員が、自分で自分の道を選べるように、してみせる」


「……誰もが貴方みたいに、責任を背負える人間ばかりじゃ、ありませんのよ……」

そして、茉莉はうんざりとした様子で父親を少しだけ視界に入れた後、再び紘と視線を合わせた。


 そして、彼から目を逸らすと、泣きそうな顔をしながら立っている少女に気付く。


「もう、お姉さんぶらなくてもいいよ、茉莉。辛いときは、お姉ちゃんが居るからさ……」


 蘭子の物言いに、茉莉は少しだけ驚いた表情を浮かべると、不貞腐れたように顔を俯かせた。


 そんな彼女を、蘭子が黙って抱きしめる。


 一方の紘は、手を握った先に居る少女に力強く叫ぶ。


「志乃! ……あの壊れた戦闘機で世界を救う方法を思いついた! 手伝ってくれるか?」


 果たして相棒は、紘の突拍子の無い提案を聞くと、悲しそうな表情で答えた。


「……きっと、わたしと同じことを考えているのでしょうね、コウ……。でも、貴方に、それが出来ますか?」


志乃の問い掛けに対し、紘は黙って深く頷いた。

 

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