第49話
「その壊れかけの戦闘機でミサイルを撃ち落とすなんて、本当に出来るの?」
夥しい数のコードが繋がったノートPCと睨めっこしながら、蘭子が紘に尋ねる。
「どうせ既存のミサイルで対処不能なら、これで試してみようと思ったんです。――おい、芹那。お前は外に避難しろって言っただろ?」
講堂の扉から顔を出して不満げな芹那。
「ミサイルが落ちてきたら助からないでしょ。なら、最後までお兄ちゃんの近くに居るよ」
芹那の達観した物言いに、紘は「駄目だ。外で避難しろ」と反論する。この記念館は崩落しかけている。核爆発より先に危険に晒される必要もあるまい。
芹那は口を尖らせながら、
「……あまり気負わないでね、お兄ちゃん……」と言い残してさっと去って行った。
紘の視線を移すと、軽い身のこなしでバイナリーブレードを戦闘機に突き刺し、能力で無理やりF‐35Xの姿勢制御を行う志乃の姿が見える。
「機体ごと旋回させて、射出方向を上空に……。流石にこの作業は、骨が折れますね……」
志乃がぼやくと同時、轟音を立てて地上へ真っ逆さまに墜落していた戦闘機がバーニアを吹き返し、重力に逆らうようにして天井を向いた。その衝撃と同時に、建物上部の内装がガタガタと崩落する。上階の旧陸軍大臣室は貴重な文化遺産でもあるのだが、背に腹は代えられない。
紘は尾翼部分に近づき、倉庫に転がっていた青いペンキをローラーに塗り付け、それを尾翼で真横に一線した。
――志乃が好きだった、世界連邦空軍最強の戦闘機と同じマーキングだ。
他の人間は全て待避させていた。セレナーデが「責任の取り方、見せて貰うわ」と肩を叩いて、他のエンテレケイア達を連れ立って外へと避難したのが、紘には印象的だった。
「蘭子! ミサイルの敵意は感じられますか⁉」
「う、うん! 多分、今は日本海上空を突き抜けている最中だと思う!」
ノートPCの接続先は、冴島たちが用意した黒く輝く立方体〈プロヴィデンス・システム〉。
志乃によれば、この国が米軍と共同開発した規格外技術の塊〈リヴァイアサン・システム〉の後継機で、志乃の頭痛の原因だったそれは、〈リヴァイアサン〉の介入を受けてフォーマットを初期化されていた。
失楽園計画遂行のための量子コンピュータが志乃の意識を乗っ取る心配は、もうない。
蘭子は〈プロヴィデンス〉が収集した〝見えない質量兵器〟の僅かな進路情報と睨めっこをしながら、その〝弾道〟を感じ取ろうとする。
「その人工衛星がヒトの意思で落とされた以上、その攻撃軌道が予測出来なきゃ、〈バリスティクス〉の名前が廃るからね……!」
自信満々にほくそ笑む蘭子だったが、相当緊張しているのが紘にも分かった。
電子情報越しにステルス迷彩兵器の位置情報を感知するなんて、特務情報部の任務ですらやったことない。
だが、苦しくても、ここは踏ん張るしかないのだ。
「紘くん。……本当は私、茉莉の気持ちが、何となく理解出来ちゃうんだ……」
蘭子がか細い声を、ぽつりと漏らす。紘は、昨夜から見てきた彼女の系譜を辿る。
「……先輩には、妹が二人も居たんですね」
「うん。最低の父親と最悪な国家に、人生を弄ばれた悲劇の女スパイってとこかな?」
寂しそうに自嘲する。蘭子は芹那と同じだ。理不尽な境遇に巻き込まれ、いつの間にか自分のクローンまで造られてしまった。いつも笑って誤魔化してはいるが、本当はとても繊細な女性であることを、紘は今までの付き合いから知っていた。
「……だからこそ、先輩には生き残ってやることがある筈なんです。俺も兄だから分かるんです。妹たちを……守ってあげてください。少なくとも、茉莉はそうでしたから……」
せっかく会えた妹たちなのだから。
少なくとも紘にとって姉のような蘭子先輩には、そう演じて欲しかった。
「そうだね……。――よーし、見ててよ紘くん! 絶対に人工衛星を見つけ出すから!」
紘の思いが少しでも伝わったのか。蘭子は空元気でもやる気を出しているかの様子で、再び画面を凝視し始めた。そんな最中、天井にほど近い戦闘機の機首部分から志乃が飛び降り、紘と蘭子の前に舞い降りる。
「〝砲台〟の準備、完了しました。――コウ、あとは一発勝負です。〈ARスクエア〉の本領、見せて貰いますよ」
「俺は魂だって武器にしてみせたんだ。……大丈夫。やって、みるさ」
志乃が差し伸べた手を、紘はしっかりと握る。その手は、少しひんやりとしていた。
「では、行ってきます蘭子。要撃管制、よろしくお願いします」
「了解! 二人とも、世界を頼んだよ!」
「任せてください! ちゃんとやって――って、うわああああああ!」
蘭子に自信満々の返答をしようと思った矢先、紘の身体は宙を舞い、天井にほど近い戦闘機の機種部分キャノピーの中に放り込まれた。頭がキャノピーに当たる。
「怪我人のくせに、よく人間一人をぶん投げられるな」
紘がもんどり打っていると、すかさずシュタッと志乃が降り立った。
「ふっ。蘭子にカッコつけて任務に望むなんて、コウには百年早いのです」
先ほど紘をここまで放り投げたとは思えない華奢な右手には、本物のバイナリーブレードが握られていた。当然血も止まっている。
紘はすかさず抗議の声を上げるが、志乃はにべもない。
「それだけ元気があれば大丈夫でしょう。ほら、準備を始めますよ」
狭い一人用の椅子を二人で分け合いながら、何が何やら分からない操作盤の前に座る。
様々な計器盤をいじりながら、いそいそと動く志乃に対し、しばし紘は手持無沙汰となった。
「なあ、さっきの――」
「――あれは全部、あちらの〝志乃〟の思いです」
少しむすっとした様子の志乃が、レーダーを調整する手も止めて、こちらを向く。
「だから……コウにこ、こ、こ、好意を持っていただの、き、き、キッスをしでかし
ただの、そういった行動はすべて、あちらの〝志乃〟によるものなのです。だから、わたしの意思なんて、ちっとも介在していないのですそもそもあれは〝彼女〟の計画に必要なプロセスであってヒトの血液に保存された記憶がイヴ遺伝子と同質の役割を果たす機能からして――」
「めっちゃ早口で喋るやつじゃん……」
ちょっとだけ怒ったように、そして、とても恥ずかしそうに志乃が抗弁してきた。
気圧されるようにして、紘は操縦席でポツンと佇む。
志乃はプリプリと怒りながら、こちらの存在を無視するかのように、今度は内部の電装系統をいじり始めた。
紘は志乃の後姿を見て、クスリと笑った。
――そんな姿を見て、人形だの代替品だの、思えるわけ、無いじゃないか。
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