第45話
戦闘機の機首のようなものが突き出ているのが見える。
F‐35X。量子コンピュータ〈プロヴィデンス〉を積載したその機体は、電子兵装の完成後、即座に北京を爆撃するため上空で待機させていたと聞く。
それが落ちてきたということは、つまり――。
「ヘロデ王の目すら掻い潜って希望を生んだのが、神の母だもの。使わせてもらいました、〈リヴァイアサン・システム〉を。政府は志乃の欺瞞情報に騙されて、故障中だと思っていたようですが?」
「貴ッ様ああああああああああ‼」
すかさずヘグリグ達が冴島を取り押さえる。
「――こ、これでは、計画遂行後の、我が国と合衆国による軍事作戦に支障が……」
「そうやって、何もかも予定通りだと思い込む勘違いこそが、この国をダメにしたのでしょうね、首席?」
茉莉は冷たい目で、着信が入った冴島のスマホを抜き取り、彼に近づけた。
「や、やめろ……やめろやめろやめろやめろおおおおおおおお!」
『――判決。主文、後回し』
そうして、一分も経たないうちに、冴島は物言わぬマネキンとなってしまった。
*
「こ、断る! お前の考えには……賛同できない……」
紘はハッキリと否定の意思を示す。が、しかし、志乃はとくに意に介さず、
「貴方ならそう言うと思っていました、コウ。むしろ、そうであって欲しいものです」
「なら、辞めてくれ! 確かに世界は間違いだらけかもしれないけど、俺は、お前が
大量殺戮をするような人間に、なって欲しくないんだ!」
「ますます、好きになっちゃいます。貴方の〈ARスクエア〉が他人の生命を奪えない理由も分かりました。……いいえ、生命を奪えないからこそ、そういう性格なのかもしれませんね」
「そ、そうだ! 俺の能力を用いているなら、人を殺すことなんて、出来ない筈だろ⁉」
紘が気づいた一縷の望みを、志乃はせせら笑って打ち壊す。
「ふふ、そうですね。だから、わたしの〈サイバーテレパス〉で、永遠に電磁波をばら撒いてあげる予定です。そうすれば、――――永久に何億回でも、殺すことが出来ますからねえ……」
――これが、あの子の言葉なのか?
戸惑うと同時、志乃は右手に刀剣を、左手で頬を撫で、
「純真な貴方の代わりに、わたしがこれから、世界の理不尽を取り払ってあげます。汚れるのはわたしの役目。だから、ここで待っていてくださいね、コウ?」
身体が動かなくなる。志乃は背を向け、つかつかと歩を進めだした。紘は追うことが出来ない。ただ、手を伸ばして叫ぶしか出来なかった。
「志乃! 待て! 待ってくれ!」
――このままでは、世界が終わってしまう……。
巨永を始めとした、世界中の大人が死んでしまう。必然的に世界中の政府は機能を停止し、子供では扱えない科学文明が遺されただけの原始社会が到来するだろう。
――あるいは、統治ノウハウを持つヘグリグが新しい〝国家〟を建国するのか。
間違っているなんて、否定することは出来ない。だって、この世界はとっくに終わっているのだから。でも、やっぱり紘は、
危険と隣合わせの世界でも、特務情報部で、蘭子や巨永、芹那たちと一緒に生きる世界が好きなのだ。そして、そんな自分の傍らに寄り添う、あの仏頂面の相棒が――。
「くっそおおおおおおおおおお!」
あの〝志乃〟を産み出したのは自分だ。
南スーダンの首都における戦闘も、〝志乃〟が凶行に走っていることも、この世界が滅ぼされることも、すべてが、自分の幼い正義感から始まっている。
これは全て、自分の選択に対する報いなのか。
「最初から……選ばなければ良かった。あの日、泣いている母さんの背中を、たださすってあげれば良かったんだ……」そう嗚咽を漏らすと同時、
――それは違うぞ、紘。
と、何処かで自分に似たような声が聞こえた。
*
紘が小学校高学年になる頃、芹那が倒れた。病因は、エムザラ遺伝子の過剰発現。
イヴ遺伝子が欠けている人間は、純粋な力のみが身体に蓄積され、最終的に身体を蝕まれ、死に至る。
父は機関との接触を母の死以来、極力避けていたようだが、娘の生命が掛かっている以上、背に腹は代えられなかったようだ。あの警察病院の特別病棟に、芹那は再び入院した。
そして数か月後。父が荼毘に付された。死因は、エムザラ遺伝子の過剰発現だった。彼は、息子と娘に超能力発現遺伝子をもたらしたのが、自分の血筋であることを人生の最後に知り、子供達に謝罪の言葉を述べながら死んでいった。
でも、妻の死と娘の病気が無ければ、父はもっと長く生きれたんじゃないだろうか。紘はずっと、その後悔に苛まれていた。
そして、紘は、病身の妹とたった二人、取り残されてしまった。警察病院とはいえ、治療には金がかかる。父の遺産で全てを賄うのは不可能だ。
芹那が強制退院させられる可能性も、大いにあり得た。
葬儀の前日、役所の人が来た。親類縁者の居ない自分達兄妹は、施設に入れるらしい。
だが、その場合、自分と妹は離れて暮らすことになるとも言われた。
でも、あの状態の芹那を離れ離れになるわけにはいかなかった。そもそも、妹を受け入れてくれる施設なんて無いだろう。
翌日、父の葬儀があった。強く優しかった父は、紘の手にすっぽり収まる骨壺になってしまった。紘はあまりの軽さに、やるせなくなった。火葬場で骨壺を受け取った紘は、車椅子に座る妹に骨壺を持たせ、後ろから彼女の車椅子を押していく。これから、自宅に持って帰るのだ。
「お兄ちゃん……。もう、嫌だ……。私、お父さんとお母さんのところに行きたいよ……」
芹那が泣いている。でも、紘は泣かなかった。だって、妹がこんな目にあっているのは、全部自分のせいだから。
あの日、彼女が産まれた責任が、自分にはあるから。
ふと、前方に男が立っているのが見えた。一瞬、父かと思った。
「……父さん⁉」
紘は思わず声を漏らす。だが、違った。その男は父親ではなく、
「――久しぶりだな、高宮紘……」
喪服に身を包んだ、神経質そうな男。
忘れるはずもない、紘の人生の分岐路にして共犯者。
「巨永……署長?」
紘は目を見開いているが、芹那は何が何やら分からないといった様子だ。自分の人生の仇ともいうべき男が、目の前に居るというのに。
「懐かしい響きだ……。だが、私はもう署長ではない。今は、警察庁特務情報部で理事官を務めている。君のお父さんが言うところの〝機関〟で、だ」
巨永幸彦は、あの頃よりもずっと、暗い目をしている。
一体、どんな人生を送ってきたのだろう。
「……なんの用ですか? 俺達は、これから、家に帰るんです」
「そして、妹が死ぬのを黙って看取る、か……」
巨永はスーツの内側から黒い金属の塊を取り出し、紘の足元へ放り投げる。それは、
「け……拳銃⁉」
玩具ではなさそうだった。いくら警察官僚とはいえ、こんな場所に拳銃を持ち込み、子供の足元に放り投げるなんて、正気の沙汰ではない。
「こんなことをしているのがバレたら、私は確実に懲戒免職、銃刀法違反、殺人教唆で逮捕だろうな。だが、その覚悟で君に問いかけている……」
「――殺人教唆って、な、何を言っているんですか?」
巨永は両手の拳を握り締め、紘の眼をまっすぐ見据える。
「――君を公安の超能力工作員としてスカウトしに来た。世に蔓延る規格外技術を狩りつくし、公共の安寧を守るための警察の私兵……。おそらく地獄を見るだろうが、その見返りに、君の妹の治療は、全て私と特務情報部が面倒を見よう。――だが、」
男は言葉を切る。その先を言うべきか言うまいか、迷っているのかもしれない。
「――その人生はおそらく、辛く険しいものになる。本当は……これ以上君の人生を
壊したくなんて、なかった……。だから、選択肢を君に与えようと思って、今日、ここに来たんだ……」
巨永は、紘の足元に落ちている銃を指さし、
「特務情報部に入る気が無いなら、今、ここで死を選ばせてやる。施設暮らしを選んだら最後、妹は助からない。そんな将来で君が生きる希望を見出すのは、難しいだろうからな」
「……この銃で、死ねっていうことですか? 俺達二人で?」
「……弾薬は装填済みだ。妹を射殺し、最後は自分の人生に幕を引いてくれ」
――この男は、イカれている。いや、違う。多分、自分達兄妹に向き合っているからこそ、こんなことをしているのだ。紘は直感した。
「……生ある限り、人は生きなければならない。この考えを多くの人間は肯定する。だが、これは人生を真剣に生きたことが無い連中の戯言だ。君をこれから誘う道は、本物の地獄だ。人間性の闇に直面する。地獄で生きるよりも、天国で両親に会う方が幸せかもしれない。なら、いっそ、ここで、死を選ぶのが君達の一番の幸せの道だと、私は思う……」
紘は屈んで、銃を手に取る。本物だった。玩具を本物にする能力を持っているからこそ、これが実銃だということが嫌というほど分かった。芹那を見る。巨永の言葉の半分も理解出来ていないだろうが、銃を見て「ひっ」と怯えるぐらいには、事の重大さを認識しているようだった。
銃を見る。リボルバー式。重い。けど、命を奪うには、あまりにも軽すぎる、物体。
ここで、死ぬ。天国。生きる。地獄。どちらがいいのか。考える。深く深く考える。
そして、紘は――――――――――――――――
引き金を、
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