第33話

 港区新橋の一等地に聳え立つ一般社団法人帝国通信社本社ビル。

その摩天楼が、夜の街を明るく照らす。


 帝国通信は、新聞社や放送局にニュースを配信する、日本を代表する報道機関の一つだ。


「ここが、水無瀬の親父さんの会社か……。立派なビルだな」

「戦前の国策会社から分立した企業の一つですからね。そこの重役となれば、エンテレケイア計画の〝保護者〟に抜擢されることも、あり得る話でしょう」

「その〝保護者〟ってのは、一体何なんだ?」


 あの写真の解像に成功した後、志乃は事件を取り巻く事情に、何らかの確信めいたものを感じたようだった。


 だが、情報収集のため、バックグラウンド下で量子コンピュータを総動員するのに躍起になっていたようで、道中の電車内では、少し訊くのに躊躇いがあった。


「元来、我々エンテレケイアは、超能力人間兵器、そして、日本国の未来を領導する人材という二つの目的をもって造られました。そして、後者の側面を支えるのが〝保護者〟です。才能を持ち合わせても、環境が整わなければ、社会の枢要な位置を占められません。一方、環境さえ整えられれば、凡人でも一定の領域に君臨することが出来ます。環境とは、家柄や資産、親の権力と言い換えてもいいでしょう」


 政治家の大多数は世襲だとか、そういう類の話らしかった。


「〝保護者〟っていうのは、つまり、エンテレケイア達に家庭を与える存在ってことか?」

「そうです。〝保護者〟が与えた環境を使って、エンテレケイアをいずれ日本や国際社会の上層へ食い込ませる計画……。一方の〝保護者〟も、人知を超える能力を持つ人造人間を養子にすれば、自身にも様々なメリットがあることでしょう。エンテレケイア計画は日本国政府以外にも、様々な企業や上層階級の人間が関わる、正に国家的事業だったのです」

「それで、茉莉は、いずみの親父の養女だったと……」

「おそらく、南スーダンPKOからの帰還後に斡旋されたのでしょう。……しかし、このような背景事情がある以上、今回の事件がただのクーデターである可能性は低くなりましたね……」


 いずみには姉が居ると聞いたことがある。だが、あまり詳しくは知らない。まさか、いずみも今回の事件に関与している? そんな都合のいい話があるのか?


 もやもやとした気分を抱えながら降車して駅を出る。出口のすぐそばに聳え立つ帝国通信のビルを見上げながら、紘は本社ロビーの受付に、志乃とともに辿り着く。


「――水無瀬専務に面会の申し込み……椎名里緒(しいなりお)さまと吉里吉里(よしさときり)さま……? 失礼ですが、アポイントメントは?」


 受付嬢が怪しい視線を送ってくる。高校生の男女がいきなり大企業の重役に会いに来るなんて、やはり怪し過ぎたか……。志乃はなおも食い下がり、


「茉莉の件について、至急の話があると言ってください」

「……お祭り? よく分かりませんが、アポイントメントが無いと……」


 丁重に断られてしまった。紘は志乃とロビーの隅まで移動し、コソコソと密談する。


「やっぱり、一見さんは無理っぽいな……あと、あの偽名はなんだ?」

「ADVゲームのスクリプトエンジンです。かくなる上は、不正アクセスを試みますか」


 志乃は目を瞑ってぶつぶつと何かを唱え始める。上空の量子コンピュータにアクセスして、何らかのハッキングを試みているようだ。傍から見ると、怪しい事この上ない。


「……終わりました。もう一度受付に会いにいきましょう」


 そして、受付のお姉さんが滅茶苦茶不審げな顔をしながら、「……確かに本日、お二人との面会予定が入っていますね……? すみません、こちらの見落としでした」


 と頭を下げる。謝られてしまった。なんだか、申し訳ない。


     *


 専務取締役室で待ち構えていた水無瀬顕長は、上品なグレーのスーツに身を包み、足を組んでソファに収まっていた。手を広げて歓迎の意思を示してくる。


 ――随分と馴れ馴れしい男だ。紘は率直に、彼が碌でもない大人だと確信した。


「これは、これは。№4に〈ARスクエア〉。渦中の主役達に会えて心底光栄だよ」


 様子を見るに、こちらの素性はお見通しか。紘は心の中で警戒センサーの感度を上げる。


「義理とはいえ、娘が稀代のテロリストになったのに随分と余裕そうですね、水無瀬専務?」


 志乃の問いに、男は笑みで返す。


 この穏やかな態度はなんだ? 何かの罠か? 戸惑う紘に対し、彼はソファに座るよう促す。ふかふかだった。流石大企業の応接セットといったところか。


「そろそろ事態の全容が掴めてきたようだね? 我々の読み通りと言ったところか」

「……本題に入りましょう、水無瀬専務。アンタがどう関与しているか知らないが、

今回の事件は、一特殊部隊の反乱なんかじゃない。もっと、政府上層が絡んだ、壮大な陰謀劇なんでしょう?」


 紘が単刀直入に切り込む。すると、男は心底愉快そうに笑う。


「そうだ。今回の事件は、この国の上層から、愚民どもを変革していくための始まりに過ぎない」


 隠すまでもないという口調。志乃が「もしかして……」と呟き、


「次席護国官からの指示が途絶えたのも、貴方達の仕業ですね?」

「瀧上次席護国官、か。彼も馬鹿な男だよ。エンテレケイア計画の〝保護者〟打診を断ったせいで、警察官僚としての出世ルートを断たれたのだからな。上層に行く機会を逸した偽善の落伍者そのものだ」


 上官を小馬鹿にされた志乃は、少しだけ不快そうに眉を動かした。が、反論はしない。

 やはり、この状況は全て仕組まれたもの……。だが、何故クーデター事件を装うようなことをしている? 回りくどいことをしたせいで、自分や志乃といった異分子がヘグリグの計画を妨害する状況に陥っている。


 そもそも、ヘグリグや目の前に居る水無瀬顕長の目的が見えてこない。自分と芹那の確保? それはゴールじゃない。何かを達成するための手段のはずだ。なら、特務情報部にミサイルを撃ち込まなくても、最初から権力を使って従わせればいい。なのに、これではまるで――、


「……まるで、意図的にこの状況を作っているみたいだ……」


 紘が思わず声を漏らすと、志乃がブレードの鞘を握り直すのが見えた。彼女もこの不審な状況には気付いているのだろう。


「水無瀬顕長……。貴方と茉莉は何を目指しているのですか? わたし達を意図的にここへと導き、これから何を仕出かすつもりなのです?」


「――秋津洲プロトコルの遂行だよ」水無瀬はそう言うと、おもむろに立ち上がり、部屋の窓へと歩み寄る。


 そして、外の景色を愉快そうに眺め始めた。


「私はエンテレケイア計画に参加してはいるが、国家主義に傾倒している訳ではない」


 男はニタニタと笑みを浮かべ、虚空の何かを掴むように手を動かす。

いやに不気味な姿だった。


「大衆から一線を画した権力構造の上部に位置し、情報を独占すること。それが私の悲願だった。マスメディアとは何か知っているかね? 真実を伝える媒体ではなく、大衆が分かりやすいように濾過、選別するための権力機構のことだ。この仕事を天職だと思っている私にとって、計画への参加は人生を飾る最後のピースだった。優れた娘。国家に認められた家柄。エンテレケイア計画は、私が社会の上層に至った事を示す、人生の功績証明制度だった」


 茫然としてしまった。この男にとって、地位や権力は目的であって、手段ではないのだ。


「――愚民の知らない情報を知って悦に入りたい。世の中が混乱する様を眺めていたい。高い位置から世の中を俯瞰して何もしない……。それが、アンタの本質か?」

「世界の裏側に身を置きながら、君はその発想に至らないのかね? この国はとうに終わっている。冴島さえじまさんの憂国の思いも分かる。私は、自らこの国を救おうとは思わないがね」


 冴島さん。ふと、何処かで聞いた事のある名前だと気付いた。思い出せないが、


 ――俺はその人物を知っている……?


 だが、絋が記憶を探っていると、水無瀬は話を打ち切るように、柏手を打った。


「……さて。私からも担当直入に言わせて貰おうか。――これから、君達を拘束する」


 一瞬、紘は水無瀬が何を言っているのか、分からなかった。


 そのせいで、反応が遅れた。


「――コウ、危ない!」


 自分の元へいきなり飛び込む志乃。そして、鳴り響く銃声。ソファが鮮血に染まる。


「……うっ!」


 自分の膝元に、志乃がぐったりと倒れ込む。苦痛に顔を歪め、脇腹を抑えて。


「志乃? ……おい、しっかりしろ⁉ 志乃‼ 大丈夫か⁉」


 紘が取り乱しながら志乃に呼び掛けると、銃を持って震える一人の少女に気が付く。


「ち、違うの……や、やめて……私に、何をさせるつもりなの……?」


 いきなり。唐突に。綾崎蘭子が。硝煙を漂わせる拳銃を持った状態で、姿を現した。

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