第31話

     *


 都心の構えるマンションのリビングで、茉莉はスマホを片手に通話をしている。


『――そ。鹵獲に成功したの。所詮、お人形がヒコーキではしゃいでるだけだったわね』

「でも、そんな遊びに負けたのも、貴方ではなくて?」ちくりと嫌味を言ってやる。

『――ッ! は、はあ? あれは油断していただけ! 次は必ず……!』


 そう言って、通話が切れる。やれやれ。セレナーデはいつも感情的でいけない。


「――ただいま、姉さん……」


 虚ろな目をした少女が帰宅してきた。茉莉は、努めて笑顔を向けてやる。


「おかえりなさい、いずみ。……手筈どおり、綾崎蘭子の住所を彼らに教えましたわね?」

「――ええ。彼らは、確実に彼女を探しに行ったはずです」


 彼女が高宮紘と同級生だったのは僥倖だった。いや、そもそもこの計画を見越して、いずみと高宮紘を同じ学園に入学させた可能性も、大いにある。


 ――政府という権力主体には、その力がある。


 茉莉が「ご苦労様」と労い、指をパチンと弾くと、いずみの目に突然生気が戻った。


 義妹は、先ほどの会話など全く覚えていない様子で、辺りをキョロキョロと見回す。


「――あ、あれ? いつの間に家に……? ――あ、姉さん……帰っていたのね……」

「ええ。これからすぐに出かけるけど……」

「そう……なんだ……」


 いずみがしょぼくれた顔をする。正直、この義妹を家に置いておくのは忍びない。


 今日もあの男は帰って来ない。自分も居なければ、またこの娘は独りぼっちだ。


 〝父〟は、大手通信社の重役だ。


 でも、家庭を顧みない男で、自宅にも殆ど寄り付かない。


 そして、一年前から「養子を取ることにした」と一方的に告げたらしく、呆れて妻

は出て行ってしまったらしい。養子とはすなわち、水無瀬茉莉。自分のことだった。


 妹のいずみは平凡な少女だった。父親に憧れて新聞記者ごっこをしているようだが、まるで構って貰えない。〝父〟が見ているのは、いつだって特異な力を持つ自分だ。


「姉さんは凄いね。お父さんの仕事も手伝ってるなんて、普通の女子高生じゃないみたい」


 いずみはこちらに気を遣わせないように笑顔を作る。唐突に現れた姉に家庭を破壊されて、何も思っていないはずが無いのに。


 ――だから。私はこの優しい妹のためにも、世界を変えなければいけないのだ。


 茉莉はいずみのことをそっと抱き締める。


「えっ、ちょっと、姉さん? ど、どうしたの……?」

「……寂しい思いをさせてごめんなさい。でも、もう少しですの……。もう少しで、


 きっと、〝本当の家族の団欒〟を貴方に与えてみますから……」


「ね、姉さん……? 私、もう高校生なんだから、留守番程度でそんなに落ち込まないって!」


 腕の中で慌てるいずみを見て、少しだけ顔が綻ぶ。


 ――私には、妹が二人居る。姉妹機である№4と、文字通り血を分けた目の前の少女。


 この二人のためなら、なんだってやってみせる。だって、私は「お姉ちゃん」なのですから――。


     *


「はい、今日の晩御飯。……あなた、いつも同じものばかりですわね?」


 防衛本省の地下に設置された、ノートPCを唯一の光源とした暗い部屋。電子工学の論文や、人工衛星の映った数多の資料、直近の日付の新聞や週刊誌などが辺り一面に転がっている。


 コンビニの袋を渡すと、丸眼鏡に金髪の少女は、一瞬だけこちらに眼球を動かし、


「……そこに置いといて」と呟くと、今度はPCに向き直った。


 セレナーデ・カナン。


 〝妹〟の親友。自分の同僚。


 彼女は、自分と同じ目的を持って、ヘグリグに参加した同志の一人だ。


「こんなものばかり食べていたら、栄養が偏りますわよ?」


 持っていたバイザーを手慰みに弄びながら、尋ねる。


「必要、ない。それより、綾崎蘭子の住所、ちゃんとアイツらに教えたんでしょうね?」

「いずみがやってくれましたわ。もうすぐ、真実に辿り着くでしょうね、…………彼らも」


 少女はそれ以上言葉を発さない。茉莉は嘆息して、PCの画面を覗き込む。表示されているのは、夥しいプログラムの羅列。絶えずコードを入力しているようだったが、それが落ち着くと、金髪少女はコンビニ袋からゼリー飲料を取り出し、一秒で嚥下。次にサプリメントの袋を取り出して口に放り込んだ。


「……栄養は取れるかもしれないけど、もっと別のものも食べたらいかが?」


 ――私のお弁当、差し上げますわよ? と言おうとした瞬間、「いい」と遮られた。


「計画が成就するまで、まともな食事は、いらない。この国では願掛けって言うのかしら? 最初の食事は、〝あの娘〟と一緒に摂るの」

「あなたの〝志乃〟に対する執着は、恐れ入りますわね」


 すると、キッとした目つきでセレナーデが睨んできた。


「…………アンタの頭の中も〝妹〟のことしかないでしょ、茉莉? アンタは私よりもイカレている。こんな計画を思いつくなんて、正気じゃない」

「……誉め言葉と受け取っておきますわ」


 にっこりとお礼を述べたのに、金髪の少女は「ふん」と返事のような声を発した。


 子供っぽい同僚の仕草に苦笑しながら、茉莉は決意を新たにする。


 ――待っていてくださいね、〝志乃〟。


     *


 あの日。夏休みが終わろうとする頃、ある事件が起きた。


 真っ二つになった人形が、血塗られた志乃の手に握られている。その血は志乃のものではなく、近所の悪ガキのものだった。芹那をいじめて人形を壊した子供達を、志乃は、その年齢に似合わぬほどの力でボコボコにして追い払ってしまったのだ。


「志乃! やりすぎだ! こんなのは、ダメだ!」

「ち、違います……! わたしは、そんな……つもりじゃ……」


 志乃が血塗られ手を広げて抗弁すると、芹那は「ひっ……」と怖がり、泣いてしまった。


「……そんな乱暴なヤツとは……一緒に居たくない……志乃なんて、しらない……」


 紘は強めに言い過ぎたかもしれない。志乃は傷ついた様子で、


「なんで……? わたしはただ、人形を取り返そうとしただけなのに……」


 そう言って泣きながら公園を去ろうとする。


 だがそこに、一人の少女が現れる。栗色の髪の、少し大人びた女の子が、公園の入り口に立っていた。少女を見た瞬間、志乃は驚愕の表情を浮かべる。


「迎えにきましたわ、№4……。『家族に会ってみたい』なんて書置きを見つけた時の私の驚いた顔、貴方には想像できますか……?」

「お姉、ちゃん……。どうして、ここが……?」


 紘と志乃は訳が分からず、口をぽかんと開けて、二人のやり取りを眺めていた。


「自分の価値を理解していますの? 貴方は多額の予算を投入された特別国有財産なのですよ?」


 だが、少女は拒絶の意思を示した。


「か、帰りません! こ、ここでは、わたしはお母さんなのですから……」


 志乃の抗弁に少女は苦笑する。手の掛かる妹を見る目。紘にはそれが、自分が芹那に向ける視線と同じものだと気付いた。


「志乃、なんだよ、こいつ?」と紘が訊くと、

「しの?」と栗色の髪の少女が不思議そうに呟く。

「ああ……。あなたの〝名前〟ですか。私達にはいずれ、政府が相応しい名前を与えてくれますのに……。でも、いい名前ですわね? ――じゃあ、行きましょうか、〝志乃〟?」


 そう言って、志乃の手を引こうとする。「――あっ、ちょっと……!」


 そして、少女は紘と芹那の方をくるりと振り向き、


「では、ごきげんよう、我らが〝兄妹〟。また会う日が来るかもしれませんわね?」


 公園の外に、車が止まっている。テレビでしか見たことのない、真っ黒な車体。普通の車では無いことが、幼い紘にもハッキリと分かった。このままでは、志乃が連れ去られる。


 唐突に訪れた志乃との別れ。芹那が「しのちゃん!」と叫ぶのを後ろに聞きながら、紘は砂場に転がっていたスコップを手に持ち、少女に突き付ける。


「し、志乃をはなせ! 嫌がってるだろ!」


 顔は似てないが、姉妹なのは二人の反応からして、間違いないだろう。でも、帰りたくないから、志乃はずっとここに居るんじゃないのか?


「……高宮紘。国家の最重要政策の邪魔をする権利は、貴方にもありません。弁えなさい」

「意味分からないこと言うなよ! このスコップは、当たったら痛いぞ!」


 脅しのために持った鉄製のスコップ。玩具でも本物にしてしまう能力を持つ以上、このスコップが、いまこの場で威嚇用に扱える紘の唯一の剣だった。


 すると、先ほどまで温和な姿勢だった少女が、明らかな苛立ち見せてこちらを振り向く。


「――子どもが……! 私だって、本当は…………‼」


 そして、続けざま。


「ははーん…? そういえば、貴方。〝家族に対して責任を取りたいと思っていますね〟?」と茶化すように問いかけてきた。


 ――どういう、意味だ? 


 紘が戸惑っていると、少女は唐突に「あーあー」とマイクのテストのような声を出す


 と、先ほどまでのソプラノ声とは全く違う、別人の女の子のような声で、


「〝そのスコップを自分のお腹に思い切り突き刺しなさい〟。お上に逆らう者は――切腹です」と悪魔のような笑みを見せて、宣告した。


 そう言われた瞬間、紘の腕が勝手に動き始める。スコップを両手で逆手に持ち始め、その先矛を自身のお腹に突き立てようとする。


「う、うわああああああああ!」「きゃああああああああああ!」


 紘自身と、それを見ていた芹那の絶叫が公園にこだまする中、何か別のモノが身体に激突し、紘は思い切り砂場に倒れた。口の中の砂を感じながら目を開けると、そこには額から血を流す志乃が呻いていた。――紘を、庇ったのだ。


「う、うう……。ひどいです、お姉ちゃん……」

「し、志乃! 大丈夫か⁉ しっかりしてくれ!」

「しのちゃん! きゅ、きゅうきゅうしゃよばなきゃ!」


 その光景を見ていた少女は、流石にまずいと思ったのか舌打ちし、


「高宮紘。高宮芹那。――貴方達は、志乃のことなんて知らないと言いましたね?」

そう問い掛けながら、こちらに向かって歩く。そして、自分達の瞳を覗き込み、

「――〝この娘に関する記憶を、全て忘れなさい〟……!」

「お、お姉ちゃん! やめて! それだけは……!」志乃の懇願に対し、茉莉は、

「正義を成せば、また彼に会えますわ」


 そう、茉莉が何の気なしに呟くのを最後に紘の記憶は――。

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